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最後から一つ前の勝負



「まだまだ……! 勝負はこれからだ!」


 酒杯をあおる。視界がぐるぐる回っているが、これは退けない闘いだ。アルコールに焼かれる喉は無視しなければならない。


「う、ぐぇ。だ、ダメ……」


「こら、待て勇者! 待てってば!」


「オェ、オ、ぐうぇぇぇ……!」


「あぁ! だがら待てと言ったのに!」


 リーリが必死に止めようとしたが、その努力は及ばず、カウンターに酸っぱい匂いが広がった。牧村に紙袋を渡そうとした、唯一正気のリーリが一番の被害を受けた。本当に苦労性だな。


「ははは! こんなに楽しい飲み会は久しぶりだ! ほらほらリュカ! もっといけるだろう!?」


「いや、むりです。むりむりむりむり。助けて……お願いします! 助けてアヤさん!」


「えー。注がれた酒を呑まんのは領主としてダメやろ?」


「いや、だからって、あぁダメ。何か、何かが逆流してくる……」


「リュカも待て! 吐くならこれにしろ! って勇者! それは水じゃない! 貴様はしばらく動くな!」


 リュカは白い頬を真っ赤にしながらフラフラしている。そして牧村の目は死んでいる。リーリがそんな二人の世話に駆けずり回る。本来こんな状況を止めるべき大人である団長とアヤさんは、ニヤニヤしながらチビチビ呑んでいる。リーリ以外は一切役に立たなくなったが、関係ない。この闘いはオレのものだ。


「……さぁ、貴方は私に勝てるかしら」


「勝ってみせる!」


 ゾンビの女性が余裕の表情で微笑む中、レトロな飲み屋は酔っ払い共の地獄になってしまっていた。とにかく酸っぱい。













 洞窟都市に住む魔族は全員が戦闘を得意としている。団長が言うには、個々の能力だけなら魔界随一らしい。加えて恐ろしいのが、どいつもこいつも闘いが大好きの戦闘狂だと言うこと。仲間であっても些細な諍いから殺しあいに発展するし、人間なんて見た時には食事も忘れて襲いかかってくる。

 だが、洞窟都市を歩き始めて三十分ほどの今、オレ達はまだ一度も襲われていない。


「おぉ! あれがお城でござるか! RPGがそのまま飛び出してきたみたいでござる!」


 牧村は遠くに見えるサタニキアの城に大興奮。


「おぉ! これがサタニキア軍の武器鍛造所か! なるほど、これなら良質な武器を大量に配給できるな!」


 団長はサタニキア軍の強さの原点を発見できて大喜び。ここで得た新たな知識を王国に持ち帰るつもりらしい。


「後から付いてきた連中が一番はしゃいでるな。いや、悪いことじゃないんだけどさ」


「私はあんな風にあちこちに行かれるのは不安だがな。貴様の腕の力で他の魔族達から見えていないとは言え、いつ襲いかかってこられるか気が気じゃない」


「それは大丈夫だ。きっちり全員が見えないようにしてる」


 龍王の右腕(ドラゴン・アーム)の力を持ってすれば、全員を隠すことなど容易いことだ。すると、リュカがニコニコしながら話しかけてきた。


「エドガーさまのその右腕、頭で考えつくことは何でもできるのですよね?」


「あぁ、そうだよ」


「でも、最近まではそのことを知らず、知った後も色々と戸惑ったのですよね」


「そうそう。オレのせいで大変なことが起きるんじゃないかってめちゃくちゃビクビクしてたな」


「ですが、今はこんなにも完璧に制御できておられます。弛まぬ修練のおかげですね」


「そんな大したことじゃないけどな」


「ですが、訓練はされていたのですよね?」


「そうだよ」


「ではもちろん、他者から見えないようにする訓練もされていたのですよね?」


「……そうだよ」


「それで、そのお力をどんな風に試して、どんな風に使っておられたのですか?」


「…………………………」


「何か仰ってくださいな」


「牧村! 団長! 観光終わり! 案内したい場所があるから付いてきてくれ! ほら早く!」


「急になんでござるか〜」


「そうだぞ。好きにしろと言ったのはダーリンではないか」


 不満の声がぶーぶー上がってくるが、そんなの知ったことじゃない。知らぬ間に掘っていた墓穴から早く脱しなければ。リュカはまだニコニコしているが、流石に察した。これはダメな方のニコニコだ。リーリもしらーっとした目をしてはいるが、リュカがいるので自分から何かするつもりはないらしい。

 いや、ここで一言断っておくが、オレにも一端の正義感や良心はある。決して女性陣の尊厳を傷つけるようなことはしていない。ただ、たまたまパトリシアの着替えに遭遇したり、たまたまパトリシアの寝室に入ってしまったり、たまたまパトリシアと同じお風呂に入ってしまっただけなんだ。だが、これをリュカに言うとマズイことになるのはわかり切っているので、これ以上は話を進めないようにする。ありがたいことにリュカはそれ以上の追求はしてこなかった。


「エドガーさま、これはどこに向かっておられるのですか?」


「あぁ。ちょっと良い雰囲気の飲み屋があるんだよ。えっと、もう少し行ったところだから」


「本当か? そんなこと言って、ダーリンは我々をイヤらしい店に連れて行こうとしてるだけではないのか?」


「何でそんな風に思われなくちゃならねぇんだよ」


「それは普段の行いでござる」


 オレのイメージがどんどん悪くなってる気がする。普通に生活してるだけなんだが。


「あ、見えてきたぞ」


「スルーでござるか」


 一回行っただけで、それもかなり焦っていたから覚えてないかもと思っていたが、案外何とかなるものだ。薄暗い洞窟都市の中でも特に光の届かない地下室のような場所。それがマダム・ギラが営んでいる飲み屋だ。螺旋になっているレンガの階段を降りた先に、人間一人がやっと通れるくらいの扉があった。


「こんばんは」


 何て言って入ったらいいかわからないから、こんなつまらないセリフになってしまった。扉を開けた瞬間、外の荒々しい空気がふっと消えた。


「……珍しいお客さんね」


「お久しぶりです」


「……そんなこと言われるほど親しくないわ」


「あ、すみません」


 店内にいたのは、全身にツキハギがある顔色の悪い女性。ふわりと煙管を吸う姿は独特な雰囲気がある。

 レンガの壁にオレンジ色の灯り。狭いカウンターに、五つだけの席。以前来た時と変わらない内装に、ちょっと嬉しくなってしまった。


「お、おぉ? なかなか良い雰囲気のお店ではないか!」


「うわぁ。本当です! 素敵ですね!」


 団長とリュカが感激した表情で店内を見渡す。


「ほ、ほう。貴様にしては悪くないではないか」


「ふふん。だろ?」


「良いお店を知ってるってだけで男の評価が上がるのはどうかと思うでござるよ。本人の人間性なんて一切関係ないし」


「黙ってろ牧村」


 リーリも満更ではないようだ。と言うか、屋敷のメンバーで外食するって初めてだな。リュカもリーリもパトリシアも料理上手だから、外で食べる必要がないし、そもそも魔界には料理店って文化があまり無いのかもしれない。牧村以外の皆んなの反応が凄く新鮮で、オレも連れてきて良かったという気持ちが強くなる。


「……何が良いかしら」


「おすすめとかあるんでしょうか?」


 リュカがワクワクしている。


「……そうね。ツマミは人間の軟骨が美味しいわ。今なら耳たぶもつけるわよ」


 全員が震え上がった。


「……冗談よ」


 だっは〜! と大きく息を吐く。一気に疲労が増した。マダム・ギラは正真正銘のゾンビなので、そう言うホラーなセリフがよく似合う。似合い過ぎる。まぁ、これだけならちょっとエグめのブラックジョークですむのだが、運の悪いことに、こちらにはその冗談を聞き流せない立場の人間がいる。


「女主人。ここは人肉を提供しているのか?」


 団長だ。腰の剣に右手をかける。いきなり訪れた一触即発の展開にオレ達も動揺する。


「ちょ、団長! 待って!」


「待てんし見逃せん。答えろ女主人」


「……本当に冗談よ。人間を食べるような魔族はこの店に来ないもの」


「信用できんな」


「……婚活支援に尽力してる人間がたまにここに来るのだけど、紹介しましょうか?」


「ここは素晴らしい店だな! 置いている酒も皿も、椅子までも実に良い物だ!」


「あんたはそれで良いのか」


 団長が文字通りゴマすりを始めた。手揉みする人を現実世界で初めて見たが、全然嬉しくない経験だった。


「……貴方たちは無駄に騒がしいから、私が勝手にお出しした方が良いわね」


「おっと。そんな雑なやり口で金を巻き上げるつもりか。言っておくが、アスモディアラ家の資産なんてほぼ存在しないぞ」


 出費に敏感なリーリ。


「領地も領民もレヴィアさまの管轄になりましたからね」


「……あぁ。風の噂で聞いたわ。アスモディアラ領がレヴィア領に吸収されるって。本当だったのね」


 やっぱり広まっているのか。今後の魔界を、世界を左右させる大きな出来事だからかな。


「……そこのお兄さん」


「え、オレですか?」


「……他に男がいる?」


「……そう言えば、いませんね」


 てきぱきと手を働かせるマダム・ギラは、オレ達それぞれのお酒を作ってくれている。あ、でも牧村はダメだな。未成年だし。リュカとリーリは……ま、いっか。彼女達は確か百四十歳くらいだった気がする。


「……あなた、元の世界に帰るらしいわね」


 驚きで顔が跳ね上がった。マダム・ギラはグラスを丁寧に拭いているだけで、無表情だ。視線もオレではなく手元に向けている。


「……どうしてそれを」


「……うちのがね、聞いたらしいの。それだけなら別にいいのだけど、今回はそうじゃなくて」


「?」


「……憤怒の王サタニキアが、貴方を配下に欲しがっているの。気に入られちゃったみたいね」


「……っ!」


 それは、この世界の誰もが知っている名前だ。だが、ここ数千年は表世界に出てこなかった存在でもある。憤怒の王サタニキア。この世界を管理する三者のうちの、魔界担当。

 そんな存在が、オレを欲しがっているだなんて、想像すらしていなかった。


「配下って、何でオレが? 何を考えてるんだよ」


「……さぁ? 彼の考えなんて、誰にわかるはずもないわ」


 リュカには甘い香りのする乳白色の液体を。リーリにはぶどう色の炭酸水を。マダム・ギラの手捌きは見惚れるほど美しい。気がついた時には、団長には濃い紅の発泡酒を。牧村には湯気の立ちのぼる半透明な液体を。

 そして、オレには危険な雰囲気たっぷりの真っ赤な濁り酒を出してきた。マダム・ギラの妖しい瞳がオレを下から睨め付ける。何故か手先が震え、感覚が消えた。それなのに、左手が杯を持とうと動く。

 これは、ヤバい。勘がそう告げる。その時、


「ちょっと、待ってください!」


 リュカの声が響いた。痺れが消えて無くなった。


「貴女も知っているのでしょう? エドガーさまは、お帰りになられるのです。配下になれだなんて、そんなのはダメなんです!」


「この愚か者がベルゼヴィードを倒すことも、レヴィアとの領地問題の条件に含まれている。勝手に連れて行かれる訳にはいかないな」


 リーリもすかさず話に入ってきた。リュカとはまるで別の切り口だが、オレの意思を優先してくれていることは間違いない。


「そう言うことなんだ。オレはサタニキアの配下になんかならない。その意味もわからないし、なってる暇もない」


 まさかのスカウトに最初は困惑したが、リュカのおかげで正気に戻れた。


「……ふぅ」


 オレの瞳を少しだけ見たマダム・ギラが煙管を浅く吸った。そして、オレの顔めがけてそっと吐いてきた。


「……なら、勝負しかないわね」


「勝負?」


「……配下にしたいサタニキア。されたくない貴方。望みが対立した時は、闘うしかないのがこの世界」


 闘いは、嫌だ。サタニキアとの闘いなんて、どれだけの規模になるかもわからない。洞窟都市にいる全ての魔族が敵になることを考えただけでもゾッとする。そして何より、オレはもう、誰かと殺し合いなんてしたくない。オレの闘いはベルゼヴィードを最後にしたい。


「……勘違いしているようね」


「なに?」


「……闘うと言ったって、暴力には頼らないわ。ゾンビは脆い種族だもの」


「じゃぁ、どうやって」


「……ここは酒場。なら、どうやって闘うかなんてわかりきっているでしょう?」


 マダム・ギラはカウンターの下から巨大な瓶を取り出した。ごん、という音で、それがどれほど重いかが伝わってきた。


「ほほう。飲み比べか」


 すでに出されたお酒を飲みきっている団長が、楽しそうに言った。


「飲み比べ、ですか。そんな方法で良いのですか? いえ、勝負をしろと言っているわけではありませんが……」


「……私と、貴方たち。最後まで意識を保っていられた方が勝ち。貴方たちが勝てば、貴方たちの自由」


「ちょっと、待て。全員だと? 一対一ではなく?」


「……えぇ。そうよ。不満かしら?」


 舐められている? それとも、マダム・ギラはサタニキアの言うことを聞く気がない? こっちは五人だ。一対五の飲み比べなんて、成立するのか? いくら酒屋の主人とはいえ、無理があるだろ。


「リュカ、リーリ。どう思う?」


「これは、勝てせてくれると言うことではないでしょうか?」


「私もそう思う」


「だよな。なら、受けるべきだよな。勝ってしまえば良いわけだし」


「えぇ。受けましょう。微力ながらお手伝いさせていただきますね」


「私も、まぁ酒に強い訳ではないが、五分の一になるくらいなら問題ない」


「よし」


 何故か一切話に入ってこなくなった牧村が少し気になるが、勝たせてもらえるなら勝たせてもらう。


「受けるよ。マダム・ギラ」


「……ギラでいいわ。前にも言ったわよ」


「あ、はい」


「……じゃあ、最初の一杯。誰が飲む?」


「あ、はい。それではわたくしが」


 リュカが右手を挙げる。出されたのは手のひらに収まるほどの酒器に入った赤いお酒。甘さと苦さが混じり合った香りがふわっと広がる。これは、かなり高価で上等なお酒だな。


「っぷは」


「……いい飲みっぷりね」


「どうも」


 丁寧に両手で酒器を持ち上げたリュカが、赤酒を一息に飲み干した。飲み干した後、ほうっと息を吐いた。頬がほんのりと赤くなる姿は、少し色っぽい。見た目が幼いから、なんか余計にそう見える。


「おい。リュカを変な目で見るのはやめろ」


「いや、でもさ」


「江戸川殿はやっぱり変態でござるなぁ〜。子供っぽいリュカ殿が急に大人の仕草をしたから、ポッポと発情したでござるな?」


「いや、別にそうじゃ……って、おい牧村! もう酔ってんのか! てかお前が酒を飲むなよ!」


「えぇ〜。酒場でお酒飲むななんて、パソコンでWardするなって言ってるのと同じでござるよ〜」


「なんだその微妙に意味わからん例えは」


 すでに暴走の一歩手前の牧村に閉口していると、


「……お次は誰?」


 二杯目を出してきた。ギラはすでにリュカに酌をしてもらっているので、勝負はまだ続いている。


「じゃあ、オレが」


「江戸川殿ずるーい。我が輩も飲むでござる!」


「だからなんでもう酔っ払ってんだ! まだコップ一杯しか飲んでないだろ!」


「……勇者の世話は私がする。貴様は勝負に集中しろ」


「……頼むわ」


 酔っ払いのテンションになった牧村。これで牧村の援護はなくなった。まさか飲み比べに参加してすらいない段階で脱落者が出るとは。


「エドガーさま! はいイッキ! イッキ!」


 なんかリュカの様子もおかしいし。


「いただきます」


 勝負の一杯目。口の中に広がった旨みと香りに驚く。こんなに旨い酒は、久しぶり、いや、初めて飲んだ。


「……これはね、昔、どっかの馬鹿とどっかの馬鹿が三日三晩殺し合ってたところにサタニキアが贈り込んだものなの。とっても上等なのよ」


「なるほど。……なるほど?」


 よくわからないが、サタニキアもお気に入りの酒ということか。これなら飲み比べもそんなに苦痛にならないだろう。


「……はい、三杯目」


「エドガーさま! 次は私が! このリュカ・アスモディ……アスモディ……? あぁ、アスモディアラにお任せを!」


 はいオッケー。リュカはもう戦力にならないな。酔いやすいのか、それともこの酒のせいか。

 余裕かと思われた飲み比べ。どうやらギラは勝ちを譲ってくれるつもりはないらしい。意外と苦しい闘いになりそうだった。


「……はい。四杯目」


 ギラは水でも飲むかのように杯を傾けていく。


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