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 黒猫亭への道のりは記憶していたつもりだったが、途中で少し迷ってしまった。その間にリュカと二人で買った果物も食べ終えた。てっきり甘い物だと思っていたのに、予想外に酸っぱくて、また二人して笑い合うことになった。


「お、ここだここだ」


 それからしばらく歩いて中央に噴水のある広場にたどり着いた。あの噴水から水が噴き出しているのを見た事がない。もしかしたらもう枯れてしまっているのかもしれないな。


「さてリュカ。帽子はちゃんと……」


「バッチリです!」


「オッケ。それじゃ入るぞ」


 黒木の扉を押し開く。木の柔らかな香りがして、何と無く懐かしい気持ちにさせられる。中には相変わらず昼間から酒を飲む連中や、四方の壁に貼り付けられている依頼書と睨めっこしているパーティがいる。何人か見知った顔もあったが、それよりもまずギルマスに挨拶したい。


「ん、あれ。いないな」


 しかし、いつものカウンターにギルマスの姿がない。ガタイの良いあの人がいないと、その場所は随分広く感じる。


「どうかされましたか?」


 どうしたものかと立ち止まっていると、ウエイトレスの格好をした黒髪の女の子が近づいて来てくれた。大きな黒目が、珍しい物を見る目でオレをうかがっている。


「いや、ギルマスに会いたいんだが……」


「すみません。マスターは今ギルド会議に出席されていますので、お帰りは夕方になります」


「そうか。じゃあ仕方ないか。上の勇者に用事があるんだ。上がっていいか」


「それは構いませんけど……」


 女の子は訝しむような態度を隠そうとしない。勇者の部屋に入れない事を分かっているのだろう。いちいち説明は出来ないので、一言礼を言って二階に上がる。すると、階段の途中から冷気が漂ってきた。牧村の魔力が強くなっているということか。肌を刺すような冷たさに震えが起きる。案の定、扉の氷は分厚くなっていた。


「す、凄い魔力ですね。流石と言うか……」


 リュカもその腕をさすりながら驚嘆している。だがどんなに強力な魔力を持っていようとも、その実態はただの引きこもりのニートでしかない。過度な期待はしない方が良い。


「じゃあ、オレが先に入って話をするから、リュカは少し待っててくれ。すぐすむから」


「はい。どうぞごゆるりと」


 本当はこんな所に立ちっぱなしにさせるのではなく、ゆっくりカウンターにでも座って待っていて欲しい。だが、可愛らしいリュカに変な男が寄ってきてもいけない。手早く話を終わらせよう。


「よっ!」


 龍王の右腕(ドラゴン・アーム)で扉の氷を溶かす。やっぱり氷が以前より強固になっている。理由は分からないが、牧村が強めに魔法をかけているのだ。露わになったドアノブを回して部屋に入る。


「おーい牧村、ってあれ?」


 部屋が暗いのもゴミが散乱してるのもそのままだが、何故か肝心の牧村がいない。その辺のゴミと一緒になっているのかと思って掘り起こしてみるが、そこにもいない。テレビはつけっ放しだし、パソコンのブラウザも開いたままだ。しかしあいつに限って外出してるとも思えない。


「あれぇ?」


 想定外の事態に頭をかく。すると、ガチャリと扉が開いた。リュカが入ってきたのかと思って振り返れば、そこには。


「ふー。あったまった。やっぱり日本の風呂はたまらんでござるな」


 ほかほかとした熱気とともに湯気をその肌から立ち昇らせる牧村が、白いタオル一枚で前を隠しながら現れた。


「なっ!?」


「え?」


 それはまるで今風呂から上がったような桜色に火照った肌と、雫を落とす絹のように滑らかな黒髪。タオルで重要な部分は隠れてはいるものの、濡れて肌に張り付いたそれは、より身体のラインを浮き彫りにさせている。まだ熟しきっていない健康的な少女の肢体は、オレの目を捉えて離さない。


「う、おおーっ!?」


「え? え?」


 先に正気に戻ったのはオレだった。気合で牧村の身体から視線を外す。


「て、てめ! 牧村! なんつう格好してんだ!」


「あ、ふ、風呂上がりなんだから仕方ないだろ!」


 オレにつられて牧村の頭も回り始める。


「て言うか、早く後ろ向いてよ! えっち!!」


「あ! す、すまん!」


 慌てて身体ごと目を背ける。足元のゴミにつっかかって転びそうになるのを何とか堪えた。


「な、何でいるんだよ!」


「んな事より早く服着ろよ!」


「服のタンスが君の目の前にあるんだ!」


 暗くて気づかなかったが、確かにタンスのような物がすぐ前にあった。這うようにして横にズレる。


「ほら、これで良いだろ!」


「服着るから、こっち見ないでよ!」


「見るかっ!!」


 まだ心臓がバクバクとうるさい。それを何とか抑えつけようと、左胸の辺りを強く掴む。しかし背中ごしに聞こえてくるきぬ擦れの音が不思議と耳に響く。その事が今、すぐ背後に裸の女の子がいることを余計鮮明に意識させて、結局心臓は鎮まらない。


「……服、着たから。こっち向いて良いよ……」


「本当だろうな? 実はまだマッパでしたとかだったら殴るからな?」


「そんな痴女みたいな事しないよ!」


 恐る恐る振り返る。確かに牧村は服を着ていた。ただ、いつもの寝袋姿ではなく、短パンにティーシャツ姿だ。オレから目をそらしながら、そのショートカットの黒髪を手でいじっている。


「何で寝袋じゃないんだよ」


「風呂上がりだってば。あんな暑苦しいもの着れる訳ないだろ。何? 何か文句あるの?」


「いや、文句と言うか……」


 牧村の生っ白い二の腕や太ももが露わになっていて、正直目のやり場に困る。また変な気持ちになってくるのだ。


「……えっち」


「違う!」


 何かじっとりとした目を向けてくるので、とりあえず否定しておく。いかん。雰囲気がいかん。まだ顔は熱いし汗は出るし、鼓動も激しくて無茶苦茶だ。頭の中まで沸騰しそうになるのを何とか押さえつけるべく、話を乱暴に進める。


「ほらよ!」


「え?」


「お前が欲しがっていたもんだよ。忘れたのか?」


 オレがカバンから取り出して放ったのは、レヴィアのサインが描かれた色紙である。一応大切な物なので手渡しすべきだったが、今何と無く牧村に近寄りたくない。


「う、嘘。まさか本当に……?」


「本物だぞ」


 牧村がその手をおずおずと伸ばす。震える瞳は見開かれていて、一直線に色紙へと向かう。裏側になっていたそれを、ゆっくりめくった。そして、


「ふぉおぉおぉおぉおぉ!?!?」


 何だか聞いたことのあるような絶叫がオレの鼓膜をぶち破った。ある程度予想出来ていたので、耳を両手で塞いでいたのだが、それでもその声はオレの鼓膜まで容易に到達した。


「ちょ!! うっせぇ! 落ち着け!」


「落ち着くなど不可能でござる!! これが、これがレヴィアたんのサイン……!! あぁ、何て汚い字!! まさしくレヴィアたんのサインでござる……!! まさかこの目で見られるなんて!!」


 牧村は執拗に色紙に頬ずりを繰り返す。喜んでいるのは嫌と言うほど伝わってきた。オレも骨を折ったかいがある。だが、今はそれよりも重要な事がある。


「牧村。オレは約束を果たしたぞ。今度はお前の番だ」


「ご、ごめんちょっと待って! 今感動でやばいから! 他の事考えたくない……!」


「おい」


 喜んでくれるのは大変嬉しいのだが、そのせいで今後の予定に遅れをきたされても困る。何事もほどほどが良い。それでもまあ、ここまで感激を体現されてしまうと、オレとしても強く出られない。牧村の興奮が収まるのを待つ事にする。


「感無量とはまさにこの事!! 喜びと嬉しさで絶句する日がくるなんて……!」


「いや、全然絶句してねぇよ」


 叫びともうわ言とも取れない声で牧村はブツブツ喋り続ける。胡座をかいた足もそわそわしっ放しで、落ち着きがない。その頬が上気しているのは、きっと風呂上がりのせいだけではないな。なんか挙動が不審すぎて、見てるこっちが恥ずかしいのだが。


「……そろそろ良いか?」


「正直、もう少し余韻に浸りたいが、そう言う訳にもいかんでござるな」


 一応空気は読んでくれるみたいだ。色々遠回りをしてしまったが、その全てがこの日のためにあった事だ。大切な事なので姿勢を正して、しっかり牧村の目を見て話す。


「約束は約束だ。これからはもう少し真っ当な社会生活を営んでもらう」


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