奴もくる
カン、カンと、得物を打ち合う音が響く。
「せい! やぁ!」
「踏み込みが甘い。武器は手ではなく腰で振れ」
日差し暖かな中庭で、団長とリーリは剣の稽古をしていた。朝食を食べ終えてかれこれ一時間。二人ともまだまだ元気だ。
互いに木剣で打ち合っているのだが、リーリはまだ一度も団長に攻撃を当てれていない。まるで子供をあしらっているような雰囲気で技をかわされ、木剣を落とされる。
「くそ! くそ!」
「ほら、また呼吸が乱れている。それでは攻撃を読まれるぞ」
そして、リーリの突きをかわした団長が、その首に木剣の切っ先を突きつけた。完全に一本。実戦なら首が串刺しにされている。
「う……はぁ」
「ま、こんなものかな」
リーリが仰向けにどさりと倒れた。下はふかふかの芝生なので、頭や腰を打つこともない。
「筋は良い。だがまだまだ鍛錬不足だな」
「うるさい。ここまで屈辱的な敗北は初めてだ」
団長は圧倒的だった。噴水の端に座って最初からずっと見学していたのだが、剣さばきは流麗、身体は水のように捉えどころがなく、技を見切る目は鷹のように鋭い。流石は人間界最強の騎士だ。
「お二人とも、もう鍛錬は終えられましたか? パティちゃんがお風呂を準備してくれていますよ」
二人にタオルを差し出すリュカが、風呂の方向を手で示す。彼女もオレの隣でずっと観戦していた。
「私は良い。顔だけ洗わせてもらおう」
要するに、ほとんど汗をかいていないと言うことだ。リーリが心底悔しそうに歯噛みする。寝た態勢のまま木剣をオレに投げつけると、つかつかと風呂の方へ歩いていった。
「荒れてんなぁ」
「ま、憎っくき騎士に負けたんだ。私も魔族に負ければああ言う気持ちになる」
「負けたことあるのか?」
「……そう言えば、無いな」
スゲェな。常勝無敗かよ。そう口に出すと、
「いや、常勝ではない。一度ある魔族と引き分けたことがある。グレンハルトと言う男だ」
「剣聖グレンハルト様ですか!? 魔界七剣の頂点のお方ですよ!?」
リュカが叫ぶ。なんか良く分からない単語と魔族が出てきたが、あまり興味ないのでスルーする。噴水の水で顔を洗った団長は、手元のタオルで拭った。
「まあ、私も騎士だからな。そう易々とは魔族に負けられないさ。こう言うと君たちは嫌かもしれないがな」
団長がなんかカッコいいこと言ってる。いつもこうなら良いんだけどなぁ。この人変態六、カッコいい四くらいの割合だから困るんだよ。変態の方が多いってどう言うことだ。
「そうだ。リュカは闘うのは苦手か?」
この娘が武器を取っているのは見たことがない。まあこの細腕では到底無理だろうが、闘ってる姿もきっと絵になると思った。
「いえ、私は……。まだ上手に魔力調整が出来ないので」
「そうなのか」
と言うことは、決して闘えないと言う訳ではないのだろう。魔王の娘だしな。いわゆるサラブレッドだ。
「なら今度私が手解きしてやろうか?」
「手を卑猥に動かしながら言わないで下さい」
リュカが冷たく拒否した。
よし。団長とリーリの鍛錬も終わったことだし、また読書に精を出そうかな。中庭の休憩所で本を開く。新緑の葉で作られた栞は、本の中程に挟まれている。
「エドガーさまは最近熱心に読書をされていますね。何を読まれていらっしゃるのですか?」
団長は服を着替えてくると屋敷に戻ったが、リュカはオレの後ろをとことこついてきていた。彼女に本の表紙を見せる。
「ゼロから始める魔法の書……。エドガーさまは魔法を?」
「ああ、使えたらカッコいいかと思って。便利そうだし」
日本にいたころも異能力があり、個人が特別な力を使えたが、魔法にはそれとは違う憧れみたいなものがあった。
「では、私もお隣にいても良いですか? 読書の邪魔はしませんので」
「良いけど、退屈じゃないか?」
リュカは笑って首を振った。
「いいえ。リュカは幸せでございます」
「そうか」
オレも笑顔になって、目をページに落とした。風のない今日は、外で読書するのに適している。静かにただひたすらに文字を追いかけ、時折ページをめくる音だけの世界。オレとリュカの呼吸も、いつしか同じタイミングとなり混ざり合った。
ゆっくりと時が流れていく。休憩所の周りには、幾千の花々が優しく微笑んでいるかと思える今を、二人で過ごした。リュカは嬉しそうな心を隠すことなく、オレの横顔を見つめている。オレの目は文字へと向けられていたが、彼女の視線は心臓で受け止めていた。
ページをめくる。ページをめくる。そしていつしか。
「ん……」
「っ!」
リュカの頬が、オレの肩に預けられた。彼女のくせっ毛が頬に当たってむず痒い。それを言ってしまうと怒られるのは分かっているので、口には出さない。目を瞑ったリュカは、少し伸びてきた髪が顔にかかるのを嫌い、自身の耳にかけた。
リュカの頬が熱くなっているのが分かる。彼女の体温がそばにあると思うだけで、オレの心臓が脈打った。
「リュカ」
「はい」
「どこか行きたいところはないか?」
「どこへでも。エドガーさまとなら、地獄の門前すら美しく思えてしまいます」
答えて欲しいことは返ってこなかったが、それをはるかに上回る言葉が告げられた。
「じゃあ、オレが転移魔法を使えるようになったら、一緒についてきてくれるか?」
「もちろんです。どこへでも、どこまでもお供しますから」
そんな事を言われてしまえば、魔法の勉強にも気合が入ると言うものだ。きっと、リュカを景色が綺麗な場所に連れて行ってあげよう。また、視線は本に向かう。
それからしばらく二人でそうしていると、もう本のページが残り少なくなってきた。と言うか、読み終わってしまった。あと残っているのは図解とあとがきだけだ。
「読み終わったよ」
「もう少しゆっくりでも良かったのに」
「そうかもな」
リュカの肩に手を回すようにして、彼女の頭を撫でた。可愛いらしい角がこつこつと手に当たる。リュカは気持ち良さそうに目を瞑っていた。すると、何と無くいじめてしまいたい気分になってきて、少し乱暴に耳を触った。
「きゃ!?」
「びっくりしたか?」
「も、もうエドガーさま! 意地悪です!」
飛び上がったリュカが、オレの胸をポカポカ叩いた。全然痛くない。
「意地悪する人には、こうです!」
リュカが、オレの胸に抱きついてきた。何故それが意地悪のお返しになるのかは分からないが、きっとそんなものなのだと割り切る。
手に持っていた本を、テーブルに置いた。左手でリュカの身体を抱きしめる振りをして、油断したところを……
「え? あっ! はは! ははは! もう、エドガーさまったら!」
脇をくすぐった。細いが程よく柔らかいリュカの身体がくねる。
「わ、私だって負けませんよ! それっ!」
「あ! やめ! ズルいぞ!」
「懲らしめてあげます!」
二人して互いの脇腹を攻める。くすくす笑いながら、攻防が続いた。すると、リュカが体勢を崩して後ろ向きに倒れそうになった。それを、手を伸ばして肩を支えた。
「おっと」
「あ……」
リュカの顔がすぐそこにあった。後ろに大きく反った彼女は、いま全体重をオレの左手に預けていて、身動きが取れない。一瞬の膠着。そして、この娘は、挑発的に笑みを作った。
「さぁ、意気地なしさんはどうしますか?」
オレの首の後ろを、リュカの両手が包んだ。口元の小さなほくろが、オレの視界一杯に広がるような感覚。
「どうしようかな」
「どうとでも?」
ニヤリと笑ったオレを、リュカがつーんと見つめ返す。オレは、彼女の身体をしっかり支えると、そのまま抱き起こした。机に向き直る。
「遊びは終わり。まだ昼間」
「はぁ……。エドガーさまの意気地なしは、いつになれば治るのでしょうか」
澄ましたオレの言葉を、リュカがつまらなそうに追いかけた。二人で横目で見合って、また笑いだす。
その時、
「見た見た? パティちゃん、あれであの二人、まだ婚約者じゃないんやで? 有り得へんやろ?」
「うわぁ……。リュカお嬢様。とっても積極的です……」
背後から声がした。リュカと二人でびくりと跳ね上がる。そこには、ニマニマと楽しそうに笑うアヤさんと、口元を手で覆い隠して頬を染めるパトリシアが立っていた。
「あ、アヤさん!?」
「いつからそこに!?」
「いいえ、リュカは幸せでございます、からやな」
「最初からじゃねぇか!!」
昔あった出来事をなぞるような事態に、顔が赤くなっていく。じゃあ、この二人はオレが本を読んでいる間からずっとそこにいたのか。
「う、う、う、うわぁ!!」
恥ずかしさに耐えきれず、リュカが走りだしてしまった。当然こける。ビタン! と、受け身をとることすら出来ずに顔から芝生に突っ込んだ。
「あれぇリュカちゃん。逃げるんは意気地ないんとちゃう?」
「いやぁ!」
その後も歩き方を忘れてしまっかのような足取りでリュカは屋敷に駆けていった。しばらくすると、リュカの部屋の扉が強く閉められた音が聞こえてきた。
「リューシちゃんもやで。あんな時はガバッといってバシッと決めんとあかんよ」
「うるさい! こっち見んな!」
本を投げつけるが、ヒョイと受け止められた。
「まぁ、まだ昼間って言うたことは評価しといてあげよか。今晩襲うんやろ? 精力増強しとこか?」
「襲わねぇよ!」
「え、でもそれやったらムラムラせん?」
……多分、する。
「それでしたらエドガー様。私が夜伽を……きゃっ」
パトリシアが顔を真っ赤にしながらも挙手する。逆の手はメイド服のエプロンを強く握っていた。
「なら良かったやん。パティちゃん男の子やけど可愛いし、イケるやろ?」
「知ってんのか! あと夜伽とか必要ないから!」
「イケるのは否定せんのやな?」
「し、しねぇよ!?」
またパトリシアが赤くなる。とうとう俯いてしまった。
「あ、ちなみに、何でうちがおるかと言うとやな。良い酒が手に入ったけん魔王ちゃんと飲もう思てな」
「聞いてないし、タイミング悪すぎ」
黒魔女マミンと言いアヤさんと言い、オレ達をからかうためだけに存在しているのか。確かに、アヤさんは大きな酒樽を羽の両手で抱えていた。それを大切そうに撫でる。
「あと、ちょっと実験のためにやな。リューシちゃんも付き合ってもらうで」
「拒否権は?」
「別に良えけど、そうなったらさっきの事リーリちゃんと魔王ちゃんにバラすよ?」
「協力しましょう」
二つ返事だった。そんな責任が持てないようならあんな事するなと言われてしまうのだろうが、やっぱりオレも男だからさ。時々変な気持ちにもなっちゃうんだよ。だってオレの周り美女と美少女しかいないんだもん。ここまで間違いを犯さずにきてるだけ、オレの理性は頑張っていると思う。
「さて、楽しくなるよ」
アヤさんは本当に楽しそうで、オレは今から怯えていた。




