旨いもの
「どこで食いたい? 今は国中の美味い物が集まってるらしいぞ」
牧村が眠っている間、オレもちょこちょこ城下町におりていた。道行く女性に意味もなく抱きつかれたり、酒臭いおっさんにキスされそうになることもあった。前者は嬉しいのだが、後者は勘弁願いたい。それも一度や二度ではなかったので、途中からは家々の屋根の上を歩いて移動していた。
「ま、あんまりがっつり食うんじゃないぞ。しばらく食べてないんだから、胃がびっくりする」
「それは心配ご無用。我が輩の胃は日々のジャンクフードで鍛え上げられているでござ……いる。脂っこいものとか化学調味料とかがないと元気が出ないくらいでごさ……だ」
オレにござる口調がダサいと言われて気にしているらしい。さっきから語尾を変えようと努力している。努力しなければいけないほどござる口調が染み付いてるってどうなのだろう。我が輩はどうしても直せない、治せないらしく、結構序盤で諦めた。
「お前はその食習慣でよく健康だよな」
こいつの肌はできたての温泉卵のようにつるりとしてすべすべだ。リュカやパトリシアがお肌の秘密を何度も聞きだそうとしていたのをオレは知っている。そしてその返答のことごとくが「わからない」で、二人をがっかりさせたり悔しがらせたりしていた。泣き疲れて眠る前は流石に少しばかり肌も荒れていたが、今はもう完璧に元どおりになっている。眠っただけで。
「それで飯なんだが、ほとんどの店が超値下げしてるか無料だから、オレの懐とか気にする必要もない」
「別に江戸川殿の懐とかどうでもいい。それに、お金持ってたとしても、どうせ婦女子から無償で与えられたものでご……だろう」
「うぐっ」
その通りだった。ここ数日のオレの食費は、全てケアトルからもらったお金で賄っていた。オレはこの世界にきてから、自分の金で何かを買ったことが一度もない。全て周りの女性が出してくれていた。それ自体も非常に遺憾なのだが、牧村にまで知られているとなると立つ瀬がない。
「お前、なんでそんな風に思うんだよ」
「リーリ殿がよく言っていた。あいつは基本的に日がな一日ダラダラしてるだけだと。喋るからペットのケルベロスよりもタチが悪いと」
「か、家事とか手伝ってたぜ!?」
「あそこのメイドさんを前にして手伝っていたなどとよく言えたでご、たな。我が輩も最初の方は服とか畳んでたけど、すぐに二度手間になるとわかってやめた」
「そういえば言われたことあるな」
二度手間になりますから。リーリはもちろん、リュカやパトリシアにまで言われてしまっている。だから仕方ないではないか。手伝おうとしたら断られるのだから、中庭で本を読むくらいしかできない。
「そ、それは置いておくとしてだな」
「まぁそういうことにしておくでご……ござる」
また諦めやがった。
「本当にどこで何が食いたい? そろそろ決めてもらわないと」
「……黒猫亭のブラックさんの料理が食べたいでござる」
「おぉ。なるほど」
かつて牧村は有名ギルド黒猫亭の二階に引きこもっていた。その食事の世話をしていたのがギルマスのブラックさんだ。突然現れた勇者だという少女をよく二年間も文句も言わずに面倒をみたと思う。しかも引きこもりを。ブラックさんはこの世界で牧村が最もお世話になった人物だ。
そして、牧村はそんなブラックさんの料理が食べたいと言う。やはりとても思い入れがあるのだろう。もしかしたら、元気な姿を見せてあげたいのかもしれない。
「じゃあ行こうか。オレも会いたいしな」
「うむ。良かろう」
「偉そうにすんな」
黒猫亭までの道順はだいたい覚えている。ここからだとそんなに遠くない。その後は牧村と毒にも薬にもならないような会話を交わしながら歩いた。牧村は意外とよく喋った。寡黙な少女ではないから、きっと色々と溜まっていたのだ。明るい声で屈託無く笑う時も何度かあって、それがオレを少し安心させてくれた。
二人で三十分ほど並んで歩き、黒猫亭の前にある広場に到着した。相変わらず人っ子ひとりいない。だが、以前来た時と一つ変わっていることがあった。広場の中央にある噴水から水が出ているのだ。まるで人が息を吹き返したみたいに勢いよく水が上がっている。
「まぁ、そう言うこともあるか」
「如何したでござる?」
「何でもない」
「む。もしや江戸川殿も気づいたでござるか。どうやら黒猫亭は閉まっているようでござるよ」
「え。そうなのか?」
「扉を見てみるでござる」
西部劇で出てきそうな左右に割れる木の押し戸が、黒いテープのようなもので止められていた。あれは完全に休みだ。むしろオレには、立ち入り禁止の立て札のようにすら見えた。
「何でだろ。みんな祭りに行ってるのかな」
「何にせよ困ったでござるな。これでは江戸川殿の変態行為をブラックさんに告げ口できない。あの人の剛拳でお灸を据えてもらいたかったでござるが」
「何気に怖いこと考えてるんじゃねぇ」
ブラックさんは熊みたいな体格の上に、アスモディアラもびっくりな筋肉の鎧を纏っている。シャン曰くドラゴンを殴り殺したらしいあの人の断罪行為は極刑に等しいだろう。牧村にいらんことを言われる前に、口にガムテープでも貼り付けておこうか。
オレが新たな犯罪行為を計画していると、牧村が黒猫亭に近づき、中の様子を覗き見ようとし始めた。だが、中には誰もいないらしい。オレも後ろからうかがう。
「閉まってるな」
「どうしたのかな……。もしかして何かあって……」
「別にそんなに心配しないでも」
酒を湯水のごとく飲める祭りに、あの酒好き冒険者たちがはしゃいでいないわけがない。きっと城下町で一番の飲み屋に集団で行っているのだ。オレはそんな風に気楽に思っているがしかし、牧村はそうではないらしい。何やら落ち着かない様子で辺りを見回している。するとその時、
「あ!」
「あ、あなた達……!」
「え、あ。ブラックさん!」
店の奥の階段からブラックさん当人がおりてきた。黒いタンクトップをパツパツにする剛筋肉。ちょび髭に割れた顎。遭遇すれば誰しもがまず間違いなく記憶するであろう外見だ。当然オレも牧村もすぐにわかった。そして、ブラックさんもオレたちのことを覚えてくれていたらしい。少し頬を緩ませながら、こちらに手を振った。
「お久しぶりねぇ。またあなたたちに会えるなんて、嬉しいわ」
「い、いえ。いつぞやはお世話になりました」
「なりましたでござる」
牧村と二人で頭を下げる。
「いいのよぉ。私が勝手にやったことだから。それにしても、二人とも雰囲気が随分変わったわね」
ブラックさんはまるで親戚の子供を見るような目でオレたちを見つめる。巨木のような抱擁力があった。
「中にいらっしゃい。もしよかったら何か作るわよ」
「お願いします。オレたち、ブラックさんに会いたくて来たんです」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわ」
ブラックさんがほほほと笑う。
「勇者ちゃん、何が食べたいかしら?」
そして優しい声で牧村に言った。
「あの、赤い肉のたくさん入った濃いスープみたいなのが……」
「ええ、わかったわ。少し待ってなさい」
オレたちを黒猫亭に招き入れてくれたブラックさんは、バチリとウィンクしてカウンターの奥へと入っていった。オレは背筋に氷が伝ったような感覚を味わったのだが、牧村は平然としている。
「……赤い肉のスープってなんだ?」
「知らないでござる。多分この世界の料理でござろう」
オレも魔王の屋敷で驚くような料理を口にしてきた。リュカやリーリが作ってくれたものなのでどれも美味かったが、少しばかり見た目に抵抗があるものがなかったとは言えない。その度にオレは日本とは違う場所にやってきたのだとしみじみと実感していたが、牧村にとってはブラックさんの作るスープがそうなのだろう。
黒猫亭の中には食事ができるスペースがある。というより、ほとんどがそうだ。ここの冒険者たちは黒猫亭に集まり、朝から晩まで酒を飲んでいた。屈強な男たちはいつも楽しそうに飯を食っていたのだが、今は誰もいない。温もりのない椅子やテーブルはとてもくすんで見えて、余計に寒々しく感じる。受付嬢もいなければ、飲んだくれたちの相手をするボーイもいない。この建物のくたびれた部分や古くなった部分ばかりが目についた。
「なんだか、寂しいでござるな」
「引きこもりのお前でも、そう感じるのか」
「ずっと二階で暮らしていたでござるからな。男の野太い笑い声はいつも聞こえてきていたでごさる。結構頻繁に乱闘が起こっていたでござるから、近所迷惑甚だしかったでござるが」
「まぁそうだよな」
天井を見上げる。一般家屋よりは高いが、ブラックさんがテーブルに上れば手が届くだろう。この近さで毎日大騒ぎされていては、牧村もかなりストレスを溜めていたのではないだろうか。もしかしたら、引きこもりのくせにこいつが妙に饒舌なのは、そういうことも関わっているのかもしれない。
「は〜い。お待たせ」
「全然待ってないですよ」
「うちのスープは代々ギルマスに引き継がれてる鍋に入ってるのよぉ。毎日私が注ぎ足し注ぎ足ししてるから、温めるだけで食べれるの。ごめんなさいね、手抜きで」
「毎日注ぎ足してるどこが手抜きですか」
ラーメン屋の秘伝のスープみたいなものか。つまりはこのスープが黒猫亭の味なのだ。それこそラーメンの器みたいなでっかい白い容器に、赤い色のスープがなみなみ注がれている。具材はどうやら肉だけのようだ。だが、不思議と腹が空いてくるような強烈な香りがする。
「いただくでござる」
「はぁい。どうぞ」
「いただきます」
スプーンで巨大なブツ切り肉をすくう。一息でスープと一緒に口に含む。すると、
「う、ごほ、ごほ!?」
思いっきりむせた。信じられないほどめちゃくちゃ辛かった。舌が焼けるように熱くなり、鼻の奥にまで辛味が伝わる。思わずむせて吐き出しそうになってしまった。
「ふふふ。どう? 一度食べたら忘れられない味でしょう?」
「わ、忘れられない、って言うか!!」
ブラックさんがオレの反応を予想していたように、ジョッキの水を出してくれる。オレは脇目も振らずに水を飲みまくる。
「辛すぎ、どころの騒ぎじゃ……あれ?」
高熱を持った口の中をなんとか水で冷やしていると、途端に言いようのない旨味が弾けた。
「な、なんだこれ……?」
「ふ、ふふ。これが黒猫亭の特製スープでござる。ぶっ飛んだような辛さの奥にある凝縮された旨味。例え水で口の中を洗い流しても感じるでござろう?」
「ほ、本当だ。肉汁かスープの香辛料かわからないが、口いっぱいに味が広がる」
「あぁ、懐かしいでござる……。初めてこれを食べた時は嫌がらせかと思ってビクビクしたでござるが、すぐに歓待の意を表してくれたのだと理解したでござるよ。こんなに旨いものを食べさせてもらえたでござるから」
「あの後三日続けてこのスープを欲しがったものねぇ」
「いや、わかる。これはわかるぞ。辛くてたまらないのに、スプーンが止まらない」
リュカの料理は美味しい。リーリの料理も美味しい。団長もパトリシアも、みんな一流シェフも涙目な料理の達人たちだったが、これは。
「オレがこの世界で食べた中で、一番旨い!」
断言できてしまう。信愛や愛情、奉仕の心など、料理はただ味の良し悪しだけじゃないのはわかってるが、本当に味の奥深さだけで評するなら、間違いなくナンバーワンだ。それどころか、オレ史上最も旨い料理だ。
「牧村、お前こんな旨いもの食ってたのか。働きもせずに!」
「うむ。あ、辛い辛い。でも旨い。辛くて唇が腫れそうなのに、もっと食べたくて手が止まらないでござる」
「同感だ!」
辛いのだ。とにかく辛い。だと言うのに、後から滲み出てくる旨味に我を忘れてしまいそうになる。
「実はこのスープを食べたいってだけでうちのギルドに入ろうとしてくれる子もいるのよ。代々引き継いでいる私も誇らしいわ」
「え、てことは、ここのギルドに加入してないと食べられないんですか?」
「原則はね。でも私が気に入った子には食べてもらってるわよ」
「マジか。すげぇラッキーだ」
このスープのおかげで、オレが異世界に来た意味がぐっと深くなった。これが食べれただけでも、今まで腐らず生きてきた甲斐がある。
その後も脳が求めるままにスープを貪り食い続ける。オレも牧村も辛さにひぃひぃ言いながら、一杯目を綺麗に飲み干し、二杯目をお願いした。そして、そんなオレたちの様子をブラックさんはニコニコしながら眺めていた。
「あ、そうだ。他のメンバーはどうしたんですか。みんな外に飲みに行ってるんですか」
二杯目の途中でやっとスープ以外のことに頭が回り始めたオレは、ブラックさんに黒猫亭の現状を聞いた。それこそ外になんて行かずに、このスープを飲んでいれば良さそうなものだが。
「あぁ」
ブラックさんの声が、詰まったように暗くなった。
「今ね、ギルドの子は病院にいるの」
「え」
「隠してても仕方ないわね。実は私たち黒猫亭の冒険者も、全員ルシアルとの戦争に参加してたの」
「戦争に……? じゃあ病院ってのは」
「生き残った子たちよ。国王様が緊急招集をかけたから、国内の冒険者ギルドのメンバーはほぼ全員参戦してたわ。中でも強いギルドは三遊撃騎士団の補佐として前線に立ったから」
「前線……」
頬杖をつくブラックさんの目が遠くなる。そんな彼らしくない表情に、ついにオレと牧村の手が止まった。
「うちのギルドの子たち、四十八人中、帰ってこれたのは三十人あまり。重傷者も多いのよ」




