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短編集(短編及び短め連載完結)

部下が理想の上司過ぎて、部下になりたいから師団長辞めたい

作者: と。/橘叶和

ヒロインは友人と話す時と、部下の前で話す時とで口調が変わります。

(仕事のオンオフで口調を使い分けております。)


「部下が理想の上司過ぎて、部下になりたいから師団長辞めたい」



 今夜はもう飲み過ぎている。自覚はあるが、楽しい席でのお酒は美味しい。



「寝言はベッドの中で言え」

「残念ながら寝言じゃないの」



 最近、少しばかりきどった飲み屋では半個室が流行っている。高級店のように一部屋押さえる訳ではないからリーズナブルであり、しかし人目を気にし過ぎる必要がないから人気だ。こんな場所ではいつもの業務仕様の自身から解放され、昔馴染みと馬鹿な話をした所で誰かに見られる心配もない。



「ちなみにどっち」

「ブランド一択でしょう」

「それはそれでカーティスに失礼じゃない?」

「カーティスは理想の上司ではない。あれは違う」

「あれはあれでかなり人気よ」

「知ってるわよ」



 ブランド、カーティス、両名とも私の部下である。真逆の性格性質である彼らだが不思議と馬が合うらしく、時に意見のぶつけ合い時に切磋琢磨し、肩を組み合い胸倉をつかみ合ったりしながら仕事をしている。南部の双璧と呼ばれ上司の私も鼻高々な程の人気ぶりだが、真面目一辺倒のブランドと臨機応変で柔軟過ぎるカーティスの間に挟まれるのは結構大変だ。


 そんな部下たちであるが仕事仲間として、というよりは上司というカテゴリーで見た時、私からすればブランドはかなり理想的だった。まず仕事ができる、真面目である、不正をしない…いや、これはカーティスもできている。程々に厳しく、挫けそうな時には背を押してやるさり気なさなどはむしろカーティスの方が上手い。しかし私はブランドのあの絶妙な不器用さがツボだった。部下を励まそうとして逆に落ち込ませてしまい、何故かブランドの方がもっと落ち込んでその部下に励まされていたところを見た時は「そこ代われ」と思ったものだ。


 ブランドはどちらかといえば愚直であり、それが彼の良いところであり悪いところだった。体育会系の最たる考えを持ち、妥協は基本的に許さない。ここがカーティスとの違いであり物事への臨機応変さがほとんどない。自身でも自覚があるらしく、暴君にはなっていない。まあ、ブランドの部下たちは彼のそういう気質を知り好んでいる者が多いので特に困りもしてはいない。



「そもそも現状、オリアナが抜けられる筈ないでしょ」

「何とでもなるわ。…辞めたい」

「え、転職したいって話?」

「ブランドの部下になりたいって話」

「分かった分かった、ちゃんと聞くから話してみな」



 注がれたグラスの中のシャンパンが照明に反射しているのを眺めると、心が落ち着く。ああ、本当に飲み過ぎた。最近は会合の準備で忙しくしていたので、疲れているのだ。申し訳ないが、優秀な同期殿にはもう少し愚痴に付き合ってもらおう。



「私たちって上司に恵まれなかったじゃない」

「そうね。そのせいで誰かさんにそそのかされた私は、今や南部魔道師団師団長だわ」

「そして私も南部騎士団師団長…。老害を一掃した後のことなんてそう考えてなかったのよね」

「おい」

「最年少とか言われて調子に乗っては駄目だったわ」



 王国の東西南北に各々配置されている魔道師団と騎士団。国立の騎士魔法大学校を卒業した者は、学校の授業費を免除される代わりに五年以上はそのどちらかで働かなければならない。五年が経てば転職も可能であるが、経ってもそのまま継続して働くこともできる。私とパメラは同じ学校の同期で、二人して南部に配属された。


 配属された当初、南部の魔道師団と騎士団は汚職にまみれており間違っても夢見る若者が生き残れるような環境ではなかった。南部で生き残っていけるのは、上層部と同じく汚職に手を染めて行くことに躊躇がない者ばかりで、更に劣悪な職場が日々形成されていた。


 ここで心を折って田舎に帰れば良かったのだが「あ、無理。潰す」と思ってしまった私は、パメラと協力しあの手この手を使いまくって師団長にまで上り詰めた。文句を言う者は実力で黙らせ、過去の過ちたちを並べたてて脅してやった。


 南部が好き勝手やれていたのは、国の中枢がいつまでも奴らの裏を取れなかったからだ。賄賂だろうと体罰だろうと、その他の法律違反だろうと証拠がなければどうにもならなかった。内部からであっても証拠集めには苦労したが、その結果突き崩すのは簡単だった。



「私、田舎者だから都会の格好よくてスタイリッシュな上司に憧れてたのよね」

「結構俗物的だったのね」

「あのくらいの年の子なんて多かれ少なかれそんなものでしょ」

「それで?」

「いなかったでしょ?」

「いなかったわね。南部の腐敗は王都が見放すくらいだったもの」

「ブランドみたいな上司が欲しかった」

「…ブランドはスタイリッシュではないと思うけど」



 パメラは呆れたようにグラスを煽った。そう、ブランドにスタイリッシュさはない。それを持つのはカーティスの方だ。ブランドは厳めしい顔に筋骨隆々で、子どもに泣かれる類の人間である。要領の良さよりも手順の正確さを求める。上司としては肩の力を抜けと常々言っているが、そこもいい。部下として支えたい。



「この際、スタイリッシュには目を瞑るから良い上司の下で働きたい」

「少なくとも師団長を辞めたからってブランドの部下にはなれないわよ」

「何かこう、偽名とか使って」

「疲れてるのは分かった、とりあえず休もう」

「そういうの上司に言って欲しい。本当に辞めたい」

「今何連勤だった?」

「休みはちゃんととってる。…ただ精神が」

「よしよし飲もう、今日は奢るから」

「辞めたい。せめて理想の上司の部下になりたい…!」



 残業続きで疲れてはいるが休みは一応とれている。けれどやっぱり疲れてもいる、飲み過ぎなのもある。そういう時はどうしてだか妄想が捗るのだ。



「仕事が嫌な訳じゃないのよ、師団長を辞めたいの。あわよくば理想の上司の下で働きたい」

「オリアナが魔法が使えたんだったらうちで引き取ったけどなあ」

「パメラは上司って感じじゃない」

「喧嘩売ってんのか」

「ほら怖い! 魔法使いなのに暴力的なのどうかと思う!」



ばき



「うお!」

「ばっ!」



 半個室の為に立てられた簡易の柱が嫌な音を立てて壊れ、代わりに筋肉質の男が二人なだれ込んでくる。本当に飲み過ぎた。こんな分かりやすいものが分からなかったなんて。



「…」

「…」



 パメラに目くばせをして顔を作る。酒に酔っただらしない顔ではなく、最年少で師団長の座を我が物にした顔を。



「お前たちも飲みに来ていたのか」

「そこはきちんと弁償をするように」



 今更である感じは否めないが、オンとオフは分けるべきだ。パメラも澄ました顔をして二人を叱責する。我々の口角がほんの僅かに揺れているのは仕方がない、笑うしかない状況である。それを我慢しているのだから褒めてもらいたいくらいだ。



「あ、はい! それは勿論…」



 筋肉ダルマたちに圧し掛かられた可哀想な柱は、真っ二つどころか四つ以上にバキバキに折れている。それにしても我が部下の情けないことだ。双璧なんて二つ名を貰っているのだから、さっさと立ち上がって欲しい。



「あー…。どこから聞いてた?」

「あ、あはは…」



 笑いを堪えながらパメラがそう聞くと、二人は顔を見合わせて誤魔化しにかかった。



「忘れるように」

「し、師団長…!」



 これ以上は色々と堪えられなかったので、席を立ち会計を済ませて足早に店を出た。



「…ごめん、すっごい笑える!」



 暫く歩いて店から随分離れた所でパメラが吹き出した。分からないではない、むしろ私も笑える。自分のことでなければ。



「単純な腕力で私に勝てると思うなよ」

「私、魔法使いだから」

「あ?」

「は?」



 自分のことでなければ。



―――


 会合の準備は先週の内に大方終わったので、今日からはまた団員の指導に顔を出すことにした。皆、一様に悪くはないが緊張感が足りない。会合には東西南北の騎士団及び魔法師団の師団長と補佐が一堂に会する為、上位の者たちはここ暫く訓練に顔を出していなかったがそれだけでこれでは困ったものだ。



「貴様らはその程度か、その程度で国を守っている自覚があると言うのか!」

「申し訳ございません、師団長!」

「謝る気力があるのなら走り込んでこい!」

「承知しました!」



 走り去る若い団員たちを見送りながら、ため息を吐く。喝を入れれば素直であるが、できれば喝を入れる前からやる時はやって欲しい。気を抜いて訓練で怪我をするなんて目も当てられない。


 南部は魔獣の被害は少ないが、以前の名残で治安が悪い地域も多い。我々は治安維持が主な仕事であるから、基本的には対人なのだ。治安が悪い箇所を一斉摘発しようとも、そこが駄目ならと別の地域に展開されるのだから意味がない。全員を処刑台に送る訳にはいかないし、捕まえようにも限度がある。ではその地域を囲い込んで監視し、一般人に被害がでないようにしていくのが現在のベターであるから、倒せばいいだけの魔獣よりも神経を使わねばならない。ベストが見つかるまでは、この方式でいくしかないのだ。…対人、それもランダムの訓練を増やそう。


―――


 私はまあ、この組織の最高位なので事務仕事も多い。慣れたものだが面倒である。まず机に長時間座り続けるのが好きではない。自分の執務室とかいらないから事務仕事を減らしたい。ああ、上司に押し付けて定時で帰りたい。上司がいた頃は率先して仕事を奪っては証拠集めに勤しんでいたし、「やっておくから先に帰りな」なんて言ってくる上司もいなかった。…上司が欲しい。心がイケメンの上司が欲しい。責任をとってくれて、飴と鞭の使い方が上手で仕事のできる上司が欲しい。



「師団長、あの」

「それは仕事の話か」



 避けに避けていればカーティスは近寄って来なかったが、ブランドはそれでもやって来る。カーティス、お前の相棒の面倒はちゃんと最後まで見なさい。と、心の中で奴を叱りつけ書類に目を通し続けた。


 何でもないような顔をしてはいるが、内心冷や汗がすごい。昨日の会話をどのくらい聞かれていたかは分からないが、あれは聞きようによってはセクハラだろう。そういうつもりは一切ないのだ。ただ“良い上司”に飢えていただけなのだ。



「…違います」

「では今すべき話でない」

「しかし! 関わりのある話です!」

「はあ…。何だ」



 いかにも仕方がない、という体で印を押した書類を処理済みの箱に入れ顔を上げる。ブランドは眉間に皺を寄せながらこちらを睨みつけていた。いや睨んではいないのかもしれない。奴は顔が怖く表情筋の使い方も下手なことから、よくそうやって間違われるのだと嘆いていた。そう、睨まれてはいない。多分。



「お辞めになるというのは、事実ですか」

「私の進退はお前に関わりのないことだ」



 だから、顔が怖いって。



「ございます! …自分は、まだ師団長に全ての教えを乞うておりません!」

「私は入団した当時の上司たちを全て追い出して今の地位にある。業務は慣れだ、教えを乞う必要はない」



 上司が辞めるとか言っただけで動揺するような人間だったのか、ブランド。「畏まりました。後はお任せください」くらい言ってくれるものだとばかり思っていた。だから、顔の圧が。



「騎士の何たるかを、自分は師団長にお教え頂きたいのです!」

「騎士の何たるか、か。それこそ私がお前に教えることなど何もない。お前もカーティスもよくやっている。私が抜けた所で変わることなどない」



 これは事実であり本音だ。二人ともよくやっている。私が彼らくらいの時よりもずっと強く、状況判断も的確だ。私の代わりにどちらかが師団長になった所で上手くやるだろう。性質の違いや得意不得意はあるが、私よりもずっといい。


 私の年ならば本当はこれから本格的に出世を目指していく時分であるのに、私は既に南部の頂点に立ってしまっている。南部に居続ける限りは私にこれ以上の出世はなく、また私の部下たちの出世も頭打ちだ。昨夜は愚痴を言ってしまったが、近い将来本気で転職を考えるべきだろうとは常々思っていた。


 そこまで言い切ると、やっとブランドは視線を外した。良かった、やっぱり顔が怖かった。理想的な上司であろうブランドは、部下としても素直で可愛い奴であるが圧がすごい。顔は悪くないのだが、いや顔が良い分、更に圧が。



「自分たちのせいですか、貴女の期待に応えられないから…」

「…ブランドお前、昨日の間諜の真似事で何を聞いた」

「は、大変不躾なことを致しましたが、師団長を辞めると」

「それ以外は」

「誓ってこれ以外を聞いてはございません」

「そうか」



 良かったぁああ! よか、良かった! 首の皮一枚で繋がった! などという叫びは一つも表に出さず立ち上がる。今日はもう残業止めておこう。後は明日以降で十分である。



「では、この話は終わりだ。私とて何も今日明日突然に辞める訳ではない」

「どうすれば!」

「は?」

「どうすれば、辞めないでくださいますか…!」

「泣くことではないだろう」



 でかい図体を震わせながら、ブランドは叱られた子どものように泣いていた。ブランドが泣くことは実はそこまで珍しいことではない。良い感情にも悪い感情にもすぐに気が昂るので、入団当初でまだ体が出来上がっていない頃はよく泣いている所を見た。南部騎士団師団長黒補佐という仰々しい役職に就く前からはそういった姿を見せなくはなったが、その気質が変わった訳ではなかったのだろう。


 ハンカチを手渡し、ぽんぽんと腕を叩いてやる。昔は頭を撫でてやっていたが、ブランドの遅くに訪れた成長期のせいでそれをするのはもう難しい。



「ブランド、環境が変わることは悪いことではない。それにさっきも言ったがすぐに辞めるとかそういう話でもないのだ」

「ぐ、ずっ、では、師団長が辞められる際には付いて行ってよろしいですか」

「何でそうなる」

「自分は、師団長に憧れて南部に赴任しました。悪辣な上層部を一掃した貴女の下で働きたかったからです」



 私たちの代では南部は不人気で、ハズレくじを引いた者が強制的に赴任させられる地域だった。元々南部にコネクションがある人間ならばいざ知らず、私とパメラはくじに負けて南部に赴任させられたのだ。それが、私とパメラの活躍のおかげで今や大人気である。上層部がほぼ丸々総入れ替えだった為に、私を含め全員が若年だ。早く出世したい者からすれば、ベテランや中堅層がいない南部は魅力的なのだろう。不可解ではあるが私に憧れて、などという者も毎年少なからずいる。



「それはもう知っている。何だ、お前、酒でも飲んでるのか」



 ブランドは酒を飲む度にこの話をするから耳にタコなのである。



「そのようなこと自分は致しません!」

「分かった、私が悪かった。ブランドはそんなことはしないな、分かったから落ち着きなさい」



 ブランドに腕を掴まれると熊と取っ組み合いをしている気分になる。悪い子じゃないんだ、悪い子じゃないんだけれど、自分の身幅というか大きさや力をまだ分かっていないような時がある。涙が止まったようで良かった、上司は疲れたよ。



「自分は!」

「うんうん」

「師団長をお慕いしております!」

「うんうん、ありがとう」

「違います!」

「何だ」



 もう帰りたい。誰だブランドが理想の上司とか言った奴は。…。私だが!



「貴女に恋をしております、オリアナ様!」

「…」

「貴女と離れるなど、考えられない。…騎士としてあるまじきことだとも理解しております。しかし、このような自分では、それこそ替えなどいくらでもおります」

「…」

「どうか、自分もお連れください。きっとお役に立ってみせます。想いに応えて頂かなくとも構いません、せめてお傍に…!」

「自分を大事にしなさい!」



 アッパーをかました私の判断に間違いはなかった。


―――


 間違いはなかった筈なんだ。あの時、ブランドは錯乱していた。そうである筈だったのだ。



「オリアナ様、先日の会合の議事録です」

「オリアナ様が仰っていた地域の現状を纏めた資料です」

「オリアナ様、予定されております南西合同演習の参加者名簿です。不備がないかご確認お願い致します」



 …。まあ、ここまではいいだろう。今まで“師団長”と呼ばれていたのが“オリアナ様”になったくらいだ。オリアナ様オリアナ様と煩いが、目くじらを立てる程でもない。やはりブランドは優秀であるし真面目だ。東西南北が勢揃いした会合でも「良い部下だ」と褒められた。いいだろう、やらんぞ。


 …問題はここからだ。



「以前、お好きだと仰っていた菓子屋が新作を出したようで」

「花屋が開店したようで」

「最近、このような小さなぬいぐるみが流行っているようで」



 私の可愛い部下に貢ぎ癖がついた。


 これはいけないと、きちんと叱りつけようと思ったのだが上手くいかない。



「ブランド、私の目の届く場所で、しかも私自身に賄賂を贈るつもりなのか」

「賄賂とするにはあまりにも少額では」

「金額の話をしている訳ではない」

「まあまあ、師団長。そう怒ることでもないでしょう」

「カーティス、お前の相棒だろう。きちんと見ていなさい」

「私は彼の親ではございませんので」

「オリアナ様」

「何だ!」

「ペンが壊れたと伺いました。よろしければこれを」



 助かる! しかもそのペン良いやつ! いつも賑わっている文房具屋で売っているものだから、また今度空いている時にと思ってずっと買えていなかったやつ!



「ぐ」

「いいではありませんか、少なくとも賄賂ではありません」

「誓ってそのようなことはございません。…どうか」

「…ありがとう」

「はい!」



 いつもこんな感じで流されてしまう。憎むべきは自身の意思の弱さよ。…辞め時なのかもしれない。


―――


 本日は前とは違う飲み屋で、パメラと飲み会である。今度は完全個室である。



「上司欲しい病は治った?」

「治ってはないけど、部下の様子がおかしくて困ってる」

「可愛いんでしょ」

「かわ、いくない、こともないけどさあ…」



 そう、ブランドは可愛い奴なのだ。入団から騎士団師団長黒補佐になるまでの出世のスピードは南部であっても目を見張るものがあったが、当初から変わらず私に憧れていると言って憚らない。馬鹿が付く程に真面目で目を離すとカーティスと喧嘩をして備品を壊したりするが、その力量は誰もが認めている。そうであるのに奴は変わらない。


 実際、ブランドとカーティスが黒補佐、白補佐になった頃はどちらかが私の座を狙いにくるものだと思っていた。そしてそれで良いと思っていた。規定の五年は過ぎていたから、どちらかに譲って転職か田舎に帰るかと考えてもいたのだ。それが二人とも今の地位に満足しているようで、何もしかけて来ない。拍子抜けも良い所だった。



「最近、前にも増して痒い所に手が届くというか、仕事がしやすくて助かってる」

「まあ補佐ってそういうものでしょう。師団長を支える白黒の二柱。うちのにも見習って欲しい」

「あげようか」

「知ってた? 私、魔法士団の師団長なんだ」

「知ってた」



 グラスの中の氷がカランと鳴る。ガラスに映った顔が赤らんで見えるのは照明のせいだろう。



「いいじゃない。上司はいないけど、部下に恵まれたんでしょ」

「ぐう…」

「まあ、狙われているのは上司の座ではなく恋人の座だった訳だけれど」

「あれ、本気なのかな。私、犯罪者にならない…?」

「あんたに無理強いをするならブランドが犯罪者でしょう」

「え、部下から犯罪者出したくないんだけど」

「オリアナなら犯罪者にする前にどうとでもできるでしょう」

「ああ、その心構えがいるのね…」



 正直、ブランドが嫌とかではないのだ。しかし、好きでもないと思う。部下は対象外だったから考えてもなかったのだ。そもそも騎士になってからそういう浮ついた話なんて一切なかった。学生時代が懐かしい。



「いいんじゃない、ブランド。あれだけ甲斐甲斐しいなら、良い主夫になるわよ」

「き、既婚者の余裕めえ…。…いや、奴の類まれな才能を家庭に押し込めるのは違うと思う」

「じゃあオリアナが主婦やれば」

「しゅ、て、ちょっと。何でくっつくのが前提なのよ」

「まあ最近共働きも多いし、王都程に制度整備されてないから、これを機にやっちゃえば?」

「他人事だと思って軽く言うんじゃないわよ」



 パメラは昔から面倒になると適当なことを言い出す。適当ではあるけれど、微妙に変な的を射ていることが多いので困る。一昔前は結婚すればどちらかが家に入るのが前提であったが、最近ではそうでもない。王都はやはり先進的で保育施設や家事代行業なども盛んだが、やはり地方となるとまだまだ壁は高いのだ。



「主夫とか言ってたら会いたくなってきたから、帰っていい?」

「いいよ!」

「いいんだ」

「家庭は大事にして! 何か誘ってごめん!」



 パメラの夫君は現在専業主夫である。まだ二人に子どもはいないが、いつできても良いようにパメラは仕事配分を考えているらしい。復帰するかしないかはその時の現場を見て決めると豪語する彼女は、既にあちこちからお誘いが多数来ている。決まり文句は「子どもが何人生まれても必ず最高の席を取っておくから」だ。パメラは魔道具作りの天才であるから、魔法士団の他に商会や研究所などが子どもの出産に合わせてこちらに来るように、と盛んに誘っている。



「いや、誘ってくれるのは嬉しいんだよ。あっちはあっちで今日は外食だし、たまには別々に食事することも必要なの。ずっと顔を突き合わせてたら話題も偏るし、喧嘩にもなるし」

「楽しそうね」

「私はね。まあ、強要はしないわ。ブランドだったら大丈夫だと思うーとか無責任なこと言えないもの。ただ」

「ただ?」

「オリアナちゃん、学生時代は興味のない人からアプローチされても完全無視だったなあって思って」

「…」

「手遅れじゃない?」



 今、鼻で笑われた気がした。



「さて、帰るぞー」

「私、もうちょっと飲んでいこうかなあ」

「駄目、帰るの」

「許してママ、もうちょっとだけ」

「…火で炙られたいのか」

「帰ろっかな」



 冗談が通じない同期は恐ろしい。無詠唱で繰り出される魔法を避けるのは難しいのだ。今日の所は言うことを聞こうと、店を出た。



「あー、もう涼しいわね」

「ちょっと寒いくらいね」



 夜風にあたりながら歩くのは気持ちがいい。火照った頬とこんがらがりそうになっている頭の熱を下げてくれているようだ。



「…オリアナ様?」

「噂をすればブランドだ」

「パメラ」

「魔法士団師団長もいらっしゃったのですか」

「私以外にオリアナとサシ飲みできる人間なんて南部にはいないだろう。大体なんだお前はアプローチがしたいのならもっとガツンと」

「パメラ、今日はお前が酔っているのか。もう帰れ、早く帰れ。お家そこでしょ!」



 パメラは酔っているのが顔に出ないから、昔馴染みたちでも彼女が酔っているか酔っていないかが分からない。こうやって変な発言をしだして初めて分かるのだ。パメラを南部魔法士団師団長の為の屋敷に押し込めるとすぐに中から、彼女の夫が飛んできて引き取ってくれた。


 ブランドは確か今夜、夜警の当番であったからその警邏だろう。



「…ブランド、部下はどうした」

「本日は欠員が出まして、二人一組ですので自分が一人で」

「無いとは思うが万一ということもある。すぐに他の団員と合流しなさい」

「承知致しました。…しかし」

「しかし?」

「オリアナ様をお送りした後でもよろしいでしょうか」

「必要な」

「万一、ということがございますので」



 必要ない、という言葉に自身の言葉を被せられてはどうしようもない。許可をするほかなかった。馬車でも頼めばよかったのだが、この時間は辻馬車もそう通らない。我々のような公人が多く住むエリアで、閑静な住宅街であるから散歩を兼ねて歩いていたのが仇となった。


 話すことも特になく、黙って歩くが若干居た堪れない。ああ何故こんなことに。私はただ理想の上司にちょっと甘やかされたり、サポートしたりされたりしたかっただけなのに。しかも、あれはただの妄想だ。妄想の話なんだ。現実にそんな都合の良い人間がいないことなんて百も承知だ。ただ上司が欲しかっただけなんだ!



「…オリアナ様」

「何だ」



 会話が始まったことに少しの安堵と嫌なざわめきを感じる。このようなことにも上手く対応できる人になりたかった。カーティスは得意そうで羨ましい限りだ。



「お辞めになる、という話は」

「現状ない」

「そ」

「だからお前ももういい加減にこういうのを止めなさい」



 やっと屋敷が見えて来た。パメラの家からはそう遠くない筈であるが、今日限りは果てしない道のりに思えた。私一人で使うには広すぎる屋敷には住込みで老夫婦を雇っているが、それでも大きすぎて使っていない部屋も多くある。年に一度の大掃除の際には大勢を臨時で雇って一週間かけねばならず、無用の長物とはこのことであった。



「ここでいい。ではな、ブランド」

「オリアナ様」

「何だ」

「自分は、今のままでは諦められません」

「…」

「貴女が誰か、決めた方がいると仰るのならばそこで諦めようと思っておりました。しかし、そのような方はいらっしゃないご様子で自分の贈り物を受け取ってくださる」



 いや、お前が押し付けるから。…それではあれか、どうあっても受け取らないという姿勢が必要だったのか。



「自分はまだ魔法士団師団長のように信頼を頂けておりませんが、いずれそれに足る者になってみせます」

「パメラは、違うのではないかな…」

「どうか、真剣に考えてくださいませんか、自分のことを」



 ぐ、と引き結ばれた口元が緊張感を伝えてくる。あれほど顔に出すなと指導したのに、カーティスはともかくブランドはずっとこうであるから交渉事には向かなかった。世話の焼ける部下である。そう、部下だ。将来有望で年下の部下である。この胸の騒がしさは相応しくはないのだ。



「私は」

「お答えを出すのはお待ちください」

「おい」



 私の葛藤を返せ。近年稀にみる滅茶苦茶低い声が出たじゃないか。地獄の官吏の声だと言われて久しい声色だったが、この程度ではブランドは怯まなかった。



「オリアナ様は自分に嫌悪を抱いてはいらっしゃらないでしょう」

「それは、まあ…」

「でしたらまだ猶予をください」

「…それはもう違うのでは」

「何も違いません」

「…」

「お願いします」

「考えろと言ったり答えを出すなと言ったり。ブランド貴様、随分我が儘だな」

「色恋に関してはそのくらいで良いとカーティスめも申しておりました」



 何となく分かってはいたが、やはりカーティスが噛んでいたか。ブランドがいきなりこんな風になるのでおかしいとは思っていたのだ。予想はしていたが実際に名前が出てくるとどうしてだか疲れる。学生ではないのだから、そういうノリは控えて欲しい。


 ああ、一周回って馬鹿馬鹿しくなってきた。



「ふ」

「オリアナ様…?」

「いや、お前の言いたいことは分かった。まあ、考えてみよう」



 まあいずれ飽きるだろう。ブランドもカーティス程でないにせよモテる。私もブランド派なので、お嬢さん方は見る目があると思う。カーティスは、あれだ。軽いお付き合いなら楽しいかもしれないが、あれは駄目だ。まだ遊んでいたい盛りで一つに集中ができないのだろう。けれどブランドはきっと違う。不器用だが一途だ。これ、と想った人ならばきっと。だから、私への想いなんてすぐに。



「あ」

「ん?」

「ありがとうございます!」

「煩い、近所迷惑だ」



 ここが南部で有数の高級住宅街と知っての狼藉なのか。思わず殴りかけた腕をすんでの所で止められたのは幸いだった。ブランドはどこもかしこも筋肉質で硬い上に、頭すらも石のようであるからどこを殴ろうともこちらにダメージがくる。



「も、申し訳ございません」

「色惚けて職務を怠るなよ」

「無論」

「では、もう行きなさい。ただの夜警と気を抜かぬよう」

「オリアナ様」

「なん――」

「お慕い申し上げております。その才能も美しさも、稀に見せて下さる無邪気さも」



 ブランドの眼力は、私も評価している。一対一で向き合った時の気迫が特に素晴らしい。殺気でもなく闘気でもないそれを真正面から受けて、一瞬声が出せなかった。



「失礼致します、おやすみなさいませ」

「…ああ、おやすみ」



 …。違う。違うんだ。小さくなるブランドの背中を見送りながら、私は必死に自分自身に言い訳を繰り返した。


 違うんだ。私は年下とかそういうのあれじゃないし、部下とか駄目だと思っているし、私は、私は! …ああ、明日からどうしよう。とりあえず、パメラにまた相談に乗ってもらおうとだけ決めて屋敷に入った。

 読んで頂き、ありがとうございます。


 ラブコメが書きたかった。だたそれだけだったんです。


 結局、オリアナは上司を得られそうにありません。本人も半分以上冗談で言っているだけなので、どうしても辞めて上司を探しにいこうとかそんな馬鹿はしません。ただ双璧が頼もしいのでいつ辞めても良いな、くらいに思っていただけです。


 ブランドは入団当初、オリアナにかなり憧れており神聖視さえしていました。しかしテンションが上がったオリアナがはしゃいだり、パメラの前で年相応の応酬をしているのを見かけ実物大の人であることを意識してしまい恋に落ちてしまいました。迷惑になるだろうと何も告げる気はなかったけれど、辞めたいと聞いてしまいパニックに。カーティスから助言を受け、イチかバチか想いを告げました。


 カーティスは悪い子ではありません。良い子ではないかもしれないけれど、仲間想いで要領が良い。オリアナもそこを買っています。オリアナの最初の返答が「自分を大事にしなさい!」だったので、これはいけるのではと思っている。ちなみにブランドはカーティスの言い分を全て真に受けている訳でもなく、アドバイスになりそうで且つ自身の倫理観に違反しないことだけを実行しています。


 ブランドたちは本当に「辞めたい」の所しか聞いていません。飲みに来たら師団長たちが二人で飲んでいると店主に聞き、挨拶をしに行ったらそんなこと言ってて出て行くタイミングを逃しただけ。


 きっとこの後、二人はくっつくでしょう。オリアナは理想の上司とか言っていましたが、その時点でブランドのことを憎からず思っています。後はブランドの頑張り次第というか、オリアナがいつ折れるかという話です。


 大変恐縮ですが、よろしければブックマーク・評価などして頂けるととても嬉しく思います。よろしくお願い致します。


 ここまで読んで頂き、ありがとうございました!

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