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第1話 長岡さん、目覚める。

 どこかまばゆく、遠い。もしくは暗く、深ぁい夢をみていたような――


 木々のざわめきと、下草のむせかえる青い匂いに、ほとんどそげたような低い鼻がひくひくと動く。長岡は薄眼を開けて、幾度かしばたたかせた。薄くひび割れた唇から、かすかなうめき声がこぼれる。

 あまり、気分のいい目覚めではない。

 濃い草いきれや木々のざわめきに不快感を覚えたわけではない。それは、長岡にとって友ともいえるほど親しんだ環境だ。では何が、と突き詰めれば、それは自身が覚えている強烈な既視感デジャヴュに起因するものだと断定して間違いではない。


「ふむ……」


 むくりと上体を起こす。枯れ木のような手首を回して確認すると、関節がごきりと音を立てた。ずいぶん動かしていなかったような感覚があったが、痛みはないのが幸いだ。体は問題なく動く。

 次いであたりを見回すと、それは想像にたがわず森であった。鬱蒼と繁る木々は密で、遠方までは視界が利かない。自分が寝転んでいる場所は、どうやら森のさ中にぽっかりと開いた草原のようだった。ほぼ円形で、半径は凡そ10メートルあるかなしかの小さな空白地帯である。

 太陽は中天にあり、しかし熱量はさほど感じない。季節的には、秋か春か。草木の青さを見るに、恐らくは春であろう。

 下草を数本引き抜いて、まじまじと観察する。職業柄(?)、食べられる野草には詳しい長岡ではあるものの、知らない植物だ。指先ですりつぶしてにおいを嗅ぐ。刺激臭はなく、ただただ青い。爪の先ほどの草の汁を舐めてみたところ、ひどく苦い。すかさず吐き出す。食べられはしなさそうだ。


「ふむ」


 草の汁をズボンで拭う。服装は慣れ親しんだ垢じみたジャージ一式だ。顔に巻いた包帯も健在。サングラスよし、キャップよし。今回は服装強制チェンジはないらしい。一息つく。


 あたりには鬱蒼とした森、直近には草原と呼ぶにはあまりに小さい空白地帯。人間ふたり、トランクケースと頭陀袋が一つずつ。


 長岡は草むらから腰を持ち上げて、頭陀袋に手を伸ばした。見知った特徴のそれは、違わず自身の持ち物だった。中には分解した手製の釣り竿と、ビニールシート一枚に砥石、手拭いが一枚に、結束バンド……そしてナイフが一振り。


「おや」


 懐かしいものを見た。長岡は小さく感嘆の声を漏らす。刃渡りが長く山刀に近しいナイフは、以前に無料クーポンにつられて出向いた怪しいレストランで没収されてそれきりだったものだ。

――あそこの料理は実によかった.おそらく二度と口にできないのが残念だ。とくにとくにタンシチューが絶品で……思い返して湧き出した涎を袖でぬぐって、ナイフの鞘を払う。ほどほどに手入れの成された刀身に毀れはなく、様々な汁の染みで黒ずんだグリップはよく手になじんだ。間違いなく、かつての愛用の品だ。


「今度の手合いは、ずいぶん親切ですねえ……さて」


 ナイフを鞘にさして袋に突っ込むと、長岡はもう一つ気がかりであったトランクケースを視界に収めた。

 立派な革張りのトランクである。おそらくアンティークで、トランク自体が相当値の張るものに相違あるまい。持ち上げてみれば、ずっしりと重い。トランク自体の重さだけではなさそうだ。


「鍵付き……ダイヤル錠ですか、厄介な。まあ、4桁ならば総当たりもそう苦ではない、か」


 長岡は躊躇なく鍵開けを試みた。おそらくは、この場に倒れているもう一人の人間の持ち物であろうと推測はできたが、死んでいるならそれまでだし生きているにしても寝ているのが悪い。刹那の思考でそう結論付けたが故の行動だ。生死の確認をする気もない。生きていたら面倒だからだ。この点、長岡は意地汚く正直である。思い切りもいい。

 しかし、今回に限っては悪手であったろう。彼としたことが、展開を急ぎ過ぎて一つの可能性を失念していた。後頭部に固く冷たい感覚を受けて、長岡はそれに気が付く。


「お目覚めでしたか」

「そういうことや。それはボクの荷物やからな、離れてもらえんやろか」


 いわゆる"似非"関西弁を話す声は陽気を装っているが、底冷えする雰囲気があった。長岡は静かに諸手を挙げて立ち上がった。


「こちらに敵対の意志はありません。てっきりお亡くなりになっているものと思っていましたので、荷物だけでも活用させていただこうかと」

「調子のいいやっちゃなー」


 背後の男、声からして男は、長岡の何ら悪びれない言い分にくつくつと喉を鳴らした。尤も後頭部の感触はいまだ消えず、警戒は解かれていないことがわかる。長岡は嘆息した。


「まあ、嘘です。ああ、敵対の意志がないのはt本当で。いわゆる火事場泥棒と言う奴ですね。ただ、まだ眠ってらっしゃると思っていたのは本当ですよ」

「ほう? そらまたなんでや」

「普通の人間は、こういう意味不明な状況に巻き込まれたときに何らかの反応を示すはずでしょう。あなたにはそれがありませんでしたから」

「キミ、この状況についてなんか分かっとるんか?」

「それはさっぱり」


 長岡は肩をすくめて見せる。事実、長岡にも詳しい状況はわかっていない。少なくとも、またぞろ超常的な何某かに巻き込まれたのだろうという推測ができるのみだ。


「そろそろ銃を下ろしていただけませんか。私に弾を使うのは勿体ないですよ? 自慢じゃありませんが、近所の子供にだって組み伏せられる自信がありますから」

「それを簡単に信じると?」

「まあまあ。この状況です。どうせなら敵対するより協力したほうが得策だとは思いませんか」

「真っ先に火事場泥棒に走った君に言われるんはなんや釈然とせんけど、まぁ、そうやな……」


 男はどこか疲れたようにつぶやいた。声から剣呑さが些か薄れ、後頭部から硬い感触が消える。


「分かっていただけたようで何よりです」


 長岡は振り返って、ようやくまじまじと男の姿を見た。なかなかどうして、青い瞳の美形である。背丈は長岡と同程度で、中肉中背という言葉がよく似合う。やや筋肉質、といったところだが、アスリートの趣はない。年の頃は三十路の半ばといったところで、イケメンと呼ぶには年を経ていて、ダンディと呼ぶには若い。

 トレンチコートとパナマ帽のコーディネイトは往年の洋画スターを髣髴とさせ、総じて調和というべき一体感を感じさせる。


 ただひとつ、似非関西弁が全ての調和をぶち壊しにしていた。


「うーん、惜しいですねえ、喋りのせいで一気に三枚目感が」

「うっさいわ! 失礼なやっちゃな。そもそもなあ、キミ、ナニモンやねん。胡散臭すぎるんやわ。なんやそのカッコ、漫画のキャラかいな」


 男はプリプリと怒って(そのしぐさにも三枚目感がにじみ出ていた。余談である)、長岡の顔を指さす。「はて?」長岡は小首をかしげた。


「いやいやなにが『はて……?』やねん、その包帯や包帯。なんやそれ、ミイラかなんかかいな!」

「ああ、これですか」


 長岡はポンと手を打つ。そういえばそうだった、とばかりの様子だ。


「いやはや、恥ずかしながらわたくし、絶世の不細工でして」

「絶世の……はぁ?」

「その通りの意味でしてね。以前一緒に行動を共にした探偵さんが私の顔をうっかり見てしまいまして、二晩ほど寝込んだことがありましたっけ」

「二晩……はぁ!?」


 いやいやお恥ずかしいと後頭部をかく長岡と、理解が追い付かずに素っ頓狂な声を上げる男。長岡にからかっている様子が微塵もないことからも、困惑度合いは深まる。


「ンなアホなこと……ちょ、ちょっと顔みせてみぃや」

「うーん、あまりお勧めはしませんが」


 好奇心は猫を殺すとはよく言ったものだ。長岡は「どうなっても責任はとりませんので」と前置きしてからキャップを脱ぎ、サングラスを外した。濁り切ったどぶ川のようにぬめる瞳がのぞく。男はこの時点で嫌な予感がした。するすると衣擦れの音とともに包帯がとかれる。かさついてひび割れた皮膚が垣間見えた。

 すべての包帯が除かれたとき、現れたのは土気色をした名状しがたき貌であった。亀裂と見まごう皺が顔じゅうに蠢き、ほとんど骨の形が浮き出るほどにこけた頬は不随意に痙攣していた。落ちくぼんだ眼窩からこぼれそうになっている不釣り合いなほど大きい眼球は、先ほど垣間見えた不浄のぬめりを放っている。それがぐりぐりと(独立して)動くさまは、見るものに原初の生理的嫌悪を抱かせるに充分であった。


「まあ、こんな感じでして」


 異形が――長岡が口を開いた。極限まで彩度の低い表皮に比して、口内は血のように赤い。にちゃり、と粘着質な異音が耳朶を叩いた(ようなきがした。これは男の幻聴である)。


「ヒェッ……」


 男は正気度を一気にそぎ取られ、ひきつったような悲鳴を上げて白目をむいた。気絶したのだ。


「ああ、言わんこっちゃない」


 草原にあおむけにぶっ倒れた男を尻目に、長岡はその異形(APP3)の貌を再び包帯で覆い隠した。

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