おまけ
三年前、オレは異世界からこの日本に帰ってきた。ポンコツ女神は技術革新はあまり起こっていないとか言っていたが、全然そんなことはなかった。車は全自動化して空を飛ぶし、年金制度は無くなっているし、大学が三分の一以下になっているし、ありとあらゆる情報は電子化されていた。
社会の変化に驚き、何とか対応できるようになるまで約半年。新しい人間関係を構築できるまでにさらに半年。一人で自立して生活できるようになったのは、本当につい最近だった。
温暖化の進んだ春はとっくに桜を散らしてしまって、一抹の寂しさを残している。
「つかれたー」
仕事を終えて帰宅できたのは、午後10時。郊外の安アパートの階段は錆び付いていてギィギィ鳴いている。扉もボロく、たてつけも悪い。そして、ハイテク化の流れに全く乗り切れていないアナログのドアキー。指紋でも声帯でもなくドアキーで開けるドアなんて、日本にあとどれだけ残っているのやら。
「ただいま」
別に、部屋に誰かいるわけではない。真っ暗な1DKは一人暮らしの寂しさの象徴みたいなものだった。家具も食器も服も少なく、飾りっ気も面白味もない部屋だ。
まぁ、こうしてわかりやすく貧困生活を送っているオレだが、これはある程度は仕方のないことだった。龍王の右腕、肩から先の右腕を失ったこと、それ自体はことの原因ではない。今時は片腕が無いくらいでは仕事の選択肢は減らない。だが、その右腕にくっ付いている暗黒空間はちょっと、いや、かなり問題だった。これがあるせいで義手にできず、また、科学的な証明ができない。要するに、この空間が何なのかわからないと言う恐怖は、オレを採用する企業を極端に減らした。そう言う意味では、右腕に困らせられると言うオレの人生はかつてとあまり変わっていないのかもしれない。
結局、オレは廃刊スレスレの弱小出版社に何とか滑り込み、地道にコツコツ働いている。紙の雑誌自体が瀕死で、どんどん仕事が無くなってきているが。いつクビを切られるかわかったもんじゃない。
「っ。ふぅ……」
玄関先に座り込んだ。朝に使った食器がシンクにつけられたままのキッチンにもたれかかる。
なかなか、一人で生きるというのは大変だった。忙しさに揉まれて、楽しさや喜びを感じる時間は少ない。だが、不思議と不幸感はなかった。右腕に頼らない生活は、どんな些細なことでも、達成感と充実感がある。本当に、「生きている」と言うのはこう言うことなのだろう。
「ん?」
ポケットのスマフォが鳴った。会社の先輩からだろうか。仕事が苦しいのはともかく、一緒に働いている人達はみんな良い人だった。よく食事や飲みに連れて行ってくれる。
だが、メールを送ってきたのは会社の人間ではなかった。
「……」
部屋の奥、スマフォと連携しているパソコンのブラウザが光る。メールの内容は文章ではなく、写真だったらしい。ポツン、ポツンという無機質な音とともに写真がアップされていく。パソコンまで這って行き、ブラウザを覗き込む。そこに載せられていく写真達を見て、オレは思わず笑ってしまった。
「はは」
一枚目は、獣耳の美少女が羞恥に顔を真っ赤にして、フリフリのメイド服を着させられている写真だった。後ろで両手が翼の艶やかな女性が大喜びで大笑いしている。
「……」
二枚目では、金髪の女の子、いや、男の娘が真剣な表情で料理をしていた。後ろの机には沢山の美味しそうな料理が並べられていて、これを一人で作ったのだとしたら驚きだ。きっと一人で作ったのだ。
次の三枚目、それは白亜の城壁をバックに剣を構えている女騎士のものだった。見習い騎士達の訓練をしているのだろう、凛々しい横顔には微かに汗が流れた跡があった。だが、四枚目ではその凛々しさはどこへやら、酒瓶片手にテーブルに足を置いた体勢で服を脱ごうとしている。執事服の美少女とメイド服の男の娘が必死な様子で制止しようとしているが、間に合っていない。
「相変わらずだな」
五枚目。真っ黒な衣装に身を包んだ魔女が、ゴーレムのようなものを組み立てている。一体何に使うつもりなのか……いや、何となくわかる。そのゴーレムはいやに扇情的なネグリジェを着せられているからだ。
ポン、と六枚目もアップされる。そこには何万と言う魔族と人間が写っていた。物凄く広角に撮っているその先に据えられたステージ。点のようにしか見えないはずなのに、そこで歌って踊るアイドルのオーラが伝わってくる。
続く七枚目には、そのアイドルと七三分けの陰気そうな男がアップで写っていた。アイドルの煌めきとはどう考えても釣り合わないはずの両者。しかし、そのアイドルは誰よりも幸せそうだった。堪えるつもりだったのであろうはずの涙が、彼女の頬を伝っている。この写真だけではイマイチ状況が伝わってこないが、八枚目を見ればそれがよくわかった。とんでもない美少女と七三は、ステージの上で抱き合っていたのだ。誰よりも幸せそうなアイドルは、その世界で最も幸福なドレスを身に纏っている。かつては感情をまるで感じさせなかった七三も、優しい笑みを浮かべていた。そしてこの写真が何より素晴らしいのは、そのカップルを、六枚目の写真に写っていたよりもさらに大勢の魔族と人間が祝福していることだ。
「あのアイドルでも、こんな幸せそうな顔をするんだな」
こみ上げてくる幸福感に浸っていると、九枚目の写真にはまた別の感情を抱かされた。それは、とある大英雄の墓標の写真だった。全ての人間の希望を託されて、恐ろしい魔王と一騎討ちし、見事打ち倒したしたその男を忘れる者はいないだろう。
そして、おそらくその男がもたらした最大の偉業が、続く十枚目に写されていた。
それは、人間界を背負った少年王と、先程のアイドルが手を握り合っている写真だった。両者の瞳には世界を変える決意と意欲が焔のように力強く宿っている。世界が動き出す瞬間を捉えた最高の一枚だと言って良い。オレも胸が熱くなった。
十一枚目からは、また雰囲気が変わる。広々とした光景からは離れ、狭い室内のものになったからだ。落ち着いたオレンジ色の灯りに照らされたそこは、小さな隠れ家的バー。青紫色したゾンビの女性と、半ズボンが似合う男の子が写っている。静かに酒や食事を嗜む彼女達は、とても大人っぽい。だか、その次の写真が酒を飲んで暴れている女騎士とハーピー、それをまた止めようとしている女執事と男の娘メイドなので、その大人っぽさが台無しだった。て言うか、いい歳した大人が他所のお店で暴れるなよ。迷惑だろ。
十二枚目からは、またお屋敷に戻ってのものだった。どこかの勇者が汚したのであろう汚部屋の掃除に勤しむ女執事、女騎士にセクハラされている男の娘メイド、ケルベロスの柔らかな体毛に身を沈めて眠るハーピーの四兄弟、何やら難しそうな表情で読書している魔女、七三眼鏡にデレデレしながらベタベタくっ付いている人魚。そして、その後一体何が起こったのか、悪鬼のような表情で暴れている人魚。おそらくだが、後ろに見え隠れしているハーピーのお姉さんがいらんことをしたのだろう。
全て、送られてきた全ての写真が、あの世界の幸福な姿だった。その後も次々とアップされていく写真達には、人々の未来と、魔族の繁栄、そして、オレと共に過ごしてくれた仲間達の笑顔があった。それは、辛かった仕事も、苦しかった生活も、何もかもがどうでも良くよくなるほど、嬉しいものだった。あぁ、良かったと。心の底からそう言える。彼らが、彼女達が幸せなのだ。幸せな世界へと歩んでいるのだ。
しかし、そんな写真にも終わりがあった。牧村のアドレスから送られてくる写真は、三十四枚目が最後だった。写真のアップが終わり、少し時間が経ってもオレはブラウザを見ていた。数分待って、もう見ていても仕方ないと思って俯く。
だが、
「っ!」
ピコン、と言うまた違った音で、ブラウザに写真がアップされた。それは、ある魔族の少女の写真だった。
「あ」
カールしたふわふわの髪。可愛らしいツノ。美しい蒼と朱の瞳。あどけない容姿なのに、とても凛とした美しい少女。
「あぁ……!」
それは、
「……リュカ」
リュカ。リュカだった。
オレを好きだと言ってくれた女の子。オレが初めて好きになった女の子。その子の写真が、一つ、また一つとアップされていく。
オレ達が集ったあの食堂で食事をする姿、父から譲り受けた部屋で執務に励む横顔、太陽の下で洗濯物を干す背中、ケルベロスとじゃれあう微笑み、それら全てが彼女の日常の写真だった。春の木漏れ日のように温かく、夏の青空のように清廉な少女が、ブラウザの向こうで輝いていた。
「くそ……! リュカだけ別にして送ってくるんじゃねぇよ……!!」
何だこれ。嫌がらせかよ。悪意を感じる。飛び切り可愛い姿、息を呑むほど美しい写真、胸が苦しくなるような笑顔、そんなものばかり送ってきやがる。これは卑怯だ。明らかな反則だ。
そんな気持ちにさせられたから、オレも一言返信してやろうと思い立った。三年ぶりに牧村にメールを。
「ありがとう」
迷いなく頭に浮かんだこの言葉を送る。送ったその時。
ーーピロリン
まだ開け放したままだった扉の向こうから、着信音が聞こえてきた。咄嗟に振り返って、瞬きした。壁から少しだけ、白いスカートの裾がはみ出している。
頭が真っ白になるほど体温が上がる。鼓動が激しくなる。
上手く動いてくれない指で、もう一度、送信。
ーーピロリン。
また、同じ音が。そこから。手の届く、その場所で。だから、オレは。最後に、こう打った。
ーーそこに、いる?
再び音がして、そして、オレのスマフォがまた震えた。
ーーはい。
オレは、今更あの女神様の言葉を思い出した。でも、良いのか。こんな、こんなことをしてもらって。こんなことが、オレなんかの身に起こって良いのか。
スマフォを握っていることもできなくなって、滑り落としてしまった。よろめきながら立ち上がって、数歩。狭いだけだった玄関まであと数歩。こんなにも長く、遠い数歩が、たった数秒で通り過ぎた。オレは左手の肘を扉に預けて、そして。
「っ!」
燃えるように愛おしい重みが、胸に飛び込んできた。足元に落ちた帽子が揺れる。
「……」
オレの鼓動の上に、おでこを押し当てられる。痺れて動けなくなっているオレの中で、小さな体躯が震えている。あの世界で、最も大事で、大切で、愛しかったあの子。
「あなたさまを、見つけてしまったから」
「あぁ」
「もう、ダメでした。私の気持ちは、もう……」
「いや、良い。もう何も、言わなくて良い」
感情を突き破って頬を伝う涙が、オレの限界を教えてくれていた。何もかもが決壊しそうなこの気持ちは、何と言葉にすればいいのだろう。
「重い、ですか……? 全てを捨てて、世界すら越えて追い掛けてくる女は、あなたさまにとって、重いですか?」
「あぁ。重い。重いよ……」
重い。これほどまでに何かを重いと思ったことなんて、無かった。だが、それが、
「この重さが、オレの幸せだったんだ……!!」
初めて後悔に襲われた。今のオレでは、不安と心細さに怯えるこの愛しい少女を、両腕で抱き締めてあげることができない。もう二度と離さないように、隙間を作らないようにしてあげることができない。
「つ、ぅ……」
「ごめん。少し我慢して」
「……はい」
オレは、右腕が無い分を左腕で埋めるしかない。乱暴なまでに力を込めるしかない。オレ達の体温と血液が混ざり合ってしまうまで、その小さな身体を抱き締めるしかない。
オレを追い掛けて来てくれたリュカを、何よりも強く抱き締めるしかない。顎から滑り落ちた涙が、リュカの耳朶にかかる。
「リュカ。何が、どうして、いや、どうやって? どうやってここに?」
「……ユニコと名乗る女性が、その、このままでは居た堪れないからと」
「は?」
「最初はご褒美のつもりだけだったけど、今は貴女のことが居た堪れないから、エドガーさまの元へ連れて行ってあげる、と」
「居た堪れないって、なに?」
ふわふわの髪に顔を埋めていると、リュカがみじろぎしながら言う。オレが肌で感じ取れるくらい、リュカの体温が急上昇していた。耳や首筋まで真っ赤にして、オレの胸に顔を押し付けてくる。
「エドガーさまとお別れしたあの時、私が思っていたこと、心の中で叫んでいたこと、あれ、全部。全部、レギオン中に響き渡っていたらしく……」
「え」
「こう、感情が昂まって、魔力が制御できていなかったみたいなんです。言葉が雷になって駆け巡っていたそうで……。それで、そんなに想うなら追い掛けろとか、女は諦めちゃダメだとか、世界中から私を叱咤激励するお手紙がお屋敷に殺到してきて……。あのリーリやパティちゃんですら、ちょっとこれは、むしろさっさと行ってくれないと困る、みたいな雰囲気を徐々に醸し出し始めまして……」
「……」
「もう、私、恥ずかしくて恥ずかしくて……!! 誰と会っても同じようなぬる〜い視線を向けられて、もう心身共に、弱ってしまって……!」
「わかった。オッケー。もう良い」
「あ、ちなみに、エドガーさまは私の想いを知った上で居なくなった、女の子泣かせの超極悪サイテーゴミクズ野郎として、魔界と人間界に銅像が建てられております。主にアヤさんの主導で」
「止めて! もう良いから! ホントお願い!」
感動的な空気は泡となって消え、変な汗が滝のように流れてきた。ヤバイ。向こうの世界でのオレ、超ヤバイ。しかも、リュカがこうしてオレの元に辿り着けたと言うことは、
「あ、御察しの通り、今後は牧村さんを通じて、私が魔界の皆さまと文通して色々と報告することになっております……」
「いやそれ公開処刑じゃん!!」
「それくらいの罰は受けるべきだとリーリとアヤさんが……」
「いや、まぁそうだけどさぁ……」
結局、どこまで行ってもあの世界とオレは、ドラマチックな関係になれないらしい。もっとぐだぐだした、誰もが呆れてしまうような、そんな感じで進むしかないのだろう。何とも言えない複雑な気持ちで頭をかいていると、
「ん!」
「え?」
「んん!」
抱き付いていたリュカが突然離れ、オレに向かって両手を広げてきた。
「え、なに? どした?」
「どした? じゃ、ありません! ほら! んん!」
「いや、んんって言われても……あ」
リュカの怒ったみたいな、拗ねたみたいな顔を見て、察した。真っ赤な顔のまま、唇をつんと突き出してオレにアピールしてくる。
これはきっと、あちらの世界の皆さまに強制的にやらされているのだ。再会したらまずやって来いと、何も言わずにやって来いと、そう言われているのだ。
「あー。えっと……だな」
「何ですか! 何でちょっと嫌そうなんですか!」
「いや、別に嫌って訳じゃないけどさ」
「全くもう! 意気地無しなのはちっとも変わりませんね!」
「む」
そう言えば、こう言うシーンは向こうでも何度かあって、オレはその度に誤魔化してきた。だからヘタレだの意気地無しだのと言われてきたのだ。だが、もしここでまた誤魔化せば、オレの悪名はさらに加熱してレギオンを駆け巡るだろう。
それは嫌だ。と言うか、これ以上、リュカに恥をかかせられない。潤んだ瞳には、特大の「期待」と「好き」が込められている。
「じゃ、目、つむって……」
「……はい」
その可愛らしい顎に手をかけて、くぃと上を向かせた。そうして初めて気が付いた。リュカ、過去最高にお洒落してる。超可愛くお化粧してる。
「いや、めっちゃ可愛いな」
「ふぇ!?」
驚きでリュカが目を開いた瞬間、その柔らかな唇を奪った。
「ん……」
重ねた唇を離した瞬間、リュカがポロポロ涙を溢し始めた。
「うぅ……。うぅぅぁ……!!」
「泣くな泣くな」
「らって、だってぇ……!」
泣き顔を見られたくないのだろう。再びオレの胸に顔を埋めて、ポカポカ叩いてくる。
オレはその右手を強引に捕まえ、そのまま片膝をついた。キザなやり方だけど、これがきっと相応しい。
都合が良い、ムシの良い話だと思われるかもしれない。だが、それでも構わない。
「どうか、お願いします。君を幸せにさせて下さい」
この子はお姫様だから。オレの宝物だから。
「これから、一緒に。どうかいつまでも」
「っ……!」
オレの真剣な告白に、リュカは少し驚いた後、
「はい……。どうか、どうか。よろしくお願い、します」
美しい瞳に涙をいっぱい溜めて、微笑みながらそっと頷いてくれた。そして、両手を広げてせがんでくる。オレはその手を取り、強く抱き寄せた。リュカも強く抱き返してくれた。
これが、オレの物語のおまけの話。大切な女の子と共に生きていくことができた、その最初の1ページ。
元世界最強のオレが異世界から帰ってきたら、魔王の娘を嫁に貰った。
こんなダサいタイトルでどうだろう。