第5話 長岡さん、暗躍する。
「なるほど、ゴブリンですか」
「ったく、いきなりファンタジーやなっ」
長岡と城嶋、そしてNの端末たる褐色の美少年は、短く言葉を交わしながら河原を疾駆していた。先導する美少年は、名をエースィと名乗った。
エースィを殴殺した下手人はゴブリンであるという。三人はさらわれた彼の妹スィラムを奪還するため、すぐさま行動を開始したのだった。何よりも迅速さが求められる、とは切羽詰まった様子のエースィの言葉だ。二人もそれに諾諾と従ったが、とはいえ救出の段取りについてはノープランである。それはおいおい、まずは急ごう。二人は念話を交し合ってそう結論付けた。
《城嶋さん、銃の腕はいかほどで》
《そこそこ自信あるで。本国やとそれなりに撃つ機会もあったしな。ステータス的には……50や》
《なるほど、期待しています》
念話での打ち合わせは、どうやらエースィには聞こえていないらしい。彼は案内をしながらも、襲われた経緯の説明をしてくれていた。念話と会話を同時にやるのは、少しコツがいるな、と長岡は思った。
「ところでエースィさん、そんなに走っても大丈夫ですか? 君、さっきまで死んでたんですが」
「はいっ、神のご加護を賜りましたから!」
平気だ、ということなのだろう。長岡はフムと頷いた。Nの底知れなさを再び痛感する。先ほどからスプリンターばりの速度で走り続けて息一つ切れていないのも、エースィの言うところの神のご加護なのだろう。前世というべきか、ともかく35世界の長岡からは考えられない体力だ。並走する城嶋にしてもそうで、森歩きで疲れ果てていたのは、恐らく精神に起因する疲労だったのだろう。
―――
道中に障害はなく、3人はゴブリンの集落の入り口までやってきていた。
ゴブリンの集落は渓流を数十分上った位置に存在しており、森が一部切り開かれ、川を抱き込む形で柵が張り巡らされており一目でそれと分かった。
「ふむ、あれがゴブリンの集落ですか」
「はー、なかなか文明的なんやな」
「文明なんて高尚なものではありません。奴らは絵にかいたような蛮族です」
集落が見渡せる位置の大岩に隠れた3人は三様の感想を漏らす。感心する長岡と城嶋に対し、エースィは憎々しげな感情を隠そうともしない。まあ一回殺されてるから仕方ないね、と長岡と城嶋はそろって納得する。
とはいえ、確かに文明的である。日本で言えば弥生時代ほどの文明は持っていそうだ。人の背丈ほどの柵の向こうには、それを超える高さの建物もうかがえる。2階建てか高床かは判然としないが、建築技術はそこそこのものがあるといっていいだろう。
《おい長岡よ、これちょっと無理ちゃうか?》
《うーむ、まあ、それ一丁でどうにかなる感じではないですねえ》
城嶋から焦りを含んだ念話が飛ぶ。長岡としても同意見だ。てっきり自然の穴倉を寝床にする程度の知能の低いモンスターだと思っていたのだが、これは予想外である。先入観にとらわれ過ぎたか。長岡は早々に、城嶋の拳銃だよりのプランを棄却した。
「エースィさん」
「はいっ、なんでしょう御使い様!」
「声がでかい!」
エースィの口をとっさに抑えた城嶋だったが、彼のほうが声が大きい。長岡は注意深く周囲を見渡した。生き物の気配はない。気が付かれたわけではなさそうである。
「城嶋さんもお静かに。この音楽に救われましたね」
「うっ、すまん……しかしこれ、なんやねん。独特な音階やけど」
城嶋の声が紛れたのは、先ほどからずっと響いている不思議な音楽のお陰であった。高揚感を煽るアップテンポで、どこかぞわぞわとするリズムはアイリッシュに近いか。長岡も城嶋も音楽に特別造詣が深いわけではないが、それは祭囃子のように聞こえる。
「……異形の神を称えるゴブリンの呪い歌です。あまりお耳をお貸しにならぬよう」
忌々しげにエースィが応える。ふむ、と長岡はうなずいた。宗教絡みか、厄介だな。長岡の脳内から、救出プランの半分ほどが闇に葬られた。
「おーこわ。そんで、どうすんねん。コレもってカチ込むか?」
城嶋が半笑いで拳銃をガンスピンさせて見せる。鮮やかな手並みだが、その腕前はまた別の機会に披露してもらおう。長岡は半笑いを返した。対外的には、おぞましい悪魔の笑みにでも見えたのかもしれない。城嶋が口の端をひきつらせた。
「それはまたの機会にしましょう。エースィさん、そもそもあなたの妹さんは今も無事であるという保証はありますか? 結構な時間が経っていますよ」
「おいおい、見捨てる算段かいな」
「見捨てるというか、手遅れでしたら突撃するだけ無駄ですし」
長岡は基本的に合理的な男である。リスクとリターンを天秤にかけて、リターンが一切ないような案件には基本関わらない。無理やり巻き込まれれば話は別だが、今の状況なら自由意思で今後の選択肢を選ぶことができる。
長岡の濁った眼がエースィの視線と交錯した。
「この呪い歌が続いているうちは、妹は無事です」
彼は長岡の異形の視線を受けてなお、澄んだ目をそらすことなく、真正面から断定した。その度胸に城嶋がかすれた口笛を吹く。「その根拠は?」長岡は質問を重ねた。
「あれはゴブリン共の繁殖祭の音楽です。あれらは他種族の女性を奴らが奉じる神の依り代として儀式を執り行う習性がありますから、祭りの間は丁重に扱われるはずです」
「ふむ、儀式が終われば?」
「……殺されます」
エースィが沈痛な面持ちで応えた。彼が救出を急いだ理由はこれか。長岡と城嶋は納得した。
《典型的な古代宗教やな。日本でもそういうのはよくあったらしいで》
《城嶋さんは博識でいらっしゃる》
《皮肉言うとる場合か》
しかし、うかうかもしていられなくなった。早急に救出案をまとめねばならない。長岡は頭を回した。
「御使い様、どうか、どうか妹を……!」
エースィが縋るような眼で長岡を見る、長岡はそれにちらりと目をやって、「閲覧」で自分のステータスを上から下までつぶさに検分する。
「戦闘技能」に類する技能は、軒並みボロクソである。Nに尋ねたところ、どうやらそれは人間が人間であるに足る最低値――つまりは初期値ということだ。「キック」「組付き」が25%、「パンチ」が50%あるが、これはあくまで成功確率であり威力は保証しない。長岡は早々に見切りをつける。
「探索技能」に類する分野にはそこそこ秀でるものがある。「忍び歩き」が60%、「隠れる」「登攀」が70%だ。野生動物を狩るために息を殺したり、果実をとるために木登りをしていたのが生きているのだろうが、さて、救出に有効かといえば判断がつかない。長岡には腕力がないからだ。ゴブリンに気づかれず救出対象に接触したとしても、抱えて逃げおおせることはできないだろう。
《時にN氏、我々の運動機能はどれほど調整されたんでしょうか》
《身体の頑丈さと持久力には手を入れさせてもらったよ。ここは35世界と違って移動は基本徒歩になるし、医療技術もそこまで発達していないからね。あとは基本、ノータッチだ》
《ふむ》
となれば、やはりこのプランも却下である。城嶋を見れば、彼も百面相をしながらあれやこれやと考えているようだった。答えを得るには時間がかかりそうだ。これは、腹を括るしかあるまい。
「城嶋さん、私に一つ、策があります」
「お、どんなアイデアや。言うてみ」
「ゴブリンを説得します」
「はぁ!?」
「えっ!?」
城嶋と、横で期待の眼差しを向けていたエースィが驚きに目を見開いた。
「説得て、君、ゴブリン語わかるんかいな」
「おそらくは。多分城嶋さんもわかりますよ」
「はぁ? ……あ、異世界語か」
長岡はしたり顔で頷く。適用範囲が大きいファジーな表現になっているのは、恐らくそういうことだ。Nも彼ら二人を指して「マルチリンガル」としている。二か国語を操るだけなら「バイリンガル」と表すべきだろう。長岡の推測ではあるが、Nの性格を推し量れば恐らく当たっている。ゴブリンがこれだけの文明を持っているなら、言語は持っていてしかるべきだ。
言葉が通じれば、説得もできる。
「し、しかし、いくら御使い様といえど危険すぎます。ゴブリンは野蛮で凶暴なイキモノです。意志疎通など……」
エースィはどうやら反対のようだ。無理もない。一回殺されている。
「しかしねエースィさん。私はこの通り、荒事は苦手なんですよ。もし事を構えたら、そっちのほうが落命のリスクが高まります」
「それは……」
エースィは長岡の枯れ木のような体躯を見て、苦虫を噛み潰したような顔になった。理解してしまったのだろう。長岡ではゴブリンに勝てない。すくなくとも、腕力では。
「言うても、結局どないすんねん。ラブ&ピースの横断幕でも掲げて突入するんか?」
おもしろいですね、それ。長岡は城嶋のジョークを一笑に付して、ずいと顔を寄せた。城嶋が反射的に顔を引く。
《とりあえず、懐柔策には考えがあります。問題はどうやって彼らにそれを聞いてもらうか。これについては城嶋さんの力を借りるほかありません》
《ボクの?》
《ええ。「信用」です。私はこの通りホームレスですから、「信用」はたったの15%。N氏に言わせれば初期値です。そこで、古物商をなさっておられた城嶋さんの力が必要になります》
《お、おう》
《ちなみに、城嶋さんの「信用」はいかほどでしょう》
《なんかイヤやな、自分の信頼が数値化されとるとか……えーと、「信用」ね。信用信用……お、あった》
《古物商なんて信用商売ですからね。頼もしい限りです》
《…………》
《城嶋さん?》
返答が途絶えた。長岡が城嶋を見やると、彼はどこか生気が抜けたような、茫然とした表情で虚空を食い入るように眺めていた。
「城嶋さん、大丈夫ですか」
念話ではなく、口に出して問う。びくりと震えた城嶋が、ゆっくりと長岡に向いた。
「城嶋さ……」
「15や」
長岡の問いかけを遮る形で、城嶋はぼそりと答えた。長岡は珍しくハトが豆鉄砲を食った顔で、聞き返す。「パードゥン?」英語だ。
「だから、15や」
どうやら聞き違いではなかったらしい。沈痛な静寂がこの場に満ちた。エースィだけが、状況を分からずおろおろしている。
「ふむ、なるほど」
長岡はそれだけ答えるのみとした。下手な慰めは、かえって心を毛羽立たせることになるだろう。その生暖かい優しさに、城嶋がキレた。
《なんやねんその、可哀相なモノを見る目は!! 笑え、笑えばええやろ! 10年以上古物商やって、裏で色々コソコソやってた割に信用初期値かよクッソワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwくらい言ってみたらどうや! ああァ!?》
《信用初期値とか大草原不可避ですワwww》
「あァ!?」
城嶋、たまらす長岡の襟首をつかみ上げた。罵声を念話に切り替えた忍耐は、どうやら擦り切れてしまったらしい。エースィは突然の仲間割れにいっそうオロオロ感を増した。ハンサムとミイラ男の間で揺れる美少年、特定の層には需要がありそうな構図である。
《失礼、少し調子に乗りすぎました。しかしすごいですね念話。「www」が音でも映像でもなく概念で伝わるって》
《それはボクも思った。込められた煽りがダイレクトに伝わってくるところとか悪意しか感じんわ》
《まあ、頭を冷やしてくださいよ。別にバカにするつもりはありません。人間には得手不得手がどうしたってあるものですよ。完璧なんてのはそれこそ、N氏みたいな領域の存在にでもならないと無理でしょう》
《その達観した態度が腹立つわァ……!》
憤懣やるかたない、といった様子の城嶋は、それでも長岡の襟首をつかみ上げていた腕を離した。あまり近距離から長時間、長岡の顔を直視したくないというのもあった。
「さて、そうなるとプランBですね」
「……プランB? 何やねんそれ」
長岡は、淡々と答えた。
「「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」作戦です」
―――
「とまれ、何者か。部落の人間では無いな?」
ゴブリン村の入り口で、守衛と思しきゴブリンに呼び止められて誰何を受けた。なるほど、リスニングは完璧だ。長岡はひとまず胸をなでおろした。第一関門は突破である。ゴブリンたちが自分たちを指して人間と呼ぶのが少し面白い。
ゴブリンの姿は、背丈が低く皮膚が緑色である以外はヒトと同様に見えた。鋭い牙や爪も無いし、毛皮もない。簡素であるが衣服をまとい、木工に優れるのか木製の鎧と長槍で武装している。問いかけも理知的で、エースィの言うような野蛮さは感じられない。
「旅の神官です。なにやら慶時とお見受けし、祝詞の一つでも上げさせていただこうかと」
長岡は息をするように嘘を吐く。事前に組み立てた設定は、どうやら無駄にはならなかったようだ。
ゴブリンの守衛は眉を吊り上げた。
「ほう、神官。しかし我らが奉じる神に仕えるものでは無いな? その装束は初めて見るものだ」
ビニールシートを結束バンドで縛った即席のローブを羽織った長岡の姿を見て、訝しげな様子である。日本人が見れば、まず警察を呼ばれる格好だ。長岡はこれを雨合羽として活用していたが、何度か通報されたこともある。ゴブリンから見れば、まだ見ぬ宗教の正装にも見えるのだろう。
「ええ、この方はずーっと東から来た修行僧でしてな。各地の異教をめぐって、その知見を得たいと、そうお考えなんですワ」
長岡の横でもみ手をする城嶋が、三下感にあふれるセリフ回しで言った。妙に堂に入っている。
「ふむ、そうなのか。それはよくぞおいでになった。皆祭りの準備に忙しく大して構いもできないが、見るくらいは好きにするといい」
《成功だね》
守衛がそういって快く彼らを迎え入れた。Nからの念話がはいる。どうやら信用はえられたらしい。彼らの文明が原始的であったお陰で、意志の疎通が成る相手には警戒心が低いのかもしれない。しかしなるほど、こうやって成否を教えてくれるのは助かる。DICEを振る見極めもしやすい。長岡と城嶋はうなずきあった。
「つきましては、村長殿にご挨拶を申し上げたいのですが……」
「そうか、ならば手間も省けような。私が村長だ」
「エッ、村長が守衛をされてるんで?」
「部落で最も強いものが村長となる。村長は部落を守る。当然だろう?」
「なるほど、真理ですね」
長岡は適当に合わせた。原始的とはいえ、政治に深入りなどはするものではない。絶対にこじれるからだ。
《これから話をもっと拗らせに行くというのに、よくそんなことが言える》
《目的にそうか沿わないか、の話ですよN氏》
《なるほど、さっそく面白そうだ。期待しているよ》
Nがくつくつと笑った。
―――
ゴブリンにとって、この繁殖祭とはよほど重要な祭事のようであった。
村の中央広場に組まれた櫓には様々な装飾がなされ、原始的ではあるものの祭壇といって過言でない荘厳さを醸している。
祭壇のてっぺんには豪奢な木造の椅子が据えられ、今は誰も座っていない。あれが神を依り代に下ろす祭具であるのは明らかで、つまりエースィの妹スィラムの姿はいまだ見えない。
「はー、なんやあのやぐら。えらい凝ってるやん」
「ええ、芸術点高いですね。彼ら、木工細工には相当秀でているようです」
「救出目標はどこにもおらんな」
「おそらく着付けでもしてるんじゃないですかね。見る限り、服飾に関しても進んだ技術がある」
周囲には30人ほどのゴブリンがあくせく準備に励んでいた。多くは簡素な貫頭衣であったが、一部はきちんと縫製された服を着ている。位の違いだろうか? 祭壇を囲んで楽を奏でている一団は、みな一様に揃いの服を着ていた。やもすれば、彼らがゴブリンの神官に当たるのかもしれない。
「で、どないすんねん」
「村人がこうも忙しそうでは何もできませんね。祭りの準備が整うまでに、こちらも準備を済ませましょう」
「準備ぃ?」
「川の近くにちょうどいい大きさの、できれば二股に分かれたような流木がないか探しに行きましょう」
そういうことになった。城嶋はこの作戦が本当に成功するのか今もって疑わしいままだったが、何もしなければ100%失敗するのは明らかなので、今は諾諾と長岡に従った。
―――
丁度いいサイズの流木を発見した二人は、そこで二手に分かれて作戦を開始した。
流木の処理は、城嶋に任せられた。城嶋は「芸術」の技能を50%持っていたからだ。この作戦に不可欠の細工を、長岡は城嶋に任せた。
「こういうのは作るほうじゃなくて売るほう専門なんやけどなあ」
城嶋が何事かぼやいていたが、長岡はそれを無視して頼みましたよと念を押した。
長岡の役割は、情報収集である。比較的手の空いているゴブリンを探して、世間話のていで話しかけまくった。最初はその風体に不信感をあらわにしていたゴブリンたちも、旅の神官であることと村長には面通ししてあることを伝えると途端に友好的になった。それだけ村長が信頼されているのだろう。
この情報収集によって、祭りの開始が日没を合図にすることや、ほかにも種々雑多な情報が得られた。
これならうまくいくかもしれない。長岡はひそかな手ごたえを得て、日が沈むころには城嶋の作業も終了した。DICEを振るまでもなく、それは納得の行く出来に仕上がっている。長岡は正直に舌を巻いた。自分が手渡したナイフだけでよくぞここまでの細工を施したものだ。城嶋自身、自らの隠された才能に驚きを隠せないようである。
ともあれ、これで準備は整った。
楽隊の演奏が熱を増す。
ゴブリンの繁殖祭が始まる。