秘められし歌唱力
「それで、何の考えも勝算も作戦もなく、その場の勢いだけで勝負を引き受けてきたと?」
「……はい」
「相手は不世出、過去未来における最も優れたスーパーアイドルレヴィア。それを相手に歌唱対決だと?」
「……えっとぉ」
正座するリュカと見下ろすリーリ。さっきまでのレヴィアとリュカの構図と同じ。リーリがリュカの無鉄砲におかんむりという状況だ。だが、
「何をやっていたのだ貴様はぁ!!!! 愚か者め!!」
「えぇ!? なんでその流れでオレに来るんだよ!?」
いきなりオレに矛先が向いた。
「貴様が付いていながら何たる体たらく! 私の信頼を裏切りおって!」
「待て待て! 確かにオレも止められなかったけど、リュカが突っ走っちゃって止める間もなく……」
「それを止めるのが貴様の仕事だろう! リュカが怒ったという時点で理性とか思慮深さとかはまるっと吹っ飛んでいるのは想像に難くないはずだ! 猪みたいに勢いだけで突っ込んで大怪我をするのは普段からそうだろう! 何を見てきた!」
「リーリさんリーリさん。お嬢様が泣きそうになられているので、そのくらいで抑えて……」
レヴィアとの恐ろしき会談は終わった。今はその散々な成果を報告しているのだが、当然リーリは激怒している。もちろんオレもその気持ちは痛いほどわかる。不可能なのだ。あのレヴィア相手に歌唱勝負をし、ファンの十分の一に支持されることなど。
「その勝負、受けて立ちます」
「ふーん。なかなか良い度胸ね」
「待てリュカ! それはもう少し考えてからだな……」
「勝負の内容は?」
「聞いてくれよ!」
リュカとレヴィアの視線が青い火花を散らしている。そこにオレが入り込む隙間など一ミリもなかった。
「そうね。明日の独唱会で、お互いに一曲ずつ歌いましょう。それでどちらが良かったかをファンに審査させるの」
「なるほど」
なるほど、じゃねぇ。何で普通に頷いてるんだ。レヴィア相手に、レヴィアのステージで、レヴィアのファンの心を掴むなんて不可能だ。想像することすら馬鹿らしい。
「けど、当然私との実力差は歴然。私が勝つのは絶対。だからあなたは、五百のファンを獲得してみなさい」
「五百?」
「そう」
明日から始まる百日ぶっ通しの独唱会。その記念すべき初日のステージを観にくる観客は、約五万。つまり、レヴィアファンの百分の一から票を得てみろと言っている。だがそれでもオレには勝てると思えない。レヴィアのパフォーマンスを知っている者なら誰しもがそうだ。あれこそ最高最大のパフォーマンス。何もかもが桁違いなのだ。だが、
「わかりました。ですが、貴女の指定した数をこなす程度では意味がありません」
「お、おい、まさか……」
リュカが五本の指をめいっぱい開いて、レヴィアの鼻先に突きつけた。
「五千! 貴女のファンを五千、明日一日で奪ってみせましょう!」
「あぁ〜〜!! もう……!!」
レヴィアの頬がヒクついたのと、これ以上リュカの好きにやらせてはならないという思いで、俺はリュカの華奢な身体を抱え上げて船長室から逃げた。背後では猛烈な勢いで怒りの波濤が発せられていたが、それはすぐに集中力へと変化し、湖のように静かになっていった。流石はプロ。まだ興奮冷めやらぬリュカとは大違いだった。
正座するリュカを横目に、全員で顔を突き合わせて会議を続けている。内容は、票をもらうことではなく、どうやってレヴィアに許してもらうかだった。
「真摯に謝り続けるしかないのではないでしょうか」
「無理だ。レヴィアは謝罪なんてされ慣れているし、何とも思ってない。まだ三回会っただけだが、断言できる」
「同感だな。あれはワガママと傍若無人が形になって生まれたような魔王だ。相手を屈服させてなお踵で頭を踏みつける女だ」
「で、ではやはり歌唱対決しか……」
「それこそ無理だ。リーリもパティもレヴィアの歌を知らないだろう? あれを前にしちゃ、どんなパフォーマンスも赤子の悪戯だぞ」
「うーん……」
「うーん……」
抱える頭が一トンくらいの重さの気分だ。このまま行けばレヴィアは本気でアスモディアラ領に侵攻してくるし、オレたちもこの船から出してくれないだろう。魔王レヴィアと五万のファン全員が敵になる。龍王の右腕の力を使えば何とかできないこともないが、下手をするとあのアイドルオタク勇者がレヴィアに魅了されて敵に回る事態もあり得る。
「で、その牧村は何をしてるんだ」
「会場設営をお手伝いしてます。氷結魔法で」
「アホかアイツは」
何故オタクという奴らは好きなものの前じゃ超人並みの活力を発揮するのだろう。引きこもりのくせに嬉々として肉体労働してんじゃねぇよ。それにもし勇者だとバレたらどうするのだ。いや、でも人間界の王や要人にも招待状が届いているらしいし、その辺は大丈夫なのか? やっぱりこの世界はおかしい。
「み、皆さん! なんだか私が負ける前提で話をしてるように見えますが!?」
「見えてるだけなら医者を手配するぞ」
かつてなくリーリが冷たい。お説教が終わった後も、ドライアイスみたいな声と目つきをしていた。リュカがウッと呻くが、怯んだ心を叱咤して身を乗り出す。正座は崩せないが。
「皆さん知らないでしょうが、私はこう見えてお歌は得意なのですよ!」
「そうなのか、リーリ?」
「いや、リュカが歌っているところなど見たことがない」
「み、見てもいないで反対していたんですか!? 屈辱です!」
「そういえば、歌を歌う機会などこれまでなかったな」
魔界にカラオケはない。何か特別な用事や機会がなければ歌を歌うことはあまり無いのだろう。それに不思議と、レヴィアの歌を口ずさんでいる者も見たこともなかった。レヴィアの歌といえばいわゆるメジャーヒットソングだと思うが、そういうのを本人以外が歌うと言う考え方はないらしい。
「で、ではここで歌っていただくのはどうでしょう。それを聴いてから判断しても遅くはないのでは」
オレとリーリが完全に逆サイドなので、パトリシアはほんの少しだけリュカ寄りだ。本当によくできたメイドだなぁと感心する。
「まぁ、そうだな。リュカ、好きに歌ってみてくれ」
「お任せを! あ、立っていいですか?」
「座ったままだ」
リーリの怒りは冷えていない。座ったまま歌うのは難しいと思うが、まぁ実力を見るわけだからそれでも良いのか。
「では、お母さまが歌ってくれた子守唄を」
「覚えているのか」
「正確にはお父さまですけれど」
アスモディアラの子守唄か。あの渋く低い声で歌う子守唄とはどんなものだろう。子供には案外心地良くてころっと寝てしまうかもしれない。
「ですが、これだと私の声が外に響きませんか? レヴィアさまに伝わるかもしれませんよ」
「えらく自信あり気だな」
レヴィアはワガママだがケチではない。むしろ豪気で気前がいい。オレたち全員が一等の客室を一部屋ずつ与えられていた。オレたちの会議はオレの部屋で開催されているのだ。この豪華な部屋の造りを考えれば音漏れなんてするはずもないが、それにしてもリュカの自信はすごい。これはもしかして、本当にかなりの実力なのではないか? 昔カードゲームが得意だと言っていて、嘘つきのお茶会では実際に好成績を収めていた。よく聞かなくても小鳥のさえずりのような可愛らしい声をしているし。
「あ、あー。あー」
喉の調子を確認している。徐々に高くなっていく声は美しいファルセットになって部屋に響いた。
「こほん」
これはもしかして。オレたちが仄かな期待を抱いた次の瞬間、
かワぃい子よ やさシいしぃつにつつマれて眠れ〜!
ぃとしい子ヨ きッと明日ノ空はあぉイから〜!
全てがぶち壊された。リーリの獣耳がピンと張り、毛先まで一直線に尖る。
パトリシアが唾を気管に飲んだらしく、激しくむせる。
オレは龍王の右腕にまで鳥肌が立った。
これは……! ヒドイ!!
声に出して言った者はいない。そんな余裕すらなかった。だが全員が同じことを思った。音痴なんてレベルではない。ちょっとした破壊音波なみの「音」だった。
「りゅ、リュカ! やめろ!」
「お嬢様! 止めましょう! 今すぐ!」
オレとパトリシアは何とか堪えられるが、聴覚が優れたリーリは無理だ。両手で耳を抑えてうずくまっているが、それでも顔が真っ青になるほど苦しそうだった。そして、
「な、なんでござる!? 悪魔の産声みたいな音が甲板にまで聞こえているでござるよ!?」
その時、牧村が血相変えて飛び込んできた。服の首筋は労働の快い汗ではなく、震える冷や汗で濡れている。
「リュカ! やめろって! リュカ!」
命の危険すら感じ始めた。リーリを見ると、力なく気絶していた。耳栓もなくこの「音」を聞かせていては冗談抜きでマズイ! この場にいるのは人間であるオレと牧村、狼人族のリーリと、屋敷オーガのパトリシア。魔族よりも人間の方が感覚が鈍いから、オレが決死の覚悟でリュカの肩を掴む。
かワぃい子よ やさシいしぃつにつつマれて眠れ〜!
このままでは全員が永遠に眠ってしまう。だが、リュカは目をつむって自分の歌に酔いしれているからオレの声も聞こえていない。これはもう、仕方ない!
「おりゃ!」
「あぎっ!?」
空手チョップ。歌っている最中のリュカのおでこをそこそこの力で攻撃した。歌うことに夢中だったリュカは舌を噛むことになり、やっと歌が止まった。
「え、エドガーさま! 何をするんえすか! し、舌を噛んえしまいまひたよ!」
「それでいいんだよ」
「なぜ!」
「周り見てみろ」
「え……。え、あれ? 皆さんどうしたのですか?」
死屍累々だ。見ようによっては戦場と大差ないほどの惨状が広がっていた。「音」が止んだからわかるが、甲板で設営されていた機材が結構倒れている。がしゃん、ごしゃん、と、船底に近いオレたちの部屋にまで会場の物が倒壊しているのが聞こえてくるのだ。
「あ、あぁ、あ、大変! エドガーさま! リーリさん息してないです!」
「マジか! え、え、えっと人工呼吸!」
「お任せあれ! ギャルゲーイベで鍛えた吾輩の人工呼吸術を披露するでござる!」
「やめろ! 心配しかねぇ!」
よりにもよってギャルゲーから知識を拾ってくるか。あれはフィクションだから、本気にしちゃダメ!
「う、げほっ、がは!」
「リーリさん!」
「目覚ましたか! 良かった!」
「私、は……そうだ。リュカの攻撃にあって……」
「安心しろ。もう絶対、何があってもリュカには歌わせないから」
「そう、してくれ……。頭が、ガンガンする……!」
オレたちは今日、魔界にも体力殺戮兵器があるのだと身に染みて知ることになった。音波攻撃なんて、日本でも作られてないんじゃないかと思える超ハイテクノロジーな兵器。それこそが、リュカの歌なのだ。
「皆さん、なんだかおかしくないですか。何かあったのでしょうか」
「あった。嵐が」
「それで、それでそれで! 私の歌声はどうでしたか!? これならレヴィアさまにだって引けはとりませんよ」
なるほど。リュカの言っていることは間違いではない。「破壊力」。レヴィアのものとリュカのものは全然別の意味だが、その力だけなら両者は互角だった。歌姫の歌唱力と、音波兵器。どちらも人々に絶大な影響を与えるだろう。
「おい。逃げる方法を本気で考えるぞ。私はリュカをステージに立たせるわけにはいかなくなった」
「オレも激しく同感だ」
「すみません、お嬢様。私もちょっと……」
「え、え! どうしてですか!?」
説明するまでもない。もしかしたらレヴィアにオレたちからの攻撃かと思われるかもしれないから、早めに対策を練らないと。オレとリーリとパトリシアが逃亡に意識を向けたその時、
「ふむ。何やらよくわからんでござるが」
牧村が顎に手を当てながら言った。
「歌唱力対決でござるな。それなら吾輩専門でござる!」
「そうなんですか! これならゴーレムに金棒ですね!」
「お任せあれ!」
盛り上がりを見せ始めた夢見がちな女子を置いて、現実的な話し合いがオレとリーリとパトリシアの間で始まっていた。




