姫様からのお礼
礼の言い合いになりそうな状態をなんとか宥めて収め、ヴァーニル隊長とローザック騎士にお引き取り頂いてホッとしたのも束の間、またしても扉が叩かれた。
「ダンガ様、クライス様、姫様がお見えでございますが、いま扉を開けてもよろしゅうございましょうか?」
「もちろんです!」
次はそう来たか!
姫様は和やかに室内に入ってくると、連れていた侍女のエマーニュさんに目で合図をする。
エマーニュさんは軽くお辞儀してからさりげなく移動して部屋の隅にポジションをとった。
エマーニュさんもさすが『伯爵姫』様の侍女だ。
姫様に負けず劣らず美しいと言うか、どんな場でも立ち振る舞いのあらゆる所作が美しい。
王家や上級貴族の付き人や侍女ともなると、雇われるのも普通の庶民の女性では無くて貴族の娘さんだったりするらしいし、繋がりのある上級貴族の娘さんが花嫁修業とか貴族の社交界で振る舞う練習を兼ねて受け持つこともあると聞く。
中には主人の『付き人』ではなく『友人』として、主人とほとんど同等に扱われる立場の人もいるって言うから、エマーニュさんもそういう人なのかもしれないな。
室内に残った姫様は、俺たちに向かって軽く膝を曲げて腰を落とすスタイルの礼をしてから、話を始めた。
「アンスロープの皆様とは襲撃以来ゆっくりとお話しする時間が取れず、きちんとお礼を申し上げる機会もありませんでした。まずは、この場でそのお詫びを」
今回は、あの時と違ってダンガたちも狼姿じゃないし、なんとなく俺の横にいるという訳じゃなくて、明らかに姫様からの礼が向けられている対象なので、顔が硬直している。
「めめめめめぇ、滅相もありません!」
たぶん、ネイルバフの治癒院で銀サフランの値段を聞いた時より顔色が悪いぞダンガ。
しかし姫様は硬直しているダンガたちに、何事でもないかのように微笑みかけている。
「さきほど、クライス殿と妹君がこちらに向かったとの話を聞いて、ちょうど良い機会だと思ってお邪魔させて頂きました。何か大事な話の最中に割り込んでしまったということで無ければ良いのですが?」
「問題ありませんよ、姫様。つい今し方もヴァーニル隊長が見えていたところです」
「そうでしたか。それなら良かったですわ」
「むしろ、わざわざお越し頂いて恐縮ですよ」
「クライス殿を呼びつけるなどということは、とてもではありませんが出来かねます。例え、ご身分を隠されている状態でも、です」
「まあ、ご承知の通り、ダンガたちは俺のことを全部知っているのでどんな話でも大丈夫ですよ」
「お気遣いありがとうございます。ただ、ご相談したかったのはアンスロープの御三方に関することでございまして...」
それを聞いて、一瞬にして三人の表情に緊張が走る。
いや、すでに十分に緊張してコチコチに固まっていたはずなのに、今度はその固まっている表情にヒビ割れが走るほどの緊張感が見て取れた。
「コーネリアスとも話したのですが、クライス殿や妹君のみならず、アンスロープの皆様のお助けがなければ、二度の襲撃のどちらも、わたくしの隊列から死人が出ていておかしくはなかったとのことでした」
「それは、俺もそうだと思います。なので、誰も死なせずに済んだのはダンガたちのお陰だと思ってますし、彼らに感謝してますよ」
姫様はそれを聞くと、ゆっくりと頷いて首肯した。
「今さらで大変申し訳ないのですが、皆様のお名前を教えて頂けないでしょうか?」
あー。
これは俺が悪かったな。
ヴァーニル隊長や騎士たちにはすでに名前が知られているのでウッカリしていたけど、姫様には一度も正式に紹介してないのだ。
「すみません、本来は友人である俺がちゃんと紹介すべきだったんですけど、バタバタしちゃってて」
「いえ、クライス殿。どうかお気になさらず」
「承知しました。じゃあ、すまないが自己紹介をして貰えるか?」
三人に向けてそう促すと、緊張の局地にありながらも、やはり長兄のダンガが意を決して口火を切った。
「ミルバルナ王国のルマント村から来たダンガと申します。我ら三人は兄妹でして、こちらが妹のレミンと弟のアサムです」
「レミンでございます」
「アサムでございます」
「ありがとうございます。改めまして、リンスワルド家一同を代表しまして、わたくしレティシア・ノルテモリア・リンスワルドよりお礼を言わせて頂きたく存じます。ダンガ殿、レミン殿、アサム殿、今回のご助力、まことにありがとうございました」
姫様はそう言って三人に向けて深く頭を垂れた。
「と、とんでもありません姫様!」
「私たちは、ライノさんの指示で戦っただけです」
「ええ、ライノさんの行いに付いていっただけですので、どうか!」
顔を上げた姫様はにっこりと、そして少しだけ悪戯っぽい表情で、慌てふためく三人に微笑んだ。
「杓子定規なやりとりはこのくらいにいたしまして...どうか皆様お掛け下さいませ」
姫様に促されて、それまで出来るだけ室内の物品に手を触れないようにしていた三人も、各々、客間の椅子に腰掛ける。
談話室と言うか、この離れの応接間らしき室内には大小取り混ぜて幾つかのソファが置かれていたが、一つ一つが立派な肘掛けと背もたれの付いた大きなモノなので、自然とお互いの距離は離れている。
ダンガたち三人の着ているアンスロープ独特の旅装が、一見、外国の衣装のようにも見えるので、こうやって姫様を囲んでみんなで座ると、まるで国外からの客を迎えているように見えなくもないかな?
もちろん、誰がどう見ても旅の破邪にしか見えない俺と街娘風のパルミュナは除いての話だ。
「ところで当家と致しましても、お三方への恩は、きちんとお返ししなければならないと考えております」
「いえ、どうか、お気になさらず」
「ええ、もうライノさんから十分な報酬は貰っているんです」
「うん、そうだよね。十分以上だよ」
「それはそれ、これはこれ、ですわ。コーネリアスから聞いたのですが、なんでも皆様は故郷の村を移転させる必要があって、その土地を捜して旅をしてらっしゃるとか? それは誠にございますか?」
「は、はい。そうです。その、故郷の村で魔獣の被害がどんどん増えてきて、いずれは畑仕事さえ出来なくなるんじゃないかと...でも地元には移転できるような処も無くて...それで、村のみんなと相談して外国に移住先を捜す旅に出ることにしました」
「では、その移住先としてこのリンスワルド領はいかがでしょう?」
「えっ?!」
「幸い、リンスワルド領にはまだまだ開発可能な土地が残されておりますわ。キャプラ川より南東側の原野はもちろんですが、このやまあいの土地や、それこそ昨日の南の森の奥でも、千人程度が自給できる規模の村なら問題なく作れます」
「おおっ、それはいい話じゃないかダンガ!」
思っても見なかった展開だ。
と言うか、そもそもいま俺がこの部屋に来ているのは、今後のダンガたちの行動についてあらかじめ相談しておこうと思ったからなんだけどね。
うーむ、ビックリだけど有り難い。
「クライス殿のご意見も頂きたいのですが、村を開拓する場所については、どのような村を作りたいか次第ですので、平野がいいか森がいいか川沿いがいいか、皆様のご希望を伺った上で、適した場所を提案させて頂きたいと存じます」
「お、おおっ...」
「ほ、本当に、こ、このリンスワルド様の領地に住めるんですか?!」
「村の、村のみんなをここに呼んできていいんですか?!」
「はい。二言はございません。国を跨がっての移住になりますから、後で問題にならないように、大公陛下へのご報告とミルバルナ側への根回しは必要かと思いますが、それはなんとでもいたします」
「あ、あああああ...そんな...あ、ありがとうございます!」
「まさか、まさか、そんなことが起きるなんて! ああっ!」
「あぅ、ありがとうございます。ありがとうございますっ。」
感極まったのか、三人とも盛大に涙を流し始めた。
そうだよね。
これまでの旅は、とっても辛かったはずだもの。
物理的にも、なにより心理的にも・・・
「みんな、良かったなあ...」
「ダンガ殿、レミン殿、アサム殿、わたくしからのせめてものお礼でございます。どうかお納め下さいませ」
「は、はいっ!」
「あぁぐぇっう...ばびばぼうぼばびばす...」
「ありがとうございますっ!」
レミンちゃん、無理して喋らなくていいから。
なんだか、俺もちょっと貰い泣きして涙が滲んできたよ・・・
よし決めた。
俺も友人として、ダンガたちの新しい村の候補地選びに付き合おうじゃ無いか!




