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最後の歌



 これが、一体感。十万の魔族と人間が、声を合わせて歌い上げる。実際は半分やけっぱちで、あと半分は鬱憤を晴らすために大声で喚いているだけだ。隣の者と音調を合わせようだとか、同じ大きさの声を出そうとか、そんなことは誰も考えていない。めいめいが好き勝手に、悲鳴や咆哮、怒号で歌っていた。


「皆さん! もう少し、もう少しです。どうか最後まで、歌って下さい!」


 二番が終わったタイミングで、リュカが再び夜空に叫ぶ。


「ここで、変えましょう! わたくし達の声で、この歌を、もう一度平和の歌に!!」


 全員で、全員で。ここに集まった魔族、人間の全てで、この歌を歌おう。歌声はきっと、届くのだから。氷の壁はすでに解除され、月の光がステージ上のリュカを輝かせる。


「あぁ……」


 思わず漏れた感嘆のため息。ここから数メートル先に、この世の天使がいる。大袈裟ではない。そう思っているのは俺だけではないはずだ。それほどまでに美しく神々しい少女が、支えすら持たず、孤独に立っていた。

 震える細い脚を懸命に叱咤し、力が抜けそうな喉を枯らして歌っている。

 だからみんな、気づいてくれ。お前たちの目の前に確かに存在しているのだ。この戦争ばかりの世界を変えることのできる白き女神が、そこにいる。


 「終戦の鐘」は最終章に差し掛かった。あとはもう声が尽きるまでシャウトしてやればいい。

 十万人の歌声。向いている方向は違っても、やりたいことが違っても、今この瞬間だけは、オレ達全員が仲間だった。


「これなら、きっと……!」


 オレがそう思った時、


「ーー。ーーーー! ーー。ーーーー、ーーーー、ーー。ーーーー!」


 全く別の方向から声が聞こえてきた。十万人が叫んでいる大音量の外から届いてきた音だというのに、おそらく、十万人が聞き取ったと思う。


「ーー。ーー。ーー!!」


「お、おい」


「あれ……」


「そうだよ。間違いない!」


「あれは、ルシアル軍の残党だ!」


 一つ山を越えた場所では、ルシアル軍の生き残りが戦線を敷いている。もともとは小人族という弱小部族の集まりだったゆえに、もう幾ばくの戦力も残っていないだろう。彼らが最後まで戦い抜くことを選んだのは、今は亡き王の誇りを守るためだ。

 そんなルシアル軍が、海の幻想号から聞こえてくる音色に合わせて歌っている。現在、レヴィア軍とルシアル軍は戦争状態にある中で、ルシアル軍は「終戦の鐘」を歌い始めていた。


「そう……そうです! だれも、この世界の誰もが、戦争なんてしたくないんです! 命を奪う行為を、認めてはいないのです!」


 リュカの頬に仄かな赤みがさす。緊張と恐怖で蝋人形のようになっていた彼女に、本来の愛らしさが戻ってきた。リュカの細肩にのしかかっていた重圧は、ここに集まった全ての人間、魔族へと広がっていった。今のリュカは、十万のファン、山向こうで震えていたルシアル軍の心の支えになっていた。


「嬢ちゃーん! 歌ってくれぇー!」


「俺の、俺達のために!」


「私達も手を貸すから……この恐怖を、希望に塗り替えさせて!」


 観衆は恐ろしい。一人一人の思いが練り上がり、勢いをつけて個人へとぶつけられる。一個人には受け止めきれないような期待や憧憬は、容易く個人を消し潰す。


「はい! 皆さん、もう少しです! 私に続いてください!」


 だが、リュカは負けない。観衆の声を受け止め、己が力に分解している。その姿はこの世界で、このステージで、誰よりも鮮明に、誰よりも絢爛に輝いていた。

 オレもリーリもパトリシアも、もうリュカの心配はしていない。リュカの心が何ものにも負けない強さを持っているのだとわかったからだ。もう大丈夫。ついさっきまで、胸が潰れてしまいそうなほどだった心配は微風に乗って消えていった。


「リュカ! ぶちかませ!」


 最終章は、君のものだ。












 目の前に繰り広げられている光景は、魔王レヴィアにとって信じがたいものだった。彼女の本拠地である海の幻想号に集まった十万のファンは、全て彼女のものだ。彼女だけを目当てに、彼女だけを喜びに生きてきた者達だ。

 それがいま、ぽっと出のど素人に奪われている。古い古い知り合いの娘が、レヴィアだけの物であるステージで歌い、ファンを一つに纏め上げている。

 だが、不思議と悔しさも焦りもなかった。不快感も。だって、ファンが楽しんでいるのなら、それでいいのだから。一人でも多くの人、魔族に笑顔になって欲しくて、アイドルなんてものをやり始めたのだから。


「昔の君を、思い出すよ」


 ステージの袖、白い髪の毛の少女から目が離せないでいると、急に背後から話しかけられた。


「え、あ!  ちょっと、何で帰ってきてるのよ!」


「すまない。だが仕方ないんだ。こんなにも素敵な声を聞かないことにはいかない」


「なによ。私のジャーマネのくせに」


 レヴィアがぷぃと頬を膨らませて腕を組む。彼女の隣に立っている、彼女をサポートしてきてくれたマネージャーの言い分が気に入らなかった。


「もちろん、君の方が上さ。でも、彼女だからできることがあり、彼女はいま、必死でそれ成そうとしている」


「わかってるわよ」


 こんなにも喋るマネージャーは久しぶりだった。いつも無表情なこの男は、歌や踊りのこととなると目の色が変わる。そして、全然似合っていないことを言うのだ。


「歌と踊りで、世界を平和にしたい」


 初めて会った時から、常に言い続けている。忘れはしない、あの、血で真っ赤になった海で立ち尽くしていたレヴィアに声をかけてくれた男。


「一緒に、さいたまスーパーアリーナに行かないか?」


 突然現れて、意味のわからないことを言ってきたこの男。だが、それがレヴィアの心の支柱になってくれた言葉だった。

 マネージャーという職業に勝手に就任してからは、ほとんど笑わなくなった。自分は影となり兵士となり、レヴィアを煌めかせるためだけに動いていた。それが、いま。


「リュカさんは、素晴らしいよ。君にもそれは伝わっているだろう」


「……ふん」


 そんなことを言うのだ。


 大合唱は最終地点に入った。そこには、レヴィアの独唱会ですら見せたことのないファンの姿があった。あんなにも汗を垂らして。あんなにも首筋を赤くして。全力で叫んでいる。全力で平和を願っている。それは、その光景はきっと。










 確か、マルクスだったかな。戦線を指揮しているはずのレヴィアのマネージャーが、いつのまにか彼女の隣にいた。相変わらずの七三分け眼鏡は、暗い存在感を放っている。一言で言えば地味。

 だが、今のマネージャーは、少しだけ表情があるように思えた。眼鏡の奥の瞳に、光が宿っているような気がする。そもそも、こいつの瞳が見えたのは初めてだ。魔族の瞳は特徴的な色をしていることが多いが、こいつはごく普通の黒だった。ますます昭和のリーマンにしか見えなくなってくる。すると、


「少年」


「え、あ、オレですか?」


「そうです」


 話しかけられた。機械みたいなマネージャーが、自分から誰かに話しかけるなんて、思ってもみなかったから、その相手がオレだと気づくのに時間がかかった。そして、今から何を語られるのかも全然想像できない。


「あの少女、アイドルとしてデビューさせてみませんか? 私がプロデュースします」


「はぁ?」


「彼女なら、レヴィア様の隣に立てるかもしれません。抜群の素養があると断言しましょう」


 まさかのスカウトだった。その口ぶりからすると、まるでレヴィアもこのマネージャーがプロデュースしたみたいだった。レヴィアの成功の陰に、実は敏腕マネージャーがいたのか? まぁ、こいつが六本の腕を持っているのは知っているが、そう言うことじゃないよな。

 だが、


「お断りします」


 答えたのは、リーリだった。リュカを必死に応援していた彼女だが、その耳はきちんと周囲の変化を捉えているのだ。


「リュカは、これから安全で、安穏で、慎ましやかな場所で生きていきます。魔王も領地もあいどるも、関係ない場所で」


 パトリシアも、オレ達のやりとりに気がついた。リーリの言葉に力強く頷いている。


「リュカには、何もかもが重過ぎる。あそこで歌っているのだって、奇跡みたいなものなんだ。一生分の勇気を振り絞っている」


 アスモディアラ亡き今、リュカは普通の魔族でしかない。昨日、レヴィアの前で強力な魔力を見せたが、あれも一時のブチ切れが引き起こしただけ。


「……っ!!」


 そしてこの瞬間、「終戦の鐘」という音楽が、終わりを告げた。十万の生き物達が一斉に沈黙し、凪となる。その落差は、耳がおかしくなったのかと思うほどだ。だが、次の瞬間。


「「「うぉおおおおおおおおおお!!!!」」」


 雷鳴のような叫びがこだました。万雷の拍手と雄叫び。号泣が漏らす嗚咽、飛び跳ねることで揺れる船。音が振動であると身体で感じられたのは初めてのことだった。震える空気が大波となって魔界に広がっいく。

 魔族も人間も、言葉にならない言葉を叫んでいる。感情が最高潮まで高まった時、生き物はただ叫ぶことしかできないのだ。理性を飛び越えた本能。

 その中心に、リュカがいた。やり遂げた充足感よりも、全力を出し尽くして呆然としている。荒くなった呼吸は治ることなく、そして、


「っと!」


 膝から崩れ落ちた。オレはその身体を下から支える。間に合ってよかった。


「リュカ……」


 オレの腕には大した力はかかっていない。軽い。羽のような軽さだ。こんな華奢な体躯で、こんな弱々しい五体で、このステージに立っていたのか。観客は自分達の感度と感激に浸っていて、リュカの状態を見れていない。そんな様子には若干の悔しさがあったが、これこそが、リュカの成した大偉業の結果ならば、オレが何か言えることもない。


「リーリ! 頼む!」


「あぁ!」


 リュカを左右から挟んでステージ袖に連れ戻す。この時、リュカが異常と言うべき熱を放っていることに気づいた。よく見なくても、顔や耳、首筋までが真っ赤になっている。真紅のドレスが褪せているようにすら見える。呼吸も荒い。これは、


「牧村!」


 とにかくまずは冷却シートを呼ぶ。


「ちょっと! 今なんか失礼な呼び方したでござるね!?」


「リュカを冷やしてやってくれ!」


「それはもちろんでござるが!」


 超強力な魔法で体力を失っている牧村だが、今は頼るしかない。あと一踏ん張りをお願いする。


「勇者! デコ、首筋、脇の下、膝裏!」


「えぇ!? わ、脇の下って、我が輩理性が……!!」


「変態オタク根性は引っこめろ!」


 嬉しそうな顔をするな!


「勇者さん! これを!」


 パトリシアが近くにあったカーテンを千切って差し出す。一応はレヴィアの持ち物のはずだが、主人のためなら躊躇はしないのがパトリシアだ。柔らかい布を牧村が凍らし、リュカの身体に当てる。また同時に、あらかじめ用意していた水をゆっくりと飲ませる。


「リュカ! リュカ! 大丈夫か!」


 全員で声をかけ続ける。すると、


「あ……」


 リュカが薄く目を開けた。


「リュカ!」


「あ、わ、わたくし……」


「終わったんだ! リュカはやり遂げたんだ!」


「そ、う……ですか」


 だが、再び目を閉じた。緊張が雷のように走る。


「あ……」


 パトリシアが呟いた。


「寝て……ますね」


「……」


「……」


「……」


 安心ゆえの沈黙が流れ、全員がその場にへたり込んだ。

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