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問答


 どれくらいの時間が経ったのか。今は一体何時なのか。時計がなく、陽の光が一切入ってこないこの牢獄では、それらがまるで分からない。オレが再び目を覚ましてからもそこそこの時間が経過した。しかしあれ以来王女は現れていない。そのことにはひとまず安心する。あの王女はダメだ。話は通じないし行動は奇怪だし、何をされるか分かったものではない。

 香を二度も嗅がされたせいか、身体の痺れは酷くなっている。そのことがより強く焦燥を掻き立てる。今何が起こっても対応出来ない。そして、


「ふふ。寝顔も大変素敵でしたが、やはりあなたは目を覚ましている時が一番良いですわ」


「……そりゃどうも」


 王女がやってきてしまった。ドレスを着替えていないところを見ると、まだそれ程時間は経っていないのか。頬についた蛇の血すらそのままだ。だが、その手に握っている物のせいでより心臓が冷たくなってくる。


「あら、これが気になりますか?」


 王女が持っていたのは、数多の宝石で装飾を施された短剣。柄には紅に輝く大きな宝石が取り付けられていて、その煌めきが今は不気味に思えてしまう。


「大丈夫。あなたを傷つけたりしませんわ。ただ、ちょっとだけ……」


「何だ?」


 嫌な予感しかしない。


「ちょっとだけ、その右腕を斬り落としたいだけですの」


 ほら来た。だが、右腕ならなんとかなる。オレの龍王の右腕(ドラゴン・アーム)は刃物なんかに切断されたりしない。王女が近づいてきて、右腕の服の裾をめくり上げる。肩口が露わになった。


「ふむ。接続部分は不思議な色をしていますのね。なんだか無理矢理取り付けたような……。義手に近い、と表現すれば良いのかしら」


 口元に手を当てながら興味深そうに感想を述べる。その瞳には、狂気ではなくもっと現実的な感性が宿っていた。分からない。ころころと表情や性格が変わる。思考回路すら秒単位で変動しているように思えた。


「なあ」


「はい、何でしょうか」


 気になった。気になってしまった。


「あんたは、いつからそうなんだ?」


 この若い王女様の、いや、このアミナと言う娘の異常の原因は何だ? 問いかけたところでまともな答えが返ってくるとは思っていなかったが、それでも口にせずにはいられなかった。


「そうですわね。私、十七歳までには結婚したいですわ!」


 ため息が漏れる。やはり通じないか。嬉しそうに、恥ずかしそうに両手を頬に当てる王女は、オレの右腕や短剣から一切の興味をなくし、饒舌に自身の結婚願望について語り始める。


「やっぱり年上の殿方が良いですわ。優しくて、きちんと民のことを考えていて、私のことも大事にしてくれる方。毎晩私を抱き締めてくれる方。その方の分厚くも温かな胸に抱かれながら、きっと私はこう思うの。この方の心臓を抉り出せば、一体どんな色をしているのかしら。ふふ。そんな事を考えていたら、お腹が空いてきてしまいましたわ。私ったらはしたない。でも、蛇と蜥蜴のスープってとても美味しいのですよ?」


 序盤は普通だったのだが、後半から一気に不健全になってしまった。どれが、何がこの王女の本気で本音なのかも掴めない。オレから手を離した王女は、牢獄の中央でくるくると踊るようき回りながら笑っている。風にのって舞うスカートが綺麗で、こんな状況だと言うのに見惚れてしまった。だって美しい王女だから。


「あら? こんな所に剣がありますのね。何故でしょうか」


 そして、王女のヒールが剣の鞘を踏みつけた。それは王女が自分で持ってきたものだが、それすら忘れてしまっているのか。


「その剣で、オレの右腕を斬り落とすつもりだったんだよ」


「まあ恐ろしい! でもご安心下さいませ。剣とは弱き民を守るためにある物。そのような野蛮な使い方は私が許しません」


「そうか」


 聞いていて、寂しくなってしまった。この王女はもう狂い過ぎていて、記憶がしっちゃかめっちゃかだ。きっと、自身の楽しい思い出や、未来の幸せすら意識的に想うことが出来ないのだろう。会話も不可能なので、人との交わりに喜びを感じることもない。ずっと一人で、訳も分からず、生きていくのか。救いなのは、この娘が王女である事と、そんな状態でも楽しそうである事くらいだ。


「あら、嬉しい。私を憐れんで下さるの?」


 その時、王女の顔つきが変わった。それは、オレが二度目に眠らされる前に一瞬だけ見せた、知性的で毅然としていて、大人びた表情。変化し続ける王女の性格が、ついに再びこの王女を面に出してきた。この王女となら、話が出来る気がした。


「それが、あんたなのか?」


「さあどうかしら。私ってたくさんいるから、もうどの娘が私なのかは分からないの」


 苦笑いをする王女は、牢獄の隅で体育座りをした。持っている剣を鞘から引き抜き、つまらなそうにその腹を撫でた。声の高さすら変化している。落ち着いた低い声だ。


「ずっとあんたでいてくれよ。他の王女じゃ話にならないんだ」


「消去法で求められても嬉しくないわ。けど、他の娘たちも張り切り過ぎて疲れてるみたいだし、少し時間をあげる。さあ、どんな話をしましょうか」


「あんたは、いつからそうなんだ?」


 先程と同じ質問を繰り返した。もう今しか聞けないし、今だから聞けると思ったからだ。


「産まれた時からよ。お兄様が言うには、赤ん坊の頃から今の片鱗が見えたそうね」


 王女は剣の切っ先で、自身の親指をついた。小さな赤い雫が膨れあがるように溢れてくる。


「会話が出来るようになってからは完全に露見したわ。王宮は大慌てよ。とにかく私を隠すことに奔走したそうね」


 話を聞いて、だいぶ分かってきた。この王女は多重人格者だ。そして運の悪いことに、他の人格のほとんどが社会に受け入れられないような異常性を有していた。


「そう言う訳だから、私を治そうとか、助けようとか思わないことね」


「だろうな」


 そもそも、今オレと話してるこの王女が、真の人格かどうかも定かではない。全ての人格を切り離して残ったのが、蛇を踏み付けて殺す人格の可能性だってある。それを完全に悪だと断言するべきではないが、今普通に話が出来る王女を切り離してまで残すような物ではない。


「あ、そろそろ私が消えそう」


「マジか。なんとか踏みとどまってくれよ。とりあえずこの錠を何とかしてくれ」


「はいはい」


 剣を投げ捨てた王女は、かったるそうに立ち上がってオレに近づいてくる。やっと解放されるのか。ほっと安心した時、


「あ、ダメ。次がくる……」


「え! おい!」


「ごめんなさい。次の娘、かなり危ないから気をつけ……」


 王女の言葉が、途切れた。そして、


「うーん! よく寝たわ!」


 糸の切れた人形のように停止していた王女が、明るい声とともに背伸びをした。まだ少し眠そうに目を擦りながら、ぺたりと腰を落とす。


「あら、素敵な殿方がいますのね。貴方はどなた?」


 そして、座った姿勢のまま上目遣いでオレを見た。その時、王女の碧眼が色合いを変えた。美しいエメラルドだった瞳が、燃えるような紅になっていく。醸し出す雰囲気はどこか禍々しく、例えるなら黒魔女マミンに近い。しかし、そんな事があるのか? 動揺から抜け出せないでいると、


「江戸川竜士さん。ふーん、異世界の人かぁ」


「なっ!?」


 牢獄の床に転がる短剣が宙に浮き上がると、王女の手元まで飛んでくる。それを右手で弄びながら、王女は呟く。その内容にまた汗が吹き出してきた。


「六大魔王の何人かにも会っているのね。あら、ベルゼヴィードに負けたの? そんな強い右腕を持っているのに、ダメな人ね。まあ、平和な日本とレギオンじゃ勝手が違うから、大目に見てあげましょうか」


「お、お前は……」


 クスクス笑う王女の紅の瞳に、吸い込まれそうになる。


「私から一つだけ良いことを教えてあげるわ」


「何?」


 王女は引き抜かれた剣を鞘に収めて、そして、大口を開けて短剣を飲み込み始めた。彼女の喉よりも太い剣が、ゆっくりと切っ先から喉を通っていく。短剣全体が見えなくなると、王女はぺろりと口の端を舐めながら、妖艶に微笑む。


「覚悟を決めなさい。この世界レギオンで、貴方たちがどう言う存在か理解して行動しなさい」


「そ、それは、一体どう言う……」


 言葉の意味が理解出来ないでいると、王女の紅い瞳が、ふと元の碧眼へと戻った。その特殊な雰囲気も儚い砂埃のように消え去る。王女が自身の頭を抱えながら、少し苦しそうに片目をつむる。


「ふ、ふう。久しぶりに頭痛がしましたわね。さて」


 すでにに王女の様子はこれまで通りの狂気的なものへと戻っている。色々なことが一気に起こり過ぎて、頭も心も整理出来ない。覚悟って何だ? オレはこれから、この王女に何をされるんだ? 思考の優先順位が決定されることなくぐるぐると巡る。しかし、状況も王女もオレを待ってはくれない。不思議と邪気のない優しげな笑顔で迫ってくる。


「それはもちろん、子作りですわ!」


「うげっ!」


「あら、女の子の一世一代の決心に対する反応とは思えませんわ」


「んな事言われてもな……」


 牢獄の中で拘束されながら言われても全然ドキドキしない。むしろ恐怖しかない。この王女のことだ。ズボンを脱がしたタイミングで気が変わって、オレのナニを切り落とすと言い出しかねない。


「大丈夫ですわ。痛い怖いのは最初だけです」


 そんな事を言いつつも、王女は這うように近づいてくる。頬を朱にそめて、なんかハァハァと荒い息を漏らす。口の端からはヨダレを零していた。これは民草に見せて良い王族の表情ではないな。


「やめ、やめろ! お前には恥じらいとか倫理ってものはないのか!」


「ふふ。そんな物犬にでも食わせておけば良いのです。それに、私達王族は子孫を残すのも仕事のうち。堅物のお兄様には子沢山は期待出来ませんから、私が頑張る必要があるのです」


 王女のたおやかな手はすでにカチャカチャとオレのベルトを外し始めている。息がへその下あたりに当たってむず痒い。いや、そんな事を考えている場合ではない。


「やめろっつってんだろ! こら!」


「あら、ウブですのね。もしかして童貞?」


「それはそんなに悪い事なのか!!」


 良いじゃん別に! むしろ放っておいてくれ! しかし、ベルトに手間取っていた王女も、とうとうオレのズボンを下ろすことに成功した。


「さあ、お次は下着ですわ! 張り切って参りま……」


「いやー! 誰か助けて!」


 その時、ズシン、と言う腹に響く音とともに牢獄が上下に激しく揺れた。小石やホコリが天井から降ってくる。これは、地震か? 王女と二人で不安そのままに周囲を見回す。


「こ、これは……」


 ズシン、ズシンと牢獄が揺れる。その音が徐々に徐々に近づいてくる。


「何!? 何ですの!?」


 王女が叫んだ瞬間、牢獄の床が轟音で突き破られた。そこから飛び出してきたのは、オレの身体ほどもある大剣を振り乱す小柄な人影。牢獄の天井に足を着き、空中で一回転して着地した。その身体のいたるところに霜が降りかかっており、白い息を吐き出す。そいつは、


「待たせたでござるな!」


「ま、牧村!!」


 大剣を肩に担ぎながらにやりと笑う牧村は、再び白い息を吐き出した。


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