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残されたもの



 懐かしい食堂はかつてのままだった。ただ一つ違うのが、アスモディアラが座っていた上座にリュカが座っていること。名実ともにリュカがアスモディアラの跡を継いだ証だろう。パトリシアとリーリが新しい主人の後ろに澄まし顔で立つ。もう何十年もそうやって来たかのような落ち着いた光景だった。

 そんな彼女たちを、オレはこれまで与えられていた同じ席で横目に眺めている。リュカが丁寧な所作で楚々と食事をしている。そしてオレの隣で、ご機嫌なアヤさんが声を上げて笑い転げていた。


「あはははは! それで一目散に団長ちゃんのとこ行って、勇者ちゃんの世話を甲斐甲斐しく焼いて、仲良く一緒にご飯食べて帰ってきたんやね。婚約者には! 何の連絡もせず! あは、あははは!」


「……」


「……」


「……」


「『行ってきます』、とか、『行ってらっしゃいませ』、とか格好つけて言い合ってたのに、ふらふら他の女のとこに寄っとったんやね! 待っとる女の子たちのことはぜーんぶ忘れて! 婚約者のことなんか後回しにして! あははは!」


「……」


「……」


「……」


 オレとリーリとリュカは眉間に皺を寄せながら黙って聞いている。


「待ちよる女の子らはご飯も喉を通らんくらい心配してそわそわして、ずっと半泣き状態やったのに、男の方は呑気に敵国の戦勝パーティーに参加しとったんやね! 他の女と! 他の女と! あはは、あはは! 流石や、流石はリューシちゃんやわ! 阿呆通りこして天才やわ! ほんでリュカちゃんとリーリちゃんは間抜け通りこして無様やわ!! あは、あははは! お腹痛いお腹痛い!!」


「リーリ! アヤさんの料理とお酒を全部下げてください! 今すぐに!」


「無論そのつもりだ!」


 ブチ切れたリュカが椅子が倒れるくらい激しく立ち上がる。リーリも腕が十本あるかのような素早い動きで皿を下げてしまった。パトリシアがおろおろしながら彼女たちとアヤさんの間を行ったり来たりしている。オレはそんな様子を非常に苦い気持ちで見ているしかなかった。ここまで大爆笑されるとは思ってなかった。一周回って清々しいくらいだ。


「あー笑った笑った。ここ百年で一番笑ったかもしれん」


「アヤさんに喜んでもらえてオレも光栄ですよ」


「なぁに、拗ねてんのぉ? でもこれ全部リューシちゃんが自分でやったことなんよ? ちゃあんと反省しとる?」


 あ、あれ、もしかしてアヤさんもちょっと怒ってる? 実は心配してくれてた?


「そのまま団長ちゃんか勇者ちゃんと逃避行してくれたら歴史に残る傑作やったのに。詰めが甘いわ」


 いや、全然怒ってなかったし、心配なんかつゆほどもしていなかった。まるで素っ頓狂な方向にダメ出しされてしまった。本当に、このお姉さんは自分が楽しいかどうかでしか世の中を見ていない。前々からわかってはいたつもりだったが、まだまだ認識が甘かったようだ。

 オレは怒り狂うリュカとリーリに、戦争の後オレが何をしていたのかを微に入り細に入り説明していた。ユニコやケアトルに関しても一切包み隠さず。ことがことだから、リュカもリーリも不機嫌そうにむすりとしながらも渋々承諾してくれた。だが、どうやら聞き耳を立てていたらしいアヤさんに爆笑の種にされ、とうとうどちらも堪忍袋の緒が切れた。オレを心の底から心配していたことをここまで笑いモノにされるのは悔しくて仕方ないだろう。アヤさんは今日の夕食を全て没収された。


「とにかく、エドガーさまにはしばらく反省してもらいます。具体的には毎食スープのみです。今日は初日ですので、ちゃんと食べてもらいますけれど」


 リーリは食事抜きだと言ったが、リュカはちゃんと食べさせてくれた。品数も多いし、手が込んでいそうなものばかりで、むしろ普段より豪華なくらいだ。


「あれな、実はめっちゃ喜んでるんよ。リューシちゃんがいつ帰ってきても良えように、毎食ちゃんとリューシちゃんの分も作っとったんよ」


「余計なことは言わなくていいです! アヤさんは三日はお酒が呑めないと覚悟してください!」


「照れ隠しの八つ当たりやね。わかりやすくて涙がでそう」


「だ、か、ら!!」


 リュカは白い頬を真っ赤に染め上げて腕を振り回している。この様子だと三日はからかわれ倒すだろう。だが、アヤさんは明日にはお酒を呑んでいるんだろうな。リュカやリーリが対抗できるはずもない。

 豪勢なステーキをフォークで口に持っていきながら、オレは今の状況、瞬間に浸っていた。この騒がしい日常が、オレにとっての幸福だった。戦争を経験したことで、より有り難みというか、尊さが強くなった気がする。ステーキにかけられた甘辛いソースが何よりも美味しく感じられた。ブラックさんには悪いけれど、やっぱりリュカやリーリが作ってくれた料理が、オレにとっての一番だった。


「それは置いておいて、リューシちゃん」


「はい?」


 どこから取り出したのか、アヤさんはもうすでに別の酒瓶を抱き抱えていた。かなり強い酒らしく、アルコールの匂いが食堂に充満しそうだ。お猪口のような器に、酒瓶からとくとくと乳白色の液体が注がれていく。


「戦争、どやった?」


「あ、アヤさんっ!」


 リュカが声を上げた。戦争なんていい思い出になるはずがない。オレを心配してくれているのだ。


「辛い、ものでした」


「そう」


「人も魔族も、ぽろぽろ死んでいくんです。命の価値なんて一切無いみたいでした。それなのに、みんな目だけはギラついているんです。殺す瞬間も、殺される瞬間も、何かに取り憑かれてるとしか思えなかった」


 地獄があるのなら、きっとあの場所のことを言うのだろう。血の池が、肉片の丘があちこちにあって、そこを騎士や魔族が踏みしだいて進んでいく。


「オレは、それを安全地帯から眺めていました。半日で終わった戦争でしたが、感覚としては一時間もなかった気がします。そして終わってみたら、自分がどんなに無力で情け無いかを脳に叩き込まれました。オレはあの場所で唯一、何の力にも、誰の力にもなっていなかった」


 ルシアルは軍の指揮を執り、自らも参戦した。王国軍の少年王もきっとそうだったのだろう。牧村は最後列に座っていることで、騎士たちの心の拠り所になっていた。オレだけが、ただの観戦者だった。


「エドガーさま。もういいです」


「いや、言わせてほしい」


 だが、あの戦争を経験して、オレはあることに気づいた。発見した。


「オレは、凄く無力だった。何もしようとしない、何もできない。そんなどこにでもいる普通の人間に過ぎなかった」


「ふぅん。それで?」


 昔から、自分は特別な人間だと思っていた。良くも悪くも周りからもそう扱われていた。地球で最も強く、危険な生命体だと言われ続けて、オレもそうなのだとその気になって、そのように振舞ってきた。人とは距離を置いて、社会から逃げてきた。だが。


「でも、オレは特別な人間なんかじゃなかった。自分がいかに増長していたかを知って恥ずかしくて死にそうになりました。自分は特別なのだと思い込んでいた。こんなに馬鹿なことはない」


 オレは、ただの自意識過剰のナルシストだったのだ。そんな自分に気づいて、発見した。そして、


「そして、心の底から安堵しました」


 オレの情け無い告白をみんなが聞いてくれている。黒歴史そのものである過去の自分について話しているが、誰も笑ったり茶化したりはしないでいてくれた。だから、オレは悪いものを吐き出すような感覚で話すことができた。


「自分が普通の人間なのだと知って、安心したんです。あぁ、よかった。オレは特別じゃない。人外の生物じゃない。仲間外れじゃない。どこにでもいる人間なんだ。人間なんだ。そう思うだけで、心が楽になって、力が抜けそうになりました」


 戦争で凄絶な生き死にを見てきたとは思えない感想だ。あの惨状を目の当たりにして気持ちがすっと落ち着くなんて、どこの猟奇殺人者だ。ベルゼヴィードのことを悪し様に言えないではないか。

 だが、やっぱりこの思いが、あの経験から得たオレの気持ちだった。


「殴られても文句は言えないとは自覚しています。情け無いし恥ずかしいし、人としての器が小さ過ぎる。というか、感性からして異常だ。でも、それでもやっぱり、オレはオレが人間であることに気づいて、安心しているんです」


 オレの話を最後まで聞いていたアヤさんは、静かに斜め下を見ていた。その瞳に力はなく、ぼーっとしているようにすら見える。


「……そうなんやね」


 呟きよりも小さな相槌だった。だが次の瞬間、アヤさんはぱっと顔を上げると、嬉しそうな満面の笑顔をオレに向けてきた。白い羽をばさりと伸ばして、オレの肩を抱き寄せる。お酒の匂いではなく、女性特有の甘い匂いがふわりと香る。


「ま、何にせよ元気に戻ってきてくれてよかったよ。お陰でリーリちゃんに可愛くなってもらえたしな」


 リュカとリーリとパトリシアを取り巻いていた辛気臭い空気を、即座に景気良く払いのけてくれた。だからオレもちょっと無理やりだがノリを合わせる。こんな話なんて、誰の特にもならないのだから。


「ずっと気になってたんですけど、なんでリーリはあんな格好してるんですか?」


「本人に聞いてみたらええやん」


「いや、聞くと殺されそうなんですが」


 リーリはいつも男装している。執事として教育されてきたから、そちらの方が動きやすく、また彼女の性に合っているらしい。ぬいぐるみを蒐集してはいるが、自分の衣服については男物を好んでいる。だから、かつて嘘つきのお茶会の罰ゲームとしてメイド服を着せられた際は、羞恥心の限界を突き破るほどの恥ずかしがりようだった。そんなリーリが、何故かメイド服を着ている。今も嫌で嫌でたまらないという表情をしているが、着替えたりはしていない。


「そ、それはですね」


 なんとパトリシアが話し始めた。リーリの目つきが鋭くなり、パトリシアの肩が震える。


「アヤさんの占いの結果で、リーリさんがメイド服を着ると、エドガー様が帰ってきてくださると出まして……」


「え」


 絶対嘘だ。そもそもそれは占いなのか?


「もうリューシちゃんを健気に心配しよる姿が哀れやったからな、気を紛らわせる程度にな。ほら、リューシちゃんってムッツリやから、リーリちゃんが脚出したり胸元出したりしたら寄ってくると思て」


「オレを何だと思ってるんですか!?」


「うるさい!!」


 アヤさんのオレに対する評価に抗議していると、リーリが怒声をあげた。


「ほとんど無理やり着させられたようなものだ! だが、貴様という奴はこれを着た三分後に帰ってきおって! 何なんだ!!」


「何なんだって言われても……。そんなの偶然としか」


「え、えーと、あのですね。験担ぎのようなものでしたから。実際エドガー様も帰ってきて下さいましたし、結果的には良かったということに……」


「何一つ良くない!」


 どうやらパトリシアはリーリの怒りを鎮めるために、直接的な当事者ではない自分が説明しようと思っててくれたらしい。本当に何てできたメイドなのだろう。一家に一人欲しい。いや、できるなら十人くらい欲しい。

 リーリに理不尽に叱られる中、オレはアヤさんの手元に不自然なものがあることに気づいた。そこには、彼女のものであるお猪口と、もう一つ空のお猪口があった。羞恥心からだろう、右肩上がりに怒りのボルテージを上げていくリーリと、それを鎮めようとするパトリシア。そして、そこにリュカも混じって食堂は騒然としてくる。だから、アヤさんが二つのお猪口に酒を注いでいることをオレ以外の誰も知らない。アヤさんの手は羽だから、手つきが危なかっかしい。お猪口に表面張力ギリギリまでいっぱいに酒がたまる。


「……もう、うちだけになってしもたな」


 アヤさんはそう一人ごちると、二つのお猪口を同時に呑み干した。その憂いに満ちた横顔があまりに儚く見えて、オレはつい手を伸ばしそうになった。だが、顔を上げたアヤさんが不敵にニヤリと笑いかけてきたから、今度はオレが俯いた。

 アスモディアラも、ルシアルも、アヤさんの呑み仲間はどちらも逝ってしまった。彼女には一言も告げずに。それはまるで、何日もオレに放っておかれたリュカ達にそっくりだと思った。だが、アヤさんはもうアスモディアラにもルシアルにも会うことはない。その一つの事実だけが、あまりに大きすぎる違いだった。


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