夜の朝
この日から彼女との不思議な日々が始まった。
「大丈夫ですかー?」
「…君か。」
彼女は決まって、この言葉で隣に座ってくる。
「今日も今日とて君はいつでもここに居るねー。」
「することがないからな。」
いつも通りだ。
「昨日も居たの?」
「あぁ。」
彼女には来る日と来ない日がある。
「ちゃんと家帰ってるー?」
「あぁ。」
嘘だ。
「おぉー偉いねー。」
「…。」
彼女はそれ以上聞いてこない。
「じゃっ、あたしバイトあるから。また夜ねー。」
「分かった。」
昼の彼女は短い。
「おつかれー。」
「…。」
「おつかれー?」
「…。」
「…大丈夫ですかー。」
「…君か。」
「はい今日はこれだけ。」
「……分かった。」
「じゃあねー。」
彼女はよく分からない。
「大丈夫ですかー。」
いつぞやの夜の話だ。
「あたしお姫様になりたかったんだよねー。」
彼女はこうして時々、自分語りをする。
「おっきなお城に住んでー、毎日ドレス着てー、庭で絵本なんか読んでー。」
前回は魔法使いで、前々回はハーマイオニー?、そのまた前はアイドルで、なにかのキャラクターだった日もある。
「外行くときなんかも、絶対「じぃや」みたいな人がついてきて、どんなに近いとこでも馬車で移動して、ちょっと離れただけですぐ大勢の人間が走って追いかけてきて。」
自分語りと言ったが彼女のそれはただの独り言のように思えた。
「みーんなあたしに振り回されるの。」
彼女がこういう話をする時は決まって僕の顔を見ない。
「それで…あたしには幼なじみの王子様がいて。」
だから彼女が一体どういう顔でどういう表情で喋っているのかを僕は分からない。
だけど1つだけ気づいたことがある。
それは彼女が、この手の話をする時は決まっていつもお気に入りのスイーツを持っている日だということだ。
「その人はねすっごい優しいの。あたしにだけ。」
「君にだけならそれは優しくはないんじゃないのか?」
「あたしにだけだからいいの。」
「そうなのか。」
「それで、もちろんすっごいかっこよくて。」
「ほう。」
「笑顔が素敵で」
「ふむ。」
「頭もよくて」
「ふん。」
「ちょっと意地悪で」
「意地悪なのか。」
「ちょっとシャイなとこがあったりして、天然なとこもあったり無かったりで。」
「なるほどな。」
「なにより…」
彼女はそう言って黙ってしまった。
「……たまには君の話も聞きたいなー?」
急だった。
「僕の?」
「セイ君はなんかなりたいものとかなかったのー?」
「なりたかったもの…」
僕は天使だ。
生まれた時から天使だった、
天使である以上、なりたいものなどこの世にはない。
ましてやなれるものがそもそもこの世には存在していない。
天使とはそういうものだ。
天使は天使だ。
天使はどこまで行っても天使であって、残酷なまでに天使なのだ。
「考えたこともないな。」
「うわぁーつまんなーい。」
「すまない。」
「…あーじゃあー?」
「ん?」
「子供の頃とかって…聞いても大丈夫?」
「子供の頃か…」
天使に子供の頃はない。
「…。」
天使は生まれた時からこの姿だ。
「…。」
天使には成長もなければ、老いも来ない。
「…。」
日々来るものと言えばそれはただただ時がやって来るだけ。
「…。」
どう答えたらいいものか。
「…ごめん。」
彼女はよく分からない。
「なぜ謝る?」
「いや…答えたくなかったんだと思って…?」
「なぜ?」
「…君はほんとによく分からないなぁ。」
「こっちのセリフだ。」
「じゃあなに?答えてくれんの?」
「答えるのは難しい。」
「なんで?」
「もっと具体的になら答えられるかもしれない。」
「…どういうこと?」
「もっとこう…そうだな、それこそさっき言ったように「なりたかったもの」のような質問になら答えられる。子供の頃というのはどう話したらいいのか分からない。」
「さっき答えられてなかったけど。」
「ないと答えただろう。」
「なるほどねぇ…。」
この日の夜は少し長かった。