奴がくる
「おはようございます。エドガー様! 今日もお天気ですよ」
「ん、ああ、おはようパティ」
朝の陽射しを遮るカーテンを開けてくれたのは、すでにメイド服姿のパトリシアだった。目を覚ましたらそこに美少女がいる。その感動を初めて教えられた。ニートのくせに牧村も良いことを言うな。
目をこすりながらベットのシーツから身体を起こすと、不満そうな顔が目の前にあった。
「おはようございます、エドガーさま」
「おは、よう。リュカ」
「まず私ではなくパティちゃんに気づくのですね」
可愛らしく方頬を膨らましたリュカが、ぷいと顔をそらした。まだ寝巻きのリュカは頭に毛糸の帽子を被ったままだ。その彼女に、後ろからパトリシアが抱きつく。
「お嬢様は、私がエドガー様を起こしにいくと知ってついてこられたのですよ」
「そ、それは! もう、パティちゃん!」
怒ったリュカがパトリシアのエプロンの裾を引っ張る。口をあわあわさせながらオレに目を向けてくる。
「そ、そうか。ありがとう、リュカ」
「い、いえ。では、朝食に行きましょう。今朝はリーリとパティちゃんが準備してくれていますよ」
この屋敷の料理は基本的にリュカが担当しているが、たまにはゆっくり朝寝をして欲しいとリーリが代わりに料理する時もある。オレもベットから下りて靴を履いた。三人で食堂に向かう。
食堂にまだ魔王は顔を見せていなかった。彼は朝食を食べたり食べなかったりする。朝が弱いらしく、昼過ぎまで起きてこない時があるからだ。リュカは毎朝毎食家族使用人そろって食事をしたいらしく、起きてこない魔王をよく怒る。だが、やはりどうしても起きてこれない時はあるようだ。まあ、それが三日に一度くらいの頻度なのだが。
「エドガー様、コーヒーとお紅茶、どちらになさいますか?」
「コーヒーで頼むよ」
リーリは紅茶を淹れるのが、パトリシアはコーヒーを淹れるのが上手い。同じ豆や茶葉を使っているはずなのに、味に違いが出るのは本当に不思議だ。
「リュカ、おはよう。今朝はトーストとコーンスープ。あとはサラダだ」
リーリが朝食をワゴンに載せて運んできてくれる。パトリシアと二人で協力してテーブルに並べてくれた。トーストは焼きたて、野菜は朝一番にリーリが屋敷の畑から収穫してきたものなので、鮮度抜群だ。これがまた美味いのだ。
「じゃあいただきましょうか。今朝はお父様もいませんし、お二人も一緒に食べましょう」
「わかった。ありがたくそうさせてもらおう」
「はい!」
リーリはリュカの隣に、パトリシアはオレの隣に座った。配置としては特に問題はないのだが、いかんせん……
「パティ、近くないか?」
「えへへ。エドガー様とお食事出来て嬉しいです!」
パトリシアが椅子を移動させてオレのすぐそばでトーストを手に持つ。肩と肩が触れ合い、彼の、いや、彼女の金髪がオレの顔のすぐ近くにある。お日様の香りがした。
「むぅ」
すると、リュカも一度席を立つと、食べていたトーストやサラダをわざわざ二回往復して移動させてオレの隣に座った。リュカの肩もオレに当たる距離だ。彼女の髪の毛からは石鹸の香りがする。良い香りに囲まれて、くらくらしそうだ。
「……ズルい」
そんなオレ達を羨ましそうに見ていたリーリが、小声で何か呟いた。だが特にアクションを起こすことなく食事を続けている。
「あの、二人とも。ちょっと近過ぎるよ。トーストが食べられない」
密着されて腕が動かせない状況だった。
「それではエドガー様、あーん」
「あ! エドガーさま、こちらもあーんです!」
パトリシアが小さくちぎったトーストをオレの口に運んでくる。すかさずリュカも反応し、コーンスープをすくったスプーンを向けてきた。
「いや、あの……」
「エドガー様……」
「エドガーさま?」
二人してきらきらと目を瞬かせて期待の表情だ。困った。これはどちらも蔑ろに出来ないが、どちらかを優先しなくてはならない。しかしその時、玄関のベルが鳴り響いた。
「お、オレが出てくる!」
「あ、エドガーさま!」
客人の出迎えはもちろん使用人の仕事だが、ここは利用させてもらう。どこの誰だか知らないが、ナイスだ客人よ。ベルがもう一度鳴らされる。
「はいはーい。ちょっと待ってて下さいね」
オレの窮地を救ってくれた客人だ。精一杯のお出迎えをしようと玄関の扉を開く。果たしてそこに立っていたのは。
朝の爽やかな風になびく綺麗なピンク色の長髪。立ち姿には女性の気品があるが、腰に差した長剣から漂わせるのは歴戦の剣士の雰囲気。相反するような二つの特徴だが、それが見事にマッチし彼女の魅力を存分に引き出していた。モデルのような美しい顔立ちは、燃える赤い瞳が印象的だ。
長々と説明してきたが、要するに、
「てへっ。来ちゃった」
「帰れ」
団長である。
トーストをコーンスープに浸しながら食べる団長。少しずつちぎる姿はお上品だ。
「いや、しかしここは遠いな。馬車を全力で走らせても六日もかかってしまった。もう少し王都の近くに引っ越せないものか?」
何であんたの都合で魔王の屋敷の場所を変えねばならんのだ。相変わらずめちゃくちゃなことを簡単に言ってくれる。あと、六日前ってことは、オレとリュカが転移魔法で屋敷に帰った直後に王都を発ったことになる。オレと団長のあの熱い約束は一体何だったのだ。
「で、何しに来たんだ?」
「冷たいじゃないか。せっかく休暇を利用して遊びに来たと言うのに」
「南の島のバカンス感覚で魔王の屋敷に来んな。あんた騎士団長だろ」
国王やアーノンに止められなかったのだろうか。いや、この人は止められたところで止まる人ではないのだけれど。
団長の紅茶が空になった。するとすかさずリーリがお代わりが必要かどうかを尋ね、注ぐ。もう完全に馴染んでしまっている。
「リーリさぁ、良いのか、この人。お前は嫌いだろ?」
「もちろん嫌いだ。だが貴様も嫌いだし、今更一人二人増えたところで別に。それに、この者はレギオンの国王の親書を届けにきている客人だ。この屋敷は客人をもてなさないなどと風評が立てば、魔王様の顔に泥を塗ることになる」
なるほど。そう言えば、こいつは自分の感情ではなく理詰めで動くタイプだった。だからこその苦労人なのだが、本人がそのスタンスを崩さない限り外野はどうしようもない。美徳と言えば美徳だしな。
「しかし、遊びに来たと言われましても、このお屋敷に楽しいものなのどありませんよ?」
リュカも困った顔だ。
「何を言う。ここにはダーリンがいるのだぞ。それだけで訪問する価値があるさ。通い妻みたいで興奮するしな」
「興奮すんな」
本当にこの人はどうしようもないな。分かっていたつもりだったのだが、いつもいつもオレの考えの外側を突いてくる。変態の行動原理は深海と同じくらい謎だ。
「それにさ。戦争が迫ってるんだろ。呑気に休暇取ってる暇があるのか?」
「ああ、それは延期になった」
核心に迫るオレの問いかけだが、さらりと流すように返されてしまった。食堂に空白が生まれる。
「え?」
「ベルゼヴィードに殺されていた四人の貴族がいただろう? 彼らは戦争強硬派だったのだ。それがいなくなったことと、王城深くでの魔王の暴挙を許したことで今王国はてんやわんやだ。外敵の相手をしている場合じゃない」
そして、それが戦争反対派の国王の陰謀ではないかと言う話が貴族連中に広まっているらしい。王国の内政は疑心暗鬼の蠱毒と化し、ぐちゃぐちゃ状態なのだ。
「と言う訳で、戦争屋の騎士団は暇なのだ。せっかくだから有給を消化しようと思ってな。仕事に厳しいあのアーノンですら旅行に行ってるぞ」
だからと言って魔王の屋敷にやって来る理由にはちっともならないのだが、来てしまったものは仕方ない。出来るだけ早々にお帰りしてもらうのを待つだけだ。
「では、いつまでいらっしゃるおつもりですか?」
修羅場、料理対決を経験したことで、リュカも団長に対する耐性が出来ている。それはリーリにも言えることだが、二人の態度は人間の騎士団長への接し方では考えられないほど軟化してしまっていた。
「ダーリンが結婚してくれるまでいるつもりだ」
「永遠に居座るつもりかよ」
自分の立場を弁えてくれよ。あんた人間界の希望の星だろ。
そんな話をしていると、魔王に団長の親書を届けてきたパトリシアが戻ってきた。重要な仕事を託されてそれを全うした達成感のある表情をしている。そして、団長に対しても丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。私、こちらのお屋敷で働かせていただいておりますパトリシアと申します。以後お見知り置きを」
「ああ。私はティナ・クリスティアだ。職業はダーリンの嫁だ」
「騎士団長だろうが」
いちいちツッコミが必要な会話をするな。
それはそれで置いておいて、団長は今バリバリの騎士の姿をしているのだが、パトリシアは物怖じしない。すると、
「おや、君はメイドの格好をしているが男の子だな」
何気なく言われた言葉に、オレとリュカ、リーリの間に衝撃が走った。
「わ、分かるのか?」
「もちろんだとも。私は結婚するために男女を見分ける訓練をしているからな」
その訓練が結婚に何の関係があるのかはわからないが、その観察力は凄まじいものだ。オレ達三人は五日もパトリシアと一緒に生活していて全く気がつかなかったと言うのに、団長は一目見ただけで言い当ててしまった。さらに、オレ達はパトリシアの見た目と性別のギャップを受け入れるのにも相当な時間を要した。だってこんなに可愛いし。しかし団長は彼女をすんなり受け入れてみせた。あと、パトリシアは今後も彼女と表記する。
「まあ、私の知り合いの貴族に男児に女児の格好をさせる趣味の者がいてな。見慣れていたと言うのもある」
「そんな貴族は反乱を起こされて没落してしまえ」
「それは困る。彼は国王様の数少ない理解者で支援者だ」
……本当にもう。この世界にはまともな者が少なすぎる。ちゃんとしている風な奴に限って変態が多いのも悲しい。
「と言うわけで、パトリシア。私と結婚する気はないか?」
「節操ないのも大概にしろよ!!」
本当男なら誰でも良いんだな! そんな変態にオレの可愛いパトリシアは絶対にやれん!
しかし、パトリシアは頬に手を当てて身体をくねらせる。
「すみません、クリスティア様。私の身体はエドガー様の物なので、エドガー様にお聞きしないことには……」
「パティちゃん! あなたは別にエドガー様の物ではありませんから!」
「そうか。残念だ。ま、そう言うことだから、しばらく厄介になる。よろしく頼むぞ」
「はい!」
どう言うことだ。リュカは不満顔で口をつんと尖らせ、リーリは疲れた顔でため息を漏らす。パトリシアだけが、一人元気に返事をした。




