嘘つきなあなたへ(中)
激しく交わる剣と共に、細い足が相手の顎を狙って振われる。その一撃に驚いた男の目を見て、シャルロッテは満足しながらも、避けられた現状に苛立ったが、楽しげな笑みはそこにあった。
騒ぎ立てる騎士たちの真ん中にて、シャルロッテと相手は、踊るように剣を振るっている。
「じゃじゃ馬な足だな!?えぇ?お姫様!」
「それはッ、避けてから言え!」
シャルロッテの剣技は、騎士たちの中で有名だ。
なんて言ったって、騎士団の総隊長がその剣に見惚れてしまい、嫁に横っ面を叩かれたほどである。なんとも、情けない話である。
とは言え、彼女の腕を認めた総隊長はシャルロッテに対して、騎士団への自由な出入りと隊長級の権限を与えてた。
刃を潰しているとは言え、当たれば骨が砕ける剣を、首を傾けるという最小限の動きで回避したシャルロッテは、相手の懐に飛び込んだ。
常人には見えない動きだが、鍛えられた騎士たちにはその動きが分かる。上がった野太い大歓声と共に、剣は男の首元に……。
「ったく。なんで、貴方のような天才が下級騎士なの?意味不明だ」
「こっちだって言いたい。なんで公爵令嬢がオレに張り合う剣技を持ってんだよ」
剣先を首に向けられていたのは、シャルロッテであった。
降参と剣を落とした彼女は、興奮して騒ぎ立てる周りと同じように笑みを浮かべ、汗を拭う。対戦相手の男も荒い息を吐き出し、笑みを返した。
「また貴方に勝てなかった。あーあ、公爵に勝ってくるって宣言したのに」
「はっ、オレが負けたら後はお前はどうすんだよ。隊長格に喧嘩売るのか?上級騎士は名ばかりでも、隊長達はちゃんと強いぜ?」
「じゃあ、この騎士団で1番強いのは?」
汗に濡れた白髪を掻き上げる男に冗談で問いかける。答えはもう知っていた。騎士団にいる誰もなら知っている答えをシャルロッテは、敢えて聞く。
「オレに決まってんだろ」
ジャックの宣言に否定する者はいない。
間違いなく、下級騎士であるジャックが、この騎士団の中で1番強かった。
「お前、いつもその質問してくるよな?」
「ジャック!シャルロッテ様に失礼だぞ!」
「良いの!」
上級騎士の飛ばした非難の声に、シャルロッテは慌てて返した。
ジャックの顔を仰ぎ見れば、濃い緑色の瞳を歪ませて楽しそうだ。
「それで?何でいつも質問してくるんだ?」
「……面白いからよ。その質問をする度に下級騎士は誇らしげに貴方を見て、上級騎士は歯軋りを立てる」
上級騎士と下級騎士。
その差は、強さだと思う人が多いかもしれない。
しかし、現実はもっとくだらない格付けである。上級騎士とは貴族生まれの者を指し、下級騎士は一般階級の者を指しているのだ。
下級騎士が上級騎士になれるまでの道は遠く、異常な強さを誇るジャックでさえも、下級のままだ。
それが気に食わないのは、昔からだ。シャルロッテは、余計な口出しをした上級騎士を睨む。
「お前、オレを娯楽に使ってんじゃねーよ」
「ふふふ、良いだろ。ーーー貴方どうして私を名前で呼ばないの?」
戯れに振り下ろされる剣を軽く小突いていなす。
勝負ではない。手持ち無沙汰になると、ジャックはいつも遊んでくるのだ。周りは遊びと言えない、笑えないとよく叫んでいるけど。
「どうしてぇ?シャルロッテだろ。シャルロッテ。うーん、シャルロッテシャルロッテ」
「……ついに壊れた?」
「似合わないんだよなぁ、シャルロッテって名前が」
それは余りにも失礼な言葉だった。
いつもはこれぐらいは大丈夫と済ましている下級騎士達ですら、シャルロッテの方を向く。上級騎士達は白目を剥いて、剣の柄に手をかけた。
しかし、当の本人はその発言を受けて、目を丸くした後。
「ははっ!あははははは!!」
お腹を抱えて笑っていた。軽やかな笑い声に、問題発言を聞いていなかった人たちも振り返る中で、彼女は全力で笑った。
「し、信じられない!はぁー、ジャック。貴方、本当にすごい。ははっ、面白すぎる。騎士団は今すぐに貴方を上級騎士にあげるべきよ。そうしたら王国の未来は安泰ね」
まさかの賞賛に、場はさらに混乱する。
ジャックだけが鋭い目つきで、シャルロッテを見ていた。
その目を見つめ返すシャルロッテも、普段の王立学園では見せない目をしている。言うなら、お嬢様ではなく、猟犬を思わせるものだった。
先に口を開いたのは、ジャックだ。
「そこまで言うなら、お前の騎士にしてくれよ。公爵家の御令嬢様を守る専属騎士の席は空いたまんまなんだろ?」
「ーーーやめておきなさい。聞いてるでしょう?私が」
「婚約破棄された話だろ。だったら尚更、決めるべきだ。下らない連中が寄ってくるぞ」
何回も剣を合わせたことによって鮮明に分かる。ジャックはシャルロッテを心配している。
シャルロッテは思わず、唇を緩めた。
「私は大丈夫よ。正直、アレのせいで疲れてるから、気分転換が欲しいの。だから、殴っても良いのが来てくれるのは、有り難いんだな」
思い出すのは、小賢しいとも言えない仕掛けをずっとしてきた女のこと。
よくもまぁ、自分の教科書を切り刻んではシャルロッテのせいにし、陰口を叩かれていると泣いてはシャルロッテのせいにし、叩かれたと殺されかけたと喚いてきたものだ。
分かっていたが、どれだけシャルロッテはやっていないと主張しても声は届かなかった。
これは、かなり不思議だった。
「実際に手を出してやろうかと思ったんだけど」
「だけど?なんでやらなかったんだよ?」
――運命なんか、あたしの思い通りになるんだから。
エリの吐き出した勝利の宣言が耳にこびりついている。
「よりにもよって、私の前でそれを言うのか」
口角を上げたシャルロッテは剣を持ち上げる。磨かれた刃は潰され、細かい傷がびっしりと入っている剣だ。練習用だとよく分かる。
所詮、名剣ではない。
「運命って、思い通りになると思う?」
「はぁ?運命?随分とあやふやなものを出してきたな」
怪訝な顔をしたジャックの前で、シャルロッテは徐に話を始めた。
「特別に、本当に特別に私の先祖の話をしてあげましょう。私の先祖は、とある化け物と契約しました。お陰で、一族の人生は滅茶苦茶で、頭がおかしくなったのもいます」
「随分な言い草だな」
「ふふふ。ある時、死にかけの妻は夫に言いました。自分のように美しく、自分のように賢い女でなければ再婚は許さないと。夫である男はその約束を守り続け、再婚の申し出を断り続けました」
シャルロッテは輝く金髪を風に靡かせ、透き通った青い瞳で何処か遠くを見た。
思わずジャックが、シャルロッテの手を掴もうとするが、避けられてしまう。
「しかし、数年後、事態は一変しました。なんとなんと自分の娘が妻に似た美しく賢い女に育っているではありませんか。周りの声を跳ね除け、男は娘と結婚することにしました」
頬が硬直した騎士に、女は満足気に微笑む。悪戯に成功した子供のようだが、艶やかさがあるのが憎たらしい点である。
話は続く。
「もちろん、娘は嫌がりました。だって、相手は父親!だって、自分は母の代わり!でも、3つの難題を押し付けても、男は諦めずに婚礼の準備を整えてしまいました」
「嫌なやつだな」
獣のような唸り声で、ジャックは非難した。
「とうとう娘は逃げ出しました」
「よくやった」
「一族に伝わる特殊な魔法を使い、姿を変えて、森の中で姿を隠して、男から逃げて、逃げて」
シャルロッテは、ジャックに剣を向けた。
いきなりの行動だったが、動作から分かっていたジャックは気にもせずに、剣先に触れる。
「どうなったと思う?」
「……そりゃあ、逃げれたんだろ?美しくて、賢い娘なら男にモテるだろう。それに親父だが、男に追いかけられて怖い目に遭ったんだ。良い男に出会えて、良い結末を迎えたとか?」
「驚いた。存外、甘い男だったのね。ジャック」
「あ?」
ジャックから一歩離れたシャルロッテは、柄をぐるりと回し、剣を片手で振り回す。
「酷いことにあったから、次に幸せになるなんて、空想だ」
身体を捻り、腕を振り上げたシャルロッテは、力強く剣を投げる。演習場にある弓用の盾に、速度が落ちることなく到達した剣は、鈍い音を立てて突き刺さった。
「娘は父親に見つかった。結局、娘は父と結婚した。これが答えだ、ジャック」
相手を呪い殺しそうな目をした女は、ジャックを睨みつける。きっと、騎士に怒っているのではないのだが、あまりの怒気に、騎士は口を閉じた。
「私の家の家訓は、運命には勝てない。運命から逃げられない。その運命さまを思い通りだって?なるわけないだろう。私の運命もきっと先代みたいにイカれてるに違いないんだ」
怒りの視線が緩まり、代わりに諦観の眼差しが現れる。
「いつ、災難がやってくるのか」
そこでジャックは何かを言ってやりたかった。
だが、剣の柄を握りしめても答えは浮かばない。それが自分が一般階級でしかない男だからか、それとも……。
歯を食いしばって、最後にはジャックはシャルロッテから視線を外してしまった。
シャルロッテはその反応に何も驚いてはいない。
この話をすると、みんな同じ反応をするからだ。堪らない気分になってしまうのだろう。
「それに比べてみると、あの聖女様はマシなのよね。本当に、可愛らしいお方」
令嬢らしく微笑んだ彼女は、始まる新学年に集中するのだった。
下級騎士 ジャック