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更生プログラム


 リュカの風邪が悪化した。オレに対する罪悪感からくる心労と、そして、雨の中走って屋敷に帰ってきて濡れ鼠だったオレの胸の中で眠ったことが要因だった。今も厚めのシーツを口元にまで被り、赤く火照る頬を白いマスクで覆っている。おでこには氷をたくさん詰めた袋がのせられていて、すぐに溶けてしまうそれを取り替えることがリーリの仕事だった。


「それで、風邪の原因のダーリンがぴんぴんしているのは何とも締まらないな」


「馬鹿は風邪を引かん。変態ならなおのことだ」


 昼食の片付けをしているリーリは、ふきんでテーブルを拭きながらいらいらしたように言う。朝から、いや、昨晩からリーリはとんでもなく機嫌が悪い。ここ最近は険が取れてきたようだったが、一気に昔に逆戻りしてしまった。ピリピリしているなんて生易しいものではない。ドス黒いオーラがゴゴゴ、という効果音付きで発散されているのが見える。大人しいパトリシアなどは、そんな迫力のリーリとはそっと距離を置いていた。そして、リュカの風邪以外にも、リーリの機嫌を損ねる問題があった。


「……おい」


「な、なんだ?」


「もう正午を回った。昼食も終わった。だと言うのに、何故、何故あの勇者は起きてこないのだ!!」


「そ、そっすねぇ……」


 牧村の長年の引きニート生活によって培われたとち狂った生活習慣が、とにかく気に入らないようだった。

 いや、まあこれはオレもわかる。昨晩牧村は、オレと和解した後は食堂で団長と軽く話をした後、すぐに用意された客室へと戻った。そして、それ以来ずっと起きてこないのだ。朝方パトリシアが起こしに行った時には寝惚け眼でふにゃふにゃ言っていたらしいのだが、それ以降姿を見せない。


「あ、朝は一応起きてらっしゃいましたよ。私のスカートをめくろうとしてきましたし……」


「あの野郎。ぶっ飛ばすぞ」


 パトリシアが困ったように苦笑いする。今日がパトリシアとリーリの罰ゲーム最終日だ。明日からはパトリシアは下着をつけるし、リーリは執事服に戻る。名残惜しくて涙が出そうだ。


「ぶっ飛ばされるのは貴様もだ。散々パトリシアを追い回したのはどこのどいつだ。おい。貴様は勇者を起こしてこい。私はリュカの様子を見てくる」


「了解です」


「となると私は暇だな。どうだパティ。私と式を挙げないか?」


「え、遠慮します」


 団長はオレのみならずパトリシアまでもロックオンしている。こうしてちょくちょくセクハラ親父のスキンシップの如くパトリシアに求婚していた。その度にオレかリーリが頭をしばくのだが、今日は二人とも別件で忙しいので野放しだ。それに、困ったパトリシアも可愛いので、今日はあえて助けない。

 牧村が使っている部屋は、かつてオレがセルバスとの闘いで破壊した辺りに、新しく作った離れだった。大きな窓を左右に有するちょっとした廊下を抜けた先に、民家一件分くらいの離れがある。ここは今後、重要な客人が来た時に泊まってもらう場所になるのだそうだ。


「おい! 牧村! おい! 起きろ!」


 一応は女子の部屋なので、大きくノックをしてから入る。まずは右手にガラス張りの風呂があり、靴は脱ぐ使用になっている。奥にはダブルベッドと、ダイニング。ソファやテーブルなど、ちょっとしたリゾートホテルのスウィートルームのような造りだ。しかし、そんな豪華で素敵の部屋が、想像すら出来ない状態になっていた。


「む……うにゃ……んん? なんだまだ十三時ではないか」


「生活リズムぶっ壊れてんな」


 美しかったはずの部屋が、見るに耐えない汚部屋になっていた。あちこちにお菓子のゴミが散乱し、パソコンやゲーム機が転がっている。別にここが牧村の家になったわけでもないのに、もうコミックやフィギュアが棚に並んでいた。よくもまぁたった一日でここまで汚したものだと感心すら出来るほど汚い。心なしか部屋の空気が淀んで見えた。


「お前な、もうちょっと遠慮とか慎みとかはないのかよ。ここは他人の屋敷。他人の部屋、他人の物。きちんと扱ってきちんと生活しろ。旅館とかでもやって良いことと悪いことがあるだろうが」


 もう本当に常識がない。最近の若者の悪癖の集大成みたいなやつだ。しかし、牧村は特に反省の色を見せることなく、あくび混じりに頭をかいているだけだ。


「いやぁ。昨日からソシャゲの周回イベが始まったのでござる。寝たのが明け方なのでござるよ」


「……お前さ。それで昼過ぎまで寝てたら効率もくそもないってわかんねぇのか?」


「もちろんわかっている。だが、イベ開始直前の興奮は凄まじく、抗いがたい魅力なのだ」


 オレは特にゲームなどはしてこなかったから、その辺りの感覚がいまいちわからない。睡眠時間を削るほど熱中出来る、というのはある種聞こえは良いが、実際はただ夜更かししているだけだ。

 床に散らかっているゴミを拾う。お菓子の食べカスとかも至る所に落ちているので、足を踏む場所にも困る。


「とにかく、まずは顔を洗え。歯を磨け。そうすりゃちょっとはシャキッとするだろ」


「えー」


 そういえば、こいつ、寝起きすっぴんを他人に見られて平気なのか。リュカやリーリはもちろん、あの団長でさえ寝起きの顔は見せてくれないと言うのに。本当にこいつは女子として終わっている。


「えー、じゃない。リーリが怒ってたぞ」


「いやでも。メイドさんに怒られるとか正直ご褒美でござる」


「そのしわ寄せがオレに来てんだ。二人仲良く叩き出される前にちゃんとしやがれ」


「はーい」


 おどけて手を挙げる牧村。なんて手のかかる女なんだ。自分の子供とかなら可愛くて世話を焼きたくもなるが、それがニートだとやる気も起きない。それでもせっせとゴミを集めて、ゲーム機を拾う。


「あれ。そういえば、お前、リュカにあげる予定のスマフォ、どこから持ってきたんだ?」


 作業しながら、ふと思った。こいつがたまに日本に戻って風呂とかに入っているのは知っている。だが、ケータイというものはそう簡単に手に入るものではないはずだ。本体はもちろん、契約手続きとか、支払うお金とか、やるべきことが諸々ある。


「ああ、それはもちろん、日本で買ってきたでござる。契約とか面倒なやつは全部魔法でちょちょいっと」


「……はぁ」


 日本でもこの世界の魔法が使えることがわかった。そして、牧村がそれを悪用していることもわかった。まあ、それで事件とか事故とか起こしている訳ではないから、そこまで口やかましく言うつもりはないが、それでも言うべきことは言う。


「あんまり魔法に頼り過ぎんなよ。いつかは使えなくなるんだからさ」


「え?」


「いや、だから。いつか日本に帰った時には使えなくなるだろ。自分の力で出来ないと意味ないぞ」


 せっかく人並みの生活を送れるようになっても、仮初めの力に頼っていてはすぐに破綻する。


「いや、待って待って」


 しかし、牧村はオレの話を遮って喋り始める。困ったような表情をしていた。


「なんだよ」


「いや。江戸川殿。もしかして、日本に帰るつもりなの?」


「え? 帰らないのか?」


 二人してきょとんとする。お互いが何を言っているのかよく理解出来ていなかった。思考が脳内でくるりと一回転して、ようやく言いたいことがわかった。


「お前、この世界にずっといるつもりなのか?」


「う、うん。逆に帰るつもりなんだ……。意外でござるよ」


 意外もなにも、オレは牧村の更生をしにやって来ただけだ。それが終われば日本に帰るつもりだった。

 いや、だが待て。本当にそんなことを考えていたのか? ただ漠然と生きていただけで、そこまで遠い未来のことなどには頭を巡らせていなかった気がする。ただなんとなく、家から出たら帰ってくるような感覚で、何気なく口をついて出ただけだった。


「そうか……。別に帰らなくても良いんだよな」


「むしろ、この世界の方が生きやすいでござるよ。そりゃ戦争とかあるけど、皆優しいし、我が輩勇者だから楽出来るし。それに、江戸川殿だって、日本なんかよりずっと楽しいのではないでござるか?」


 確かにその通りだ。日本にいた頃の楽しい記憶など、本当に右手の指の数より少ない。幸せというものを知ったのは、この世界に来てからだ。なら、オレは日本なんかに帰るより、ここで暮らした方がずっと幸せで、楽しい人生が送れるのではないか。


「そうだな……。その辺も、ちゃんと考えないといけないのかな」


 ここでの居場所を、つい昨晩必死で作り直したばかりだ。ここには、オレがいて良い場所がある。オレを受け入れてくれる人達がいる。それに対して、あの日本には、オレの居場所なんてない。誰もオレを認めてくれたりもしない。どちらがオレに取って幸福なのかは、考えることもなくわかることだった。


「まあ、その話は置いておいて。江戸川殿もスマフォいる? なんなら我が輩がまた買ってくるでござるよ」


「いらない。てか、あんまり日本の技術持ちこんでくるなよ。産業体系が壊れるだろ」


「魔法なんて楽しげな文化が根付いているレギオンに、科学なんてものが流行るとは思えんでござるが」


「でもダメ。リュカのスマフォは特例だ。だからあんまり無闇に日本とこの世界を行き来するな。てか、なんでそこだけ妙にフットワーク軽いんだよ引きこもりのくせに」


 やりたいこととか、欲しいもののためには頑張れるんだろうな。勝手な話だが、ニートとは得てしてそういうものだ。

 オレのやりたいことも、この世界にある。なら、やはり帰ることよりも、ここで暮らすことを考えようか。


「まあ良い。ほら起きろ。じゃないとお前の枕の匂い嗅ぐぞ」


「今すぐ準備します!」


 半分は冗談のつもりだったのだが、効果てきめんだった。ベッドでゴロゴロしていた牧村が跳ね起きる。


「あ、あと。お前昼飯抜きな」


「え!? それは殺生な!」


「仕方ないだろ。昼飯の時間に起きてこないんだから。ここでお前の生活習慣が通用すると思うなよ」


 ここは魔王の屋敷だというのに、皆とても規則正しい生活をしている。朝食を作る者たちは朝五時くらいから起きて準備しているし、夜も十時には消灯だ。朝寝の傾向がある魔王はもう少し遅くまで執務をこなしているらしいが、それも日付が変わる頃には終わっている。オレもここに来た当初は、健康マニアのご老人のような生活に面食らったものだが、今ではすっかり板についている。おかげで最近体調が良い。


「そうだな。これは良い薬かもしれないな。ここでちゃんとした生活を身につければ、お前も少しは引きニートが改善されるだろ」


「嫌だ。とは言えない雰囲気」


 牧村の更生プログラムが始まった。

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