新しい仲間(新ヒロイン)
現在、魔王の屋敷はいくつかの問題に直面していた。
一つは資金問題。魔王が軍神ルシアルからシミズ草を分けてもらうために費やした費用は金貨六百枚。これは魔王の全財産の八分の一に相当する。いや、それくらいなら大した額じゃないじゃんと思うかもしれないが、一日で失う額としては破格と言っていい。
二つ目は、オレが破壊した屋敷の件だ。リーリの部屋付近はほぼ完全に消失しており、再建のめどは立っていない。また、これが一つ目の問題に追い打ちをかける形となっている。
そして、三つ目が最も重要な問題だ。それは、屋敷の雑事問題。セルバスと言う魔王の右腕を失った今、山積する屋敷の雑事がパンク寸前となっていた。
まず一番は掃除。広い屋敷をくまなく清掃し美しい状態を保ち続けるのは大きな労力を必要とする。次は魔王の執務の補助。領地からの税や、食糧の備蓄状態の確認。各部族の内部状況や、部族長との意見交換。他の魔王との境界線の維持。とにかくひたすら忙しい。
セルバスはあんな野望こそ持っていたが、こういった屋敷の雑事には非常に真面目かつストイックにこなしてくれていたようで、いなくなった今初めてその有り難みを知った。オレやリュカも頑張って掃除や中庭の手入れなどを行なったが、要領も悪いためなかなか上手くいかない。セルバスがいなくなって早二日でもう屋敷はボロボロになってしまっていた。また、火毒蜂の毒から回復したリーリが職務に復帰すると言い張ったが、まだ体調が万全でないことを考慮して魔王とリュカが彼女に休暇を与えた。彼女も自分のせいで大金をはたいてしまったことで大変な負い目を感じていたようだったが、二人の命令に逆らうことは出来ずに渋々休暇に入った。
「これは、目が回りそうだな……」
「うう……。リーリもセルバスも凄かったんですね。のうのうと暮らしていた自分が恥ずかしいです……」
噴水の作動チェックを二人で協力して終わらせたオレとリュカは、そのまま中庭の休憩所に座りこんでいた。石のテーブルにオレは身体を預け、リュカは椅子の上で膝を抱える。これはかなり厳しい状況だった。今後リーリが復帰してくれたとしても、彼女一人で屋敷のあれやこれやを賄えるとも思えない。普段使わないような筋肉を酷使したため、全身に痺れるような筋肉痛を感じていた。それはそれである種の達成感を伴うのだが、どうにも疲労感の方が強い。
閉じていた目を開いた。テーブルにぐったりと身体を突っ伏していたオレは、そこである物が目に入ってきた。
「え……」
今、リュカは石の椅子の上で膝を抱えている。そして彼女が今日着ている服はスカートだ。そう言えば彼女がズボンを履いているのを見たことがないな。そんな考えは頭の片隅のみに転がっているが、中心に渦巻くのは全く別の感情だ。
目のやり場に困る。一言で言い表すならこれだ。オレの目線の先には、リュカのスカートの中が見えそうになっている。そして悔しいことに、それがギリギリ見えない。リュカの脚が邪魔なのだ。あとちょっと。ほんのちょっと角度が変化すれば花園の深淵を覗くことが出来る。ただ、ここでもう一つの考えが頭をもたげてくる。
覗いて良いのか? いや、色んな意味で良いはずがないのはわかっている。でもホラ。何度も言うがオレも健康的な男子だし、可愛い女の子のスカートの中が気になるのは至極当然のことだ。覗くべきが否か。激しくも虚しい戦いが脳内で繰り広げられ、そして。
「屋敷に戻るか」
「そうですね。まだお仕事は残ってますから」
オレは結局スカートの中を覗くことなく立ち上がった。それが勝利なのか敗北なのかはわからない。ただ、こう言うところがリュカに意気地が無いと言われる部分なのだろうな。でもさ、覗いたら覗いたで罪悪感もあると思うんだよ。百パーセントハッピーではきっとないはすだ。それなら一人の紳士として女性を辱めることはすべきではない。
「あれ」
「どうした? あ……」
屋敷に戻ると、変化があった。ここ二日ほど掃除に追われていたからこそ分かる些細な違いだが、今なら気付ける。屋敷が綺麗になっていた。ガラスはピカピカで陽光をこれでもかと取り込み、絨毯には汚れ一つない。飾られている壺や絵画は磨き上げられ、埃を取り払われている。
「魔王が、いや、リーリがやったのかな?」
「いえ、リーリはまだ部屋にいますよ。そわそわはしてましたが、ちゃんと言いつけを守って休んでいます」
それはまさしくセルバスがいた時の屋敷へと立ち戻っていた。これでこそ魔王の屋敷だと胸を張って言える建物になっている。すると、
「おお、二人とも。すぐに私の部屋に来なさい」
魔王がやって来ると、オレ達に声をかけてきた。ここ二日間多忙を極めて目の下にクマを作っていた魔王が、嬉しそうににこにこしている。見事な髭も艶やかだ。なんだろう。良いことがあったのは丸わかりだが、それが予想出来ない。リュカと顔を見合わせて魔王についていく。精巧かつ重厚な魔王の部屋の扉を開くと、中に見慣れない魔族が立っていた。
「皆様、お帰りなさいませ」
その魔族は、柔らかな声でオレ達を出迎える。手をお腹の下あたりでそっと抑え、美しい所作で頭を下げている。
「本日よりここの皆様のお世話をさせていただきます、屋敷オーガのパトリシアと申します。よろしければお気軽にパティとお呼び下さいませ」
にこりと微笑んだその子は、黒と白のメイド服を着用していた。オレが人間界の王城で見たメイド達よりふりふりで、なんかコスプレチックに見える。だが、パトリシアと名乗ったその子には、それがよく似合っていた。
「私が急遽雇ったのだ。これからはここに住み込みで働いてもらう。屋敷オーガは家事全般を得意とする一族だ。必ず私達の力になってくれる」
「はい。ご期待に添えますよう頑張ります! よろしくお願いします!」
パトリシアは元気な声で嬉しそうに言った。金髪碧眼。おでこのところには可愛らしい角が二つ。眩しい金髪は鎖骨の辺りまでの長さだ。小柄な体格はリュカと同じくらいで、オレが隣に立てばその角が胸に刺さる身長だ。
「それは良かったです。私はリュカと申します。ぜひ仲良くして下さいね」
「はい! お嬢様のお話はかねがね。聞いていた通りのお美しさです」
「そ、そんな……。でもありがとうございます」
リュカが恥ずかしそうに頬を染める。そして、パトリシアの目がオレに向けられる。
「貴方様は、リュカお嬢様の御婚約者様ですね。これから末長くお仕えさせていただきます」
「いや、婚約者じゃないから。まあ、居候みたいなもんだよ」
きちんと訂正しておく。隣のリュカがぷくりと頬を膨らませていたが、けじめは大事だ。オレはまだ婚約者未満である。
「そうですか。では改めまして、皆様よろしくお願いします!」
もう一度、パトリシアは丁寧にお辞儀をした。
パトリシアは大変な働き者だった。すぐに屋敷の見取り図を暗記すると、早速仕事に取り掛かり、次々とそれらを片付けていった。掃除は完璧。手際も良い。よく気もきくし、何より愛想が良い。いつもにこにこ笑顔で仕事をこなしてくれるので、見ていて気持ちが良い。オレとリュカがひーひー言いながら終わらせた仕事を文句も言うことなくせっせと終わらせてくれる。
「で、何故それを私に言うのだ」
「いや、暇してるかなって思って」
リーリに与えられた休暇はあと二日間。本人は働きたくて働きたくて仕方がないようだが、どうしようもないので部屋で本を読んでいた。何やら難しげな魔法の本で、強力な魔法の習得を目指しているらしい。オレはそれを背後から眺めながらとりとめのない話を振る。
「確かに暇だが、だからと言って貴様の顔を見せられても不愉快なだけだ。外でちょうちょでも追っかけてろ」
「ガキか」
椅子に座ってペラペラと本のページをめくるリーリは、鬱陶しそうな目を向けてくる。ただ、こいつが嫌がっているのは愉快なので、オレも積極的に邪魔をする。
「でも、パトリシアは一人でも平気で仕事こなしてるしなぁ。もう執事はいらないんじゃね?」
「うっ」
「どっかの誰かさんと違って愛想もいいし、可愛いし、リュカとも仲良いみたいだしな」
二人は今も楽しげにお菓子を作っていた。出来上がったらオレも呼んでくれるそうなので、楽しみである。そしてオレの言葉にリーリがいちいち肩をビクつさせるのが楽しくて堪らない。
「ふ、ふふ。別に私はそんな事を言われても気にしない。私がリュカと料理を作ったことなどそれこそ星の数ほどあるのだ」
「ま、それなら安心だなぁ」
「……今すぐ貴様を不幸にする魔法はないものかと真剣に探している」
すげぇ楽しい。休暇終了の条件には絶対安静も含まれているので、リーリもオレに攻撃出来ない。この安全圏からちくちく攻める楽しさよ。ネット民が二ちゃんねんで頻繁に誰かを袋叩きにしている理由がよくわかった。
「まあ、確かに貴様の言う通りだな」
しかし、ここでリーリが思いもよらない言い方をした。
「私など所詮は雇われ執事だ。主人にいらないと言われてしまえば、それまでだしな。この屋敷を出ていくのは名残惜しいどころか悲しくて辛いものがあるが、な……」
本を机に置いたリーリは目を伏せながら、寂しそうに話し始めた。その目尻には光を反射する雫が見え、いつも堂々としているこいつがめちゃくちゃしおらしくなってしまっている。
「あ、いや、そんなつもりじゃ……」
良く考えれば、こいつは今、オレ達に迷惑をかけたことを大変気に病んでいた。ネガテイブでナーバスになっているのだ。そんな事も考えずに追い詰めるようなことを面白半分に言ってしまった自分を酷く後悔した。こいつに少しでも元気になって欲しくて茶化し始めたつもりだったが、途中からその目的を見失い、まるで逆の方へ誘導してしまった。
「ごめん……。悪かったよ。そんな顔しないでくれ」
オレもしゅんとなって謝る。すると、
「ぶふっ! なんだそれは。嫌味なんて柄にもないことするからそんな風になるのだ。愚か者め」
リーリは楽しそうに噴き出した。目尻の涙を手の甲で拭う。
「あ! お前騙したな!」
「少しばかり腹が立ったからな。ま、貴様もせいぜい学ぶことだ」
まだ可笑しそうにくすくす笑うリーリは、立ち上がるとオレの首元に指を突きつけた。その指がくるりと円を描くようにオレの肌を撫でる。上目遣いは挑戦的で、悪戯っ子のようだ。
「さて、そろそろ菓子が出来上がる頃だ。私も当然お呼ばれしている。働けないストレスでお腹も空いている。たくさん食べるとしよう」
鼻歌を歌いながらリーリは部屋から出て行った。そのもういなくなった背中に呟く。
「元気じゃねぇか……」
女の子は強い。だからこそこんなにも素敵で魅力的で、オレなんかには一生捉えきれない存在なのだろう。




