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不穏な空気


 団長の比ではなかった。牧村、いや、勇者の来訪によって生まれた衝撃は、かつてない規模の大きさを持って魔王の屋敷を震撼させていた。空気が張り詰めた糸のようにキィンと音を立てている。そんな光景が思い描けるほどに、屋敷の者全員が緊張していた。団長やアヤさんの例外なく、だ。この二人でさえこんな表情をしているのだ。あまり気の大きくないパトリシアは、エプロンの裾を握っておどおどしているし、リーリもすでにハルバードを右手に持った状態で控えている。

 そんな中牧村が通されたのは当然客間だ。パトリシアとリーリが二人がかりで牧村を招き入れ、黒のソファに座らせた。それに続いて、オレ、団長、アヤさんの順に部屋に入る。オレは牧村の隣に座り、団長はソファの後ろに立つ。そして、アヤさんは向かい合う形に置かれたソファの中間点辺りの壁にもたれかかった。いつも気の緩んだような、余裕のある表情をしている彼女が、今この時は鷹のような鋭い眼光で牧村を捉えている。

 この場にいないのは、屋敷の主人である魔王と、その娘のリュカだ。二人ともこの屋敷の全権を握る者であると言うのに、この一大事に迅速な対応が出来ていない。病気のリュカはともかくとして、魔王がまだ客間にやってきていないのはかなり問題だと思えた。


「江戸川殿。なんでござるか、この空間は。美女が三人、美少女が一人。あ、いや、我が輩を含めれば美少女も二人だ。何という夢のハーレム」


「ちょっと黙ってろよ」


 この場の空気を全く読めていない辺り流石は引きこもりニートだ。暗雲渦巻くような状況だというのに、物見遊山気分でキョロキョロと周囲の女性たちを見回す。その呑気な行為に、アヤさんが不快そうに舌打ちをして脚を組み替えた。大変セクシーで素晴らしいのだが、怒っている彼女というのは初めて見た。まさかここまで雰囲気が悪くなるタイプの怒り方をするとは思っていなかったので、はっきり言って怖いの一言である。オレと牧村の背後に佇む団長は、時折そんなアヤさんに目をやっている。


「待たせたな」


 そしてとうとう、客間に魔王もやってきた。リーリが開けた扉から入ってくる彼は、あろうことか巨体のままだった。要するに、牧村を客人として認めていないということだ。

 どかりと音が鳴りそうなほど乱暴な座り方をした魔王は、普段の品のある様子からは想像出来ないような横柄な態度で牧村を見下す。ソファの肘置きを掴み、かなり深いところまで腰を沈めているそれは、見るからに魔王っぽい。

 ここで場に沈黙が流れた。誰一人として口を開かない。魔王は、じっと牧村を睨んで静止している。その意味をヒキニートの牧村ではやはり感じ取れないらしく、肘で脇をつついて耳打ちする。


「自己紹介。あと、ここにきた目的を言え」


「あ、ああ。なるほど」


 すると牧村は、とぼけたような声を出すと足元に置いていたリュックを抱え上げて、中を探り出した。リーリがピクリと反応してハルバードに力をこめる。武器の類をだすのかと思ったのだろう。しかし、数秒ののちに牧村が取り出したのは、


「スマフォ?」


「いかにも。我が輩はリュカ殿に頼まれていた物を届けにきた次第でござる。名は牧村薫。お気軽に天空王の一番槍と呼んでほしい」


「名前より長いんだよ」


 んなめんどくさい名前でいちいち呼べるか。しかし、オレがいつものようにツッコンでいる間にも事態は刻々と揺れ動いていく。魔王も、リーリも団長も、アヤさんもパトリシアも、皆が牧村の手の中のスマフォをいぶかしげに凝視していた。黄色いショートカットのボーカロイドのケースに包まれるスマフォは、この世界の者にとっては未知の機器だ。誰かが説明しないことには理解は得られないだろう。そして、それが出来るのはオレしかいない。牧村に任せるときっといらん方向に脱線する。


「えっと、これは遠くの人とコミュニケーションを取るための道具だ。話をしたり、伝言を送りあったり出来る。オレ達がいた世界の人間は、ほぼ全員これを持ってる」


 正直、現代社会におけるスマフォの価値はもっと高い。仕事の必需品にしている人間も多いし、趣味や便利グッズとしての汎用性も高い。だが、そんなことを今ここでこんこんと説明したところで仕方がない。とりあえずの概要がわかればそれで良い。


「ふむ。で、何故私の娘がそれを欲しがったのだ?」


 魔王も興味を示したようだ。身を乗り出してスマフォを見つめている。そこに、


「簡単でござる」


「うわっ!?」


 かしゃりと牧村がフラッシュをたいた。その一瞬の光に、オレと牧村以外が驚いて目を隠す。しかし、


「……なに? 団長ちゃん」


「この者は勇者だ。ここで殺されては困る」


 そこで生じた一瞬の動揺の中でも、動きを見せた者がいた。

 低い姿勢から空間を切り裂くように薙ぎ払われたアヤさんの翼は、あと数センチで牧村の首筋へと届く距離まで迫っていた。そして、それを止めているのが団長の右手で逆手に構えられた長剣だ。シャンデリアの光を反射する切っ先が、アヤさんの胸元に向けられている。


「アヤ。やめよ。私はまだ闘うつもりはない。話の途中で割って入るな」


「けど魔王ちゃん。団長ちゃんはネタで済むけど、勇者を無傷で返したりなんかしたら、他の魔王からナメられるよ?」


「その程度でナメられる程、私は弱き王ではない」


 魔王の言葉にアヤさんは不満そうに牧村から目を離すと、大人しく元の位置に戻った。彼女の一連の動きで、白い羽根が絨毯にいくつか落ちていた。

 オレにも決して反応出来ない速度ではなかったが、まさかここまでの強硬対応をあのアヤさんが取るとは思っていなかったので、わずかに反応が遅れた。長い間一緒に生活していて忘れてしまっていたが、ここは魔界で、彼女達は魔族なのだ。


「ふむ。もしかして我が輩歓迎されてない?」


 今頃になって気づいた牧村は苦笑いだ。しかしそれでも、リュカへのプレゼントだと言うスマフォの説明を再開する。


「ま、まあ。これを見てほしいでござる。ここ。ほら」


「む?」


 身を乗り出す魔王に、そっとスマフォを手渡す。その画面には、驚いたような表情で半目になっている魔王が写し出されていた。これが先程のフラッシュの理由だ。


「これは写真と言って、風景を切り取り保存出来るものでござる。超高性能で手軽な絵画ってところでござるな。そして、これならいつでも持ち歩けるし、さらにほら」


 魔王から返してもらったスマフォで、再び、今度は何度もフラッシュをたいて周りの女性陣の写真を撮る。彼女達にも見えるようにしながら、それらをスライドしてみせた。


「これは……」


「どう言う仕組みだ?」


「ふむ……」


 現代社会の最先端技術が結集された機械に、全員が目を白黒させている。


「つまりリュカ殿はこうやって誰かの写真を撮って、いつも身につけていたいと思ったらしいのでござるよ。それが誰かは、まあご想像にお任せするが……」


 何故か全員の視線がオレに集まった。リュカのことだし、みんなの集合写真とかかな。


「本当にリュカへの届け物だけが用事なのか?」


 魔王が念押しするように尋ねる。


「そうでござる。我が輩は戦いとか怖いし興味ないでござる。そもそも、一度だって魔族を殺したこともない。それはこれまでも、これからも」


 それは牧村が常日頃から繰り返して言っていることだった。彼女は異世界転移にすら関心を持っていない。それが自分の身に起きたというのに、転移によって得た圧倒的な力を誇示するでもなく、誰かのために行使するでもなく、ただ日本にいた頃と変わらない引きこもり生活を二年にも渡り続けていた。欲がないとか夢がないとか依然の話だ。


「我が輩は、友達の頼みを聞いただけ。それに、何故我が輩が勇者と呼ばれているかご存知か?」


 牧村の言で気づかされた。確かに、そういえばオレはその辺のことはよく知らない。力や魔力こそ勇者に相応しいが、こいつがそれを最初に発揮したのは王都に黒魔女マミンの巨大ゴーレムが襲来した時だ。だがそれは、牧村がレギオンにやってきてしばらく後の事件である。そして、牧村の問いかけに魔王が答える。


「女神ユニコを祀る大神殿の勇者の間に現れたからと聞いたぞ」


「その通り。要するに、勇者だから現れたのではない。そこに現れたから勇者になったのでござる。完全に後付設定。我が輩は勇者の自覚も自負も、責任すら感じていない。心はニート、身体は美少女。その名は牧村薫でござる」


 なるほど。そう言う理由だったのか。しかし、こいつは、オレが思っていたよりずっとずっと使命感が無かったようだ。ここまでの責任放棄が堂々と出来るのは逆に凄いな。人間性を疑われても文句が言えないレベルだ。こう言うところにも引きこもりニートの片鱗が見えるんだよなぁ。こいつはもう少し性格から改善していかないとダメだな。

 そんな風に変なポイントで呆れと感心を織り交ぜた気持ちでいると、突然ふわりと牧村が持っていたスマフォが空中に浮かび上がった。それはくるくると回転しながらアヤさんの羽に吸い寄せられていく。


「ふーん。まあわかったわ。けど、そっちに理由がなくともこっちにはあるんよ。勇者なんかおるだけで魔界からしたら迷惑。ここで潰すんが話が早くて助かるんよ」


「さっきから聞いていたでござるが、それ何弁? 関西弁ではないようだが……。まあ萌えるから良いけど。綺麗なお姉さんの方言って興奮するでござる」


「その意見には大いに賛成だが空気を読め。赤ん坊かお前は」


 牧村は本当にマイペースだ。ある意味アヤさんと似ている。


「ここで勇者殿と闘う、というのであれば、私も参戦しなくてはならないな。しばらく一緒に暮らした仲だが、手加減は出来ぬぞ」


 そして、アヤさんがそんなことを言うものだから、団長がまた臨戦態勢に入ってしまった。研ぎ澄まされていく空気にリーリも反応する。


「ここには魔王ちゃん、うち、リーリちゃんにパティちゃん。まぁ、うちと魔王ちゃんだけで団長ちゃんと勇者ちゃんを相手できるよ?」


「確かに分が悪いが、人間対魔族の戦いはそれが当たり前だ」


 団長の言う通りだが、そこまで圧倒的な戦力差はないだろう。アヤさんがどれほどの実力者かはいまいち計り知れないが、彼女の時折見せる魔力や戦闘技能はかなり高い。団長と牧村に対して、魔王とアヤさんで拮抗した状態で勝負が出来るのなら、つまり、ここで勝負を決めるのは、


「では、婿殿はどう動くかな?」


 オレの裁量だ。

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