脱出
「全く。突然いなくなったかと思えば、こんな所に囚われていたとは。主人公のくせにヒロイン属性もあるでござるか?」
「うるせぇ! 来てくれてありがとう!!」
全力で叫ぶ。もしかしたらちょっと泣いていたかもしれない。牧村の登場に、王女がひるんだ。
「ゆ、勇者様!? どうしてここが……!?」
「ふん。江戸川殿は魔力こそ皆無でござるが、その龍王の右腕が放つ歪な力を辿ることなど造作もないでござるよ。相手が悪かったでござるな」
頼もしい! このニートはこんなにも出来る奴だったのか!
「さて、我が輩は王女様に何かしらの攻撃をするつもりはないでござる。そのパンツ男を返してもらえばそれで良い」
「そ、そんな……ダメです! この方は私と……」
その時、王女の言葉を遮るように、カツンと小さな足音が牢獄に響いた。牧村の背後の少年は、苦しそうな表情で王女を見つめる。
「アミナ……」
「お、お兄様……」
静かに登場した国王はしかし、すぐにその目をそらした。申し訳なさそうにオレへと視線を移す。
「エドガー殿。大変失礼をした。今すぐ枷を解く」
「あ、ああ。頼みます」
国王は自らの手で、オレの錠を一つずつ外していく。その表情はどこまでも冷静でのっぺりとしていて、まるで当たり前の事をしているかのような雰囲気だ。
「お、お兄様、これは……」
「分かっている。何も言うな」
声も落ち着いている。
「エドガー殿、このような事態を引き起こしておいて心苦しいのだが、ここで見聞きしたことは……」
「分かってます。他言はしません」
国王は、再び苦しそうに目を閉じた。
「すまない。本当に、すまない」
それから国王は、オレの手枷を全て外し終えると、無言で牢獄を後にした。ここに現れた最初の瞬間だけ王女を視認したが、それ以後は一度も、彼の妹を気遣う素ぶりを見せなかった。
「お兄様……」
国王が歩き去った牢獄の暗がりを、王女はいつまでも見つめていた。
「うう……。重たいでござるよ」
「お前。女の子に体重を意識させるような事を言うなよ」
「その股にぶら下がっているものを引っこ抜いてから言うでござる」
まだ一人で立つ事すらままならないオレは、牧村に肩を貸してもらう形で一歩ずつ階段を降りていた。
「地下だと思ってたよ」
「窓が無かったでござるからな。ここは、王城の端に不自然に建っていた塔の最上階でござる」
「ああ、あれか」
王城にやって来た時に何度か目に入っていたあの塔か。薄ぼんやりした記憶を辿れば、何人かの衛兵が周囲に待機していたことを思い出す。つまりここが王女を閉じ込めておくための場所だったと言うことだ。
「あの、ありがとな」
先ほどは言いそびれてしまっていた。きちんと牧村の耳に届くように、出来るだけはっきりと発音する。
「なに、闘った訳でも苦労した訳でもない。礼ならリュカ殿に言うでござる」
「リュカに?」
「お主がいないことに最初に気づいたのは彼女でござるよ。自分では力になれないからと、まず我が輩を頼ってきた。なかなかの英断でござる」
「そうか」
どんなに強力無比な右腕を持っていたとしても、オレはそれをまるで使いこなせていない。この世界に来てから強くそう思うようになった。それは、オレの心の弱さと迂闊さ、そして何より自覚のなさから生じるものだ。力が抜けてしまう。こんな事でオレは、オレの望むように、誰かのために働けるのだろうか。
「重い。何故力を抜くでござるか」
「いや、ダメだなぁって思って」
「ふん。今更何を。日本などと言う平和ボケした国でお山の大将やってたお主がダメなのは当然でござる」
「ひでぇ。ニートのくせに」
ニートのくせに、どうしてこんなにも説得力があるのだろう。
「もっと慰めたりしろよ」
「笑止。それを求める相手を間違えてるでござる」
この塔の内部には、灯がほとんどなく、部屋も最上階にしかないようだ。延々と続く螺旋の階段は、真っ暗で先が見えない。もしかしたらどこまでも続いているんじゃないか、そんなことを思い始めた矢先、その終焉がオレの網膜を焼いた。眩しい。だが、手にはまだ力が入らないので、光を遮ることが出来ない。でも、
「エドガーさま!」
あぁ、目を閉じないで良かった。
「お身体は、お怪我はありませんか!?」
この娘の美しい朱と蒼の瞳が、一番に見えたから、心から安心が溢れてきて、再び力が抜けてしまう。
「怖かった……。すげぇ怖かったよぉ!!」
「あ、うわっ! エドガーさま!?」
本当に、オレの心臓をじわじわと浸食するように染み込んできた恐怖が、やっと抜けてきた。そのせいか、涙腺までゆるくなってしまって、意図せず泣き崩れてしまった。そんな無様なオレを、リュカは一瞬驚いたように見つめていたが、すぐに優しく微笑むと、
「はい。怖かったですね。良く頑張りました。もう、大丈夫ですよ」
オレの全体重をその華奢な身体で抱きしめてくれた。牧村は困ったように笑いながら肩を回している。時間にしたら、きっとそれほどのことではなかったのだろう。だが、オレにとっては一年ぶりに日の光の暖かさを感じた気分だった。
「あの、それで……」
「ん、どうした?」
「その、何故ズボンを履いていないのですか?」
「あ……」
リュカは頬を染めてオレから目をそらした。
「災難だったようだな。どうした。まだ頬がこけているぞ」
「ここまで精神がすり減ったのは初めてだ」
「ま、後で精のつく料理を食べることだ」
オレは、牧村に助け出されてからすぐに眠ってしまった。どうやら、王女が使用したあの香は、日に何度も嗅いで良いものではなかったらしい。そのせいかどうかは分からないが、また左腕の痺れが再燃してきていた。
「で、何で団長がいるんだ?」
「これはキツイお言葉だな。仕事の合間を縫って見舞いに来てやったと言うのに」
「そうか。それはありがとう。だが、これは何だ?」
オレは、まだベッドから出られないでいた。着替えさせられていた寝巻きはかなり上質な物のようで、肌触りが良い。枕をクッションがわりに、上体だけは起き上がっていたが、その太ももの上に、何故か団長が座っていた。その手はオレの頭のすぐ右隣につかれていて、いわゆる壁ドンと言うやつだ。この世界に来てすぐにアスモディアラにも同じことをされたのを思い出していた。
「いやなに。ダーリンが寝苦しそうに眉間に皺を寄せていたからな。襲ってしまおうと思ったのだ」
「理由と結論が噛み合ってないぞ」
団長の美しい髪がオレの鼻に当たってヒクヒクする。流石に団長と言えども一応は女性なので、顔面にくしゃみをぶっかける訳にもいかず、自然と横を向く。
「それはつまり、準備万端と言うことか?」
「いや全然。重いから退いてくれよ」
「女性に体重を意識させるようなことを言うべきではないぞ」
「その脳みそを埋め尽くしている花畑刈り取ってから言え」
とりあえず、団長の肩を掴んで押しのける。団長も本気でオレを襲う気はないらしく、簡単に身体を……簡単に、身体を……簡単に……
「どけよ!」
「嫌だ。私は今ここで処女を捨てる! 結婚する!」
「アホなことを言うな!」
「退いて欲しいなら今すぐ私と結婚しろ!」
いかん! 最近ちょっと大人しいと思ってたのに! やっぱりこいつは度し難い変態だ。団長と取っ組み合いを始める。
「牧村! お前も手伝え! 病み上がりで相手出来るような変態じゃねぇ!」
さっきからオレのベッドのすぐそばで我関せずを貫いている牧村に助力を請う。しかし、オレの必死の頼みも虚しく、牧村はどこから用意したのか分からないコミックを片手にポテチをつまんでいる。
「あぁ、うん。あとでね……」
「夢中か!」
国民的なバスケ漫画だった。後で貸してもらおう。だが、今は目の前の変態だ。
「喰らえダーリン!」
「うお!」
抱きついてきた団長をかわす。風圧で両者の髪が舞い上がる。その時、カシャンという音が扉の方から聞こえてきた。
「な、な、な、何を! 何をしているんですかぁ!」
見るからに高級そうなティーセットを、持っていた盆ごと床に落としたまま、リュカが拳を握って震えていた。
「リュ、リュカ! 良いところに来た! 今すぐこの変態を……うばっ!?」
リュカが拾ったカップをオレの顔面めがけて全力投球してきた。それを何とか歯で噛み付いて受け止める。
「あっぶねぇだろ!」
カップを吐き捨ててリュカを怒鳴る。しかし、リュカはわなわなと震えた状態で下を向いている。その顔がきっと上がって朱と蒼の双眸がオレを射抜く。
「エドガーさまのことです! 私が心配したところで何の力にもならないことは分かっています!」
「え」
リュカは怒っていた。けど、それはオレが思っていたのとは違う理由だった。
「けれど、心配になってしまうのです! その身を案じてしまうのです!」
ポロポロとクリスタルのような涙を一粒一粒零しながら、口を固く一文字にひき結んで、鼻を赤くしている。
「私のせいで、私なんかをかばったせいで、エドガーさまが連れ去られてしまったのではないかと思ってしまうのです! だから、だからもう……」
オレの耳を通して心臓に突き刺さる言葉を吐き出しながら、ゆっくりと近づいてきたリュカは、オレの頭をその胸に抱えこんだ。
「ずっとそばにいて欲しいなんて言えません。ですが、突然いなくなったりしないで下さい……」
目を閉じた。
「ああ、悪かったよ」
そうか、そうだよな。リュカの立場からしたら、この王城で起こる全てが自分の責任だと思ってしまうのは無理からぬことだよな。
「ごめん。オレが油断してたんだ。もうこんなヘマはしないからさ。許してくれよ。泣き止んでくれよ。リュカが泣いてるのは、辛いんだ」
痺れが残る左手で、リュカの頭を撫でる。指に絡まった髪を、痛くないように軽くすくった。
「はい。約束ですよ?」
「ああ」
オレを抱えていたリュカの手を包んで、その身体を抱きしめた。やはりか細くて、弱々しくて、柔らかい少女のものだった。この手から溢れおちてしまったら、すぐに壊れてしまうのではないかと思えるほどに。
「で、ダーリン。結婚の話なんだが……」
「空気読むって言葉は知ってるか!?」
龍王の右腕で容赦なくしばきにかかるが、軽々と受け止められる。にまにま顔がとにかく腹立たしいことこの上ない。




