第3話 長岡さん、神様に会う。
「ときに城嶋さん。城嶋さんは医学に心得があったりは?」
山ほど焚き木を抱えてきた長岡が、開口一番にそう言った。
「なんや、藪から棒に」
「まあ、藪で棒を拾ってきたわけですが」
「そういうしょーもない洒落はええねん。怪我でもしたんか」
石積みの手を止めて、城嶋は端正な顔をひそめた。嗅ぎなれた匂いがしたのだ。厄介ごとの匂いだ。
「いえ。そこで死体を見つけたもので、検分に手をお借りできないかと」
「死体ィ!?」
こともなげに話す長岡に対し、城嶋は素っ頓狂な声を上げてからひっくり返りそうになった。慌てて手で口をふさぎ、辺りを伺う。
「事故か、他殺か?」
「事故ではないでしょうね。下手人の姿はありませんでしたが」
声をひそめて聞く城嶋に、長岡も小声で返す。ひとまず胸をなでおろす城嶋。
「それ、新しさはわかるんか。死んでからどれだけ経ってそうだとか……」
「なにぶん遠目でしたので。それを調べるのにお力添えいただけないか、と」
つまりは、わからない。城嶋は、途端にこの川べりが危険地帯なのではないかと身を震わせた。明日の朝には、死体が三つになっているかも、といらぬ想像を巡らせる。長岡を見れば、やはりその表情は窺えないままでも動揺はしていないようだった。
「ずいぶん落ち着いとるな。まるで死体なんて見慣れとるみたいやないか」
「まあ、それなりには」
長岡の口元に笑みが浮かぶ。城嶋は口元がひきつるのを感じた。
「さて、それでは向かいましょうか」
長岡は手のひらを二、三度はたくと、何でもないように提案した。
「あのなあ、ボクには医学の心得なんか無いで?」
「ならば医学に縁のないもの同士です。一人より二人のほうが得るものも多いでしょう」
筋は……通っているのだろうか。判然としないが、しかし城嶋は反論が見つからなかったので死体の検分に同行することとなった。うへぇ、と嫌気を漏らしながら。
―――
「これは……ひどいな」
件の死体は、2人が野営場所と定めた地点から川上に数分の場所に転がっていた。城嶋は目の前の惨状に、すぐさまついてこなければよかったと怯んだ。腐臭はないが、かすかに血の匂いがある。つまり、まだ新しい。
「背格好からして、子供ですね。にしてはひどい仕打ちだ」
長岡が唸る。彼の検分通り、死体のサイズはおよそ140㎝程度で小柄である。服飾の意匠は日本のものではなく、どこぞの民族衣装を思わせるが、それゆえに男女性別の判定は難しい。うつ伏せに倒れているから顔は拝めないが、十中八九子供だろう。
もっとも、仰向けに倒れていたところで顔の判別ができたかは怪しい。その死体は、後頭部の輪郭が変わるほどに殴打された形跡があったからだ。
「どうします、ひっくり返しますか」
「うっ、そうやな……このままやとなんもわからんし」
城嶋は顔を若干青くさせている。行動に支障が出るほどではないにしろ、精神力は削られていそうだ。長岡もそれに気が付く。
「死体は初めてですか、城嶋さん」
「他殺死体が初めてってワケやないが、こんなに酷いのは初めてやな。キミはどうなんや」
「バラバラ死体を人肌で温めたりしたことならありますよ」
「どういう状況やねん……」
「蛇のエサが必要な局面で適当なものがなかったので、有り合わせの死体を温めてみたんですよ。まあ、食べてはくれませんでしたけどね」
「どういう状況やねん……」
長岡からフォローに見せかけた精神攻撃をもらい、城嶋はいよいよ吐き気を覚えた。現状と長岡、両方にである。ツッコミを入れる元気はない。
ともあれ、このままでは進展もないのでひっくり返そうということになった。長岡が死体の腹と地面の隙間につま先をねじ込み、一思いにひっくり返す。軽い死体は、長岡のひ弱な筋力でも簡単に持ち上がった。
「うっ」
城嶋がついに吐いた。それでも死体にぶちまけず、川まで歩いただけ立派なものだろう。長岡も、この惨状では仕方あるまいと城嶋に同情顔だ。
死体の顔面は、半分ほどが崩れていた。頭蓋骨が砕け、脳の一部が飛散している。浅黒い皮膚は石と擦れてだろう、ずたずたに破れて肉が露出していた。もう半分も、眼窩から飛び出した眼球が破裂して赤黒い空虚が虚空を覗いている。
「ふむ、少年で間違いはないようですね」
長岡は服の前を切り、はだけて性別を確認。わずかに残った顔の一部からも、そう断定した。ようやく酸っぱいにおいを漂わせて戻ってきた城嶋は、目をそらすことはしなかったがそれでも最大限に顔をしかめた。
「ようまあ、そうも平然としとられるなあ」
「殴殺死体を見るのは慣れていますからね、ホームレスですから。ここまで酷いのは、まあ稀ですが」
「さよか……」
城嶋は十字を切ってから、手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えた。長岡も一応、手はあわせておく。そして、おもむろに死体の持ち物の物色を始めた。
「おい、キミ、いくら何でもそれは」
「身元の分かるものがないか調べているんですよ、やましい気持ちはありません。人間の死体は色々面倒ですからね、法とか」
長岡はさらりと返して、なおも物色を続ける。城嶋はため息をついて、長岡の人物評価を一段下げたがもともと最底辺だったので変わらなかった。
数分間、川のせせらぎと長岡が死体を物色する音だけが響いた。
「おや」
長岡は、死体がこぶしを握り締めたままこと切れていることに気が付いた。死後硬直も始まっていない新し死体ながら、そのこぶしは鉄のように固い。死の直前まで、この少年がいかなる思いで小さな手を握り締めていたのかまでは判断に苦しむが、少なくともこの少年にとって、何某か重要な物品が秘されているであろうことは、想像に難くなかった。
長岡は、その細い指をこころもち優しく、しかし力任せにこじ開けた。
少年が死の間際までその手に握りしめていたもの、それは、青と赤の小さなダイスであった。
「サイコロ、ですか」
「なんや、なんか身元が分かるようなもんが見つかったんか?」
長岡がつぶやき、城嶋が長岡の手元をのぞき込んだその時、世界の時間が止まった。
―――
「やあ」
気軽な調子で長岡と城嶋に声をかけてきたのは、今さっきまで死して地に伏していた件の少年であった。筆舌に尽くしがたい惨状はそのままに、しかし空虚な眼窩は二人を明確に見つめている。
「や、これはどうも」
長岡が簡単な会釈をかえした。城嶋は固まったままであるが、長岡が彼の脇腹を突いたところ反応を見せたので、世界と一緒に時間停止しているわけではないらしい。
「君は動じないね、長岡。ふつうは、そちらの城嶋のようになるものだけど」
少年は崩れて歪んだ口元を皿にゆがめて、くつくつと含み笑いを漏らす。
「美人は三日で慣れる、なんて言葉がありますが、こういう怪奇現象も3度経験すれば慣れるもの、といいますか」
「その慢心から命を落としたのにかい」
「ええ、どうやらそのようで」
やはり自分は死んでいたのか、と長岡は妙な納得感を覚えた。いつもならば怪異に巻き込まれ、なんやかんやで日常に戻ってまた巻き込まれだったのが、今回は怪異から怪異への直行便だ。妙だとは思っていたのである。
「フム、これでも動じないか。いや、動じているけれど取り繕うのがうまいのかな。まあ、取り乱しすぎて話が進まないよりはよほどいい」
少年はどこか愉快そうな雰囲気で、長岡を見た。死体が動き出すのは初めてのパターンだな、と長岡は思った。このように智慧を湛えた佇まいなのは尚更である。
「い、いやいや! なんやねんキミ、意味わからんわ! し、死体が喋っとんねんぞ!?」
「城嶋、そう恐怖することはない。君は確かに死んだが、今はこうやって生を得ているだろう?」
「いや、そうやなくてな! っていうか、ボクも死んどるんか!?」
「まあまあ、城嶋さん。ここはこのかたの話を聞きましょう。質問は後にまとめて、ということで」
憤懣やるかたない様子の城嶋、これがおそらく普通の反応なのだろうが、境遇を同じくする長岡がこうも落ち着いていては宥められるに任せるほかはない。おかしいの自分なのだろうか、と自問して、いいや、長岡だと結論付けるも、ひとまずは静かにして少年の言葉を待つことにした。
「たすかる。しかし、この姿は少し刺激が強すぎるようだ。少し、この体の時間を戻そう」
少年はちらりと長岡を見て笑うと、指をぱちりと鳴らした。するとVHSテープを巻き戻し再生するように少年の顔が再生を始めたではないか。ちなみにそのさまも相応にグロテスクだったので城嶋は再び吐き気を覚えた。
ものの数秒で少年の顔が元通りになると、そこには紅顔の美少年の姿があった。浅黒い肌、智慧を湛えたかんばせ、烏羽の御髪に、水平方向に長い耳。それは、特定のカルチャーを嗜むものであればすぐに頭に浮かぶであろうとある種族の特徴を備えていた。長い耳、というのがミソだ。
「ほう、これはまた、大変な美少年ですね」
「アイドルも裸足で逃げ出すレベルやな」
ちなみに二人はそのジャンルに造詣が浅いので抱く感情はその程度のものである。
「これでずいぶんと話しやすくなったかな。では改めて」
少年はにこりと微笑を浮かべた。悪寒が走るほどに美しい笑みだった。
「長岡、城嶋。君たちをこの世界に呼んだのは、他でもない私だ。私は神である」