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新たなる闘い




「ぶっ殺す」


 殺意を向けられたことなど数え切れない。日本にいた時もそうだったし、それは魔界に来てからも変わらない。少しだけ違うのは、日本では疎まれていて、魔界では嫌われていたということ。要するに大半はリーリがオレに向けていた感情だ。

 だが、それらの殺意に現実感を感じたことはない。自分は誰にも負けないと自惚れていたし、事実その通りだった。だから、魔力を極限まで高めた状態のレヴィアの言葉は、オレにとっては初めて恐怖を覚えるほどの殺意だった。


「わかってると思うけど、私はナーバスになってるの。その辺りを考えた発言をすることね」


 本当にナーバスならこんな堂々と上から目線にならないと思う。集中力が高まっているのは確かだが、それはきっとナーバスということではない。


「まぁ座りなさいな」


 レヴィアが扇で示したのは、床だった。豪奢なソファに寝そべるレヴィアに対して、お前は床に座れと言っているのだ。リュカも特に迷うことなく従う。お嬢様であるリュカが胡座をかいたり体育座りをしたりすることはあり得ないから、自然と正座になった。この光景を見て、両者の持つ肩書きが同じ地位のものだと思う者はいないだろう。


「まずは、お部屋に入れていただき、ありがとうございます」


「前置きはいいわ」


「で、では。早速本題に……」


 やはりここぞという時のリュカは肝っ玉が据わっている。これだけ殺意ビンビンに睨みつけられているのに、こちらの言い分を語り始めた。レヴィアが眉を動かしたり尻尾を跳ねさせたりする度に声が裏返りはしたが、それでも最後まで主張を話し切った。贔屓目なしに言って、わかりやすく順序立てて話せていたし、レヴィアにも充分伝わったはずだ。その証拠に、レヴィアはリュカの言葉を一度も遮ることなく、黙って耳を傾けていた。

 これなら案外すんなり話が通るんじゃ……


「で? なんでこの私があんたの尻拭いしなくちゃいけないの?」


 と思っていた時期がオレにもあった。ほんの数秒ほど。小魚の吐く泡のように儚く脆く消え失せたが。


「し、尻拭い……ですか? い、いえ。わたくしたちはそのようなつもりはっ……!」


「あら、違うって言うの? 髪の毛だけじゃなくてオツムもフワフワしてるのかしら」


 あ、今リュカがちょっとムッとした。オツムという単語ではなく、髪の毛の方に。そこの話題になると恐ろしく敏感になるからなぁ。普通に可愛いと思うんだけど……などと考えてる場合じゃなかった。


「私は領主やりたくなーい。楽で楽しい生活がしたーい。そうだ、いいことを思いついたわ。隣の魔王が忙しそうだから、この隙に押し付けちゃえ。違う?」


「ち、違います! 私は領地や領民の皆さまのことを考えて!」


「本気でそうだとしたら、余計悪いわね」


 レヴィアが自分の首筋を扇ぐ。彼女の髪が風になびいて煌びやかに輝いてみせる。良い香りがオレまで届いてきた。だが、それに和んでいられるような状況ではない。徐々に徐々に、空気が冷えつき乾いていく。


「ま、どうしても献上したいって言うなら貰ってあげなくもないけど。記念すべき独唱会の開催に免じて、そのおちゃらけた理由には目を瞑ってあげる」


「そ、それは……」


 急にレヴィアが穏やかなことを言った。呼応するかのように空気も緩む。問題はあったが何とか話はまとまった。リュカはきっとそう思ったのだろう。俯きがちだった顔をパッと上げた。色違いの瞳が僅かな光を灯した。


「目障りな種族も苦しまないように皆殺しにしてあげるわ」


 だが、それはすぐにドス黒く塗り潰されることになった。緩みかけた空気は急転直下で再び冷え、絶対零度に到達する。


「な、な……」


「ラミアと、サキュバス。ハーピーも厄介ね。全く。あのタラシ魔王は女魔族ばっかり手懐けやがって」


「ど、どうして!」


 リュカの悲痛な叫びがこだまする。オレだって訳がわからなくて、背筋に寒気を覚えた。


「何でって、決まってるじゃない。後で反乱なんてされたら面倒だからよ。さっき言った奴らは戦闘力も高いし、元から潰すつもりだったし」


「は、反乱なんて起こさせません! 私がきちんとお話をして……」


「あんたの話なんて聞きゃしないわよ」


「っ!」


 リュカが言葉を失った。レヴィアの威圧感だけではない。そこに強い説得力があったからだ。確かに、リュカの言うことを聞いてくれるかどうかなんて、わからない。だからこそ、リュカは領地を譲ろうとしているところすらあるのだ。


「知らないだろうから教えてあげる。今、そこの山の向こうでジャーマネが戦ってるのよ」


「そ、それは」


「ルシアルは小人族の神様みたいなものだったし、心酔する魔族も多かった。殆どの領地は既に占領したけど、言うことを聞かない連中が戦線を敷いて抵抗しているわ」


 オレはあの老いた魔王を思い出していた。戦士として強いだけじゃなく、部下を見事に束ね上げる統率力を兼ね備えた真の魔王だった。従えていた魔族全てがルシアルを最高最上の王だと信じて疑っておらず、そんな生粋の部下たちが王の領地を攻め込まれることなど許すはずがないのだ。核を失ったとは言え、軍団の戦闘力は衰えてはいない。徹底抗戦を選択することに何ら疑問はなく、何故その流れを考えもしなかったのか、自分の浅慮が恥ずかしくなる。そして、レヴィアの右腕であるあの七三眼鏡の姿が見えないことも、もっと注意して考えるべきだった。レヴィア自身が最大規模と称する独唱会の準備に、あの男がいないのはおかしい。


「戦争は、続いているのか」


 終わってなどいない。人と魔族の争いも終結しているわけではないのだ。

 そして、レヴィアのカリスマ性を持っても懐柔できない種族は存在するということも判明した。他の魔王も、レヴィアと並び立つ紛れもない魔王なのだ。結局、どこまで行ってもわかり合うことはない。そんな血塗られた世界の中で、リュカのことを認めてくれる魔族が果たしてどれだけいるのか。これまでの魔王たちが、強大すぎるのだ。成り変われる者などいない。見下ろすレヴィアと、見下ろされるリュカ。そこには手が届くはずもない壁があった。


「早いとこ殺されたい奴と大人しく跪く奴を分けときなさい。ルシアルの件が片付いたら、またジャーマネを行かせてあげるわ」


 甘かった。オレも、リュカも、リーリでさえも。魔王アスモディアラに護られ続けてきたオレたちは、この世界のことを何もわかっていなかったのだ。軽々に動いたことで、レヴィアを刺激してしまっただけだった。


「あ、あ……」


 リュカはレヴィアの目を見ることができない。荒い呼吸で肩を揺らし、水を浴びた後のように汗をかいている。

 これはマズい。もう話し合いなんて不可能だ。いや、最初から話し合ってなどいなかったのかもしれない。ここから逃げる計算式を急いで構築する。リュカは気づいておらず、気づけるはずもないが、レヴィアの魔力が攻撃的に変化してきている。当然、オレたちを屋敷に帰してくれる、などと生易しいつもりはない。この世界から消し去らんとする攻撃魔法を練り上げているのだ。龍王の右腕(ドラゴン・アーム)なら防げないことはない。だが、何故か防げるイメージが湧いてきてくれない。これはおそらく、オレとレヴィアの生命体としての格の差だ。


「アスモディアラもレベッカも本当に馬鹿ね。娘をこんな甘っちょろく育てておいて、それを放り投げて死ぬんだから。それとも、結局はその程度だったってことかしら」


 膝の上に重ねたリュカの手が、小さく震えた。


「前と今の領主がこんななら、当然領民たちも腑抜けてるでしょうね。ルシアルの方は据え置きにして、先にそっちに攻め込んだ方が良い気もしてきたわ」


 レヴィアの口からアスモディアラへの悪態や悪口がボロボロ溢れ出してくる。口の悪いレヴィアではあるが、余程ストレスが溜まっていたのか、吐き捨てるような口調は異常なまでにエゲツない。絶え間なく降り積もっていく悪意の重みに、リュカはますます背中を丸めて小さくなっていく。オレも止めに入れない。

 そして、レヴィアが一際憎々しげに吐き捨てた。


「何一つ守れないまま死んだ馬鹿なんて、魔王の面汚しよ」


 あ。


「うるっさいっ!!!!」


 それは叫びだった。


「違う!! 貴女は何もわかっていない!!」


 かつてないほどの大声で叫び、口調を荒げて、リュカが立ち上がったのだ。


「お父さまは、私たちを守るために戦ったのです!! そして確かにこうして守って下さった!! その気高い魂をそれ以上侮辱するのなら、私は貴女を許さない!!」


「はぁ? なに急にいきり立ってんの? それに許さないってどうするつもりよ」


「今ここで、戦います!! 例え勝つことはできなくても、何にも話を聞こうとしないその耳噛みちぎって差し上げます!!」


「はんっ。箱入りが。随分ナメた口きいてくれるじゃない。お望みどおりブチ殺してやるわ」


「ちょっ……! ま、待てよ!」


「エドガーさまは黙っていてください!」


 やっとの事で止めに入ろうとしたオレは、有無を言わせぬ圧力で抑え込まれた。

 そんなオレに見向きもしないリュカは、水平に右手を掲げ、手のひらの中で稲妻が生みだした。爆弾低気圧のど真ん中みたいな轟音を上げた魔力が弾けて、リュカの角に集約していく。対してレヴィアも小声で長い詠唱を始めた。確実に七言魔法!


「っ!?」


 その魔法がいかにヤバいかは、一瞬でわかった。音が近づいてくるのだ。はるか遠く数百キロも離れたレヴィアの生まれ故郷、母なる海から、常識はずれの大津波が押し寄せて来ている!

 マズいなんてレベルじゃない。天変地異クラスの極大魔法攻撃。おそらくこれが、魔王会議でマミンが話にあげた災禍の津波(デス・ストローム)

 リュカの魔力は、オレがアスモディアラに初めて会った時に食らった魔法に匹敵、いや、上回るほどにまで高まっている。だが、それをオレは既に体験している。レヴィアの魔法も、一度は聞いたものだ。


 龍王の右腕(ドラゴン・アーム)に力を込め、睨み合う両者の間に割って入った。どちらの顔の前にも指を突きつけることで、魔法を無効化したことを分からせる。


「邪魔をしないでください。しばき回しますよ」


「しばき回すとか言うな。ちょっと落ち着け」


「いーえ。落ち着けません。私は激おこです。怒髪天をついています」


「その髪質じゃ不可能よ」


「ほらー!! こんなこと言うんですよ! 許せません!」


「だから落ち着けって……」


 リュカが腕をブンブン回して怒りを露わにしている。リュカをこれ以上こじらせると面倒だ。しばらくは話を聞いてくれないだろう。


「レヴィア。お前は気高い魔王だろう。身体的特徴をあげつらうのは良くないぞ」


「この私に道徳を説く気? 百年早いわ」


「……ま、四百歳こえてますからね」


「はい殺す!! 三枚におろす!!」


「リュカもやめろよ!!」


 オレの後ろでボソッと言ったのをレヴィアは聞き逃さなかった。あれ、レヴィアって三百歳くらいじゃなかったか? 

 髪質も年齢も、本人たちには大事なことかもしれないが、今はそれどころじゃないだろう。そんなことで魔界の領主同士に喧嘩されるわけにはいかないのだ。


「リュカ、ここで闘えば戦争になる。そうさせないために来たんだろ。レヴィアだって、独唱会やルシアルの残党との抗争とか、手一杯じゃないのか。ここでアスモディアラ領まで敵に回したら、マミンやサタニキアだって攻撃してくるかもしれない。四面楚歌になるぞ」


「むぅ……」


「チッ……」


 リュカが頬を膨らまし、レヴィアが舌打ちする。どうやら収まってくれた。だが、どちらもここで退くつもりなど更々ないらしい。


「わかったわ。なら、こうしましょう」


「なんですか?」


「戦争じゃない、もっと平和的に闘うのよ。そうね、例えば、そうね、独唱会で歌唱対決なんてどうかしら?」


「い、いや! それは無理ってもんが……!」


「いいでしょう」


「リュカ!?」


 今度は止めに入る間がなかった。

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