思い出を最後に
海の幻想号を埋め尽くす灼熱は、収まるどころか更に加速していく。リュカが降壇した直後に、突然レヴィアがステージに躍り出たのだ。「終戦の鐘」の余韻は跡形もなく弾き飛ばされ、すぐにレヴィアの独壇場となった。超高音のシャウトで観客を一気に自分のステージに引き込んだその実力はまさに天才的で、リュカが死ぬ思いで作った雰囲気など、薄雲のように追い払ってしまった。
「ん……。ここ、は……?」
「リュカ! 目が覚めたか!」
「リーリ……。私……は、勝負は、どうなったのですか」
「……」
あれから気絶するように眠ってしまっていたリュカが、やっと目を覚ました。堪え難いストレスと緊張を感じていたのだろう、まるまる二日は眠っていた。
「……どうして、何も言わないのですか? 今、どこに……。あ、あれ、ここは……?」
少しずつ意識がはっきりしてきたリュカが、辺りを見回す。彼女が眠っていた大き過ぎるベッドの周りには、ずっと手を握っていたリーリと、丁度様子を見に来たオレがいた。ここは、
「ここは、私達のお屋敷だ。帰ってきたんだ」
「帰って、きた……うぷ」
リュカの額に滲んだ汗を、冷たい布で拭う。しっかりと体を冷やすために頬を包んで、おたふく風邪になったみたいにする。
「こら、もっと優しくしろ! 不器用か!」
「わ、悪い」
リーリに布を引ったくられた。オレが持ってきた桶の冷水につけて、しっかりと絞っている。
「リュカ。君は、勝ったんだよ」
ぽかんとしているリュカを真っ直ぐ見つめる。やっと、伝えることができた。
「君の歌声を、レヴィアが認めてくれたんだ」
ここはかつてのアスモディアラの寝室だ。疲れたリュカを癒やすため、一番良いベッドに寝かせていたのだ。彼女の枕元には、丸めた一枚の羊皮紙が置かれている。
「これ、は……!」
それは、アスモディアラ領の譲渡における、当領民の安全確保を明確に記載した「証明書」だ。そこには、レヴィアのサインがしっかりと書き記されていた。世界に数えるほどしかない、超超希少で、高価なサイン。
「ま、レヴィアは自分が負けたなんて一言も言わなかったけどな」
ほら、これでいいでしょ。邪魔だからさっさと帰りなさい。レヴィアはそれだけ言うと、いきなり転移魔法でオレ達を屋敷まで飛ばしてしまった。余りに性急かつ乱雑なやり方で、オレ達もしばらくは屋敷の前で立ちぼうけになった。オレが抱えていたリュカが小さくクシャミをしなければ、小一時間はそのままだっただろう。
二日間、ほとんど寝ずに看病していたリーリは目の下にクマを作っている。だが、彼女の笑顔は清々しさでいっぱいだった。
「リュカ。先代魔王様にも負けない見事な働きだった。私は、君の執事であることを心から誇りに思う」
「そう……ですか。あぁ、良かった……。本当に、良かった。本当に……!」
感極まって泣き崩れたリュカを、リーリが静かに抱き寄せた。オレは少しの間、か弱い魔族の少女達に見惚れていたが、すぐに思い直し、パトリシアを呼びに行った。リュカがいつ目が覚めても良いように、じっくりと煮込んだスープを作ってくれているはずだ。
「非道いと思わないか?」
「いや?」
「……」
「非道いと思わないかっ!」
「いや別に?」
「…………」
「いやいや、非道いだろう!」
「だから、別にそうは思わんって」
「………………っ!」
「なぜだ! 非道いだろう! 非道いと言ってくれるまで私はいつまでも続けるぞ!」
「あーもう! わかった! わかったよ! 非道いよ。あんたの扱いは非道い! これでいいか!?」
「良くなーい! もっと私を労われ!」
「さっきから喧しいぞ貴様ら! 黙って食べれないなら出て行け!」
リュカがやっと食堂で食事ができるようになったというのに、この日の主役は別の人間だった。さっきから、というか、屋敷にやって来てからというもの、ずっとこの調子なのだ。療養明けのリュカを気遣うリーリがブチ切れるのもわかる。
「だって非道いだろう! あの戦争では私も功労者だ。両手を失ってまで殿を務めたんだ! それなのに、国民はどいつもこいつもみーんなクロードクロードと! 私も頑張ったんだから、もっと褒めてくれていいだろう!」
「子供か貴様は!」
寿命が縮みそうなレヴィアとの歌唱対決の後、やっと一息つけたタイミングで、この人がやってきた。先のルシアル軍対王国軍の戦争で最前線で闘っていた女騎士、ティナ・クリスティア。要は団長である。
レヴィアが軍神追悼ツアーを開催したことで、魔界と人間界には少し穏やかな空気が流れているが、それでも戦後であり、王国の状況はまだまだ戦時下みたいなものだ。暁の騎士団団長であり、王国軍最強の騎士である団長は、こんな風にプラプラしてていい身分ではないはずなのだが……。それなのに、性懲りも無くわざわざ馬車で魔王の屋敷までやって来ているのだ。
「戦後処理や部隊編成、新兵訓練で目が回りそうだったのだ。ちょっとくらい休暇を取ってもいいだろう!」
「それは、まぁ、大変だったな、と言うしかないけどさ。それに、仕事を片付けてから来たんなら、まぁ……」
「いや、仕事は全部アーノンに投げておいた」
「帰ったら命無いかもな」
暁の騎士団に所属するアーノンは騎士としても人間としても優秀なナイスガイだ。だが、そのせいで本来なら団長の仕事である書類整理や雑務などを無理やり押し付けられることが多い。彼自身は上司である団長を躊躇なく殴れる精神の持ち主だが、彼が哀れであることに変わりはない。きっと今頃、頭が沸騰しそうな忙しさの中で働いているはずだ。元凶である団長への負の感情は、メモリが振り切れそうなほど溜まっているだろう。
「それで、いつまでここにいるつもりだ? この領地はもうすぐレヴィアのものになる。あまり長居されると困るのだが」
だから早く人間界に帰れ。とリーリは暗に言っている。
「あぁ。歌唱対決の件か。私が馬車を走らせている時にはすでに魔界中に知れ渡っていたから安心しろ。ここがレヴィアの領地になっても私は気にしない」
「あんたが気にするしないの問題じゃねぇんだよ」
マジでしばらく居座るつもりだ。相変わらずとんでもない精神構造してやがる。オレなら力づくで追い出すこともできなくはないが、それは流石に、なぁ……。
「私は軽いバカンスのつもりだ。大ごとになるような下手は打たない。少しの間、ここで食っちゃ寝の生活をさせてくれないか?」
「……まぁ、団長さまには色々とご恩があり……あり……ありぃ……あったようななかったような気がしますので、居てくださるのは構いません。随分とお疲れのようですし」
「ありがとう。流石はリュカだ。という訳で服を脱いでいいか? 最近は堅苦しい正装を着てばっかりだったからストレスが溜まっているんだ」
「……」
一瞬でリュカが物凄く疲れた顔をした。居て良いよと言った一秒後に出て行ってくれとは言えないしな。だが、やはりまだ体力も気力も万全ではないらしく、団長の扱いをリーリに投げた。
「……リーリ、頑張ってください」
「え? いや、んー。うむ……。わかった」
仕事を投げてきた団長を、逗留先の主人が投げる。世の中の無責任は、こういう「めんどくさい」の疲労感の蓄積から生み出されるんだな。かく言うオレも、まだ何もしていないのに疲れた気分になった。やらねばならぬ大変なことはいくつもあるのに。団長はたった一人でも集団を疲弊させるだけのマイナスパワーを持っている。さっさと捨ててしまえそんなもん。
「あ、それで、アヤさんとマキムラさんは今どちらに? お姿が見えませんが」
リュカが気づいた。食堂にはリュカとオレ、団長。そして背後に控えるリーリとパトリシア。だが、屋敷で留守番していたはずのアヤさんと、一緒に行動していた牧村がいない。
「牧村はリュカの容態が落ち着いた段階で、レヴィアの独唱会に行ったよ。アレはあのまま放っておくと危なかったからな」
牧村はリュカを心配する気持ちと史上最高のアイドル、レヴィアの記念すべき独唱会に参加したい気持ちがせめぎ合って、なんかテンションがおかしかった。いつものござる口調が何故かおじゃる口調に変化し、最終的には無口になった。家事や看病では一切戦力にならないので、オレとリーリとパトリシアで相談して、牧村を独唱会に行かせたのだ。
「しかし、あんな精神状態で行かせて大丈夫なのだろうか。勇者がレヴィアの独唱会で大暴れしたなんて話、私は聞きたくないぞ」
「いや、でも牧村様はもうすでに会場でとんでもなく強力な魔法を披露されてますし……。勇名はすでに轟いていらっしゃるかと」
「そうじゃないんだパトリシア」
リーリが心配しているのは、牧村がマナー違反で出禁にされることだろう。だが、その点オレは心配していない。牧村は一流のオタクだ。愛すべき物や者には、迷惑をかけない。きっと今も全身全霊でレヴィアの独唱会を楽しんでいるだろう。もしかしたら親衛隊に混ざって踊り狂っているかもしれない。
「では、アヤさんは? もしかして、もうハーピーの集落に帰られたのですか? お屋敷を守ってくださっていたお礼を言いたかったのですが……」
残念そうに眉を寄せるリュカ。その様子を見たリーリが、厳しい視線をオレに向けてくる。執事服の裾中から、ハルバードが見え隠れしている。先程まではリーリの注意が団長に注がれていたが、それはなくなった。団長は大人しくパンをスープに浸して食べているだけ。
「リュカ、実はな」
食堂の空気が若干重くなった。リーリの視線や、俯き加減のパトリシアの表情を見て、リュカが一度大きく息を吸う。アヤさんに何かあったのだとわかったのだ。そして、その理由がオレにあることも。
「アヤさんには、ベルゼヴィードに会いに行ってもらってるんだ」
「え、な……えぇ!? ベルゼヴィードって、何故ですか!?」
「まぁ……。その、果たし状を届けに行ってもらったんだ」
「は、果たし状……? そ、それは、あ……」
ベルゼヴィードという単語は、魔界でも人間界でも禁句になっているが、リュカはそんなこと気にしていない。迷信とかは信じないタイプだからだ。だが、ベルゼヴィード本人が危険極まりない奴だということはよくわかっている。ベルゼヴィードは、リュカの父、魔王アスモディアラを決闘の末に打ち倒しているのだ。
そんな相手に果たし状なんて遠回りなやり方で接触を図る人間は、おそらくここにしかいない。
「エドガー、さま?」
「……ベルゼヴィードがどう出てくるはわからない。それはアヤさんが帰ってきてから聞くしか無いわけだし。でも」
リーリが小さく小さく舌打ちをし、パトリシアがそっと顔を背ける。団長は変わらずパンにスープを浸して食べていたが、瞳に覇気がなかった。誰しもが表情に暗い影を落としたこの一瞬で、食堂の空気がさらに冷え込む。息が白くなってもおかしくないと思えるほどに。
「三日後。オレはベルゼヴィードが指定してきた場所で闘い、勝ち、そのまま元の世界に帰る」
リュカの朱と蒼の瞳が大きく広がり、そして暗い色を湛えた。まだ本調子から程遠いのだろう、少しずつパンをちぎっていた手が止まる。いや、止まったままで、震えている。
「そう、ですか……」
「オレのできることは、もう多くない。領地の話も上手くいったわけだしな」
「はい。そうです、よね。もう何日も前からエドガーさまはおっしゃっておりました。具体的にメタいことを言えば、2018年の11月18日から」
「メタいことを言うな。まぁ、そう言うことだ」
「……はい」
受け入れてもらえたと思っていたし、リュカもリーリも、パトリシアも、オレの選択を尊重してくれている。でも、だからといって彼女達に不満や悲しみが無いわけではなない。ありがたいのか辛いのか、胸をきゅっと握られたみたいな感覚だった。だが、だからこそ、最後は誠実でいたい。
「だからさ、リュカの三日間を今からオレにくれないか?」
「……え?」
「旅行に行こう。オレとリュカの、二人で」
「え」
「あ?」
「お、お二人、ですか?」
リュカとリーリが停止している。まぁ、そうなってもおかしくはないと思っていた。
「オレはもう少し、魔界を見て回りたいんだ。だから、一緒に付いてきて欲しいんだ」
「ふ、二人……?」
「あぁ。二人」
「そ、それは、いわゆる、し、しし、新婚旅行というものですか!?」
「いや、それは全然違うけど」
リュカの白い首筋がぽーっという音を立てて朱に染まっていく。手から落としたフォークが机の端にあたって派手に落下した。
「し、新婚、旅行!?」
「パティ。違うから。まぁ、思い出作りってや……うぉ!? なんだよリーリ!? あぶねーだろ!」
「危ないのは貴様だ! 旅行と二人きりでリュカだと!? 下心しか感じられん! 旅行とリュカなど、私の目が黒いうちは……!!」
「落ち着け! こんがらがってる! それに、やましい気持ちなんてない!」
「変態野郎の言うことなど信じられるか!」
リーリの投擲したハルバードが、ズドンという重低音で壁に突き刺さる。というか貫通した。投げた本人も、夜色の髪の毛を妖しく靡かせた戦闘態勢。そして、リュカと同じく頬が真っ赤だ。
「まぁまぁリーリさん! エドガー様は嘘をつきません。本当に、この世界で作る最後の思い出として、リュカお嬢様とのご旅行を!」
「う、いや、それくらいは私もわかっているが……。しかし、だな」
「リーリ。ちょっと冷静になって見てみろ。オレなんかよりよっぽど危ない状態だぞ」
オレの指差した先では、熱でフラフラしているリュカがいる。何をどこまで想像してこんな状態になったのか、検証することもできないほどの興奮状態だ。
「え、エドガーさまと、旅行! 私と、ふ、ふた、二人で!」
この声を聞いた途端、リーリの負けは確定した。
「あ、あーーーーもぅ!!」