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やっと帰還



「三十人ちょっとって……」


 オレの手が小刻みに震え始めた。思い出す。オレが初めてこの街にやって来て、初めて話をした人間。見ず知らずの怪しいオレに、親切にしてくれた、シャンのことを。


「え、あの……。シャンは、シャンは生きてますよね。どこの病院にいるんですか」


 華やかな戦勝パーティーの傍ら、いくつもの病院がぱんぱんになっているのも知っている。病院だけでは足りず、大きな建物を代わりにしていたりしている。おそらくは百に近い医療施設が城下町のみならず国中でフル稼働しているのだ。そのどこか一つに、シャンはいるのか。


「……」


「ブラックさん?」


 知らなかった。もっと早く知っておく、いや、気を回さなければいけなかった。沢山の騎士が戦死したのは知っている。そしてその中に騎士でなくとも戦列に加わった人間がいるのは当たり前だ。

 しかも、シャンは少年王であるグリフォースを尊敬していた。王の招集に、国の危機に立ち上がらないわけがない。だから、早く見舞ってやらなければ。呑気にスープを飲んだりしている場合じゃない。だが、


「ブラックさん?」


 二度目の問いかけも、ブラックさんは苦しげに押し黙っている。鼻から重い息を吐き、ちょび髭を揺らした。


「シャンちゃんは、戦死したわ。遺体がどこにあるのかもわからない」


「…………そんな」


「……」


「年少の者を守り切れないなんて、情け無いにも程があるわ。私は、十歩隣にいる彼を気遣うこともできなかった……」


 あの敵味方入り乱れる最前線では、己以外に目を向けることは難しい。歴戦の戦士であるブラックさんでも、できなかった。だが、それを誰が非難できるのか。きっとブラックさんは戦場で最善を尽くしていたに違いない。彼にできることを、彼らにできることを必死になってやり遂げたのだ。だから、非難されるべきなのは、彼らではない。


 オレだ。



「ごめんなさいね。せっかく訪ねてきてくれたのに、こんな出迎えしかできなくて」


「……いえ。オレはブラックさんに会えただけでも、救われました」


 シャンはもうどこにもいない。あの戦争を境に失われた。そして、オレの心で重石になっていた鉛のようなものが更に太く重くなった。団長に会えたことや、再び牧村と外を歩けたことで、まるで何もかもが元どおりになったような気になっていた。だが、そうではない。現実はそんなに甘くなく、代わりにオレの認識の甘さがもう一度露呈しただけだった。


「ギルマス殿」


「何かしら、勇者ちゃん」


「我が輩は、あそこに……」


「いいえ」


 つま先をじっと睨んでいた牧村が、ブラックさんの毅然とした声で顔を上げた。


「あなたは、あの時のあなたにできることをしたわ。それは間違いない。罪悪感も無力感もあるかもしれないけど、それだけは忘れないで。あなたは、戦場に立った。どこにでもいる普通の女の子が、いきなり突きつけられた残酷で理不尽な責任を、目に涙を浮かべながら全うした。それだけで、世界から拍手されるほどの献身よ」


「……はい」


 ブラックさんは、どこまで知っているのだろうか。何かを知っているのかもしれないし、何も知らないかもしれない。だが、この人の言葉は誰かを励まし続ける。人の努力と勇気に最大の拍手をするのだ。


「辛いお話をさせてすみませんでした」


「大丈夫よ。それに、あなた達だって辛いはずよ。そこに差異はないと思うわ」


「……はい。だから、少し待っていてください」


 こんな悲しい現実から、オレは今度こそ目を逸らさない。じっと真っ直ぐ睨み据えて、見落としなんてゼロにして、必ず乗り越えてみせる。オレにできるやり方で、オレにしかできない方法で。

 牧村がおずおずと口を開く。


「あの……今でもあの時、もっとちゃんとしなければならなかったと、我が輩も闘わなければならなかったと思っているでござる。それだけの力が我が輩には確かにあったから。でも、でも我が輩ではどう足掻いてもあれが限界だったとも思ってしまうでござる。もし次に同じようなことが起こっても、武器を手に取り戦場に立つことはできないのではないかと……。どうしても、自信が持てないでござる」


 自分の情けなさを恥じる小さな声だった。だが、そんなのは、当たり前だ。日本で暮らしていた一般人が、ずっと引きこもっていた少女が、戦場で魔族と戦うなんてできるわけがない。してはいけないとすらオレは思う。戦う、闘う、命の奪い合いをする。そんな環境に適応してはいけない。するはずがない。だから、オレは、


「それでいい」


 目線を落とす牧村の頭を手でくしゃくしゃにした。


「う、うが」


「戦ったりなんて、しなくていい。お前は、別に勇者じゃない。普通の女の子なんだから」


 もし牧村を糾弾する者がいたら、オレが許さない。こんなか弱い少女に世界を背負わせようとすることを許さない。


「お前は、ただ元気で生きてくれてりゃそれでいいんだよ」


 団長やブラックさんとお喋りをして、リュカやリーリたちとご飯を食べていればいい。オレはそのためにここにいるのだ。


「ブラックさん。ありがとうございました。オレ、行きます」


 やらなくちゃならないことが沢山ある。そしてそれ以上に、やりたいことがもっと沢山ある。もう十分過ぎるほど休みをもらった。そろそろ動き出さないと、焦れたケアトルにまた異空間に連れて行かれてしまう。


「そう。気をつけて。よかったら、シャンちゃんのお墓に行ってあげてちょうだい」


「わかりました。全部終わったら、必ず」


 椅子から立ったオレはしっかりと頷く。


「江戸川殿。それじゃあ、また」


「うん。またな」


 牧村もブラックさんも、オレを止めることはなかった。何を尋ねることもせずに送り出してくれるつもりだ。


「早く帰ってあげるでござるよ。みんな心配してるだろうから」


「そうだな」


 オレがリュカ達と別れてから何日にもなる。こんなに長々と離れてしまうなんて思ってなかった。牧村の言う通り、屋敷のみんなは心配しているだろう。オレなんかのために、とは思ってしまうが、あそこのみんなは、それだけ心優しい。オレが優先したかった団長や牧村とは、こうして会うことができた。二人も少しは元気を取り戻してくれたと思う。だから、一刻も早く帰ろう。オレの唯一の居場所であるあの屋敷に。

 二人を振り返ることはせず、黒猫亭から出た。噴水の水が太陽に照らされて虹を作り出している。あの橋のように、オレも空を飛ぶ。


「ふぅ」


 イメージする。あの懐かしくも愛おしい屋敷。オレが大好きなみんながいる場所へ。目を瞑ることも必要ない。ありありと脳内に広がっていく。

 次の呼吸で肺が吸い込んだのは、人間界とは違う空気だった。少しだけ重さを持っている気がする大気が、やけに温かい。戦場と同じ空気のはずなのに、温もりがまるで違う。


 オレの目の前には、大きな屋敷の巨木の扉があった。何度も握ったノックで、できるだけ大きく音が響き、届くように叩く。ゴツゴツ、という鈍い音が頭の中にまで響いてくるようだった。どうしようかと思ったが、やっぱり待つことにした。この屋敷に住む者たちに、もう一度招き入れてもらいたかったからだ。

 しばらく待つ。すると、ぱたぱたという可愛らしい足音が聞こえてきた。ギゴ、という音で扉が少しだけ開く。


「どちら様でしょうか」


 ここは腐っても魔王の屋敷のはずだが、アポなしの客にも門を開く。一応はアスモディアラが結界魔法をかけているらしいが、それにしたって少々威厳が足りないのではないだろうか。そんなことを今更考えて、思わず笑ってしまった。オレのそんな笑い声が聞こえたのだろう。中から突然、


「エドガー様っ!!」


 オレの可愛い可愛いメイドが飛び出してきた。


















「あぁ! あぁっ! エドガー様、エドガー様なのですねっ!」


「う、うん。そうだよ」


「お待ちしておりました! お帰りを心よりお待ちしておりました! よかった、本当によかった! あぁ、申し訳ございません、私ったらつい!」


 屋敷のメイドであるパトリシアは、ぴょんぴょん飛び跳ねながらオレに抱きついていた。可愛い。金糸のような髪がオレの鼻先にかかってムズムズする。ひとしきり喜びを爆発させた後、急にはしゃぎようが恥ずかしくなったらしく、手で口をおさえて赤くなった。可愛い。本当に強く心配してくれていたのだろう。こっちが恥ずかしくなるくらい喜んでくれた。可愛い。

 そして、はっと屋敷を振り返る。


「あ、あぁ! そうでした、私などではなく誰よりも早くお伝えしなければ! お嬢様! リュカお嬢様っ!」


「ちょ、パティ落ち着いて。転ぶぞ」


 そして彼女らしからぬ大きな足音を立てながら屋敷の中へと走って行ってしまった。後ろ姿をぽつんと見送る。お嬢様、お嬢様と、パトリシアが声をあげながら駆け回っているのが聞こえてくる。どうやらかなり取り乱しているらしい。まぁ、パトリシアにあれほど喜んでもらえるのは何というか、悪くない気分だった。オレの不徳のせいであんなにも心配させてしまっていたのだが、男というのはこうも都合が良い。そんな風に少しばかりニヤニヤしながら腕を組んでいた。


「なーーにーーをーー!!」


「ん?」


 すると、どこからか声が聞こえてくる。まるで憎しみの塊が目前に現れたかのようなギリギリとした不協和音のような声。


「なーーっにを!! していたのだ貴様はっ!?!?」


「ぐおっ!?」


 それがオレの真後ろでしたかと思った瞬間、金属バットも真っ青な硬度の棒で、後頭部にフルスイングされた。


「ご、ぐ……ぅお!?」


 一瞬死んだ爺ちゃんが見えた。何やら大きな川の対岸で手を振っていた。痛みなど時速二百キロで通り越していく衝撃。痛すぎて感覚が鋭敏になる。

 ざ、と革のブーツがオレの顔のすぐ隣で地面を踏みしめる。もう誰がそこにいるのか理解した。顔をあげるのが心の底から恐ろしいが、あげないともっと恐ろしいことになると第六感が叫ぶ。


「え、えっと……」


「……」


 ブーツから伸びるスラリとした長い脚。黒い膝上までのストッキングはその脚を目をそらせないほどの艶めかさを付加している。僅かばかりの肌の色はすぐに消え、短いスカートの裾が見えた。そして、視線を上げれば肩と胸を挑発的に露出されていた。息を呑むほどの女性らしさだ。それは、かつて嘘つきのお茶会の罰ゲームとして着用されたメイド服。それを見事に着こなしているのは、あの時と同じ女の子。


「リーリ……」


「謝罪も言い訳も聞かんし、いらん。まずはその首刎ねてくれる。覚悟しろ。二秒待つ。死ね!」


「ちょっと待て!!」


 その手に構えられていたハルバードが大上段から振り下ろされる。手加減も躊躇も一切なし、完全に殺すつもりの一振りだった。


「ぐ!」


「……ちっ」


 オレの龍王の右腕(ドラゴン・アーム)が、紙一重で何とか防いだ。


「おま、お前! 本気だったな!? マジで殺す気だったな!?」


 忌々しさマックスの舌打ちだった。ハルバードには目に見える殺意となった魔力が禍々しく纏われている。


「……当たり前だっ!」


 悲鳴のような声だった。


「え……」


「戦争は終わったはずなのにいつまでたっても帰ってこないし、連絡すらないまま行方不明になって、パトリシアと……わ、わたしが、どれだけ探し回ったと思っている!」


「……ごめん」


「あ、挙げ句の果てには悪びれもせずひょっこり帰ってきおってからに、貴様は、貴様は何を考えているのだ! どこで何をしていたのだ!」


 弁解の余地もなかった。怒られて当然だし、一発ブン殴られただけでハルバードをおさめてもらえたのは、リーリの優しさ以外の何ものでもない。


「貴様のせいで、私はまたこんな格好をする羽目になって……!! しかもその当日に帰ってくるだと!? ふざけるのも大概にしろ!!」


「その口ぶりからは何があったの全然わからんが、ごめん。多分オレが悪いんだろう」


「その通りだ。貴様の今日の晩飯は抜きだ。覚悟しろ」


「おう」


 ちょっと笑いそうになった。それでも明日には食べさせてはくれるらしい。だがここで笑うとそれこそぶっ殺されそうなので、俯いて顔を見られないようにした。


「お帰りなさいませ」


 だが、優しくかけられた言葉に、首が跳ね上がった。


「あぁ、ただいま」


 朱と蒼の瞳の少女が、春の陽気のような慈愛の笑顔でオレを見下ろしてくれていた。


「天罰!!」


 リュカはそう叫ぶと、オレの頭を思いっきりしばいた。

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