思い出はきっと
海の幻想号。超弩級戦艦五隻分の広さを誇る、現代社会では建造することは不可能な規模の豪華客船だ。もちろん、その用途は多種多様なものがある。漁、物資兵糧武器の運搬、他の領土への遠征の移動手段、海洋パトロール、そしてこの戦艦自らが持つ巨大杖による遠距離無差別魔法攻撃。三発あるタワーマンションみたいな杖から放たれる一撃は小さな村程度なら容易く更地にできるだけの威力がある。
そんな、人間、魔族にとってあまりに危険な、魔王レヴィアの所有艦。だが、この艦が建造された本来の目的は、そんな実用的で建設的で常識的なものではない。
その広すぎる甲板は全てファンのため。客船の中も基本的にはファンの寝所。そして一際高いところにあるステージは、魔界アイドルレヴィアがパフォーマンスを披露するため。
至る所に設置された杖や剣は、魔法による色彩豊かな光で彼女の美しさを照らし反射させ、ファンへと光速で届かせるため。甲板が広すぎてステージがよく見えないファンのためには、いくつかの地点でステージが見えるよう光の屈折を利用した投影魔法によるテレビのようなものを用意。
この海の幻想号にやってきた全てのファンが魔界アイドルレヴィアのパフォーマンスを余すことなく堪能できるためだけに設計されているのだ。
「ふ、ふぉおお!!」
「あ、あぁ!」
「こ、これは……」
「これが!」
「「これが魔界アイドルレヴィアの独唱会!!」」
艦の外に出ては色々面倒だからという理由で、オレたちは海の幻想号の甲板にワープしてきた。海を行く艦らしい潮の代わりが音になって聞こえて、こない。
「海の幻想号が、山に突っ込んでる!?」
海岸は目を凝らしてみても見えないほど遠くにある。そんな山奥に、超超超弩級艦が停泊していた。訳の分からない状況にオレも混乱を隠せない。だがそんなオレとは対照的に、初めて独唱会に参加するリーリとパトリシアが興奮で甲板上を走り回っている。昔一度来たことあるリュカや牧村も、遠くの山の峰に向かって喜びの歓声をあげている。どう考えても異常事態なこの状況を前にしても、誰も訝しむこともなければ驚くことすらせずに、無邪気な子犬のように駆け回っている。
「おいこら、おいこら。嬉しいのはわかるけど、そのテンションはちょっとおかしい。落ち着け」
「おお! 甲板後方の飲食の屋台はすでに出来上がっているでござる! あ、あぁ! あれあれ! ステージが前とは全然違う! これは更なるスーパーパフォーマンスが期待できるでござるよ!!」
ダメだ。牧村はもう別の世界に旅立っている。そういえばあいつ、自分用のチケット持ってないってこと忘れてるのか。こりゃ、牧村の分のチケットをもらうことも交渉条件に入りそうだ。もし後になって独唱会に参加できないなんてことになれば、その身を艦下へ投げかねない。
「おい、パティ! 危ないからあんまりうろうろしたら……」
牧村は早々に見切りをつけたオレは、もう興奮のし過ぎで耳や首筋まで真っ赤にしているパトリシアに叫ぶ。ついさっきまで隣にいたのに、何故か遠くに向かって走って行ってしまっている。
「これが! これが噂に聞く海の幻想号! 魔界のスーパーアイドルに相応しい威容です!」
可愛いさを振りまくメイド服のスカートが見てられないほどヒラヒラしている。すぐ近くで会場設営している魔族や人間の注目の的だ。漏れなく全員が鼻の下を伸ばしている点は気にくわない。
「おいこら見んな! リーリ! オレ一人じゃ無理だ! お前はリュカを……! ってダメか!」
冷静沈着をモットーにしているリーリでさえ、心ここにあらずの表情でステージを見つめている。こいつも独唱会は初参加だった。皆んなしてはしゃぎすぎだろ。この世界の住人にとってのレヴィアの独唱会は最早桃源郷だ。
「あぁもう、リュカ! そっち行っちゃダメだ!」
そしてアスモディアラ領の領主であるリュカも、その他の例に漏れることなく大喜びでステージへと走って行っている。今ステージに走っていくことに一体どんな意味があるというのか。有頂天になり過ぎて正常な思考力を失っている。
女の子達の騒ぎをどう鎮めたものか。あーでもないこーでもないと頭を抱えていると、
「おや。おやおや。これはこれは。懐かしい顔でござる!」
「え……あ! アスタル! アスタルじゃねぇか!」
「前回の独唱会以来でござるな!」
物凄く久しぶり、もう忘れてしまっていてもおかしくない声が聞こえてきた。その声のした方へ目を向けると、そこにはレヴィア親衛隊二番隊隊長、アスタルがいた。かつてオレがレヴィアの独唱会に参加した時に色々と教えてくれた気の良い人間だ。
「久しぶりだな! やっぱ来てたのか!」
「当然! 親衛隊は普段からレヴィアたんの活動の支援をしている報酬として、独唱会に参加する確率が上がるでござるよ!」
「それでも絶対じゃないのか」
「レヴィアたんは公平でござるからな。この制度も昔は無かったでござる。しかし、お主もレヴィアたんの魅力に病みつきになったようでござるな。前々日から会場にくるとは」
「あ、いや、間違いじゃないんだが、今回は付き添いみたいなもんなんだ。ほら、その辺で半乱狂になってる女の子たちがいるだろ。あれ危ないからどうにかしないと」
「ほう。レヴィアたんほどではないが、なかなかに良き少女たちでござる。しかし安心めされよ。ここにいるのは親衛隊のみ。浮かれた女の子にちょっかいかけるような不届き者はおらぬ」
「そうなのか。助かるけど」
言われてみれば、男たちはリュカたちのあまりの様子に一瞬は目を奪われていたが、今はもうすっかり自分の仕事に戻っている。そこには人間も魔族も関係ない。お互いが協力して汗水流して会場設営をしている。
「すごいな」
「これもレヴィアたんの魅力が成せる世界でござる」
レヴィアの元では、誰しもが平等。魔界と人間界が対立する世界の中にあって、奇跡のような場所だった。そういう意味では、ここが桃源郷だと言ったのは間違いではないのかもしれない。そして、これこそが、オレやリュカが求めるものだ。
「では拙者はまだ仕事があるから、これにて失礼するでござるよ」
「あぁ。その、さ」
「む?」
「会えて良かったよ」
人間界で出会ったシャンは、もう二度と会えない所に行ってしまった。クロードはオレの目の前で殉死していった。少しの期間の中で、オレと関わった人たちが命を落としていく。でも、アスタルはこうして生きていてくれた。昔と変わらない元気な姿で、魂を捧げてレヴィアの親衛隊を続けている。そのことが、オレはとても嬉しかった。
「拙者も。ここ数ヶ月は色々あったでござるからな」
アスタルもオレと同じような、もしくはもっと辛い体験をしてきたのだ。昔会った時にはなかった傷がデコの右側から右耳に向かって走っているのが見えた。眼鏡も前のものとは違う。オレたちのような小さな存在は、激的に変化していく世界の波に呑まれていく。抗いようのない巨大な力に翻弄され、引き潰されてしまう。でも、そんな世界でも、かつての友と再会できた。親切にしてくれたその人が、オレをちゃんと覚えていて、声をかけてくれた。胸の奥に暖かいものがじぃんと広がる。
「では、また会場で会えたら」
「あぁ」
そしてまた、こうしてオレたちは別れる。もう一度会えると信じてはいない。ただ、もしまた会うことがあれば、その時もこうやって挨拶ができれば良い。そんな風に思いながら。
アスタルは何やら大きな屋台の中で別の魔族に指示を出している。親衛隊二番隊隊長の名は伊達ではない。周りから頼られる存在なのだ。だからオレも、彼ほどではなくても、一緒に来てくれた女の子たちくらいは守らなくちゃいけない。
「まずは、おいリーリ!」
「あ」
「ほれ!」
「ぅわっ! なんだ、びっくりするではないか! 愚か者め!」
惚けていたリーリの目の前で猫騙しして覚醒させた。まずはオレに怒りの目を向けてきたが、オレが周囲を指差していくごとに、顔に焦りが浮かんでいく。
「パトリシア! あ、あ! リュカ! 何をしているんだ!」
「やっとか。ほら捕まえにいくぞ!」
「言われるまでもない! 私がリュカを確保する。貴様はパトリシアだ」
「おう」
「ふしだらなことはするなよ」
「するか!」
オレはリーリと別れて甲板の端の方でヨタヨタ歩いているパトリシアを後ろから捕獲した。後ろから抱きしめたとかいうロマチックなヤツじゃない。腰にがっしと手を突っ込んで高いたかーいである。
「……あ、あ。あぁ!!」
「わかったか?」
「わかります。わかってしまいます……」
「ま、危ないことなくてよかったよ」
オレに高いところまで持ち上げられたパトリシアは、普段見ることの少ない高さの視点を得た。そのおかげで冷静を取り戻すことができたようだ。自分の行動を自覚した今は、手の中に収まってしまうのではないほど縮こまっている。羞恥で。乙女としても、屋敷使えるメイドとしても、これはちょっと弁護しようのない失態だ。
「も、申し訳ございません。皆さまが心地よく過ごしていただける場所をご用意するのが私のお役目でしたのに……。こんな、こんな恥ずかしい醜態を晒してしまって……!」
そして思ったより落ち込んでいた。ミスの少ないパトリシアだが、たまにはウッカリというものもある。そいう時は謝罪をしながらもすぐに次回のために修正する意思を持つのだが、今回の暴走はちょっと難しいようだ。それが更に悪い方向へエスカレートしていく。
「私、私は。リュカお嬢様やエドガー様がとてもとても苦しんでおられるのに、何もできない。それだけならまだしも、こんな醜態を見せてしまうなんて。屋敷オーガ失格です……」
「そんなことないよ。多分。いつも屋敷を支えてくれてるのはパトリシアだ。君がいなくなったら、皆んながとっても困るんだから」
「そう、ですよね。でも、エドガー様は」
オレに高い高いされたパトリシアの首が回り、目と目が合う。世界の碧色の最も美しい部分をあつめたかのような瞳は、オレの心をすぅと吸い込んだ。
「でも、エドガー様は、困らないのですか? エドガー様がいなくなられては、リュカお嬢様が、私たちのお屋敷が、困ることはないのですか」
パトリシアの足を甲板に戻すが、オレとパトリシアの距離はぐっと近くなった。月光に映える金髪も、知性的な碧眼も、舐めることすらできる位置にある。
「困ると、思うよ。多分」
穀潰しだと言われていた。料理も洗濯も、何をやらせてもダメダメだったオレだ。だが、そんなオレでも、少しだけ頑張っていたこともあるにはあった。もしあれをオレがしなくなるかと思うと、少しばかり不安が増す。アヤさんは気づいていると思うが、それでも正式に伝えておこう。
「……なんだか、私の質問の意図とは違う部分を考えていそうです」
「そうだろうか?」
「はい。ですので、そこをはっきりさせないといけないと思うんです」
「それ、は……!?」
どう言う意味だろう、そう思って目をそらしたその時、オレの唇に柔らかいものが触れた。少しの潤いがのこった感覚が唇に柑橘の香りとともに残り続ける。オレは驚きすぎて何も喋れない。だがすぐに衝撃的な高揚感と戸惑いをブーストさせる。
パトリシアが、オレにキスをした。
「私は、もうこれで十分です。この日この瞬間の思い出があれば、きっと別れも大丈夫になるはずです」
「いや、そ、それは、どうだろうか」
「あ、やはりダメでした」
「ええ!?」
気がつくと、オレとパトリシアは設営中の店の陰に隠れて、周囲とは隔絶されていた。暗く奥まった道でのこの行為は、よほどのことがないと気付かれない。
「もう、一回。それだけで、我慢できますから……」
「お、おい。パトリシア」
「パティと呼んで……」
「パティ、ダメだぞ」
「え……」
オレの裾を離すまいとするパトリシアの手を、そっと上から包んだ。
「大丈夫。こんなことしなくても、パティとオレとはもっと素敵で楽しい思い出、いっぱいあるよ。朝起こしてきてくれたり、眠る前に暖かい紅茶を準備してくれていたり。そういうのが、オレにとっては全部宝物なんだ。そういう、パティが当たり前にやってきてくれたことが
オレにとっての宝物なんだ。だから、わがままかもしれない。でも、パティにもそうであってほしい」
だからほら。こんな誰かに隠れてなんてすることないんだよ。ほら。行こう。
「あ、エドガー、様!?」
「ほら。ぃよっと」
「あ、あぁ!?」
オレはパトリシアの肩と膝裏に手を当て抱え上げた。お姫様抱っこである。ちょっと目立つけど、これで戻ろう。
「思えば、オレがお姫様抱っこをしたのはパティが最初だったな」
「え」
「ホント」
「な、なら。私はそれで十分です。エドガー様との初めての思い出があるなら、私は、嬉しいです!」
「……ありがとう」
こんなオレと一緒にいてくれて。そして、一緒に楽しい時間を過ごしてくれて。本当にありがとう。パトリシアが今日までオレにしてきてくれたことの全てを、オレは絶対に忘れない。
「あ、遅い! 何をしていた!」
「いや、ちょっと、な?」
「はい」
オレとパトリシアは目を合わせ笑い合う。
「あー! パティちゃん何かありましたね! それに、お、お姫様抱っこ!」
「ふふ。何でもないですよ」
「嘘ばっかり!」
天使のように甲板に降り立ったパトリシアは、満面の笑顔でリュカの元へ駆けていく。常識的な姦しさを取り戻した女の子たちの会話を、オレは少し離れたところから聞いていた。オレが彼女たちの前からいなくなる時、オレはどうな風に理屈をつけるのだろうか。




