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灰色の炎


 牧村は、王城に帰りたくないと言う。オレとしても、不安そうな表情をするこの娘を、また苦しい生活に追い帰すようなことはしたくないし、出来ない。だが、牧村は魔王の屋敷にいて良い存在ではない。


「今日ここに来るとき、王城の人間には何て言ってきたんだ?」


「城下町を見てくるって言ったでござる」


「ふむ」


 流石に魔王の屋敷に行ってくるとは言ってないか。だが、それだとあまり長い間王城に帰らないと怪しまれてしまう。ただでさえ、ベルゼヴィードが王城で貴族を殺したことで、牧村やオレは変な疑いをかけられている。ここで魔王の屋敷に行っていたなどとバレた暁には、牧村の命の危機だし、アスモディアラと平和条約を結んだ少年王にもいらぬ迷惑がかかる。これはとてつもなく大きな問題だった。


「……しゃーない。なら、オレも一緒に王城に戻るよ」


「え?」


「えっ!」


 リュカと牧村が、同時に反応した。その目は驚きに包まれている。


「一人なのが嫌なんだろ? オレなら一緒にいてやれる。いきなり戻ったら多少は怪しまれるかもしれないが、そんなの今更だろ?」


 こいつを一人きりにしたオレが悪い。しっかり更生出来るまで、もっと手厚くサポートしてやるべきだった。その反省もこめて、これからはなるべく側にいてやろう。


「だからリュカ。オレは牧村と王城に行く。しばらく……いや、かなり長い間戻らないかもしれないからさ。皆にもそう伝えて……」


「なら私も行きます!」


 オレの言葉を上からかぶせるように、リュカが勢いつけて叫んだ。ベッドから腰を上げて、オレの方に身を乗り出してくる。しかし、そんな意見を認めることは出来ない。


「それはダメだよ。王城で色々あったからな。もうリュカはあそこにいられない。行く理由もないしな」


 これを機に、あのはた迷惑な騎士団長も一緒に連れ帰ろうか。人間という種族的にも、役職的にも、魔王の屋敷に長居して言い訳がない。そうだな、それが良い。


「あの、わたくしも、私も連れて行って下さい! 出来るだけご迷惑にならないようにしますから……!」


 しかし、まだリュカがそんなことを言う。迷惑のあるなしではない。これは政治的な問題なのだ。


「ダメだ。牧村と団長と帰る。遊びに行くわけじゃないんだぞ。団長と違って簡単にほいほいついてこられちゃ困るんだよ」


「え、江戸川殿、それは……」


 何故か牧村が動揺したように目を泳がせる。だがオレはそれは気にせずに、出立の準備をしようと自分の部屋に向かう。


「牧村、ちょっと待っててくれ。今準備、して……」


 振り返ったところで、気づいた。オレの目の前のリュカが、ぼろぼろと大粒の涙を零して泣いていた。スカートの裾を皺が残ってしまうのではないかと思うくらい固く握り締めて、朱と蒼の目を真っ赤にしながらオレを睨んでいた。


「ど、どうしたんだリュカ……」


「……下さい」


「え?」


 口の中だけで響くようなくぐもった声は、よく聞き取れなかった。そして、リュカは声を大にしてオレに叩きつける。


「今すぐ出て行って下さい! もう良いです! あなたはそうやって、私の気持ちなんかちっとも考えず、勝手に生きていけば良い!」


「ちょ、ちょっとリュカ。何怒ってんだよ……」


 リュカがどうして怒っているのか、どうして、そんな風に悲しそうに泣いているのかまるでわからなくて、彼女に手を伸ばす。


「いつもそう。いつだってそう! マキムラさんが大切なんでしょう!? ならそうすれば良い! 私なんて放っておいて、どこへなりとも行けば良い! 出て行って下さい!」


 こんな怒り方をするリュカに、初めて出会った。朱と蒼の瞳から流れる涙は頬を伝って、顎から絨毯に落ちて染み込んでいく。リュカは涙を拭おうとしない。


「もう良い……! もう、良い……」


 そして、苦しそうに胸を押さえてしゃがみこんでしまった。震える肩。止まらない涙はぼたぼたと絨毯に落ち続ける。


「リュカ……」


 その肩に手を伸ばそうとしたが、それを途中で牧村に止められた。そして、


「……っ!」


 牧村に、左の頬をしたたかにビンタされた。パァンという高い音を立ててやっと、自分が何をされたのか理解する。


「ちょっとこい!」


 強引に服を掴まれて、部屋の外に引っ張られた。がしゃんと音が鳴るほど強く閉められた扉で、リュカの嗚咽が聞こえなくなる。


「自分が何を言ったかわかってる?」


「いや、だから、牧村と王城に……」


「そこじゃない! 遊びじゃないとか、簡単についてくるなとか、そんな気持ちでリュカちゃんがお前について行きたいって言ったわけじゃないことくらいわからないの!?」


 小柄な牧村に、服の胸元を締め上げられるように掴まれて、壁に押し付けられる。その黒い瞳が、怒りに燃えていた。


「原因作ったのはボクだよ! でもそうじゃない! お前は、リュカちゃんの気持ちを、もっとちゃんと考えたことがあるの!?」


 そんなの、考えてるに決まってる。オレはいつだってリュカのことを……


「リュカちゃんがお前を好きな気持ちを、どうして大切にしてあげられないの!? どうしてそんないい加減なの!?」


 オレの思考に火がついた。


「んだよ!? オレが悪いのかよ!?」


 わけわかんねぇ。何言ってるのこいつ? なんでリュカは泣いてんの? なんでオレのせいなんだよ? オレは牧村の左腕を龍王の右腕(ドラゴン・アーム)で握りしめ、無理やり引き剥がした。その細腕には爪痕が残り、血が流れている。手を離してそのまま、壁を殴りつけた。


「なんだそれ! どいつもこいつも口を開けば江戸川が悪い江戸川が悪い! なんもしてねぇのによ! てめぇらのこと棚上げしてオレだけを責める! お前もそうだよ引きこもりがっ!!」


 反対側の壁に、牧村を突き飛ばした。牧村は苦しげに目を瞑る。


「誰のせいだと思ってる! 誰のためだと思ってる! 引きニートが異世界転移したくせにぐじぐじいじけてやがるからオレが来たんだろうが! 今回だってお前が原因だろうが! 人の気持ちを考えろだと!? お前にだけは言われたくねぇな!」


 まくし立てるだけまくし立てて、肩で息をしながら、牧村を睨みつけた。そんなオレに、牧村は傷ついた表情で、怯えた目を向けてくる。その目の色に、さらに苛立ちが沸き起こる。

 ほら、同じだ。どいつもこいつも、皆同じ目でオレを見やがる。オレを化け物扱いして、怖がって、一人にしやがる。ここでもかよ。ここでも、リュカや牧村でさえ、オレをまた一人にするのかよ。


「もう良いのはオレの方だ。好きにしろよ。それで戦争が起ころうが人が死のうがお前の勝手だ。オレは尻拭いしてやんねぇ」


 胸糞悪くて、もう一度龍王の右腕(ドラゴン・アーム)で壁を殴った。破壊されて崩れたその向こうでは、まだリュカが泣いていた。その姿に舌打ちをして、大股で玄関に向かった。
















 

 行くあてなどなかったから、適当に魔界をぶらついていた。低級魔族がひっきりなしに襲ってくるのが鬱陶しくて、出来るだけやつらのいない所を目指す。見渡す限りの平原だが、もう魔王の屋敷は見えなくなっていた。じとじとした雨が身体を濡らし、とにかく気分が悪かった。だが、今更雨から逃れるのも億劫で、近くに木はいくらでも生えていたが、ひたすら雨を浴び続けていた。

 だが、こうして雨に濡れたおかげか、多少は頭も冷えてきていた。もう、あの屋敷にオレの居場所はない。リュカをあんな風に泣かせてしまった。牧村をあんな風に責めてしまった。カッとなったとは言え、一生懸命自身を変えようとしている牧村に、とてつもなく酷い事を言った。あんな小さな身体の少女の腕を、あろうことかオレの右腕で掴んだ。決してあいつのせいなどではないのに、沸騰した怒りの全てをぶちまけて逃げて来た。

 リュカが何故泣いていたのか。それも今更になってわかってきた。あの娘は、これまで三度オレの側にいてくれようとした。一度目は、初めて人間界に行く時。あの時は、境界までという制限つきの短い間だったが、一緒に旅をした。二度目は、牧村にサインを届けようとした時だ。王都を歩いて回ったことは本当に楽しくて、牧村を外に出す時もオレを助けてくれた。

 そして、今日だ。これまで三度、リュカは離れるオレと一緒にいようとしてくれた。しかし、オレはその全てを、必ず最初に拒絶してきた。いじらしい彼女の思いを踏みにじってきた。それもとうとう三度目になる。愛想をつかされたって文句は言えない。彼女の怒りと、それ以上に悲しさを宿した瞳が、頭に焼き付いて離れない。リュカの今の心を想うだけで、胸が潰れそうだった。

 自分の言ったことを思い出して、心底吐き気がする。何が政治的な問題だ。オレにリュカを護ってあげるという気持ちが無かっただけではないか。オレの弱さを、リュカと牧村に暴言とともに押し付けてきた。一人でこの世界を背負いこんだ気になっていただけだ。

 そんなオレは、当然また一人になってしまった。この世界で初めて、やっと手に入れた大切な人達を、自分でぶち壊してしまった。あまりの馬鹿さ加減に笑いすら込み上げてくる。

 カッコいいよ。あぁ。本当にカッコいいよ。あんなか弱い女の子達に醜い暴言全部押し付けて逃げてくるとか、オレは最高にカッコいいやつだ。

 もう、何もかもが嫌だった。苦しくて苦しくて、自分の呼吸に押し潰されそうだった。足が地面に吸い付いたように重い。歩けども歩けども、心は暗闇に落ちていくだけだ。そして、こんなにも苦しいのなら、何故生きているのだろうという思考にたどり着く。別に、無理して生きている必要なんてないのではないか。他人に迷惑しかかけてこなかったオレだ。いっそここで人生を閉じてしまえば、喜ぶ人の方が多い気がする。

 ぐじゅくじゅとした思考は、ある一点に収束していく。そうだ。簡単なことだった。一人が嫌なら、人生をリセットすれば良い。一度死ねば、もう少し普通の人間として生まれ変われるんじゃないか。忌々しい右腕の爪を、この心臓に突き立てれば良い。この右腕が、やっとオレの役に立つ。そのことに不思議と安堵していた。そして、雨に濡れた爪を……


「っと。そんなことしようとする辺り、めちゃくちゃ弱っとんなぁ」


 振り下ろそうとしたオレの右腕に、アヤさんの鳥の爪が乗っかっていた。彼女の全体重がかかっているはずだが、軽い。雨具もつけていないから、薄桃色のブラウスが透けていてもの凄くエロい。


「どいて下さい。もう疲れました」


「嫌や。それに、うちのスカートの中覗き込もうとしたり、服の胸辺りに注目しとるリューシちゃんは元気いっぱいやろ?」


 バレていた。だが、こうして普通に会話出来る活力が自分に残されていることが意外で、嫌だった。


「それに、女の子二人号泣させといて一思いに死ねるわけないやん? 多分まだ泣いとるよ」


「リュカはともかく、アヤさんにとって牧村はどうでも良いんじゃないですか?」


「うち可愛い娘大好きやから。流石に哀れになってな」


 元来優しい方なのだ。悪戯ばかりだが、本気で嫌がったりすることはしないしな。


「てことで、行くよ」


「無理ですよ。どんな顔して会えば良いかもわからないし、もう会っちゃダメだと思います」


「話をちゃんと聞きや。帰るんやない、行くんよ」


 行く? この状況で、これから?


「今のリューシちゃんみたいなのにぴったりの場所があるんよ」


 雨が降っていると言うのに、華麗に羽を広げたアヤさんは、オレの右腕を足で掴んだまま空中に持ち上げた。

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