色々な対策
狼姿のアサムの巨躯が軽々と弾き飛ばされて宙に浮く。
少しだけ踏み込んでいた木立の中から窪地の中央に向けて吹き飛ばされたアサムは、魔法陣があったところに落下してボールのように弾んだ。
「アサムっ!!!」
「大丈夫かっ!」
レミンちゃんとダンガが慌ててアサムに駆け寄る。
これ、個人用の防護結界が無かったら死んでたぞ・・・
着地点からさらに勢いよく転がされた先でかろうじて立ち上がったアサムは、まだ少しよろよろとしている。
突然吹き飛ばされて目を回したな。
「アサム、追うなと言っただろ? 俺の防護結界が無かったら、いまので死んでたっておかしくないぞ?」
「ごめんなさい...」
「相手は人の知恵がある魔法使いなんだよ。魔獣のようにダイレクトに攻撃してくる魔法だけじゃ無い。罠も張れば、駆け引きもする」
「そうだよね...」
「それに俺は、師匠から言われた言葉をお前に教えたはずだ」
「うん」
「身に染みたか?」
「うん...」
「よし、じゃあその経験を次に活かしてくれ。ケネスさん、隊列に戻って、ヴァーニル隊長とこれからの対応を考えましょう」
「ああ、そうだな」
「アサム、ここまで来たコースをそのまま逆に戻って、一足先に隊列に戻って貰えるか。それでヴァーニル隊長に、ここの話を伝えて欲しい。もしも彼が現場を見たいと言ったら安全なコースで案内してきてくれ」
「分かった!」
アサムは元気よく返事するとダッシュで駆け出していった。
失敗して落ち込んでいる奴には次の役目を渡すのが一番だからな。
俺も失敗して落ち込んでいた時には、よく師匠から、なんやらかんやらのお使いに行かされたもんさ・・・
「ライノよ」
「何ですか?」
「お前、ホント大した奴だな」
「破邪ですからね」
「全部それかよ! まあ、とにかく戻ろうか...」
帰りは下りなので足取りが軽快だ。
緩斜面なので降りるのに気を遣うと言うことも無く、俺は念のために最後尾を歩いて、他の面々が視界に入っているようにして進んでいく。
すると、俺のすぐ隣を歩いていたレミンちゃんが、俺の足に毛皮が触れそうなほど近づいてきた。
「ライノさん、アサムを守ってくれて本当にありがとうございます」
「え? レミンちゃん、それは逆だよ、俺がみんなを危険な目に巻き込んでる。むしろ『アサムを危険な目に遭わせた』って非難されても仕方ないくらいだ」
「そんなこと無いです!」
「でも、そうだと思うよ。俺も本来はこんな危険な状況になると思っていなかったもの。さっきだって、ブラディウルフの討伐まで手伝って貰ったんだし」
「ちゃんとお給金も貰ってお手伝いする約束をしたんですから、そんなの問題ありません。ライノさん、危険手当も込みだって言ってたじゃ無いですか?」
「まあそうなんだけどね...思ってたより危険な状況になっちゃったって感じかな?」
「狩人として虎や魔獣を追えば、同じように危険はあります。さっきアサムが吹き飛ばされた時も、あの茂みに魔法使いの罠がある代わりに、虎が潜んでいたって同じ事だったんです」
「うーん...そうなのかな...」
「ええ、そうですよ」
実際いまのアサムやダンガの姿なら虎でもなんとかできそうな気がするが、それは言わないのが配慮だろうな・・・
「ライノさん、今日の私は嬉しいことが二つもありました」
「そうなの?」
「はい。一つはこの姿を褒めて貰えたことです。どんなに嬉しかったか言葉に出来そうにありません!」
「え、そんなに?...」
「そうですよ! ライノさんのお陰で、アンスロープに生まれたことを誇らしいって思えるようになったんですよ?」
「...そ、それは良かった...ところで、もう一つは何?」
「救援に駆けつけた時にライノさんから『俺の背中を頼む』って言って貰えたことです!!!」
++++++++++
隊列のところまで戻ると、ヴァーニル隊長がすぐにやってきた。
「アサム殿から聞きました。森の中に魔獣を召喚した魔法陣があったそうで」
「ええ。もう破壊されて術者は逃走した後でした」
俺がそう答えると、ケネスさんが口を挟んだ。
「ん? なあライノ、考えてみればあの魔法陣を操ってた奴は、どうして逃げる前に陣を壊していったんだ? どのみち一方通行なら、こっち側からは使えないんだろ?」
「出元を探られないようにでしょうね。俺なんかには無理ですけど、卓越した魔法使いや魔道士なら、魔力の流れの痕跡を逆探知できる場合があるそうです。確率は低いらしいですけど」
「なるほど、万が一にも辿られないように、ってことか」
「ええ、そんなやつらだから、今さら追っても無駄だろうと思いました。しっかり追跡者に罠まで用意してましたしね」
アサムがちょっと目を逸らしたのが可愛い。
狼の顔でも表情豊かだなあ・・・
「うーん、なるほどなあ...」
ケネスさんは、またさっきと同じように腕を組んで黙り込んだ。
何かというと腕を組む癖があるな、この人。
「ライノ、治安部隊の正規兵でも無い破邪のお前にこんなことを頼むのは、本当にお門違いだって承知してはいるんだがな...なあ、お前に姫様を居城まで護衛して貰えないか?」
「やっぱり、そうなりますか...」
「いや分かってる。破邪は傭兵仕事はしない。用心棒もやらないし、対人想定の護衛もやらない。それは聞いたよ。でもよ、今回の相手はどうやら魔獣だけっぽいだろ? もしも次の刺客が人だったら騎士団の人たちが相手をする。お前が対応するのは魔獣だけ。それならどうだ?」
俺に都合の良い展開はどこへ?
まあでも、さっきヴァーニル隊長に屋敷まで一緒に来てくれって言われて承諾してるから、きっとこうなると思ってたよ。
表だって護衛だなんて言わなくても、魔獣がでたら俺が相手をするのが筋だろうし。
「えーっと...さすがにダンガたちはこれで解散にすべきです。彼らは俺に巻き込まれただけの旅人ですからね。いくら何でもこれ以上付き合わせるわけには」
「それはそうだな。了解だ」
ケネスさんが了解したのに、ダンガが口を挟んだ。
「いや、俺たちはライノを手伝いたいと思う」
横ではアサムとレミンちゃんが、例によって音がしそうな勢いで頷いている。
「だけどダンガ、さすがに襲撃を受ける前提の仕事に君らを付き合わせるわけにはいかないよ。この先にも罠を張ってるかも知れないし、今夜にも追撃を受ける可能性は高いんだ。こう言っては悪いが危険すぎる」
万が一にも逃げ出した目撃者を始末するために、押さえの罠を用意しておく程度のことは当然だろう。
「ライノからは仕事の依頼を受けたし、ちゃんと給金も貰ってる。俺たちは、最後まで一緒にやり遂げたいんだ」
アサムとレミンちゃんの頷きも一層激しい。
うーむ、さっきレミンちゃんが言っていたようなことを・・・まあアンスロープの耳に入ってはいただろうけどさ。
「本来はただの調査依頼だぞ?」
「危険手当も込みだろ?...一緒に手伝いたいんだよライノ、それが俺たちの気持ちなんだ」
むー、そう言われると弱いなあ・・・
「分かったよ、ダンガ、アサム、レミンちゃん。三人に俺のサポートを依頼する。すまんが、俺を手伝ってくれ」
「おう!」
「うん!」
「はい!」
俺はケネスさんの方に向き直った。
「それにしても、あのスパインボアは放置できないですよ? 誰かがあそこに行って七十匹をその場で斬り殺すって手もありますが、結界がどこまで保つか、安全は保証できないです」
「な、七十匹だと!...」
「ざっとそのくらいです」
「七十匹...本来ならば...もしクライス殿が押し留めていなければ、それが、この場へ走り込んでくるはずだった、という訳ですな...」
ヴァーニル隊長が苦虫を噛み潰したような顔をして呻く。
さすがにブラディウルフに加えてその数が来たら、どうあっても姫様を守り切れなかっただろうというのは容易に想像がつく。
馬車の中に籠もってブラディウルフの猛攻に耐えていても、そこに猛り狂った七十匹のスパインボアまで突進してきたら、大きな伯爵家のお召し馬車といえども粉砕されたか、谷底に突き落とされたか・・・
「それはそれとして、馬たちが全部気を失っているみたいですが、移動は大丈夫なんでしょうか?」
俺がヴァーニル隊長に問いかけると、問題ないという仕草で頷いた。
「あれは、襲撃などのあった場合に馬が暴れて事故が起きないよう、即座に眠らせるための魔法薬が馬たちに仕込んでありましてな」
「おおっ、なるほど」
「以前、狭い場所で馬が暴れて酷い事故が起きたことがあったゆえ、それ以来、御者が異変を感じたら、まず馬を眠らせることが対応手順となっております」
『酷い事故』と言うのは、間違いなく養魚場の橋の件だろうな。
敵の魔法か何かで眠らされて足止めされたのかと思ったが、そういう危機対応の手順が用意されていたとは驚きだ。
「いずれにせよ今後の行動に直結する話ゆえ、私も独断では決められませぬ。姫様や侍従とも相談したいので、しばし失礼を」
そう言ってヴァーニル隊長は、姫様の馬車へと歩いて行った。
「ま、とりあえずヴァーニル殿の判断というか、姫様の裁可を待とう...」




