歌います!
軍神追悼独唱会の記念すべき初日、海の幻想号に集まったファンの総数は十万を超えたらしい。会場である海の幻想号はちょっとした島と同じくらいの大きさだが、さすがにこれだけの数を収容することは難しいらしく、船の至るところにヒビが入ったり、穴が開いたりしてしまっていた。だが、それでもレヴィアは独唱会を予定通り開催するつもりだ。親衛隊が必死こいて設営していた出店などを全て取っ払い、無理やり観客席を確保したのだ。何日にも及ぶ過重労働のせいで、親衛隊は全員気絶、したりはしなかった。彼らは労働の代価として与えられた最前位置に陣取り、振り付けの最終確認を元気いっぱいに行っていた。彼らの汗が蒸気となって夜空に上がり、月の光を反射していて荘厳な美しさを醸し出している。知らない人間から見たら最高の景観だが、あれの元はオタク達の体液だと知っているオレはどうしても一歩引いてしまう。
「あ、あれがレヴィア親衛隊か……。さすがの威圧感だな」
「ですね……。魔界最強部隊と言われているのも納得できます」
リーリとパトリシアがごくりと唾を飲み込む。どちらかと言うと肯定的な評価だった。この世界ではオタクのヒエラルキーはそこそこ高いのだ。まぁ、レヴィアの親衛隊だからという点も大きいだろうが。
「親衛隊が大体五千。あとは一般のお客様ですね。魔族と人間は……ちょうど半々くらいでしょうか」
パトリシアが背伸びをして観客席を見ようとする。観客席はステージから遠くなるほどに高くなっていて、一番奥になると月の高さとほとんど変わりない。
今晩は、青の月も赤の月も溢れるような満月だった。照明の性質上は新月の方がやりやすいらしいが、レヴィアは今晩の開催を強行した。理由は本人のみぞ知るが、オレには何となくわかる気がする。
月の綺麗な夜に、ルシアルを追悼したいのだろう。この美しい月は、大酒飲みならきっと喜んで肴にする。
「それで、リュカはどんな調子だった?」
「落ち着いているように振舞ってはいたが、あれは相当緊張しているな。リュカは別に大勢の前に出るのが得意なわけではないしな」
「オレ達に心配かけまいとしてるのか……」
昨日の作戦会議が終わってから、オレとリュカは一度も顔を合わせていない。リュカは気持ちを整えることに集中していたし、オレはオレで、万が一ベルゼヴィードが出た場合に備えて、船の見取り図を覚える必要があったからだ。かなり大雑把ではあるが、主要通路の位置や大きな部屋などを知っておいた方がいい。牧村と二人で、一日かけて船内を回った。それでも一日では十分の一くらいしか把握できなかったが。
リュカが今、どんな気持ちでいるのか。これほどの数の魔族と人間を前に、たった一人でステージに立つ。それだけでも震えるほど恐ろしいのに、リュカの双肩にはアスモディアラ領の領民の命運がかかっている。レヴィアとの歌唱対決で敗れれば、領民がどんな仕打ちにあうかわからない。そして、それはリュカも然りだ。
そばにいてあげたいとも思った。出来ることなら、今すぐにでも会いに行きたい。オレなんかが会ったところで何の意味もないかもしれないが、少しでも勇気づけてあげたかった。だが、レヴィアがそれを許してくれなかったのだ。
「私に挑むなら、己のみでかかってきなさい。仲良しこよしでやるなら帰ることね」
そう言われた。そしてリュカも頷いた。勝負を受けたのは自分だからと、オレやパトリシア、リーリすら控え室から退出させた。
「あと、五分」
静かに上がっていた会場のボルテージが、少しだけなだらかになった。これから登場する主役に会場を任せるためだ。最前列の親衛隊が息を潜めるに従って、後方の観客達にも凪が広がっていく。
「凄いな……」
「で、ですね」
そんな光景を、オレとリーリ、パトリシアは食い入るように見つめていた。オレ達は、ステージの袖にいるのだ。リュカが歌う「終戦の鐘」は、この世界で生きる者にとっては身震いするような恐怖の象徴だ。その歌詞を聞いただけで、彼らがどんな行動に出るかは想像もできない。いざと言う時に備えて、即座にオレ達全員が逃亡できるように近くで待機しているのだ。牧村は親衛隊と混ざってしまったので、もうどうでもいい。
「……」
心臓が割れそうなほどドキドキする。胃液が意味もなく逆流してくる。側で見ているだけのオレでさえこんなにも緊張しているのだから、リュカが今現在味わっている恐怖はどれほどのものか。そして、
ドワっという音が目で見えそうなほどの騒めきが起こった。ステージ中央の床から、今晩の、いや、この世界の主役がせり上がってきたのだ。ドライアイスのような煙がステージに広がり、それがゆっくりと晴れていく。その瞬間、十万の観客が一斉に怒号と歓声を上げた。世界が震えそうな圧力が海の幻想号を中心にして撒き散らかされていく。これはきっと遠く離れた王都にも、洞窟都市サタニキアにも届いている。
だが、そんな大音声をかき消してしまうほどのシャウトが、一人のアイドルから発せられた。
「黙りなさい!!!!!!」
「うわっ!?」
「リーリ!?」
ここからステージまでは二、三十メートル近く離れている。それでも、リーリは思わず仰け反ってしまっていた。だが、
「う、うるさくない……。こんなにも耳に響いてくるのに、全然嫌じゃない……。むしろ!」
「は、はい。むしろ心地いいです。ずっと聴いていたいような……!」
リーリもパトリシアも、先程までの緊張など忘れてしまったかのように、ぱあっと頬を染めていた。不安や恐怖、もろもろのマイナスな感情全てがレヴィアの一声で取り払われたのだ。「黙れ」という攻撃的で威圧的な内容だというのに、身体の底から熱くなってくる。
これがレヴィアだ。聴くもの全てに勇気を与えるこの美しい声こそが、魔界アイドルレヴィアの真骨頂。セーラー服にハーフパンツというステージ衣装にしてはラフな姿のレヴィアだが、月よりも鮮やかな輝きを放っていた。当然、駆けつけた十万の観客達が一瞬で口をつぐむ。これから何が始まるのか。
「今から一曲だけ、このステージを私以外の者に貸し出すわ。理由を話すのは面倒だから察しなさい」
レヴィアが小気味よく指を鳴らす。すると、彼女の隣に小さな影が現れた。魔法で隠されていた姿が十万の観客達にお披露目される。
真紅のドレスを着たリュカが、今にも吐きそうなくらいの緊張した顔で立っていた。
「あ、あれはヤバくないか!?」
「う、うむ……」
限界ギリギリ、いや、限界突破して一周回っているリュカを見て、オレもリーリも飛び出したくなるほどの不安と焦燥を覚えた。ここから見える横顔も、耳も、首も、向こう側が透けてしまいそうなほど白くなっていた。リュカはもともと陶器のように美しい肌をしているが、あれはそういうレベルじゃない。だが、
「ふん」
レヴィアが片手を上げ、リュカに当たる照明の光を調整した。これなら、観客にリュカの不調や不安が伝染することはない。
「ほら。ここからはあなたの時間よ」
そして、レヴィアはゆっくりとステージ脇、オレ達の方へ歩いてきた。
「人魚の私が、最初から人型なのは初めてよ」
その言葉の真意は図れないが、そう言ってオレの隣に腕を組んで仁王立ちした。
「〜〜!!」
「っ!!」
リーリとパトリシアが声にならない奇声を上げている。スーパーアイドルが手の届く距離にいることに我を忘れていた。リュカが正念場にいることすら忘れてしまいほうなほどの興奮である。かく言うオレも、甘い痺れのようなものを全身に感じている。カリスマが色になって目に映りそうだった。
「あ……。あ、あーー」
だが、かすれた呼吸音に聞こえるリュカの声で、やっと我に返った。手に持ったマイクを通して、海の幻想号に弱々しい声が広がっていく。会場の視線が、リュカの小さな体躯に集中し、角から足先までを舐るように走査した。全く関係のないオレですら背筋が薄ら寒くなるほどの無遠慮な視線だった。
リュカが思わず後ずさる。
「リュ……!」
「まて!」
リュカを誰よりも愛しているリーリがそんな状況に耐え切れるはずもなく、リュカの元へ駆けつけようとする。だが、オレはそれを止めた。
「おい、これはもう……!」
「まて、もう少しだけ!」
もう少しだけ、リュカに時間をあげて欲しい。その想いが届いたのかはわからないが、リュカは引いた一歩を前に踏み出した。
「わ、私は、リュカ……リュカ・アスモディアラ! 雷神卿アスモディアラの、実娘です!」
悲鳴のようなキリキリした声で叫んだ。その音声の意味に観客達が騒めきを生み始める。
「雷神卿……?」
「ベルゼヴィードと闘ったのではないか?」
「娘がいるのは知っていたが、あんな小さな子だったのか」
「まて、何故そんな娘がレヴィアたんのステージに立っている?」
「さぁ……」
アスモディアラとベルゼヴィードの決闘は、まだ彼らの記憶に新しいはずだ。軍神ルシアルの戦死とも直結する名前でもある。だが、その実娘がここ、レヴィアのステージに立っている意味は、どうしたって理解できない。
だから、ここで説明するしかないのだ。リュカの口から、リュカの声で。
「わ、わ、私……は、アスモディアラ領の領主の権限をレヴィアさまに移譲するつもりでございます。そして、その際のアスモディアラ領民の安全保証を、レヴィアさまにお願いしております」
そうだ。頑張れ。頑張ってくれ!
「で、ですが、それはレヴィアさまに拒否され……ました。領民の安全は保証できない、と」
そう。だからリュカは。
「だから、私は今、レヴィアさまに歌で決闘を挑んでおります! 私とレヴィアさまが一曲ずつ歌い、どちらが『良かったか』を、皆さまに決めていただきたいのです!」
観客達にとっては寝耳に水の状況だろう。領民だとか領主だとか、それ以上に決闘だとか、レヴィアの歌声を聴きにかた彼らにはまるで関係のない話だからだ。また、事が大き過ぎて、うまく頭に入ってこない部分も大きい。
だが、
「いいぞー! 聴かせてみてくれ!」
レヴィア親衛隊の後ろにいた、おそらくは人間が、声をあげてくれた。一番最初にあがった声が肯定的だったのは奇跡であり、同時にリュカにとって最高の出来事だった。
「そうだそうだ! 頑張れ!」
「まぁ、一曲くらいなら……な!」
「リュカちゃん可愛いよー!」
「うぉおお!! こっち向いてくれ!!」
観客は、リュカの味方になってくれた。リュカの愛らしい外見を気に入ってくれた者、鈴のように綺麗な声に期待してくれた者、レヴィアに挑もうという心意気を評価してくれた者。それぞれがそれぞれの理由で、リュカを好意的に受け取り、手を叩いてくれた。十万の観客達が作る万雷の拍手。
「あ、ありがとう! ありがとうございます!」
死人のようだったリュカの肌が元の輝きを取り戻した。色んな方向に頭を下げる。そして、
「で、では、リュカ・アスモディアラ。心を込めて歌います!」
再び拍手が沸き起こる。
「曲は、終戦の鐘です!」
世界が凍りついた瞬間だった。




