晩恋
悲しみと悔しさ、そして焦りの涙を、レヴィアはこんこんと流し続ける。これまでの気の強い烈女の風格はどこか彼方に吹き飛んでしまっていて、それはもう完全に悩める少女の姿だった。
「え、うそ……?」
「うあー。リューシちゃんやってしもたな」
「だ、だって……」
まさかレヴィアも団長タイプだったのか。でもそんなのわかる訳がない。だって楽しげにオレをからかってきてたし、それにこいつは美人だし。
「ま、まあそのさ、元気出せよ」
「うっさい!! ああそうですよ! 私は三百超えてるけどまだ処女ですよ! 文句あるならかかって来なさいよ!」
「いや、文句はねぇけど……」
逆上したレヴィアは、つまみが飛び上がるほど激しくテーブルを叩いた。膨大な涙のせいでせっかくの化粧が崩れている。でもそれでも可愛らしいのだからズルいよな。
「だって、あいつ、全然振り向いてくれないんだもん! 私がおしゃれしても、良いムードの場所に連れて行っても、何も反応してくれないし!」
す、好きな人はいるのか。泣き喚きながら酒瓶をそのまま豪快に逆さにして飲み続ける。そんなレヴィアに、アヤさんは呆れたような様子で苦笑いする。あの、どいてくれませんか?
「ええ? まだ付き合ってなかったん? レヴィアちゃんの片想いのまま?」
「そうよ!」
「うわぁ。歌えば合いの手が返ってくるアイドルにあるまじき一方通行やな」
「一方通行言うな!」
そしてとうとうテーブルに顔を埋めてわんわん泣きだしてしまった。その後も愚痴とか悪口が溢れ出してくる。
「あの唐変木、ほんっとに私がどれだけアピールしても気がつかないのよ。デートしても仕事の下見だと思ってるし、私が可愛い衣装着ても丈が長いとか舞台映えしないとかそんなことばかり言うし!」
「お、おう。それは酷いな」
「リューシちゃんが言う辺り、終わっとんなぁ」
何故かここでアヤさんが脱力したので、その隙をついてオレの上からどかせる。乱れた服の襟元を直して、テーブルに突っ伏すレヴィアの肩を優しく叩いた。もしかしたら跳ね除けられるかなとも思ったが、どうやらそんなことには頭が回っていないようだ。肩の震えが直に伝わってくる。
「しっかし、こんな凄いアイドルに好かれてるなんて、一体どんな魔族なんだろうな」
それこそとんでもないプレイボーイとかだろうか。いや、でも唐変木とか言ってたから、品行方正の名門魔族だったりするのかな。どちらにせよ華々しい美男を想像する。しかし、
「何言ってんのよ。あんた会ってるわよ」
「え?」
ぐずぐすと鼻をすするレヴィアは、目を赤くしてそう言う。
「ま、わからんでも無理ないけどな。ほら、今も部屋の外で立っとる奴よ」
「え、部屋の外って……。レヴィアのマネージャーしかいないけ、ど……まさか!?」
「そのまさかよ! 私はあいつが好きなのよ! てか言わせないでよ恥ずかしい!」
また怒り出したレヴィアの張り手がばちんとオレの背中を叩く。痛い。絶対これ赤くなってるよ。しかし、それよりももっと強烈な衝撃があった。
この天上天下唯我独尊なレヴィアの想い人が、あの無感情なマネージャーだなんて。それこそ月とすっぽんだ。驚くほど不釣り合いだ。いや、だからこそ何百年単位で何もことが起こっていないのだろうが。
「私がアイドルやってんのは、あいつが皆を笑顔にしたいって言ったからなのよそもそも」
「ええ!? その割にはあのマネージャー全然朗らかじゃないぞ!?」
ターミネーターより愛想がない。仕事は出来そうな雰囲気だが、それくらいしか長所が思いつかない。そんなオレの考えをレヴィアが察したのか、今度はオレに向かって火を吐いてくる。
「あいつは確かに無表情で反応なくて唐変木でぶっきらぼうで人形っぽくて、全っ然私に興味ないけど、本当はすっごく優しい奴なの!」
「あんた本当にマネージャーのこと好きなのか?」
だが、好きな相手と言うのは、得てしてそんなものなのかもしれない。好きだからこそ悪いところもたくさん見えてくる。それを含めて好きだと言えるから、愛なのだ。オレもリュカやパトリシアに散々文句言われてたしな。え、てことはあの娘たちオレのこと大好きなのか。滾る。
「ほなら、今から告白する?」
アヤさんのセピア色の瞳がきらりと天井のシャンデリアの光を反射した。
「え?」
「え?」
「だって扉開けたとこにおるし。今ならお酒入っとるしノリでいけるやろ」
悪戯心全開に、そんな無茶振りを言い出してしまった。これにはレヴィアも口の中に蟲が入ったかのように慌てる。
「ちょ!? だ、ダメよそんなの! 何考えてるの!? バカなの!? バカは嫌いなの! 帰ってよ!」
オレも以前おんなじこと言われたな。多分レヴィアの口癖だ。頻繁に発せられる言葉としては酷いが、それでこそレヴィアだとも思うあたり、オレも毒されてきている。
「でも、そんなこと言ってたらずっとこのままだぞ?」
悪ノリではない。本気でレヴィアを心配しての忠告だった。
「関係性なんてちょっとしたことですぐ壊れちゃうんだぞ。オレが言うんだから間違いない」
「そうそう。いくら人魚でも老いるんやから、綺麗で可愛い今のうちに落としとかんといかんと思うよ?」
アヤさんも、悪戯心百パーセントではないようだ。二人は仲の良い友人みたいだし、友達の恋愛を応援したいのだろう。
「で、でも……」
レヴィアは迷うように両手の指をつんつん合わせる。その瞳には不安の色があった。
「大丈夫大丈夫。もし失敗してもちゃんとファンの皆に言いふらしたるから」
前言撤回。やっぱりアヤさんはただ遊んでいるだけだ。この人は誰に対してもこんな態度なんだな。それはそれで凄いことだが、羨ましいとは思わない。
しかし、そんなアヤさんの企みに、お酒と動揺のせいか、レヴィアは全く気がついていない。今も、「でも」とか「だって」とか、乙女チックな独り言をぼそぼそ呟きながら身体をくねらせている。迷いはあるようだが、どうも満更ではないみたいだ。どうしようかな。このまま遊び半分で押し切った方が良いのかな。おそらくだが、レヴィアとマネージャーの二人だけでは、関係性は進展しない。三百年進展しなかったものが、突然走り出すことはあり得ない。つまり、誰かが間に入るか、背中を押すかしなければならないのだ。それが今なのか。今ではないのか。
「ほらほら。そうやって先延ばしにしとったら、どんどん言いにくくなるよ。ここでバシッと決めよや」
「ま、まあ、マネージャーもあんたのことは憎からず思ってるはずだぞ」
オレの何気ない励ましが、ことの外強い影響力があったようだ。レヴィアがそろっと顔をあげ、オレを上目遣いで見つめてくる。
「ほ、ほんと……?」
「ああ」
しおらしいレヴィアも可愛い。今はお酒で頬が赤くなっているのと、涙で瞳が濡れているので攻撃力は普段の五割増しだ。その可憐な姿に一瞬意識が飛びかけるが、今オレがこいつにドキドキしてても仕方ない。
「よし。ほんなら呼ぶよ」
「あ! 待って! 私今化粧とか服とか……」
「大丈夫やよ。それこそ今更やん。ちょっとー! マネージャーちゃん!」
服にすがりつくレヴィアを構うことなく、とうとうアヤさんがマネージャーを呼んだ。三人でがやがやと騒いでいた部屋に、静寂が訪れる。そして、
「はい。いかがしましたか?」
黒髪黒眼鏡七三分けの昭和のリーマンみたいなマネージャーが、部屋に入ってきた。何故だか眼鏡の奥の瞳は、光が反射してよく見えない。面識の浅いオレからしたら、のっぺら坊みたいに思える。それだけ表情がないのだ。
「レヴィアちゃんからな、大事な話があるんよ」
しかし、とうのレヴィアはアヤさんの背中に隠れて小さくなってしまっている。魚の尻尾がぷるぷると震えていた。
「はい。ではレヴィア様。お話とは? 荷物の搬入でしたら、あと八日ほどで完了します」
マジかよ。船に荷物積むだけで週単位かかるのか。外で働いている魔族はかなりの数だったというのに、本当にどれだけデカイんだこの船は。
どうでも良いことに密かに驚いていたが、ここでまた部屋が静かになった。マネージャーはレヴィアの話とやらを身じろぎひとつせずに待っていて、レヴィアも隠れたままで何も言おうとしない。少しずつ皆の呼吸音が耳に届き始める。
「レヴィア。話があるんだろ?」
沈黙に耐え切れなくなって、レヴィアをせっついた。しかし、彼女は震えているだけで何も言おうとはしない。さっきまで赤かった頬は、緊張からか青白くなってしまっていた。ダメだ。こいつ、思ってたよりずっとヘタレだ。告白出来ないならまだしも、一言も喋れないとか論外である。そして、そんな様子のレヴィアを見ても、一向に不審がったり心配したりする素振りを見せないマネージャーも変だ。
とうとう誰も言葉を発しないまま、三十分が経過した。流石のアヤさんも困り顔だ。オレもそろそろ緊張の糸が切れそうだ。何か話したい。この空気を何とかしたい。そう思って、いい加減耐え切れなくなって、仕切り直そうとしたその時、
「マルクス様! マルクス様ぁ!!」
部屋の外から、誰かを探す大声が聞こえてきた。
「マルクス様、どちらにおられますか!? マルクス様!!」
何やら大ごとみたいだ。一人ではなく数人の魔族が慌てふためいて誰かを呼ぶ。そしてそれに、オレ達の前に立つマネージャーが応えた。
「レヴィア様。何やら起きたようですので。あちらを優先しても構いませんか?」
「……良いわよ。ただし面倒だからあんた達だけで始末しなさい。あと、私の部屋まで聞こえるような大声出した奴は減給よ」
「かしこまりました」
レヴィアは、また人が変わったみたいに高飛車な物言いに戻ると、乱暴な指示を飛ばしてマネージャーを追い払った。マルクス、というのはマネージャーの名前なのだろう。恭しく一礼すると、一度眼鏡を軽く押し上げて部屋から出て行った。
「ぷ、はぁぁぁ!!」
「うわ、ちょっと!」
マネージャーがいなくなると、レヴィアが毒を吐き出すように脱力した。一度アヤさんにもたれかかると、そのままずるずると床まで落ちていく。そして腕だけで床を移動して、ソファの上にうつ伏せに倒れた。尻尾がペシペシと肘置きを叩いている。
「何やってんだよ」
「そやそや。うちが大嫌いな沈黙空間にも頑張って耐えとったのに、その結果がこれ!?」
珍しくアヤさんが怒っていた。そうか、この人沈黙が嫌いなんだな。納得。今度仕返しに無言攻撃してやろう。
「だってさぁ。私の二百五十年分の片想いが一言で決まるのかと思ったら怖くなっちゃって……」
「ヘタレ! あほ!」
アヤさんは両の羽で酒瓶を掴むと、浴びるように飲み始めた。オレも、飲まなきゃやってられない気分だった。
「でも、最後は普通に話し出来てたじゃないか。あの調子でいけないのか?」
「なんかね。仕事とか、魔王としてなら簡単に話し出来るのよ。でも、私個人になると途端に難しくなっちゃうの」
「小学生男子か」
「もう百年くらいはちゃんと話してない気がする」
こいつも苦労してるんだなとは思ったが、それも自業自得だ。だが、そんなことを言い出せば、いくつものパンチがオレにも返って来る気がして、何とも苦い気持ちになる。新しい関係を築くのも、関係を壊すのも自分次第。誰かと有意義な関係を作ったことなどないオレにとっては、前者はとくに難問だった。




