朱に交われば
「優しく、して下さいませ……」
オレの耳たぶをくすぐるように囁かれた言葉に、視界が一気に狭まった。見えるのは、ぎゅっとスカートの裾を握りしめたパトリシアの左手と、オレの左手を掴む彼女の右手。そして、白いエプロンの下にある、ひらひらとレースをあしらわれた黒いスカートと、柔らかそうな太ももだけ。もう、何も考えられない。オレの左手が、スカートに吸い寄せられるようにゆっくりと近づいていく。
「じゃ、じゃあ、めくるぞ」
パトリシアは何も答えなかったが、羞恥に目をつむってこくりと頷いた。
「本当に、良いんだな?」
しつこく念押しする。パトリシアは、もう頷くことも出来ないようだが、それでも、目尻の端にはきらきらと輝く雫があったが、その碧眼はオッケーの色をしていた。オレは、スカートに手をかけ……そして……
「良いわけないでしょう!!」
めいいっぱい助走をつけた渾身のリュカパンチを、顔面にくらった。
「ぐはっ!?」
その威力にベッドに仰向けに倒れこむ。
「何を! してるんですか! あなたは!」
一回、二回、三回。全て鳩尾にクリーンヒットし、何度も呼吸が止まってむせ返り、唾液を飛ばした。視界の隅ではパトリシアが口を抑えて目を丸くしている。
「ちょっと目を離した隙にこれです! もう!」
「ぐぇっ! も、もうやめてくれ!」
「やめません! もう少し懲らしめてあげます! これはクリリンの分!」
「クリリンの分! とか! 言うな!」
オレはクリリンに何もしていない。止まることなく何度も何度も繰り出されるリュカパンチは、鳩尾、喉仏、顎と、正中線にそった人体急所に的確に落とされていく。いや、死んじゃうから! それ普通に超危険なやつだから! 格闘家みたいに的確に急所を突いてこないで!
「りゅ、リュカお嬢様! それ以上すると、エドガー様が故人になってしまわれます!」
見かねたパトリシアが止めに入り、なんとかリュカのお仕置きが一時中断された。オレはほとんど息も出来ない状況なので、しばらくゴロゴロとベッドの上をのたうち回り、やっと正常な状態に戻るのに五分以上もの時間を有した。
「ち、違うんだリュカ……。これには深い理由があって……」
「メイドのスカートをめくる理由などこの世のどこにもありません!」
いや、あるんだよ確かに。この世界には、メイドのスカートをめくらねばならない状況と言うのが、確かに存在し、それが今の今だったのだ。あれは、オレがどうとか、パトリシアがどうとかではなく、そう言う状態に二人が追い込まれたから仕方なくそうしていただけなんだ。そんな事を目と言葉と身振り手振りを使って必死に説明するが、リュカの視線は依然として厳しいままだ。くるくると回った角が、ビン! と逆立って見える。
「もう! 本当にすぐにぇっちなことばかり! しかもどうしてその相手がいつもいつもパティちゃんなんですか!? パティちゃんは男の子ですよ!?」
「落ち着けリュカ! パティは男の子じゃない! パティという性別なんだ!」
「あなたが落ち着いて下さい!」
リュカと言い合いをするのは随分久しぶりなので、心の隅で少し懐かしい気持ちになっていた。だが、今はパトリシアの性別と、スカートの中こそ重要事項だ。
「待ってくれリュカ! パティはもの凄い覚悟をしてオレにスカートをめくってくれと言ったんだ! その心意気を無下にするのは良くないんじゃないか!?」
「もっともらしい言い訳をしない!」
こんなにも必死に説得しているのに、リュカは聞く耳を持ってくれない。どうしてなんだ。何故分かってくれないんだ。これは、オレとパトリシアがさらに仲良くなるための通過儀礼なんだよ!
こんこんと説明を続けるが、続ければ続けるほど、リュカの態度は硬化し、取りつく島も無くなってくる。パトリシアは口をはさめないので、オレとリュカの中間地点でおろおろしているだけだ。
「だいたい! どうしてそこまでしてスカートをめくりたいんですか!?」
「パティが可愛いからだ!」
「そ、その言葉は私だけに向けられたものではなかったのですか!? 誰にでも言うなんて、エドガーさまの浮気者!」
「う、浮気じゃないもん!」
そしてとうとう浮気問題にまで発展してしまった。ここまで沸騰してしまったリュカが面倒くさいのはよく分かっている。ここからは本腰を入れて舌戦に挑む必要がある。
「なら話戻すけどさ! やっぱりパティの気持ちをないがしろにするのはどうかと思う! リュカだって分かるだろ!? 自らスカートの中を差し出す勇気がどれほどのものかをさ! しかもパティは今、下着つけてないんだぞ!」
「そ、そんなの、私だって出来るもん!」
「口だけならどうとでも言えるからな!」
「っ! なら見てて下さい!」
すると顔を真っ赤に染め上げたリュカは、自身のスカートの中に両手を入れると、腰を少しだけかがめた。そこで一瞬躊躇するような雰囲気を見せたが、一度目をつむって深呼吸をした後、ゆっくりと手を下に下ろし始めた。その手には、彼女が今確かに穿いていた下着が握られている。白いレースの中央に、可愛らしいピンク色のリボンがワンポイントになっているものだ。それは太もも、膝、脛、足首をつたって、とうとう完全に抜き取られた。
リュカはその下着を隠すようにポケットにしまうと、どうだとばかりに胸を張ろうとしたが、ふわりとスカートが舞うのを恐れて両手で抑えた。だが、その目は明らかに勝ち誇っている。
「ど、どんなものですか」
「……まさか本当に脱ぐとは」
「リュカお嬢様……」
売り言葉に買い言葉で引っ込みがつかなくなったのだろうが、それでも実行するとは思っていなかった。リュカもかなりの負けず嫌いだ。こんな形で発揮させてしまったのがむしろ申し訳ないとさえ思う。
「さ、さあこれで……」
その時、
「おいパトリシア。魔王様のお部屋の掃除が終わってないようだが……。ん? 三人で何をしているんだ?」
何か言おうとしたリュカの言葉を遮るように、リーリが部屋に入ってきた。きちんと時間通りに仕事を終わらせるパトリシアが、いつまで経ってもその様子を見せないので、不審に思って探していたのだろう。これはありえないほど絶妙なタイミングだ。オレもリュカもパトリシアも、びくりと飛び上がって、リーリから目をそらした。三人ともとにかく顔が赤い。林檎みたいだ。
「なにやら皆顔が赤いが……?」
ぱっと見で分かるくらいの変調に、リーリも心配そうに近づいてくる。それに合わせて、三人が一歩足を引く。その様子はますます怪しいと捉えられた。リーリの眉が上がる。
「何か隠し事か? 私に話せないようなことなのか?」
少しだけ寂しそうに、リーリは詰問する。いや、別に仲間はずれにしたとか言うわけではない。むしろ、こっちのちょっとした変態サイドにリーリを巻き込まないようにするためだ。
「……私も混ざりたい」
何かリーリが小声で言ったが、オレには聞き取れなかった。これは何か説得力のある嘘をついてリーリをこの場から遠ざける必要がある。オレ達三人の中に、連帯感が走るが、
「今、リュカとパティは下着をつけていないぞ」
思わぬところから声が聞こえてきた。それは、オレの部屋に昼の日差しを届けるための大きな窓。その向こうから発せられた言葉だ。薄いレースのカーテンには、人影が見える。
「……誰だ? あと、何を言ってるのかわからなかった。もう一回教えてくれ」
「良いだろう」
窓を開けて身軽に飛び越えてきたのは団長だった。この人は生まれは田舎の農村らしく、リーリが趣味と実益をかねて屋敷の庭で栽培している野菜の手入れをしていた。ちょうどそれが終わったところらしく、服の袖をまくりあげた姿だ。部屋の中に靴底についた肥料を落とさないように、一度靴を脱いだ後、外で叩いてまた靴を履くと言う丁寧さだ。
「外にいたらこの部屋からなにやら楽しげな声が聞こえてきてな。なんとなく耳を澄ましていたのだ。要約しよう。今、パティはもちろん、リュカも下着をつけていない」
「……もう一度言ってくれ」
団長が静かに告げたあまりにも異常な状況をリーリは受け入れがたいらしく、まさかの三度目の聞き直しをした。第三者にこうして現状を知られることで、より客観的に自身の行いを振り返ることが出来たのだろう。リュカとパトリシアは羞恥に耐えきれず顔を手で覆い隠している。
「では、見せてやろう」
「ぐえっ!?」
その時突然、団長がオレの目をついてきた。軽く握った拳の中指と人差し指の第二関節で目と目の間に打撃を入れてきたのだ。これをされると人間は一瞬視界を奪われる。そのすきに、
「きゃあっ!?」
団長は、リュカのスカートを跳ね上げだ。スカートを抑えるが、もう遅い。秘所が大気にさらされる。オレも是非とも確認したかったのだが、団長の攻撃で見ることは叶わなかった。しかし、リーリはしっかりと確認した。後ろに倒れそうになるのを何とか堪えなくてはならないほどの衝撃を受けたらしく、片足を踏ん張るようにして支える。その後少しの間目をつむった後、重々しい口調でこう言った。
「……全員、そこに座れ」
「まさかとは思うが、私もか?」
「当然だ」
全員怒られる自覚はあるので、文句を言うこともなく正座する。そんなオレ達の前に、リーリは腕を組んででんと仁王立ちする。
「まずは貴様だ。初めて会った時から変態だとは思っていたが、最近はあまりにも度が過ぎているぞ。自重しろ。ここにはほとんど女しかいないのだぞ」
「はい。すみません」
「そしてリュカとパトリシアだ。朱に交われば赤くなるとは言うが、我々魔族は理性ある生物だ。そこのところをわきまえろ」
『おっしゃる通りです』
確かに、リュカやパトリシアも最近ちょっと行動がおかしかった。妙に積極的な時が多い。あと、自重しろと言われてすぐで申し訳ないのだが、今のオレの態勢だと、ふりふりのメイド服を着ているリーリのスカートの中が見えそうでちょっとドキドキする。
「そして一番は貴様だ」
「私か?」
「そうだ。貴様とアヤさんが来てからと言うもの、リュカやパトリシアの様子が一段とおかしくなった。自分が影響を与えていると言う自覚はあるか?」
「私は私の生きやすいようにしているだけだぞ?」
リーリのお説教は最後に団長へと向けられた。しかし、無自覚で変態性を発揮している彼女に自覚しろとか自重しろとか言ってもどうしようもないと思う。むしろ、最近は全裸で屋敷をうろつくことが随分減った。それだけでも十分喜ばしいことだ。リーリもそれが分かっているのだろう。そこまで強く団長にお説教することはないが、それでもこの屋敷の風紀を乱している原因の一人には目を光らせておきたいのだ。
「とにかくだ。理性ある生活を心がけること。それが出来ないようなら一日二日屋敷の外で反省してもらうからな」
『はぁい』
流石は生粋の苦労人リーリだ。日々皆の心が乱れていくのを監視し、注意し、たしなめることを当たり前のように請け負った。団長やアヤさんが屋敷にいる現在、それは途轍もなく疲れるはずだ。流石に可哀想なので、オレも彼女の負担が減るようこれからは心がけよう。さしあたってはパトリシアへの行為の見直しかな。可愛く嫌がる彼女が見えなくなるのは寂しいが、また別の方法で接していこう。そんな風に思った。
でもさぁ。やっぱりパトリシアが可愛すぎるのが一番いけないと思うんだよなぁ。




