元カノ
姿見の鏡の前で恥ずかしげに立つ絶世の美少女は、他の誰でもない。オレである。
白いワンピース型のフリフリの服に、同色のニーソックスがガーターベルトで吊られている。服は清楚を絵に描いたような雰囲気だが、団長が選んだ下着はあえて赤と黒だった。清楚系女子は実は……。と言うどこから仕入れてきたのかわからない趣味の結果だった。
少しカールする黒髪はあえてそのままにして、白いカチューシャが添えられている。白、白、白で揃えられたコーディネートだ。
「うわー! びっくりやわぁ。本当にリューシちゃん!?」
「これは……男に見つかったら即襲われるぞ」
全くもって嬉しくない。当たり前だがスカートなど初めて履いたので、下半身が不安だ。その事が今のオレの異常極まりない現実をより鮮明に感じさせて、自然と顔が赤くなってしまう。それが二人に施された化粧を意図せず映させることになる。
「さぁて。ほな行こか。皆にお披露目や」
「うう……嫌だ。恥ずかしい……」
「自身を持てリューコ」
リューコと言うのはオレが二人から与えられた仮の呼び名だ。今日から二日間、オレはリューコちゃんとしてこの屋敷で滞在させられる。
コツコツとヒールが音を立てる。凄く歩きづらい。体重がかかとに集約されて痛いし、オシャレにはお金と体力と我慢が必要だと言うが、世の女性達はこれほどのことを毎日しているのか。彼女達の不断の努力に頭が下がる。
「おはようさん!」
「おはよう!」
アヤさんと団長は恐ろしく機嫌が良いので、挨拶も元気だ。食堂の扉を開けるなり大声で入っていった。オレはその背中に隠れるようにしてついていく。
「おはようございます。あれ、エドガー様はどうされました?」
今朝も魔王はいない。リュカは一人で朝食の並ぶテーブルに座っていた。彼女の背後にはパトリシアとリーリが控えている。オレ達が顔を出すのを待っていたのだ。
「いや、リューシちゃんにはちょっとおつかいを頼んでな。今ハーピーの集落に行っとんよ」
「ええ!? 大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫」
リュカがうーっとうなるような顔をした理由はわからないが、どうやらそれで納得してくれたみたいだ。そして、その朱と蒼の瞳が大人二人の背後に隠れるオレへと向けられた。
「あれ、その女性は?」
「ふふ。この娘はなぁ、リューシちゃんの元カノなんよ!」
わあ嬉しそう。ワクワクが止まらないといった表情だ。
それとは反対に、リュカがピシリと固まった。石になったかのような姿のまま、物言うことすらない。
「そ、それは……」
リュカの背後の二人も、明かされた事実に驚愕を禁じ得ない。震える四つの瞳がオレを捕捉する。
「ほら。前に出て自己紹介するんだ」
団長がオレの肩を掴んで前に出す。リーリとパトリシアの視線から逃れる場所がなくなった。もうどうにでもなれと言う気分で泣くように叫んだ。
「わ、私リューコって言います! 江戸川君の元カノです!」
自分の身体を抱きしめるようにして発したオレの言葉は、食堂を反射して、三人の耳に届く。アヤさんと団長は満足げにうんうんと頷いていた。
静まり返る。時が止まったかのような空間で、トーストが上げる湯気だけがゆらゆらと動いていた。このどうしようもない静寂を、最初に破ったのはリーリだった。
「そ、それは本当なのか? あいつは元々別の世界の住人だろう?」
「せや。やから、この娘はリューシちゃんを追いかけてきたんよ」
突然のオレの自己紹介を受けて、彼女達の頭は回っていなかったのだろう。そんな簡単に異世界転移が出来るのか、という大きな疑問に気づくことなく話が進行していく。
「そんな……。だが、あいつは一言
もそんな事を言ってなかったぞ」
「隠していたのだろう。ダーリンは恥ずかしがり屋さんだからな」
スカートを抑えてもじもじするオレの肩を団長は優しく叩いた。
「そんな……。エドガー様に捧げるつもりだった私の純潔は……」
すると、パトリシアが力が抜けたように膝をついた。メイド服のエプロンをぎゅっと握っている。
ここでふと思った。オレに元カノがいたと言う事はそんなに衝撃的な事なのか? オレだってもうすぐ成人するような年齢だ。彼女の一人や二人いたって別におかしくないだろう。それとも、そんなにもオレはモテないと思われていたのか。事実モテなかったが、それは龍王の右腕のせいだ。きっとそうだと思っている。
「とは言えや。この娘は客人やから、もてなしてやってや」
アヤさんがオレを手近な席に座らせる。団長がわざわざ椅子を引いてくれた。オレは膝を締めて女子の座り方をしてしまう。目の前には、まだ停止したままのリュカがいた。
「あの……?」
何と声をかけたものか。リーリもパトリシアも、どこか気の抜けた表情だし、食堂の空気はおかしい。するとここで、朝の時間を告げる振り子時計の音が鳴った。
「はっ!? いや、今エドガーさまの元カノさんが押し掛けてくる夢を見ておりました……」
「現実やで」
アヤさんが一言で片付ける。リュカの目は、再びオレに向けられた。どこか戸惑うような、遠慮するような色の瞳をしている。しかし、はっと何かを思いついたような表情になると、引きつった笑顔で自己紹介を始めた。
「私、エドガーさまの、さまの……。私、リュカと申します」
「は、はい」
知ってる。
「ここへは、どのような用件でおこしになったのですか?」
「えっと……」
おこしになったと言うか、ずっと住んでるんだけどな。どう答えるのがベストか分からなくて背後の二人に助け船を求めると、アヤさんがにやりと笑った。
「リューコちゃんは、リューシちゃんのことがどーしても忘れられんで、追いかけてきてしもたらしいんよ」
助けを求める人を間違えた。話をこじらせるような方向へ全力で舵を切っていく。
「へ、へぇ。それはそれは。遠路はるばるご苦労様でした」
テーブルの上で重ねられたリュカの手は、ぷるぷると震えていた。今すぐ暴れ出しそうになるのを必死で抑えてるかのようだ。そんなリュカの状態を敏感に察したリーリが、カップにシナモンティーを注ぐ。柔らかな香りにはリラックス効果が含まれているのは周知の事実だ。流石はリーリ。リュカの性格を理解した上での的確な執事としての行動。すでにオレの自己紹介から受けた衝撃は消化してしまったようだ。リュカもリーリの意を察したようで、深呼吸しながらシナモンティーを飲む。
「あ、あの!」
その時、膝をついていたパトリシアが、その姿勢のまま声を上げた。胸に手を当て、碧眼は苦しそうに揺れている。
「その、エドガー様とは、どれくらいお付き合いされていたのですか?」
オレがオレとお付き合いしていると言う話なら、それは十九年だ。だがそう言う話ではないことくらいわかる。これも正答が分からないが、もうアヤさんには頼りたくないので団長の方を見ると、
「ん?」
団長は、普通に朝食を食べていた。手元には魔界新聞が広げられており、注意もそちらに向いている。もうオレのことがどうでも良くなったらしい。流石は団長。自由奔放、気随気儘だ。自分で考えるしかないようだ。
「えっと……一年? くらいです」
オレの答えに、リュカとパトリシアが顔をさっと青くした。ミスったかな? どのくらいの期間がお付き合いとして正しい、もしくは平均的な時間かは分からないので、完全に当てずっぽうな答えだったのだか、二人の表情を見ると失敗の雰囲気がする。すると、
「まあ、とりあえず朝食を食べたらどうだ。せっかくのトーストが冷めてしまう。リューコ殿も遠慮せず食べて欲しい」
リーリが手を叩いて場を引き取った。未だに立ち上がれないパトリシアの手を取って、抱え起こす。そのままパトリシアはリュカの後ろに侍らせ、リーリはオレの背後で紅茶
準備をする。
「レモンティー、ハーブティー、ミルクティー、シナモンティーからお選びいただけます」
「じゃ、じゃあシナモンティーでお願いします」
オレもリラックスしたい。アヤさんも一息つけたのを確認すると、オレを団長と挟む形で座った。
「リーリちゃん、うちハーブティーお願い」
「分かった。トーストは自分で食べられるか?」
「大丈夫やよ」
アヤさんは両手が羽なので、細かい作業にはお手伝いが必要だ。
トーストを温かいうちに食べる。口がいつもと違うので、ちょっとずつしか食べれなくてもどかしい。オレの心の奥底に眠る女子の部分が、大口を開けて食べることを拒んでいる。
「それで、今はエドガーさまは所用でいらっしゃいませんが、これからどうなさるおつもりですか?」
リュカがまた話しかけてきた。少しは動揺も収まってきたようで、普通にオレのことを心配してくれているようだ。だが、パトリシアはまだぼうっとしていて、仕事が手についていない。
「えっと、ここで待っても良いとアヤさんに言われてたので、待たせてもらいたいです」
そして、オレの演技も板についてきた。口から出まかせの嘘すら出てくる。張り詰めていた食堂の空気が、少しだが和らいできた。それに安心していると、
「それで、あいつが帰ってきたらどうするつもりなのだ?」
リーリが槍の一撃のような鋭さで突いてきた。一瞬ゆるんだオレは、その攻撃に上手く対応できない。
「ん? ああ、どうしよっかな」
そんな、いつもしているような口調で返してしまった。はっとなって口をつむぐが、もう遅い。吐いた言葉は絶対に帰ってこない。リーリ以外の全員が、ぽかんとしてオレの口元を見つめていた。
「そうか。まあ、決まっていないなら今の内に決めておくことだな」
リーリは、笑っていた。その事実に心臓が冷たくなっていく。こいつ、オレを含む全員が緩む一瞬を突いてきた。それだけではない。その空気を作りだしたのは、こいつ自身だ。つまり、全てこいつの計算づくだったと言うこと。オレの素を一目で見抜き、それを表面におびき出した。仕掛け人のアヤさんと団長ですら言葉を失っている。
「お代わりはいかが?」
空になったカップを口につけているオレに、柔らかな笑顔を向けて来やがった。




