深刻な状況
翌朝、自室のベッドで目を覚ました。中庭で眠ってしまったオレを、誰がここまで送り届けてくれたのかはわからない。大の男のオレを、ここにいる細腕の女の子たちの誰かが運んでくれたのか。
カーテン越しに朝日が差し込んでくる。いや、これは朝日じゃない。もう中天にまで昇った太陽の光だ。
遠慮がちなノックの音に、オレは小さく返事をした。
「エドガー様。お目覚めですね。やっぱりとてもお疲れだったのでしょう。ご気分はいかがですか?」
「……最悪だ」
「え?」
「……いや、大丈夫。よく寝たから元気になったよ」
パトリシアの天使のような笑顔を見て、オレは心が重くなるのを感じていた。だが、そんな身勝手を優しい彼女に押し付けるわけにもいかない。それをしてしまえば、オレは本物のダメ男になってしまう。落ちるとこまで落ちた気もするが、それでも少しでもマトモでいたい。
「……みんなの様子は?」
リュカのことが聞きたかったが、直接的には聞けなかった。パトリシアは不審がる様子もなく答えてくれる。
「みなさんお元気ですよ。どうかなさいましたか?」
「いや、何でもないよ」
「なら良いのですが。それで、こちらなんですが……」
廊下にいたパトリシアが小ぶりなワゴンを押して入ってくる。いくつかの料理が載せられているらしい。ベッドのすぐ近くまでやって来ると、皿に被せられた銀のフードカバーを取った。中の料理が放つ温かな湯気が香りとともに立ち昇る。
「リュカお嬢様もリーリさんもエドガー様のお食事は用意しないと仰られていましたので、その、こちらを」
「あ、そうか。どうもありがとう」
オレはしばらくはスープしか食べさせてもらえないことになっていた。パトリシアはそんなオレを気遣って、こっそり料理を届けてくれたのだ。相変わらず天使だ。今すぐ抱きしめたい。彼女が焼いてくれたのであろう柔らかなパンをちぎって食べる。焼きたて特有の食感が嬉しい。
「そうだ、パトリシア。今は魔界ってどうなってるのかな。わかってる範囲で教えて欲しいんだけど」
王国軍との戦争にルシアル軍は敗れた。軍としての戦いにおいてはルシアル軍の圧倒的優勢だったが、クロード率いる黎明の騎士団の奇襲により、ルシアルが倒された。魔王である自らが敗れたことで、ルシアルは敗戦を認めた。これがあの半日の戦争の顛末である。では、ルシアル軍やその領地はこれからどうなるのか。
正直、ルシアル軍の兵士の戦力はほとんど落ちていない。だが、トップであり軍略の要であるルシアルが倒された。軍神と呼ばれる男の戦死は、どれほどの影響力を及ぼしているのか、オレには推測することもできない。
「……軍神ルシアル様は、二日ほど前に崩御なされました。最後は自室でお酒を呑んでおられたそうです。翌朝に眠るように息を引き取っているのを確認されました。誰かと呑んでいた形跡もなかったそうです」
あの酒呑みの老魔族は、最期は己のみで呑むことを選んだのか。何を肴に、どんな酒を呑んだのだろう。
「ただ……」
「ん?」
「ただ、見たこともないようなお酒の大樽があったそうです。濁った赤酒が、僅かだけ残っていたとか」
「へぇ」
ルシアル秘蔵のコレクションというわけか。死期を悟った酒呑みが最期に選ぶ酒がどれほどのものか、オレには想像もできない。
「そして今現在、レヴィア軍によるルシアル領への侵攻が始まっております」
「え……」
「魔界の誰もがどこかの勢力が動くとは思っておりましたが、それがまさかレヴィア様だなんて……」
ルシアル領は、魔王ルシアル直々に今後の領地運営を指示されていた。ルシアルを崇拝する領民はそれに従ったが、やはり戦後処理もあって動きがまごついた。そこを逃すことなく突いたのが、最も領地が近かったレヴィアだった。
本来、戦争というのは勝利した側に何らかの報酬があり、敗北した側にはペナルティがある。賠償金や領土の分割、有益な産業の譲渡など。だが、王国軍とルシアル軍の戦争において、それらは発生しなかった。何故なら、ルシアル軍は十分な戦力を残していたが、逆に王国軍は瀕死の状態だったからだ。ルシアル軍がトップの死を理由に葬い合戦を挑めば、間違いなく王国軍は壊滅させられていた。それをルシアルが魔王の矜持を持って押しとどめたおかげで、王国軍は九死に一生を得たのだ。だから、ルシアル軍が敗れたことで失ったのは要である魔王ルシアル。王国軍が得たのは、彼らの絶対的脅威である魔王一体の排除。つまり、後々の両者間の何らかの取引や駆引が発生していない、まるでスポーツのような戦争だったのだ。
「全て魔界新聞に書かれていたのと、朝に食材を届けてくれた方のお話ですので、どこまで信憑性があるかはわかりませんが、もうすでにレヴィア軍はルシアル様の領地の半分を占領したそうです」
「マジ、か……」
戦争が終わってから、まだ十日ほどしか経っていない。それなのに、もう次の戦争が始まっているのか。魔王会議でリーリが言っていた。魔王側は王国軍との戦争よりも、その後に起こるであろう魔王同士の戦争こそを警戒していると。それは見事的中している。
「て、ことは、もしかしてこの領地にも影響が……」
もしかしてなんて呑気な話じゃない。ほぼ絶対に何らかの影響が出ている。それじゃあ、また。今度はリュカやリーリやパトリシアが、あんな地獄に巻き込まれることになるのか?
そう考えると、オレの背中に冷たいものが走った。大切なみんなが戦火に晒される光景が頭に浮かんで、言いようのない恐怖がせり上がってくる。
「実はもうかなり影響が……。リュカお嬢様もリーリさんも、物凄くお困りで、今後のことを難しいお顔で話し合っておられました。もしその時にはどうやって参加するかと言って、口論までされて……! だから私も言い出せなくて……!!」
「っ! だ、大丈夫だ。安心してくれ。今度こそ、どんなことがあっても、オレが何とかしてみせる。本当はまだ怖いけど、それでも!」
パトリシアの細い肩を掴んだ。こんな華奢な女の子を、戦場になど立たせるものか。何としてでも。どんな手を使ってでも!
「ほ、本当ですか……!? あ、でも、でもダメです……」
「どうして!? ダメなんかじゃない!」
「ダメなんです!」
金切り声で叫んだパトリシアの瞳は、濡れていた。必死すぎる声に、思わずオレの足が一歩後ずさってしまった。渾身の想いを込めた次の言葉にオレは、
「私がレヴィア様の『軍神追悼弾丸独唱会ツアー。百日ぶっ続け!』に参加してしまうと、お屋敷のお仕事ができませんっ!!」
「は?」
二の句を失った。
「もうリュカお嬢様の領地からも、沢山の魔族が独唱会に参加するために失踪してしまっているんです。そのせいで農業や漁業や狩猟、低級魔族の討伐に割ける魔族がどんどん減っていって……。各魔族の集落だけじゃどうしようもなくなってしまっているんです! でも、誰もその魔族たちを責められない……! だって、レヴィア様ご本人が史上最高規模の独唱会を開くと宣言されたんです! 参加したいと思うのは当たり前なんですっ!!」
「いや、ちょっと待ってパティ」
「人間も魔族も老若男女もお金持ちも貧民も関係ない、完全ランダム配布の無料チケット。すでに市場価値は数百万と言われております。そしてそれが何と! 同じ魔王のよしみと言うことで、このお屋敷にも届いたのです! それも三枚!」
つい先程まで悲しみの渦の中にいたパトリシアは、打って変わって大興奮していた。今にも踊り出しそうだ。いや、実際踊っている。スカートをひらひらさせながら、フィギュアスケート選手も顔負けな高速回転をしている。
「独唱会開始は明後日から……。私たちに届けられたのは栄えある第一日目の独唱会チケット!! あぁ、なんて幸せ! でも、でもでも! リュカお嬢様とリーリさん、そしてエドガー様。私の入れる場所などどこにも……!」
「……頭いてぇ」
哀楽入り混じる興奮を抑えきれないパトリシアを見ながら、妙な方向性の頭痛が脳内でこだましていた。何て言えばいいのだろう。それとも何を言えばいいのだろう。想像の斜め上から飛んできた豪速球を受け止められるはずもなく、オレの側頭部をがつんと殴りつけてきやがった。
あぁ、そうだった。最近シリアスな展開ばかりでつい忘れていた。
「この世界の連中、基本的にアホだった……」
そしてその筆頭が、魔界アイドルレヴィアだった。魔王のくせにアイドルなどという俗物的な仕事に精を出している変な魔族なのだ。そしてまた、その「独唱会」を一生に一度は参加しないと死に切れないという存在に位置付けている他の魔族もしかり。
「いや、まぁ確かに凄いんだけどさぁ……」
レヴィアの独唱会は素晴らしいの一言に尽きる。あのパフォーマンスに感動しない知的生命体はいないだろう。だが、このタイミングで開催するか普通。しかもパトリシアが口走った単語の中に、百日ぶっ続けとかいう馬鹿げた文言もあった。
「つまり、いま魔界中が大騒ぎしてるってことか?」
「大騒ぎなんてものじゃありません! 魔界誕生以来のお祭り騒ぎです!」
人間界は人類の初勝利を祝う戦勝パーティーで浮かれているが、魔界は魔界で別のベクトルに浮かれているのか。六大魔王のうちの二体が相次いで死亡したんだから、もっと深刻な雰囲気で騒げよ。
どう呆れていいのかわからないほど呆れる。レヴィアも何を考えているんだか。
「いや、待てよ」
今度の独唱会のために、レヴィアはルシアル領に攻め込んでいる。レヴィアが歌いながら進行したはずもないから、そこは現実的な軍事行動だったはずだ。当然、避けられない犠牲者が出ただろう。ルシアル領の半分まで占領したのだと言うのだから、レヴィアはほぼほぼルシアル領を手に入れている。そんな状況で独唱会を開催するのだ。そして、一応は軍神追悼と銘打っている。
「ルシアル領の魔族たちの不満を散らすため……?」
魔王を失い、領地を奪われたルシアル領の魔族たちは泣きっ面に蜂状態だ。暴発しそうなレベルの不満や怒りを溜め込んでいるに違いない。これから彼らを統治していくレヴィアとしては、大きな悩みのタネだろう。それをどうやって押さえ込んでいくか。ルシアル領の魔族たちを、レヴィア領の魔族たちへと変えるためにはどうすればいいか。その答えが、軍神追悼独唱会というわけだ。
簡単なことだ。こんなの誰でも気づける子供騙しのようなやり方だ。だが、それが効く。効いている。真面目で仕事に忠実なパトリシアでさえ、この変わりようだ。魔界に住む全ての魔族が似たような精神状態になっていると考えていい。
「アホばかりなのはちょっと心配だが……」
レヴィアの侵略の仕方は、恐ろしく効率的だ。軍神と呼ばれたルシアルは領民からしたら崇拝の対象だろう。だが、敵対している者からすれば、脅威以外のなにものでもない。ルシアル軍が他の領地に攻め込み支配したならば、ルシアルの強さや恐ろしさに屈させるしか方法はない。だが、そこには当然従わない者も大勢いるだろう。その火種を消し切るのに、一体どれだけの時間と手間がかかるのか。魔族が長命であるとは言え、他の魔王とせめぎあっている中では危険度が大き過ぎる。だから、今までの魔界は六大魔王たちが均衡状態を作り出していたのだ。魔王会議で魔王同士はそこまでいがみ合っていなかったことも合わせると、他の領地に攻め込む利点が少なすぎる。
しかし、レヴィアは違う。六大魔王の一体であるのに、魔界中はおろか、人間界でも超のつくほどの人気者だ。こんなにも求心力のある魔王はどこの世界にも存在しないだろう。レヴィアは他の領地を侵略しても、すぐに「独唱会」を開いてしまえば、多少の不平不満など吹き飛ばしてしまう。これはレヴィアにしかできないことだった。
「やっぱり……」
これしかないと思えた。レヴィアになら、任せられる。
「パティ」
「は、はい!? し、失礼しました。つい取り乱してしまって……」
「いや、それはいいんだ。独唱会、屋敷のことは気にせず行ってくると良いよ」
「え!? ですがそれでは……」
「大丈夫。オレに考えがある」




