邂逅
国王の碧眼は力強く、その言葉は嘘でも冗談でもないことがよく分かる。はっきりと言ってくれたおかけで、オレも比較的冷静に対応することが出来た。
「それは何故ですか? 何か深い理由でもあるんですか?」
「昨日貴族達との議会で採択された。理由は明確。近頃低級魔族が力を強めておる。そいつらの王国での跳梁跋扈は見過ごせない域にまで達していてな。此度の大遠征で魔族を押し返し、民の平穏と安寧を獲得する」
「低級魔族?」
魔族にも身分があるのか?
「言語を解する知能を持っているのが魔族。持っていないのが低級魔族。なお、低級魔族は基本的に他生物からしか栄養を摂取出来ないでこざる」
オレの疑問を察した牧村が分かりやすく解説してくれた。つまり、民間レベルにおいては家畜や人間を襲う低級魔族の方が危険だと言うことか。だが、それは魔王達が抑えることが出来るのでないか? そう思って隣のリュカに目をやったが、
「彼らは私達の支配を受けません。私達魔族を標的にすることすらもありますし、はっきり言ってしまえば、両者には生物として明らかな区別があります。ですが……」
「人間からすれば魔族も低級魔族も同じってことか」
卓に肘をついた国王が頷く。
「奴らは空気中の魔力の薄いところでは活動出来ない。つまり魔王軍と戦い魔界の領土を減らすことはすなわち、低級魔族の撃退にも繋がる」
理由は分かったし、納得はした。だがだからと言って戦争に発展させることにはならない。もっと別の解決策を探すべきだ。
「魔界側と交渉して魔界の領土を縮小してもらうことは出来ないのですか?」
バカな考えだとは分かっていたが、それでも提案する。
「魔界の最終目標は人間界の支配だ。さらに魔界は抗争状態。自らの領土を縮小する魔王などおらぬ」
しかし、首を振る国王はオレに付き合ってきちんと回答してくれた。
「分かりました。それで、その大遠征をオレ達に伝えてどうしたいのですか?」
これから戦争をおっぱじめようと言うのなら、その情報は直前まで秘密にしておいた方が良いに決まっている。騙し討ちは報復の可能性が高いだろうから無理でも、相手に準備の期間を与えないことも戦略だ。この国王の考えは大体読めているが、にしたってリスクの方が大きくないか?
「うむ。勇者殿、エドガー殿の両名には、我が騎士団に加わっていただき、戦の最前線を率いてもらいたい」
「お断りでござる」
ほら来た。しかし、間髪入れることなく、牧村がきっぱりと言い放った。自分の爪を眺めながら返答すると言う態度は、今告げられた話に全く興味がないとありありと示している。
「何故ゆえか。勇者殿には責務というものがあるのではないか?」
「ないでござるよ。例えあったとしても、我が輩はこの王国にそこまで奉仕する気が皆無でござる」
「困ったものだ」
それ程困った風ではない。だが背後に控えるハウルが明らかにイライラしていた。手をかけた剣が震えている。国王は小さくため息をつくだけで、次はオレに顔を向ける。
「エドガー殿もそうか?」
せめてもの誠意のつもりで、国王の碧眼を見据えて言葉を紡ぐ。
「はい。オレはそもそも戦争自体反対です。それに、オレがつくとしたら多分リュカにつきます。この世界にやってきた目的とは大きく逸脱してますが、もうそうなってしまいました」
「エドガーさま……」
隣のリュカが瞳をきらきらさせているが、今はそう言う空気じゃないので無視する。許せ。
「となると、我ら王国騎士団と、暁、黎明、曙の三強遊撃騎士団で臨むしかないな。それだと魔王軍を押し返すことなど到底出来ない。そうだな、クリスティア騎士団長」
オレの背後の団長が一礼して、胸に手を当てて発言する。
「はい。現戦力で魔王と対等に闘える者は五人前後。それに比べて魔王軍には一騎当千の猛者がひしめいております。となれば数で圧倒するしか道はありませんが、貴族の私兵団が参戦しない点を踏まえても、それも望めません」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 貴族は参加しないのか?」
団長の発言には聞き逃せないことがあり、慌てて手を振って叫ぶように声を上げてしまった。しかし、
「しない」
一言で答えるに留められた。ハウルは本気で苛立たしげに肩を震わせていて、今にも暴れ出しそうだ。しかし国王は冷静な表情のまま落ち着いて話す。
「貴族の私兵団は低級魔族の討伐で疲弊しているからな」
「そ、それって……」
貴族の治る領地の負担を軽減するための遠征に、貴族が参加しない。それはつまり、国王の勢力を削ぎにきていると言うことだ。やはり、この国王は賢君紛れもないが、それを利用されてしまっている。徐々にだが、確実に彼の首に手が伸びてきているのだ。
「余の内政下手はどうでも良い。しかし、お二人の協力を得られないとなると……リュカ殿」
「は、はい! なんでもござれ!」
「なんでもござれとか言うな」
最終的に、リュカに話が回ってきた。リュカはテンパっているようで、この真剣な話し合いだと言うのにいつもの訳分からない話し方をしてしまう。しかし国王は気にすることなく話を続ける。
「魔王アスモディアラ軍との共闘を提案したい」
これも、分かりきったことだ。レギオンとの友好条約を結んだ直後、両者の結びつきを強め、条約の強化を図るにはそれが最も効率が良いし、手っ取り早い。国王もこれを見越しての条約締結のはずだ。
「そ、それは……私などの一存ではとてもとても……」
「分かっている。これはレギオンからの正式な要請だ。ぜひ魔王アスモディアラに伝えてもらいたい。良い返事を待っている」
団長が言っていたのはこう言うことか。戦争が勃発する。それはもう確定事項で、どうしたって止まらない。ならば、オレはどう動くべきか。どう動きたいのか。そして、紅い目の王女の言っていたこととも繋がる。戦うと言うこと。誰かと敵対する覚悟を持たなくてはならない。
「さて、余の話は以上だ。あとはまたゆっくりデザートを楽しんでくれ」
パン、と空気を変えるように手を叩いた国王の合図に、給仕達がデザートを運んできてくれる。甘くて冷たいそれが張り詰めた空気を溶かすように、オレ達の口の中で香りを振り撒いた。牧村も国王も、もくもくとデザートをスプーンですくっていく。ただオレは、隣に座るリュカが思いつめた表情で俯いているのが気になった。牧村が三度お代わりしたのとかどうでも良かった。
「江戸川殿」
会食からの帰り道、まだドレス姿の牧村に後ろから呼び止められた。戦争についての相談かと思って振り返ると、
「妙な気配を感じるでござる」
「は? 気配? なんだそりゃ」
「我が輩がお主を助けた時、言ったでござるな? お主特有の強力な力の波動。それとよく似たものを感じるでござるよ」
「ここは王城なんだ。そりゃ強い人間もいるだろ」
そこまで気にすることではないと思えた。しかし牧村は、珍しく真剣な面持ちをしている。強張るその迫力に、考えが変わった。牧村もバカではない。小事で騒ぎ立てるようなことはしない。
「分かった。どこからだ?」
「こっちでござる」
「リュカは……連れていかない方が良いな」
理由も根拠もあやふやだが、そんな気がした。勝手にいなくならないで欲しいと言われたそばからこれなのだから、オレという人間はどうしようもなく不誠実だ。
前を行く牧村は、歩き辛そうにドレスの裾を掴んで持ち上げている。よく見ると高めのヒールも履いていて、時折こけそうになるのを何とかこらえていた。見ていられなくて、思わず声をかける。
「おい、それ脱いだ方が良いんじゃないか?」
「……本当に女子の脱衣に興味津々でござるな」
「そう言う意味じゃねぇよ! 歩き辛いし動き辛いだろって言ってんだ!」
しかし、オレの忠告を牧村は無視した。きっぱりと切り離すように無言になる。仕方ないのでオレも黙って後についていく。
「ここでござる」
階段を降りた矢先、オレ達が会食していた直ぐ真下の、木で出来た大きな扉の前に到着した。これと言って特におかしな雰囲気は無かったが、牧村の様子は真剣そのものなので、オレとしても気持ちが張り詰める。
「開けるぞ」
「うむ。良きに計らえ」
偉そうだな。それでもこいつには一応大恩があるので、文句を喉元で留めて頷き、扉を押しひらく。
「おや、これは素敵な訪問者だ」
その中では、四人の男達が食事に興じていた。彼らの前に並べられた皿はほとんどが空で、食後のワインが手元に置かれている。全員が小太りで、上等そうな服のボタンが弾け飛んでしまいそうだ。オレの頭にある貴族のイメージそのものだ。そしておそらくは本当に貴族だろう。そんな彼らは、時が止まったかのように停止している。両手はぶらりと垂れ下がり、腰掛けている椅子からはずり落ちそうになっていた。その理由は一目見ればわかる。
彼らは、眉毛から上の頭部が消失していた。つい先ほどまで食事を楽しんでいた表情そのままに、消えた頭部から流れる血がこめかみを伝って胸元に溢れていた。鋭利な刃物で斬り裂かれた傷口からは、白い骨と桃色の脳幹が覗いている。
「っ!? 牧村、顔下げろ! 見るな!」
「え?」
牧村の頭を後ろから掴んで下げさせるが、一瞬遅かった。だが、オレがこいつを気遣ってやれるのはそれだけで、これ以上は構ってやれない。部屋の奥に取り付けられた暖炉の上に、奴が座っていたからだ。
「はぁ……。今宵も実に素晴らしい。夕空に月こそ昇っていないが、きっと彼は慈愛の笑みで私達を見守ってくれているのだろうね。そうは思わないかね? 名も無き青年よ。私達はこうして二度目の邂逅を見た。赤黒く染まる甘美な黄昏がこうも鮮やかに彩られるとは、世界とは実に悪戯好きだ」
「ベルゼヴィード……!」
闇色のスーツを着た長身の男が、暖炉の上に腰掛けていた。




