嘘をつかせた私
それは物語が始まる前。
されど、物語を変える出会いの後の話。
―――何かしなければならない。
悪役令嬢シャルロッテ・フォン・グリムは、唇を噛み締めていた。
リラの計画は、徹底的にシャルロッテを守るものだった。シャルロッテが傷つく学園には、変身したリラが行く。
そして、イベントや婚約破棄にも彼女が関わる。
「完璧にリラに押し付けてる。最低だ、私」
計画に必要な先王の息子を探すのも、シャルロッテの父が主体となっているのが現状。
シャルロッテだって何か役に立ちたい。
いや、立たなければならない。
「とはいえ、危険なことをしようとしたら、リラが怖い顔するんだよなぁ」
般若が乗り移った形相で、追いかけてくるリラを思い返すと、喉が干上がるのを感じる。思わず音を鳴らして、唾を飲み込む。
ならば、気付かなれないように行動したら良い。
シャルロッテには真の悪役令嬢として、聖女と張り合う程の魔力量がある。ここの張り合うとは、聖女お得意の絆友情勇気を含めた分も込めてだ。
「悪役令嬢の役目は、聖女をギッタンギッタンに泣かせることですって、ゲームの開発者も言ってたもの。―――人を泣かせるなんて勇気ないけど」
確かに魔法使いとしては、シャルロッテは優秀だ。悪役として、そういう仕様になっているとも言える。まさに生まれながらの才能だ。
だが、シャルロッテはリラを知っている。彼女はあらゆる武器を操り、空中に長く留まり、自由自在に跳ね回れる肉体を持っていた。
――戦闘の天才。
父親が呆然と呟いた言葉は、シャルロッテの耳に強く残った。
魔法にどれだけ優れていても、戦闘でそれが発揮されるかは、別の話だ。動けなかったら意味はない。
故に、才能の上に胡座を描く気にはなれなかった。
「自衛の為でまず、戦い方を教えてもらう。これが2年間」
リラは4年後に、シャルロッテの代わりに学園に行く。シャルロッテとしては、それまでに強くなり、行動を起こさなければならない。
元王子が出てくるのは、聖女が学園を卒業してから冒険者になるルートである。
初登場時は酒場だが、今どこにいるか不明だ。
加えて、初登場で聖剣を持っていたが、現時点で聖剣を抜いているかも不明である。
「あ、そうだ!聖剣!聖剣は確かシャルル王国にあるはず。そこで待ち伏せしたら」
元王子、もとい勇者を捕捉出来る。
「よっしゃっ!道筋立った!いける!これはいける!」
荒々しく立ち上がったシャルロッテは、手始めにリラに戦い方を教えてもらうことになった。
偶然にも、リラは貴族間のマナーについて、うぇっぷとしていた。殴れば良いのにと顔を顰める彼女は、マナーを覚えるのに必死だ。
お陰でシャルロッテの企み事に気付くことはなかった。
それから、準備期間の4年中の2年が過ぎ去った時、シャルロッテは公爵家を飛び出したのだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「それでシャルル王国行って、ヴィルヘルム見つけて、無理矢理行動を共にして、2人で冒険者になって、遭難したり騙されたり焼かれかけたり溺れたりして」
「―――」
「最終的には魔王倒して、魔族との共存を目指すことになったのです」
「―――」
リラの眉がピクピクしている。爆発までもう何秒もかからないだろう。ヴィルヘルムは早々に「腹の調子が」と言って、逃げてしまった。
――すごいなリラ。歴戦の勇者にビビられてるよ。
シャルロッテは何も言わないリラの顔を覗き込んだ。
「め、めでたしめでたし、だよ?」
ぶちりと堪忍袋が切れる音がした。
やべ、言うこと間違えたと思ったが、謝罪を口にする前にリラが火を吹く。
「何がめでたしだ!!このッ、暴走女!!どれだけ、私達が心配したと思ってんだ!!」
「す、すみません」
「誘拐されたかもしれないって、大騒ぎになったんだぞ!?思わず、人身売買の組織潰しちゃったし」
「そ、それは良いことでは?」
思いっきり睨まれた。
リラの拳が叩きつけられたテーブルには、ヒビが入っていた。木で作られたものではないのだが、相変わらずの怪力である。
「でも、シャルル王国着いてから、手紙送ったじゃん?」
「送られてきたな。それまでは、生きた心地じゃなかった」
「………ごめんね、リラ」
固く握りしめられたままの手に、シャルロッテは自身の手を重ねた。
珍しく狼狽した顔をしているリラは、唇を震わせていた。
「無事で良かった」
小さく呟かれた。
その後、リラはシャルロッテの手の温度を噛み締めていたが、少ししたら持ち直したようだ。
ところでと、彼女は話を切り替えた。
「治癒魔法、どうやって手に入れたんだ?適性はなかったはずだけど」
「ああ!妖精に頼んだの!」
その時、初めてリラの青ざめた顔を見ることになった。
普段気丈に振る舞っている彼女からは、想像できなかった顔であるが、好きモノに好かれそうな感じがした。
―――いや、渡さないけど。
失礼なことを考えていたシャルロッテは、凄まじい力で襟元を引っ張り上げられた。
「何を代償にしたの!?妖精に何を差し出したの!?」
「リ、リラ、お、落ち着いて」
「落ち着けるか!妖精には関わっちゃダメって、あれ程言ったのに!!」
ガックンガックンと首が揺らされて、意識が飛びそうになった。魔王討伐に行ったシャルロッテじゃなかったら、死んでただろう。
一瞬、部屋を覗き込んだヴィルヘルムが見えた気がしたが、もういない。彼は逃げたらしい。仲間もとい婚約者を置いて逃げるとは、後で蹴り飛ばすと決めた。
「くそ!妖精共め!どこまで、私たちの人生をかき乱せば良い訳?かくなる上は、塵芥にしてくれる!!」
「リラ。リラさーん。帰ってきて」
過去と先祖あれこれのせいで、目の前が見えなくなっているようだ。シャルロッテは素早く水魔法で生み出した水を、リラの顔にぶつけた。
「にぎゃ!て、敵襲?」
「敵襲じゃありません。リラ、妖精には私の異世界の記憶を見せたことと、ドラゴンの巣にある宝を取ってくることで、治癒魔法をもらったの。そりゃ、聖女に比べたら型落ちするけど」
口を挟ませないように、さっさと喋り切った。
リラはぽかんとしていたが、話を呑み込み始めた。
「じゃあ呪いとか、かけられてない?寿命も削られてない?子孫に伝わる因縁とか絶対に駄目だよ?」
「ないない。大丈夫だよ」
「ーーー。なら、良かった」
ほっと息を吐くリラを見ると複雑な気持ちになる。シャルロッテ・フォン・グリムの運命を変える為に、あれ程尽力してくれたというのに、本人は運命と戦うことを諦めているのだ。
それはあまりにも……。
これから何もないよ。大丈夫だよと、シャルロッテが言ったところで、リラは信じないだろう。だって、シャルロッテはいつまで経っても、リラの庇護対象から抜け出せないのだから。
シャルロッテにとってのヴィルヘルムのように。
リラにとって真横に立ってくれる人が居ればいいのにと、シャルロッテは願った。
願って、リラの横顔を見た。
「リラ、好きな人できた?」
「好きな人?シャルロッテも女の子だなー。よしよし」
まともに答えてくれないようだ。
―――この姉貴分を守るにはどうしたら良いのやら。
シャルロッテは嘆きを隠しながら、笑みを作った。
これは、魔王討伐の立役者達がパラミシア王国に帰ってきた時。加えて、ヴィルヘルムが王になる為に動き出した時の会話であった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
目の前に座るのは、元婚約者エドアルド。
鍛えられたヴィルヘルムとは体格や面構えに違いがあるとはいえ、従兄弟同士なので顔つきが似ているところがある。
次期王であり、第一王子になったヴィルヘルムのおかげで、彼は第二王子になった。あの夜を経て、ヴィルヘルムの治世を補助する役目を担うことになりそうだった。
――まぁ、ヴィルが勝手に決めたことだけど。
さて、今日は謹慎中のエドアルドに話がしたいと言われて、やってきた訳なのだが。
「……」
軽く挨拶をした後、互いに口を閉じたままだ。
鳥の囀りが2人の間を埋めて、過ぎ去っていくのを聞きながら、シャルロッテは困った顔をした。彼女としても、エドアルドとは話をしなければと思っていた。
しかし、どうにも口が開かない。
「お前は、転生者だと言っていたな。エリと同じ世界に居て、そこからこの世界に生まれ変わった存在だと」
「ええ、その認識で合っています」
召喚されたエリがどこまで話したかは知らない。特にこの世界がとあるゲームにそっくりで、登場人物も同じだなんてことを言っているかもしれない。
「お前も未来が分かっていたと、エリが言っている。それを利用して立ち回っていたと。本来ならお前は死ぬ筈なんだと」
成る程。
ゲームのことを、未来と言い換えて話していたのか。
それにしても……。
「随分とエリさんのこと、信じているのですね。普通、未来が見えるなんて言われても、信じないでしょうに」
「彼女を呼んだのは、我々だ。信じなくてどうする」
「信じなくて」の部分に力が込められており、エドアルドは腹を刺されたように顔を顰めた。エリの道具に成り下がった王子だと見ていたが、物事を考える脳は無くしてないようだ。
エドアルドは疲れた目を上げて、シャルロッテを見据えた。
「お前は未来を見て、初めから、僕のことを敵だと思っていたんだな。そうだよな、殺してくる相手なんだから」
ギリッと歯が噛み合う音がした。
「僕を変えようとは思わなかったんだな」
「―――」
シャルロッテは押し黙った。
エドアルドを味方にする。その方法が頭になかった訳ではない。彼を聖女よりも先に、シャルロッテの方に振り返ってもらい、死を避けるのだ。
確率だって、ゼロではなかったかもしれない。
エリ、聖女だって、味方に出来たかもしれない。
「未来が見えていながら、初めから僕たちのことを切り捨てていたんだな」
吐き捨てるように「冷たい女だ」と、エドアルドは笑った。
それに対して、シャルロッテはゆっくり瞬きをした。思ったよりも衝撃は受けなかった。
人間と和平を結ぶ為に、父を切り捨てたあの魔王の娘を間近で見たからか。それとも、自分を生かそうと押し上げてくれた暗殺者が居たからか。それか、支えなければならない人を見つけたからか。
どちらにしろ、シャルロッテには選んだ道を嘆くつもりは、微塵もなかった。
「そうですね。私があなたを切り捨てることを選びました。そうなるように誘導していたぐらいです」
「違うと言い返せば良いのに、馬鹿正直だな」
「事実ですから」
「お前は」
エドアルドは目を細めた。
彼の目に映るのはシャルロッテだが、見ているのはもっと遠くだ。
「僕の顔を伺ってばかりだと思っていた。王子だからといつも良いように扱ってくれて、本心が見えない、誰よりも恐ろしい婚約者。それがお前だった。シャルロッテ」
「……信じられないでしょうけど。小さい頃の私は、本気であなたのことを愛していましたよ。エドアルド様」
記憶を思い出す前は、シャルロッテはエドアルドに釘付けだった。婚約者に選ばれる為に努力は惜しまなかったし、選ばれてからはさらに努力をした。
好きだった。
愛していた。
それを、口にしたことはなかったけど。
――恐ろしい、か。
「僕らは、互いを見ていなかったんだな」
「ええ、そうです」
「そうか。見れば良かったとか、思わないのか」
シャルロッテは強く前を、過去を、エドアルドを見据えた。
「はい。これまでを否定することになりますから」
「僕たちを哀れだと思わないのか」
「はい。これはただ、私たちが勝って、あなたたちが負けた話なのです」
言い放った瞬間、シャルロッテはやっと実感した。
運命に勝った。
死ぬという悪役令嬢のしがらみは、もう何処にもない。
ここまで来ることが出来たと、勝利を噛み締めるシャルロッテと同様に、エドアルドも思い知ったらしい。
項垂れることなく、シャルロッテを見ながら、敗北を認めたエドアルドは言った。
「はぁ、未練もなしか。冷たい女だ」
「未練って。エドアルド様、私に微塵も興味ないでしょう?欲しいのですか?」
ニヤリと意地悪い笑みが飛んできた。
「いいや、愛する女はお前じゃない」
「堂々も言うなぁ。まぁ、頑張ってくださいね、エドアルド様」
部屋を出る時、最後に彼の言葉を聞いた。
扉が閉まる少し前、下手をすれば、聞こえなかったかもしれない言葉。
「お前も頑張れよ。シャルロッテ」
閉まった扉を見て、シャルロッテは笑った。
「言われなくても」
遠くでヴィルヘルムの呼び声が聞こえる。その横に行かなくてはならない。
シャルロッテは足を踏み出すのだった。