小さなカケラ
紅茶を持ってきてくれたパトリシアは、そそくさと退散していった。それはまるでこれからの話を聞くことを意図的に拒んでいるかのようだった。
「江戸川殿の言い分はわかったでござる」
「あぁ」
「しかしまぁ、やることがある、と言っていたのはこのことでござったか。偉く格好つけていた割に、選んだのは逃げの一手でごさるな」
「そう、だな」
紅茶が冷めていくのをオレと牧村は眺めている。向かい合うのではなく隣り合っているのは助かった。お互いの微妙な表情を見ないですむ。
「断っておくでござるが、我が輩は江戸川殿の選択を支持するでござるよ。大小はあれど、逃げるというのは人間にとって大切なことでござる」
「そう、だろうな」
「……お前が言うな、とは言わないでござるか」
言わない。逃亡を選んだオレにその資格がない、と言うより、オレには牧村が逃げているようには思えなかった。確かに狭い部屋に引きこもっていた時期はあった。だが、その間も牧村は闘い続けていた。オレとは違う。行動の果てに逃げることを選んだオレと、留まることを選んだ牧村では、大きく在り方が異なっている。
「詳しく言うつもりはないでござるが、我が輩は昔は結構頑張っていたでござる」
「昔は、なんて言うなよ」
「でも今思うと、もう少し早くその場から離れていれば良かったとも思うでござる。そのおかげでこうして沢山の人に会えたのは嬉しいでござるが、別に日本で普通に幸せになることだって出来たはずでござる」
なんでこんな真面目な話をしているのに、こいつはござる口調なのだろう。シリアスになりきれない。狙っているのならありがたいし大したものだが、多分普通に素だから手に負えない。
「ちょっと。我が輩が良いこと言ってるのに、なんで上の空でござるか」
「いや、別に。気にするな」
「煮え切らないでござるなぁ」
ござる口調はダサいともう言ってあるので、念押しはしないでおこう。こいつはもうこのまま押し通すつもりだ。それはそれで一つの信念。
「牧村、一つ言っときたいんだが、別にお前までオレに付き合う必要はないからな。無理して日本に帰ったりしないでいいんだぞ」
牧村もイレギュラーの一つではあるが、ユニコが自分から引っ張ってきたのだ。それに、こいつなら与えられた強大な力を上手く周りと使っていけると思う。こいつがやっと手に入れた心休まる居場所をわざわざ捨てる必要など微塵もない。
「それに、オレは元々お前の更生のためにやって来たわけで、それももう終わってるからな。これも帰る理由だ」
「おい。それは絶対にリュカ殿たちに言ってはダメでござるぞ。末代まで呪われてしまう」
「リュカはそんなことしねぇし、お前に子孫は残せねぇよ」
「失礼な」
「なら否定できるのか?」
「その話はさて置き」
逃げやがった。華麗にさて置くなよ。まぁ他愛ない軽口だし、別段必要なものでもない。
「しかし、江戸川殿なら理解していると思うでござるが、お主、実は女性陣にめちゃくちゃ依存しているでござるからな。こんな勝手なことしてるのに、心のどこかで受け入れてくれると信じているでござろう」
「……返す言葉もないな」
「それもある意味信頼関係かな」
「……? なんか言ったか?」
「何でもないでござる。さて」
微かな温かみだけが残る紅茶に口をつけた牧村が、こっちに向き直った。今更だが結構距離が近い。こうして見ると、こいつは本当に可愛らしい顔つきをしている。だが今はそんな話ではない。牧村がわざわざ声に出して話の転換をしたのだ。どう言う意図があるのか、しっかり受け止めなくては。
「これ、でござる」
「あ?」
「おや。江戸川殿もよくご存知のはずでござるが。知らんとは言わせんでござるよ」
「い、いや。わかるけどさ。これが何なんだよ」
牧村がテーブルの上に置いたのは、片手に収まる通信装置。いわゆるケータイ電話だ。今じゃあまり見なくなっている、いわゆるガラケー。
「実はこれ、かなり前にリュカ殿に頼まれて、一機ちょろまか……ゲフンゲフン、契約してきたものでござる。ちなみにこっちが我が輩の」
次に出されたのはおそらく最新式のスマートフォン。
「この世界にはまるで似つかわしくないとは思うが、これがどうしたんだ?」
「こっちのガラケーはリュカ殿と同じ機種ってだけで、ご本人のものではないでござる。ちょっと見るでござる」
ガラケーをいじり出した牧村は、ある画面で停止させた。そこには「女泣かせ氏すべし」という思いっきり当てつけの一文。そしてピロリンという音とともにメールが飛んでいった。
「これは我が輩のこのスマフォに向けて飛ばしているでござる。けど」
「……」
「……」
「……」
「……ね? 届かないでござる」
「だからなん……いや、だったらさっき、どうやってリュカはお前にメールを送ったんだ?」
「うむ。電波とか通信とかは完全に門外漢の我が輩でござるが、これはどうやらこの世界に微弱に漂っている魔力が原因らしいでござる。だからこのスマフォ、写真機能くらいしかまともに使えないでござる」
「ちょっと待て。でもお前は引きこもってる時にパソコンとかテレビとか持ち込んできてたじゃないか」
「あれは我が輩の異世界転移能力を使って電波の送受信をしていたでござる。日本と無理やり繋いで」
なんかなぁ、そう言う技術や技量をもっと別のことに役立てて欲しい。この世界の文化レベルを上げることに貢献しろなんて言わないけど、ちょっとくらいはやって良いんじゃないだろうか。あ。いや。牧村だし別に良いや。ろくでもない方向に向かってしまうのが手に取るようにわかった。どうせレヴィアの独唱会の配信とかしかしない。
「だから我が輩が言いたいのは、リュカ殿の魔法のことでござる。彼女、雷鬼族と三眼族のハーフらしいでござるよ。名馬もびっくりのサラブレッド」
「雷鬼族ってのはアスモディアラだよな。お母さんは三眼族……。でも、それとスマフォの件に何の関係があるんだ?」
「うむ。リュカ殿に聞いた話では、三眼族というのは恐ろしく遠い場所にあるものも『視える』らしいでござる。そして雷鬼族は言わずもがな、雷と電力を操る。だから、この二つの力がいい感じに混ざりあって、この世界でもスマフォを使えているんではなかろうか、と」
「へぇ。なんかよくわからん適当な理論だな」
その辺は考えないことにして、リュカの母親について考える。オレはその辺の事情については全くと言っていいほど知らない。出身が三眼族だというのも初めて聞いたし、種族そのものも初耳だ。だから当然、リュカの持つ魔力がどんな能力なのかと言うことも知らなかった。リュカはリュカでまだ上手く魔力が操れないと言っていたし。
「だからもしかしたら、これが何かの助けになるかもしれない、と思ったでござる」
「……ふぅん?」
結局最後までよくわからない話だった。それでも、リュカと牧村が気軽に連絡を取り合えるというのは良い響きだ。どっちにとっても心強い存在になるだろう。オレも少しは安心の度合いが上がる。つまりは、そう言うことを言いたかったのだろうか。こっちは任せろ、と。
「まぁ、我が輩が言えることはこのくらいでござるな。後はリーリ殿が落ち着くのを待って、ちゃんと話し合って……」
「ん? どうした?」
牧村が話の途中で言葉を切った。その視線の先にオレも目をやると、眠気まなこのアヤさんがよろよろと歩いてきていた。
「うぇー。まだ頭痛いー」
「なら寝てて下さいよ」
「無理。だって若い子皆んな大騒ぎやもん。あんまり楽しそうやないけど」
二日酔いで苦しいはずだが、アヤさんなりの気遣いだろう。これはかなり珍しい。いつもなら真夜中近くなるまで顔を青くして唸っているのに。
「なーんやリューシちゃん、帰るんやって?」
「……はい」
「ま、好きにしたらええよ。リュカちゃん達もなんだかんだで許してくれるやろ」
「そ、うですか」
「なんや、寂しがって欲しかったん?」
「そう言うわけじゃないですけど……」
あまりに呆気なく素っ気ない対応だった。いつも飄々としているアヤさんらしいと言えばそれまでだ。
「うちくらい魔界で生きとるとな、周りが急におらんなることなんか日常茶飯事。一々気にしとったらやってられんのんよ」
表情は平然としていたが、声には吐き捨てるような成分も混じっていた。それをオレや牧村が感じ取って察したことを、アヤさんもまた気づいた。これまた珍しくちょっとだけ唇を尖らせる。
「ま、そーゆーことやから。うちのことは気にせんでええよ。それよりもまぁ、リーリちゃんはホンマに苦労性やなぁ。ありゃ老けるん早いで」
アヤさんの言わんとしていることはわかる。領土の譲渡に賛成するリーリだが、その条件にはオレがベルゼヴィードを倒すことが前提だ。すると、必然的にオレはこの世界からいなくなる。オレ自身はどの道帰るつもりだが、ベルゼヴィードを倒すというルートは一番の早道だ。自分で言うのはこっぱずかしいが、リュカはオレがいなくなるのを悲しんでいる。リュカを守るためには早々に領主などという肩書きは降ろしたいが、そのためにリュカの心を傷つけてしまう。あちらを立てればこちらが立たず。そして何より、その決断を今日のうちにしなくてはならない。
「レヴィアちゃんの独唱会は明後日からやから、最悪でも明日のうちには会っとかんと話にならん」
「独唱会が始まれば、レヴィアに会うのは厳しくなるし、それだと意味ないもんな」
今この時だからこそ、領土譲渡という話を動かせる。タイミングはギリギリだ。
本当に、思えば思うほどリーリは運がない。彼女に落ち度がないあたりなんかは涙が出そうなほど哀れだ。いつも頑張っている彼女だが、神さまは応えてはくれないらしい。サタニキアの野郎が仕事放棄しているのがいけないのだろう。
いや、まぁ一番ダメなのはオレなのだけど。
「ちょっと無理やりにでも話をするかな」
「うわー。アスモディアラちゃんも大概タラシやったけど、リューシちゃんは軽々その上行くな」
「う……」
アヤさんの視線と声が冷たい。実はやっぱり怒ってる? だが、それでもやらなくちゃならない。オレがやるのだと決めたからだ。気分が悪くなりそうなほど頭が痛いが、重い腰をあげる。すると、オレの服のすそがピンと引っ張られた。かなり強い力だったので、勢いをつけて尻から着地してしまった。
「ちょ、お、お。なんだよ牧村」
「……しく」
「え?」
牧村の身体が震えている。オレは見つめる瞳、いや、オレを凝視する瞳は危ないくらい充血していて。
「詳しくっ!! 独唱会!? レヴィアたんの独唱会!? いつ!? どこで!!」
「あ、あー」
面倒くさい。果てしなく面倒くさい。
「なんかな、軍神追悼独唱会、言うて、過去最大規模のもん開催するらしいよ」
「く、く、く、く、く、詳しく!!!!」
「なんで煽るようなこと言うんですか!」
「えー、だって知らんの可哀想やん?」
「嘘つけ!!」
「え、江戸川殿! 詳しく詳しく!」
「落ち着けよ……。あとその目やめろ怖いから!」
鼻息ふんふん言わせながら、頬を真っ赤に染めている。興奮度合いが半端じゃない。どうやら、レヴィアの独唱会の話を初めて聞いたらしい。何日も城に引きこもってから然もありなん。
「詳しく!!」
「わかったから!」
大事な大事な話の前に、とんでもなく下らない話をしなくちゃいけないらしい。




