お若い姫様
「えっ?」
思いも掛けぬ姫様の言葉に、俺は固まった。
これはただの会話なのか、何かのテストなのか、それとも?
俺はどう反応していいのか分からずに黙ったままだ。
一瞬、じっと俺の顔を見つめていた姫様の眉がピクッと動いた気もしたが、それ以上はなんと言うことも無く、姫様はお茶のカップを手に取ると優雅に飲み干した。
「クライス殿、これから私がお話しすることは出来れば他言無用にお願いできますか?」
「仮に、どんな相手にも話すなと言うことであれば、私が聞くべき事であるようには思えませんが?」
約束した結果、パルミュナやアスワンにさえ話すことに躊躇いを感じるようなことなら、いっそ聞かない方がいい。
「いいえ。無関係なところで言い触らさないで欲しいという意味です。クライス殿が信用している相手や、何らかの理由で事情を伝えたい相手には話して頂いても構いません。ただ、出来るだけ知る人が少ない方が良い、そういう事柄です」
「承知しました。それであれば伺いましょう」
「養魚場へ向かう橋で起きた事は、大変痛ましい事件でした。あの二人には本当に申し訳ないことをしてしまったと...そして事件に巻き込んでしまった沢山の方々に対しても...今でも思い出すたびに胸が痛みます」
『あの二人には』って、どういう意味だ・・・?
「養魚場で襲われたのは私の両親ではありません。その影武者をお願いしていたご夫婦なのです」
「なっ!...」
「まさか、あそこにあんな罠が張られているとは思いもよらず...あの方たちには本当に申し訳なかったと思っています」
「そうだったのですか...では、姫様の両親はご健在で?」
「いいえ。両親はとうの昔に他界しておりましたの。あの二人は、その不在を隠すための役目だったのです。よもや当主の身替わりになるとは思ってもいませんでした」
「あ、それは失礼いたしました」
「構いませんわ...それで、先ほどクライス殿の過去を詮索するつもりは無いと言った矢先から申し訳ないのですが、もし差し支えなければ、年齢を教えて下さいませんか?」
「私のですか? 今年で十八歳になりましたが」
「まあ! 本当にわたくしよりもお若いのですね...では私は、何歳ぐらいに見えますか?」
危険! 危険! 要注意トラップ発生です!!!
「どんな時であろうと、どんな事情があろうと、女性に年齢を尋ねたり、推定で口にしたら背中から刺されても文句は言えない、師匠にそう教わりました。例えご本人に請われた上であっても、それを口にすると月の無い夜には出歩けなくなるそうです」
俺がそう言うと、姫様は少し驚いたような表情を見せた後、コロコロと鈴のような声で笑った。
その笑い方がちょっとパルミュナに似ていて、急に山道でウォーベアを討伐した時のことを思い出してしまった。
それに、いままで緊張しすぎていたせいで意識の外だったけど、リンスワルド伯爵令嬢が超絶美女だということも改めて認識してしまう。
「クライス殿は、とても良い師匠をお持ちでしたのね!」
姫様は笑いながらそう言うと、空になっていた俺のカップに熱いお茶を注ぎ足してくれた。
魔石の保温機能付きか・・・いいお値段がしそう。
そう考えると、自分で熱魔法が使えるようになるまで、当たり前のようにパルミュナをカマド扱いしていたことをちょっと反省する。
「ええ。尊敬していますし、大きな恩もあります」
「あら? 危ないところを救われたとか?」
「魔獣に殺された両親の敵を討ってくれました。それが、俺が破邪になった切っ掛けだったんです」
「そうでしたの...不躾なことを言ってしまいましたわ」
「まさか! それこそ気にしないで下さい。もう八年も前のことです」
「八年前ですか...」
「その出来事があって、師匠に弟子入りして破邪の修行を始めることになったんですよ。いまではもう懐かしい思い出です」
姫様は俺の言葉を聞いて慈愛に満ちた表情を浮かべた。
単に美しいだけじゃ無くて、なんというか若いのに包容力を感じさせる人だ。
「懐かしい、ですか。八年前なんて、わたくしにとってはつい先日のことのように思えます...では答え合わせをいたしましょう」
姫様はそう言うと手にしていたカップをテーブルに置き、肘掛け椅子から立ち上がった。
その瞬間、姫様の身体から膨大な魔力が溢れはじめる。
これは!・・・
どこの馬の骨とも知れない俺みたいな男とも、平気で二人きりになれるはずだよ!
姫様はテーブルを越えて俺に覆い被さるように身体をかがめ、肘掛けに預けていた俺の両手の上に、自分の手のひらを載せた。
そのまま顔をこちらに近づけて、俺の目を覗き込む。
もちろん、その気になれば姫様を弾き飛ばすことくらいわけないが、それは勇者の力を使ってこそだ。
ただの破邪時代だったら勝てなかったかも・・・
「クライス殿、わたくしの瞳の奥に二重のリングが見えますか?」
俺は絶句した。
そういうことだったのか・・・
確かに姫様の美しい瞳の奥には、鈍く光る金色のリングが二重の縁取りを作っていた。
姫様は、俺の顔の間近でにっこりと微笑む。
ヤバイ、思わず見入ってしまう。
て言うか吸い込まれてしまいそう。
今この場にパルミュナを連れてきて『魅了ってのはな、こう言うのを言うんだよ!』って説教かませたい気分だ。
だが、姫様はすっと俺から離れると、優雅な動きで椅子に戻った。
「驚かせてしまいましたかしら?」
一瞬、茫然自失となりかけた気もするが、努めて何食わぬ顔をする。
「色々な意味で驚きましたね。まず最初に呼ばれた時は、俺みたいなどこの馬の骨とも知れない奴と平気で二人きりになるなんて、なんて怖いもの知らずな方なんだろうと思いましたよ。ですが、実際は怖いもの知らずでは無くて、怖いものが少ないのだと分かりました」
「あら? それではまるでわたくしが戦士のようだと言われているみたいですわ?」
もちろん姫様のセリフは冗談だ。
顔は相変わらずたおやかに微笑んでいる。
「並の戦士では相手になるかどうか...魔力も凄いですけど、武術もかなり嗜んでらっしゃいますよね?」
「それも分かるものですか?」
「身体の動きというか、所作を見ていると大体のレベルは」
「破邪というのは、やはり凄いものですね」
「自分の命が掛かっていますからね。勝てない相手だと分かったら逃げることも必要ですが、まずは相手の力量を測れないことにはどうにもなりません」
「納得できるご意見ですわ」
「破邪にとって対人戦は本領じゃありませんが、山賊討伐なんかに巻き込まれることはしょっちゅうなので...」
「それでも先ほどのクライス殿に焦った様子はとくにありませんでしたわ。率直な意見を伺いたいのですが...クライス殿は本気を出せば、容易に私に勝てると思ってらっしゃいましたね?」
いやいやいやいや、めっちゃ焦ってましたけど?
でもこれは、焦ってる方向性の問題か。
「あー、いや、まあ...そうですね。はい」
「隠される必要はありませんのよ? わたくしもクライス殿のことを、自分には勝てない相手だと理解できましたから...では、話を戻させて頂いて...」
姫様は、変わらず優雅な動作でお茶のお代わりを注ぐ。
纏っていた魔力も消えさり、その中身を知らない者の目には、いま目の前にいるのは若くて繊細な貴族の淑女にしか見えないだろう。
「わたくしは若いのでは無く、若く見えるだけです。先ほど、身代わりで大怪我をした影武者の夫婦が、わたくしの両親の不在を隠す役目だったと申し上げましたが、その不在というのは五十年前からなのです」
「はい?」
「私の両親は、いまからおよそ五十年ほど前に他界いたしました。両親はずっと仲の良い夫婦で...最後も、そうですね...母が亡くなってから二年と経たずに、その後を追うかのように父も他界しました。きっと寂しかったのでしょうね」
「ご、五十年? えっと...そうすると、姫様は、その...」
「それは口にされないのですよね?」
そう言いながら、姫様はさも面白そうに微笑んでいる。
一本取られたって気分だ。
「もちろんです!」
でも姫様、ビジュアル的にめっちゃお若い!!!




