二日酔いで行こう
朝起きると、そこは見たこともない場所だった。いや、それだと少し大げさすぎるか。オレが目を覚ました場所はなんの変哲もない空き家の二階。だが、それでは記憶の辻褄が合わない。オレは昨日、ギラと飲み比べをしていたのだから。
「こ、ここは……?」
横穴か窓かと聞かれれば横穴と答えるしかない場所からとてもとても微かな光が入ってきている。すると、奥の扉からリュカが現れた。オレと目があった瞬間、崩れるように駆け込んでくる。
「あぁ! エドガーさま! 目を覚まされたのですね!」
「うぐ……! リュカ? 何が、どうなってるんだ? ギラは、飲み比べはどうなった?」
頭が猛烈に痛む。一秒毎にトンカチで殴られているみたいだ。病名は二日酔いで間違いないだろう。
「それについてですが……」
「君の勝ちさ」
「え?」
「おはよう。よく寝てたね」
「あ、アキニタ……?」
「他の誰に見える?」
リュカの背中からひょっこり顔を出したのは、謎の少年のアキニタだ。ギラと一緒に魔王会議に出ていたり、転移魔法を使えたりと、こいつもよくわからない存在だ。ただ、こいつの中に悪意を感じたことはないから、今のところは危険ではないと思っている。
「勝った……のか?」
「マダム・ギラはゾンビだからね。日の出から後は行動できないんだ。つまり、君の粘り勝ちってこと」
「そう、か……。なんか全然実感がない、と言うか、普通に記憶がない」
「エドガーさま、最後の方は意識が朦朧としてましたから」
「リュカは知ってるのか?」
「はい。私はその時から起きてましたので」
爽やかな笑顔が眩しい。どうやらリュカは二日酔いしないタイプのようだ。
「団長さまと牧村さまもすでにお目覚めになられて、お二人で観光に行っておられます」
団長と牧村も同様らしい。なんかオレばかりが弱っていてカッコ悪いな。だが、この頭の痛さはちょっとどうしようもない。状況が違えば、薬を飲んでベッドの中で一日眠っていたいくらいだ。頭が働いてくれないせいで、龍王の右腕も上手く使えない。しばらくはズルができないみたいだ。
「それで、今は何時なんだ?」
「お昼を少し回ったところです」
「な!? めちゃくちゃ時間を無駄にしてるじゃねぇか!」
「す、すみません。凄く苦しそうに眠ってらしたので、なかなか無理に起こせなくて……」
「あ、いや、リュカに怒ってるんじゃないんだ。悪いのはオレなんだから」
オレがこの世界に居れるのは、これであと一日になった。最後の三日間のうちの半日を無駄にしてしまっている。頭が痛いだとか言ってる場合じゃない。
「なら、今すぐ次の場所に行こう!」
「次? どこに行くの決めてらっしゃるのですか?」
「あ、実を言うとそれはまだ……」
「本当に勢いだけで旅行に行くっておっしゃったんですね……」
流石のリュカも呆れ顔だ。
「なら、マミンの領地の鉱山地帯はどうかな」
「え?」
「魔界でも珍しい場所だし、今は運良くとても面白いことが起こってるよ」
「面白いことってなんだ?」
「それは行ってのお楽しみ」
鉱山地帯か。確かに、普段は見れないようなものが沢山見られるかもしれない。マミンの領地ならそこまで危険なことはないだろうし。
「リュカ、どうかな? 他に行きたい場所とか、見たいものとかないなら、オレは行ってみたいんだが」
「はい。もちろん。エドガーさまの行きたい場所になら、どこへでも」
「……なんか、昔そんなことを言われた気がするな」
「覚えていてくださいましたか?」
「あぁ。今じゃもう、懐かしいよ」
一緒にどこかに行けるなら。楽しげに笑い合って話をしたことがある。あの時は、その旅がこんなお別れの旅になるとは想像もしていなかった。リュカもそれをわかっているのか、微笑みが少し空回りしていた。
「じゃあ、団長と牧村を呼び戻して……」
「え……」
「え?」
リュカが何か言いたげに声を漏らした。
「あ、いいえ。何でもありません」
そして、すぐに可愛らしい笑顔に戻った。
「それであの二人、どこにいるんだ?」
「確か、お城の方に行ってくると。牧村さまは、何やら……あーるぴー、あーるぴー、何とやらに出てくる建物みたいだ、と」
「あぁ、あいつならそう言うだろうな。向こうの世界の話だから、リュカは気にしないでいいよ」
サタニキアの城の威容は、確かに一見の価値がある。人間の手ではどうやっても造れないような構造をしているし、迫力も満点だ。ゲームやファンタジー映画が好きな者からしたらヨダレが出るほど貴重だろう。
ということはつまり、少しでも牧村たちと合流する術を考えなくては。「嫌だ嫌だもっと探検するぅ」って言われる可能性がある。だが、ここから足で追いかけて行くんじゃ、時間がかかり過ぎる。龍王の右腕で一足飛びに向かおうにも、頭痛が酷くて上手くイメージができない。
「くそ、団体行動ができないってのは困るよな」
「あのお二人ですから」
どうするどうするどうすればいいんだと必死に頭を回していると、
「なら、僕が会わせてあげるよ」
「え?」
アキニタが当たり前のようにボソッと呟くと、右手に力を込め始めた。手の甲や指の神経が浮き出てくるほどの集中だ。
「ん……流石にあの二人は簡単にはいかないな」
魔力が渦のようになってアキニタの右手に集まっていく。魔力の濃度が濃すぎて、空間が歪んだみたいに見えるようになった。そして、その魔力がぱぁっと晴れる。その瞬間、
「ふぅ。危ないな」
「一つ聞く。敵意はないのだな?」
「もちろん」
団長の剣先がアキニタの喉元に突きつけられていた。隣にいた牧村も、いつでも魔法を発動できる状態にしている。二人とも完全なる戦闘態勢だ。
「いきなり魔法で転送されたから警戒したってところだね。でも大丈夫。僕はそこの人に頼まれただけだから」
「おや、ダーリンそこにいたのか。リュカも」
「あ、あぁ。アキニタの言ってるのは全て本当のことだ。だからその、落ち着いて欲しい」
「ダーリンが言うなら、信用しよう。どうだ? 旦那を立てる嫁っぽくないか?」
「いや別に」
戦闘の雰囲気を二言目には忘れられる神経がホントによくわからない。アキニタというあまりにも意味不明な存在にも、すでに大して警戒を敷いていない。
「それで、どうして我々を呼んだのだ? 楽しく観光していたと言うのに」
「そうだそうだ! 我が輩はもっとお城が見たかったでござる!」
「次の目的地が決まったから戻ってきてもらったんだよ。そんなに言うなら置いてくぞ」
「ふむ。どこに向かうと言うのだ?」
「マミンさまの領地の鉱山地帯です」
「なに!」
団長の顔つきが変わった。瞳に清廉な知性が宿る。これはかなり珍しい反応だった。期待のワクワクと緊張のヒリヒリが同居したような感じだ。何か因縁めいたものがあるのだろうか。オレの思考は顔に出てしまっていたのか、団長はフッと笑って首を振った。
「いや、なに、大した意味はないぞ。と言うより、マミンの領地は王国から一番遠いところにあって、交流が一切ないんだ。そう言う意味で、マミンを危険視する者も少なくない」
「な、なるほど」
マミンはアスモディアラと並んで穏健派のはずだが、まだ胸襟を開いているとは言えない関係なんだな。王国からしても、何も情報がない相手とは交渉もできないだろう。
「つまり、マミンの領地に行けるのは、団長的には、凄く嬉しいってことだな」
「あぁ。場合によっては戦争に発展してもおかしくない間柄を一気に縮める好機だ。ふふん。ダーリンめ。やはり相当のやり手だな?」
「え、いや、まるでそう言うわけじゃないんだが」
緩やかにテンションが上がっていく団長。オレとしてはのんびり落ち着いた旅行にしたかったのだが、最後くらい平和のためになることをしてもいいか。
「じゃあ、団長は参加。牧村はどうする? もちろん行くよな」
「え、あ。う、うーん。どうしようかな……」
「なんだ。付いて来ない選択肢なんてあるのか?」
「ま、まぁね。我が輩もそんなに暇じゃないって言うかぁ」
「お前だけには言われたくないセリフだな」
急に牧村がキョドリ始めた。いや、会った時から相当不審な奴だったが、これはあからさますぎる。吹けない口笛まで吹いて、何かを誤魔化そうとしている。えぇと。その真意がなんであれ、大勢の前では話してくれないだろう。
「ちょっと」
牧村の手を引いて部屋の隅に行く。
「なんだ? もう疲れちゃったのか? それとも、そんなにサタニキアの城が……」
「あー違う違う! はぁ……。もう。なんでわかんないかな。バカなの?」
黒髪をかきむしる牧村から出てきたのは遠慮ない暴言だった。どすどすと手刀が鳩尾に入ってくる。
「ば、バカって言うなよ」
「バカだよバカ。あのさぁ。もう最後なんでしょ? どうしてリュカちゃんと二人っきりで過ごそうとしないの?」
「あ、あー。それはだな」
「なに? なんか理由があんの?」
「いや、最初は確かにそう思ってたんだけどさ」
オレとリュカだけの時間があれば、とても素敵たと思った。実際、オレとリュカの間には、本当に「オレ達だけ」の場所や時間が少なかった。いつも誰かがそばに居たり、「オレ達だけ」を楽しめるほどの余裕がなかったり。
だが、それで損をしたとか、腹が立ったとか、そんなことを思ったことは一度もない。それはきっと、リュカも同じだったのではないだろうか。いや、きっとそうであって欲しい。そばに誰かが居てくれたから、楽しかった。苦しかった。そして何より、幸せだった。
「オレとリュカは、オレとリュカだけで作られてるんじゃないんだよ。リーリも団長も、パトリシアも、アヤさんも、皆んなが居てくれたから、今の関係になれたんだ」
心からそう思う。だから、勝手にどこかに行こうとしないで欲しい。て言うかそもそも、
「だからさ、今更遠慮とかすんなよな」
「う、うぅ……」
「ほら、行こうぜ」
牧村の手を引いて部屋の真ん中に戻る。そこには、柔らかな微笑みをたたえたリュカが待っていた。
「マキムラさん。行きましょう?」
「う、うん。ありがと……」
にこにこしながら牧村の手を取ったリュカ。そこからマイナスイオンがブワッと出ていた。
「よし。じゃあ行こう……って言いたいとこなんだが」
避けて通れない問題がある。情けないことに、オレは二日酔いのダメージが深刻で、上手く龍王の右腕が使えないのだ。そうなると、
「はぁ……。君、なんだかすっごく図々しくなってるね」
誰かに頼らなくてはならない。だとするなら、その「誰か」はこいつしかいない。
「頼む。あと一回だけ」
どうせこの世界にいるのはあと一日程度なのだ。ならば最後くらい、周りを頼っても良いだろう。牧村に頼めないこともないが、流石に四人を行ったことのない土地に飛ばすとなると、負担が大きい。
「まぁ、良いよ。別に出し惜しみするようなことでもないし」
「あぁ、ありがとう」
「あ、ありがとうございます!」
リュカが慌てて頭を下げる。それを横目で見たアキニタは、少し笑った。
「じゃあ、最後はゆっくり楽しめると良いね」
再びアキニタの両手に魔力が宿り始める。気を抜くと身体が吸い込まれてしまいそうな黒い大渦が生まれる。気恥ずかしくて迷ったが、リュカの肩をそっと抱き寄せた。リュカが驚いて顔を上げ、オレの目を見つめて、
「……あぁ」
よくわからない呟きをこぼした。それは誰に聞かせるつもりもないものだったのだろうが、オレの耳は拾ってしまった。
「なぁ、アキニタ」
己の感情を誤魔化すように、二度と会うことのない少年に問いかける。
「結局のところ、お前はなんなんだ?」
初めて会った時から不思議で不思議でたまらない存在。恐ろしいほどの莫大な魔力を持っていながら、魔界の表舞台に出てこない少年。
アキニタは真顔のまま瞳を閉じた。
「さぁね。ただ空に飽きただけさ」
「そうか」
教えてくれる気はないらしい。オレもアキニタを真似て瞼を下ろす。身体に巻きついてくるアキニタの魔力は心地よく、身を任せるのは簡単だった。そして、自分がまだ知らない場所に到達したことを感じたその時、
「は、あぁぁああぁあ!?」
空を覆い隠す巨大な拳が、オレ達目掛けて叩き落ちてきた。
「っ!」
団長が抜剣。一呼吸で両断する。こんなことができるのは団長だけだ。つまり、普通の人間なら即死していた状況に、オレたちは突然放り込まれている。
「な、なんだ!?」
「エドガーさま! うしろ!」
リュカが叫ぶ。オレは振り返りざまに龍王の右腕を掲げる。ズドンという重低音とともに、身体が折れ曲がるような衝撃を受ける。
オレ達が今居るのは、蒼白い岩石に囲まれた谷の底。剣のように尖った細い岩があちこちに聳え、細い吊り橋がそれらを繋いでいる。
そのそこかしこで、鋼色のゴーレムが暴れていた。かつて王都を襲った巨大ゴーレムほどの大きさのものが数体、人間と同程度の大きさのものが数百台。
「な、なんだ!? どうなってるんだ!?」
「ダーリン! 口ではなく手を動かせ!」
次々と襲いくるゴーレムを団長が斬りまくる。それでもなお潜り抜けてくるゴーレムは牧村が魔法で凍らせようとして、
「え!?」
「危ねぇ!」
魔法が発動しなかった。と言うより、発動してもゴーレムに効かなかった。
「あぁ、そいつらは魔法耐性上げてるから、一切効かないわよ」
「っ! マミン!?」
「やっぱり来たわね」
上から突然聞こえてきた声の主はマミンだった。漆黒のローブやマントに山高帽。大魔女の偉容に相応しい装いは、ボロボロだった。
「どうなってんだこれ!」
話している間にもゴーレムが群がってくる。その一体一体がやたらと強い。
「実験に失敗しちゃったの。戦争用にこっそり作っておいたゴーレム、四千七百八十五体、全部敵になっちゃった」
「はぁ!?」
マミンがパチリとウインクする。
「だから、こいつら倒すの手伝ってね」