終戦の鐘
「良いでござるか? アイドルには様々な素質が求められるでござる。歌唱力、ダンス、容姿、トーク力、マイクパフォーマンス。トップアイドルを目指すのであれば、この全てを平均以上に仕上げつつ、一つか二つ、他の追随を許さない能力が必要でござる」
牧村の力説するアイドル理論を、リュカが興味津々な表情で聞いている。日本特有の言葉や文化がちょくちょく飛び出してきていて、リーリやパトリシアは理解が追いついていない。それなのに、何故かリュカだけが力強く頷きながらメモを取っている。
「しかし、残念ながらリュカ殿は歌唱力の無さが致命的欠陥」
「ええ!?」
「致命的欠陥!」
「そ、そうかなぁ」
「そうだよ!」
オレとリーリが全力で叫んだ。
「まぁまぁ。何度もいうように致命的ではある。だがしかし! そんなものは全く気にしなくていいほど、リュカ殿は最強の武器を持っているでござる!」
「お茶を淹れて参りますね」
これは自分が聞いていても仕方ないと判断したパトリシアが、早々に別の仕事に取り掛かった。先程まではオレとリーリと一緒に、いかにしてレヴィアから平和的に逃げるかと、今後一切リュカに歌を歌わせないようにするかを探して話し合っていた。だが、残念ながらレヴィアの案件に関しては、行きつく所まで行きついてしまったという厳しい現実が立ち塞がった。リュカについては、屋敷で彼女に歌を連想させる単語を聞かせないことで、頭から歌を消し去ってもらう方向で話がついた。どちらも解決策には程遠い。
「それで、リュカの武器とはなんだ。もったいぶるな」
その結果、藁にもすがる思いで牧村の謎理論を聞いているのだ。飛躍に飛躍を重ねる支離滅裂とした理論にげっそりしていたが、一応は最後まで聞かないと判断ができない。
「ふふん。リーリ殿はわざと言っているでござるな? リーリ殿は我が輩たちの中で一番、リュカ殿の武器を知っているではないでござるか」
「なに?」
「まぁ良いでござる。リュカ殿の武器、それは即ち可愛さでござる!」
「なるほど」
「なるほど」
オレとリーリが間髪入れずに肯定するから、リュカがちょっと赤くなってもじもじしていた。
「レヴィアたんももちろん可愛いでござるが、可愛さの一点においては、リュカ殿が一歩勝っている。ここを全面に押し出さずして何とする!」
リュカの持つ可愛さでファンの心を掴むということか。確かに、誰しもは最初は外見で判断するしかない。リュカならば、老若男女、人間魔族に関わらず全ての者が好印象を抱くのは間違いない。
レヴィアの独唱会に集まっているファンは、歌やダンスだけでなく、レヴィア本人の輝きを楽しみにしている者も多いはずだ。だが、リュカならばそこに割って入っても全くみおとりしない。レヴィアと並んでステージに立ってしまえば両者の格の違いが見せつけられてしまうが、リュカは一人で歌うのだ。会場の視線は全てリュカに向かれ、物凄く可愛い女の子が何かをしようとしている、なんだろう。あの子は誰だろうと、必ず強い興味と期待感を持ってくれるはずだ。
「可愛さか。なら今の服装ではどうしようもならんな」
「いや、これはこれで一体感があっていいんじゃないか?」
「ひ、酷いですエドガーさま! この服で大勢の前に出るなんて、アスモディアラ家末代までの恥! 何より私の乙女心が!」
リュカはチェックのシャツをジーパンにインしたままの服装だ。どんなファッションモデルでも、このコーディネートをお洒落に着こなすのは無理だろう。めちゃくちゃ可愛いリュカが着ていても、あ、ダメだこれは、とすぐに納得してしまうほどなのだから。
「では、明日のための勝負服が必要というわけですね」
「そうだ。屋敷に帰れば無くはないが、今の状態で誰かが転移魔法をつかえば、レヴィアの機嫌を刺激する。この船の中にあるもので調達するしかない」
「だが、オレたちこの船のことなんか何も知らないぞ」
海の幻想号はちょっとした島くらいの大きさの船だ。数人がかりでも船の全容を理解するのは難しい。
「ここはレヴィアたんに衣装を借りるしかないでござる」
「あのレヴィアが闘う相手に親切にしてくれるか?」
「いや、歌唱対決を申し込んできたのはレヴィアだ。色々と使わせてくれるかもしれない」
これから百日ぶっ通しで独唱会を開催するレヴィアだ。衣装チェンジなんて死ぬほどするだろうし、その中の一着を何とか貸してもらえれば。
レヴィアとリュカは体格的にはほぼ同じ。あとは服の作りと色合いか。レヴィアは自分が人魚族であることをアピールするために、下半身は基本はスカート。魔法を使って人の形になった時は、ホットパンツを履いている。どちらをとっても、ダンスやマイクパフォーマンスでステージ上を歩き回る彼女に適した服なのだ。
今のリュカに最も適した服装。それは一体なんなのか。
「パティはどう思う?」
リーリが最初に聞いたのはパトリシアだった。屋敷オーガである彼女は、最近はリュカの衣類の管理をしている。リュカにどんな服が似合うのかはもちろん、TPOを弁えたコーディネイトを要求したい。
「そう、ですね。まずはステージは証明が明るすぎますから、複雑な色やデザインは避けるべきかと。なるべくシンプルがいいと思われます」
「うむ。シンプルイズベストは正義でござるからな」
「わかりました。では、パティちゃんと私で明日の衣装を決めましょう。是非お力を貸してくださいね」
「お、お任せを! このリゲル・パトリシア・オーガ。お嬢様を最も可愛らしく見せる衣装を必ず準備してみせます!」
衣装担当は決定。後に残ったのは。残ったのは……。
残ったオレたちは、一体何をすればいいのだ?
「我が輩たちは、リュカ殿が歌う曲の選曲をしなければならないでござる」
「選曲、か」
「何を選んでも一緒な気もするがな」
リュカのあのデスボイスではどんなヒットナンバーも音波爆弾に様変わりだ。歌唱力対決で歌唱力がゼロな場合、果たして対決を予定通り開催する必要があるのだろうか。
「お二方。諦めるのにはまだ早いでござる。諦めたらそこで試合終了ですよ」
「スラダンネタを絡めてくるな。それで、何か策があるんだな?」
「当然。ライブにきたファンたちが求めているものの中の一つに、『一体感』があるでござる」
「一体感?」
「アイドルと同じ空気を吸って、同じ振り付けを踊って、合いの手を入れて、ハモって、手を叩いて、そして最後は一緒に歌う! アイドルもファンも関係ない、自分たちの大好きな歌をみんなで歌う! だからファンたちは盛り上がり、アイドルはテンションを高め、最高の一体感となってライブが終わる。つまり、一体感こそがライブの真髄でござる!」
「なるほど」
一理ある。オレが以前参加した独唱会も、牧村が言うように物凄い一体感があった。数万の人間と魔族が、心も視線も、脈拍さえ一致しているような感じがした。家族とも恋人とも違う、ああいうのが、「同士」と言うのだろう。
「みんなで歌う、か。それならリュカの破滅的音痴も多少は誤魔化せるか」
「甘く考えるな。私に言わせればあの声はそうそう相殺できるものではない」
「だが他に方法もないだろ」
「そ、それは、そうだが……」
レヴィアの独唱会に対してリュカは合唱会で挑むということだ。
「となると、人間、魔族の両方がよく知っている歌を歌う必要があるでござる。我が輩や江戸川殿はその手のものは知らない。何かないでござるか?」
牧村がリーリに尋ねるが、オレは少し難しいのではないかと思った。オレはこれまで、レヴィアの曲を口ずさんでいる者も一人も見たことがないのだ。魔族も人間も知っていて、なおかつ親しまれている歌なんてあるのか? もしそれがあるのなら、魔族と人間はもっと友好的な関係だったと思う。そしてやはり、リーリも眉根を寄せて考えこむ。
「……あるには、ある」
だが、意外にもすんなり答えが返ってきた。
「あるのか!」
「あぁ。おそらく、魔族も人間も知っているし、歌えるだろう。歌えないも者の方が少ないくらいだ」
「ほう。それは良い。どんな歌でござる?」
どん詰まりの状況を抜け出すための突破口を見つけたにしては、リーリの口調は重苦しかった。合唱にそぐわない歌なのか、それともあまり幸福的な歌ではないのか。
「それって、もしかして呪いの歌、ですか?」
「呪い?」
笑えない不穏な単語が出てきた。リーリに問いかけたのはパトリシアで、口にしてしまった彼女は少し顔色を青くしていた。
「大昔の詩人が残した唄だ。曲名はなく、地域によって細かく歌詞が違ったりする」
「呪いということは、あまり良い印象の唄ではないでござるか?」
「あぁ。ただ、印象が悪くなったのはここ数十年の話なんだ」
リュカもリーリもパトリシアも、暗い表情で俯いた。
「どういうことだ? 詳しく説明してくれ」
「魔族と人間の八年続いた大戦争のある日、一人の兵士が突然歌い出したことで一日だけ停戦状態になったそうです。今だけは唄を歌おう。明日また殺しあうとしても、今日だけは共に歌おう。当時は終戦の鐘と呼ばれていました」
「戦場のメリークリスマスを彷彿とさせる良い唄ではござらんか。なぜそれが呪いなどと呼ばれるようになったでござる?」
「……ベルゼヴィードが、歌うんだ」
リーリの声には、納得のできない悔しさのようなものが強く混ざっていた。彼女たちが言うには、ベルゼヴィードが魔界や人間界に出現するようになった初期、あいつはいつもその唄を口ずさんでいたらしい。
理由はわかっておらず、ベルゼヴィードのみが知る。それに、ここ数年はベルゼヴィードも歌っていない。だが、同時のベルゼヴィードは平和を願う唄を歌いながら、魔族や人間を食い散らかしていったらしい。奴には誰も敵わず、毎回多数の死者が出た。そして、生き残った者が言うのだ。あの唄は呪いの唄だ。あいつは終戦の鐘を歌っていたと。
それ以後、終戦の鐘はベルゼヴィードを呼び寄せると言われるようになり、人々の心の中から消えていった。いや、恐怖で塗り替えられていった。だから誰も歌わない。歌ってはいけないという暗黙の了解だけが広がっている。
この世界で唯一の「唄」は、血に塗れている。それは、戦争の絶えない世界そのものを象徴しているように思えた。
「なるほど。そのようなことが……」
「もし、もしリュカが終戦の鐘を歌えば、観客達は全員いなくなるか、リュカに石を投げるだろう。レヴィアが飛び出してくるかもしれん」
「レヴィア様はつい最近ベルゼヴィードの襲撃に遭っていますし、かなり敏感になっています。いくら私が綺麗に歌い上げようと、あまり……」
綺麗に歌い上げることは無理だと全員が思ったが、そこにツッコム余裕はなかった。突破口が開けたと思ったオレと牧村は、特に深く黙り込んでしまう。だが、
「……もう、それしかないでござるな」
「え?」
牧村が呟く。
「勝ちの目は元々薄いでござる。賭けに出ねば勝負にならないでござるよ」
「ば、馬鹿なことを言うな! どんなことが起こるかわからないんだぞ!」
「その『どんなこと』をリュカ殿の勝利にするしかないでござる」
「っ!」
牧村の目は本気だ。そして、言っていることも全てその通りだった。奇跡を起こさねば、リュカは勝てない。守りに入っていてはダメなのだ。そして、絶対に守りに入ってはいけない人間がいる。それはオレだ。
「そう、だな。皆んなもわかってるだろう? 唄を歌ったからってベルゼヴィードが出てくるわけじゃない。そんなの迷信だ」
ベルゼヴィードの恐怖が、唄という形で広がっただけだ。唄に罪も悪もない。本来あるのは、平和を願う心のはずだ。
「もし、もし万が一ベルゼヴィードが出ても、オレが絶対にリュカを守る。リュカだけじゃない。この船に乗る全てを守ってみせる」
オレはそのためにいるのだ。それができるのは、オレだけなんだ。
リーリは何か言おうとしては、口を閉じるを繰り返している。もう本当に、それしかないのだ。
「……唄の印象を変えるだけでも、意味がありますね」
途中から静かに下を向いていたリュカが言った。それは、ここ一番で強く強く一歩を踏み出すリュカの逞しい声だった。
「そうだ。最後のチャンスだ」
「我が輩もこの身を賭して働くでござる!」
「わ、私も! 私も、私のできることを全てやります!」
パトリシアも賛成してくれた。小さな身体を精一杯大きくしようとしている。あとは、
「……貴様、今度こそ仕事を果たせよ」
「あぁ、必ず」
リーリも、頷いた。そして、全員で小さく笑った。
やるべきことは、歌うべき唄は決まった。あとは、奇跡を起こすだけだ。




