眠り姫
牧村は寝た。それはもう寝た。おそらく戦争が終わってからほとんど眠っていなかったのだろう、溜まりに溜まった疲れを癒すべく、とにかく眠り続けた。心身ともに疲れきっているのだ。気の済むまで寝かせてあげよう。そう思っていた時期がオレにもあった。
「いつまで寝てるんだよ!」
かれこれ五十六時間ぶっ通しで眠っている。まさか死んでるんじゃないかと牧村の口元に耳を近づけた回数八回。寝返りをうつこともしないので、床ずれしないよう体勢を変えてやること三十回。
「介護か」
もちろん、牧村にはぐっすり眠って、身体の疲労くらいは取り払ってもらいたい。そこは全面的にサポートする所存だ。そして、出来得るかぎり心のケアもしてあげたい。オレは話を聞くくらいのことしかしてあげられないが、牧村が望むなら何事も全力で取り組もう。
だが、これはあまりにも寝すぎだ。倒れたわけではなく、怪我をしたわけでもないのに、疲れだけで果たしてこれだけ眠れるものなのか。たまらず心配になって城の医者に聞きに行こうとした時、
「う……むぅ」
「あ」
牧村は目覚めた。正確にはこの五十六時間で初めて自分で寝返りをうった。そのままむにゃむにゃと微睡みの中で口を動かし、そして気だるげに瞼を半分ほど開いた。
「う、が……あぁ」
「ど、どうした? 気分が悪いのか? それともどこか痛むのか?」
呻き声に似た吐息に、オレは慌てる。やっぱりどこかおかしいのか?
「……寝すぎた」
「……は?」
「寝すぎて……むしろ疲れた。怠い。頭痛いし喉乾いたし、お腹空いた」
「あ、そうですか……」
牧村は頭をかきながら起き上がる。
「どれくらい我が輩は眠っていたでござるか? ……あれ、この質問カッコよくない?」
「五十六時間だ」
「うわ、マジでござるか? そりゃ疲れるはずでござる。どうして起こしてくれなかったでござる」
「頭はたくぞ」
別にオレの龍王の右腕で無理やり牧村を回復させることもできた。それをしなかったのは、きっと牧村のためにはならないと思ったからだ。一時の力に頼って欲しくはなかったし、あんまりオレが干渉し過ぎると、牧村の人生が別のものになってしまう。だから、こいつの好きにさせていたのに。一応はオレなりに考えての行動だったのだ。それがまさか起き抜けに文句言われるとは思わなかった。
「……それでどうなんだ。実際のところは」
寝すぎて怠いとかいうことを聞きたいわけじゃない。
「ちょっとまっ……うぐぅ〜〜!!」
ベッドにぺたんと尻を落とした牧村は、身体の凝りを取るべく思いっきり伸びをする。背骨のポキポキという小気味好い音が聞こえてきそうだ。
「……少しは楽に、なったかも」
「ならよかった」
「……なんか、疲れてない?」
「別に。ほら行くぞ。腹減ったんだろ」
「え、行くってどこに?」
「城下町だよ。ちょっとは日の光を浴びろ。あと人間の気配を感じろ。あんま引きこもってると病気になる」
「わ、わ!」
牧村の手を掴んで引き上げる。小柄な少女は、力を大して入れずとも簡単に立ち上がらせることができた。そして一気にカーテンを開ける。手で開けるのではなく、龍王の右腕でイメージすることで開けた。部屋にある三つの大きな窓から目に刺さりそうなほど眩しい日差しが入ってくる。
「うぎゃー!!」
「吸血鬼じゃねぇんだから、日光でダメージを受けるな」
「ま、眩し……! これはもはや凶器!」
「バカなこと言ってないで、さっさと着替えろ。ほら」
オレは奥にあったクローゼットから適当に服を選んで牧村に投げる。おそらくこれらは「勇者様用」に集められたものだ。どれも上等な生地の手縫いのオシャレな服である。式典用と思われるものや、戦闘を意識したものなど種類は多岐にわたる。だが、それ以外に一般市民の普段着に近いラフなものもいくつかあった。素材が上等なだけのそれらの服は、おそらく牧村が気後れなく着られるよう団長が選んでくれたのだろう。
「お、わ! ちょっと乱暴……って!!」
「ん?」
「うぎゃー!!!!」
「今度はなんだ……ぶっ!?」
「なんでボク下着姿なの!?」
牧村が本気でぶん投げてきた小型ゲーム機が顔面にぶち当たった。手近にあったものを投げたらしい。右手にあったのがこの小型ゲーム機で、左手側にあったのが一人用の冷蔵庫だったから、一歩間違えれば大惨事だった。いや、小型ゲーム機でも十二分に危ない。頬っぺたに当たったからよかったものの、目とかに入ってたら大変なことになってたぞ。
「いや待て落ち着け! お前がいきなり鎧着たまま寝たんだよ!」
「それがどうして半裸に繋がるの!?」
牧村が次々と武器を投げつけてくる。暇つぶし用に集めた品々がこんな形で使われるとは。
「鎧着たままじゃ眠れないだろ。だから脱がした」
「え、なにさも当然みたいに言ってるの? バカなの? それとも変態なの?」
「あれ、そういえばござる口調はどうした?」
「今はそんな話してない! バカ! ひゃ、百歩、うぅん、一万歩譲って服脱がすのはいい。でもどうして着せないの!? なぜゆえ放置でんがな!?」
「変な語尾を開発するな」
真っ赤になった牧村はやっと投擲をやめた。別に理性が戻ったとかではなく、単純に弾薬が空になったからだった。その証拠に、今も何か武器はないかと視線を走らせている。すると、オレが渡してやった白シャツで身体を隠しながら、心細そうに後退し始めた。
「ま、まさか……! 眠っているボクに不埒で破廉恥なことを!!」
「してないしてない。てか思いつきもしなかった」
「嘘おっしゃい! ボクみたいな超絶キュートでセクシーな女の子を前にして何もしないなんてことはあるか? いやない反語」
「すごい動揺してるな。ちょっと面白いぞ」
オレの言っていることは本当だった。今も、あーそういえばよく見れば牧村下着姿だなぁ、くらいにしか感じない。下着で寝ても風邪を引くこともない気温だから、意識したのは眠りやすいかどうかだけだった。
だが、これはある意味変化である。昔は牧村が女の子であることをちょくちょく意識していた。させられていた。こいつは確かに可愛い。おそらく、日本にいれば街で一番可愛いくらいの女の子だ。それを、今はまるで意識しない。慣れたとかどうでもよくなったとかではない。もうすでに、オレの中での牧村の存在が「異性としての女の子」ではなくなったのだ。これは我ながら非常に失礼だな。
牧村はオレにとって、もっと違う存在になっている。それは変化ではなく、原点へと立ち返ったということになるだろう。かつてユニコに託されたオレの使命、「異世界で引きこもってしまった女の子を助ける」。牧村は、オレがこの世界にやってきた理由なのだ。それをやっと思い出した。だから、女の子として意識することはない。
「どーでもいいこと拘ってないでさっさと服着ろ。仕方ないから向こう向いててやる」
「湧き上がる殺意だね。これはまさしく。今までもムカつく奴は死ぬほどいたけど、まさかその頂点に異世界で出会うなんて」
「今からだと昼飯になるな。何か食べたいものあるか?」
「死ね!」
牧村がオレの後頭部めがけて枕を投げてきた。それをひょいとかわしてキャッチする。すると、
「……なんかいい香りがする」
「し、死ねぇ!!」
涙目なった牧村がドロップキックをかましてきた。いいから早く服を着ろよ。
すったんもんだははあったが、最終的には牧村も大人しく服を着た。服を着ていないことで怒っていたのだから、それはまぁ当然のことである。それでも、頬はむすっと膨れたままだ。それにさっきから何やら小声でぶつくさ言っている。
「だから悪かったって。確かにオレの配慮が足りなかった」
「別に。もともと江戸川殿に紳士的な行為を期待などしてないでござる」
「お詫びと言っちゃなんだが、好きなものを好きなだけ食べさせてやるからさ。今なら多分ご馳走が食えるはずだぞ」
オレと牧村は城を抜け出し城下町へとやって来ていた。実は日に何度か牧村の様子を城の者が見にきていたが、その人たちには内緒である。長い間心配をかけるのも申し訳ないが、牧村が復活したとなると色々と面倒なことになる。具体的には、王との謁見や今なお城下町で続けられている戦勝の祭りへの参加などで、そのどれもが牧村を激しく疲弊させるだろう。まだ身体が少し元気になっただけの牧村にいきなりそれらをさせるのは酷だ。だから、先にもう少し気晴らしをさせてやりたかった。そして、牧村にとって一番の栄養剤になる催しが外で開催されている。
「ほら、俯いてないで見てくれよ」
「む?」
ここからは城壁がよく見えた。少し距離はあったが、城壁の上で力強く手を振っている女性が誰かなど、すぐにわかるはずだ。
「え……」
城壁の下には、溢れんばかりの民衆が集まっていた。オレたちは城の反対側から抜け出してきたからあまり聞こえてこなかったが、彼らの歓声の凄さも少しずつわかってきている。
「あれって……団長殿!?」
「そうだ」
「いや、でも。手が……手を振って!」
美しい髪をなびかせながら快活に笑うのは、他の誰でもない、暁の騎士団団長ティナ・クリスティアだった。
「もう凱旋パレードは終わってるがな。団長が大怪我してたってのは民衆に伝わってたらしいんだけど、それももう回復したってのをお披露目してるんだ」
牧村が眠っている間に大々的な凱旋パレードがあった。本来の凱旋時には負傷者や損害が大き過ぎてできなかったため、後日開催になったのだ。この二日間でいくつかの行程は終了し、これからも数日かけて祭りが続くらしい。そしてその中で今日、民衆の希望である団長が元気な姿を見せた。これほどまで盛り上がる知らせもあるまい。城下町はもちろん、この国中の人間が集まってきていた。
「……っ!!」
「やっぱり、まず喜ぶんだな。お前は」
牧村は目にいっぱいの涙をためながらしゃがみこんだ。そして声を出して泣き始める。
「よ、よがった"ぁぁ!! よがった"ぁぁ……!!」
牧村は事情も経緯も、何も聞かずにまず喜んだ。それほどまでにこいつは負い目に感じていたのだ。わんわん言いながら、よかったよかったと繰り返す。咳き込むまでに泣いて、しゃがみこんだまま俯いた。そして、
「……ありがとう」
「ん?」
聞き取れない小声で、何かを言った。すると急に牧村は立ち上がり、オレの首筋にかじりつくように抱きついてきた。朝まで泣いていた時の凍えそうな体温ではなく、春の陽だまりのような熱を持っていた。
「ありがとう」
「……わかるのか」
「うん」
「あれは……」
「いいの」
あれは、決していいことだけではない。そう言おうとして、牧村に止められた。くぐもった声が耳元で吐息になる。
「いいの。わかってるよ。でもね、やっぱり言いたいの。ありがとうって」
「うん」
幼い子供みたいに頷いてしまった。
「それなら、オレも少しは救われる」
道の真ん中で抱き合っているオレたちを拍手が包んだのは、その二秒後だった。いつのまにか人だかりができていて、囃し立てるように口笛を吹いていたり、ジョッキを乾杯してりしている。彼らがオレたちを何だと思っているのかはわからないが、とりあえずはめでたいものだと思ったらしい。
「……飯いくぞ」
「……恥ずかしい」
我に返ったオレたちは一人分の距離を開けて歩き出した。すると、おいおい何やってるんだよと、今さら遠慮なんかするなと言われてしまう。
「仕方ない」
オレは牧村に手を差し出した。
「なんか勘違いされてるけど、我慢してくれよ」
「……別に我慢とか」
「え?」
「なんでもない!」
牧村がオレの手を取ると、周りの人たちがさっきより嬉しそうに拍手喝采した。なんだかオレたちまで浮かれた気分になってしまって、牧村と顔を見合わせて笑った。




