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世界の話




 魔王ルシアル直々に敗戦を知らせた。前線で闘っていた人形兵たちが撤退し、一時停戦の状態となると、ルシアルが全軍に声を使って通達した。それは草原一帯に響き渡る大音声だったが、自らの死と敗北を部下に伝えるというのは、どんな気持ちだったのだろう。

 ルシアル軍は始め、彼らの魔王が何を言っているのかわかっていないようだった。冗談だと思ってニヤニヤしている者が多かった。だが、ルシアルの妙に静かな表情と、憔悴したファイモンの姿を見て、冗談ではないということがじわじわと広がっていった。それでも、軍神であるルシアルがたかが人間如きの騎士に敗れたという事実は、受け入れられないと言うより想像すらできないらしく、なんだか全体的に不安定だった。ざわつき、がたつき、足並みが揃わない。軍としての敗北など経験したことのない彼らだ。さらに、実際の戦場では彼らが圧倒的に優勢だった。それが突然、大将首が取られたと言われたって、実感できるはずもない。


「おいらたちの、負けだ」


 ルシアルは敗北を宣言したが、それ以外を語らなかった。二言三言これからの軍の動きを指示すると、後はファイモンに任せてしまった。ルシアル軍全軍は本拠地に帰投。戦死者や負傷者の手当については本拠地で順次手配していく。

 ひどく真っ当な終戦処理だった。戦争なんて日常茶飯事の彼らはそういった「後片付け」も心得ているらしい。だがそれでも、完璧に統率されたルシアル軍でさえも、全ての行動がまごついていた。兵士たちは皆納得のいかない表情をしていたし、小人族は未来が消失したように上の空だった。彼らは、まだそこに生きているルシアルがあと数日で死ぬなんて、受け入れられないのだ。


 一方それに対して、王国軍の行動は実に迅速だった。大英雄となったクロードの遺体がルシアル軍から返されると、歓喜の声を上げることすらせず撤退を開始した。終戦から半日後には、彼らの姿は草原から跡形もなく消えていた。一割以上の戦死者を出していたはずなのに、遺体の一片すら残さなかった。彼らもまた、大量の戦死者が出ることは慣れっこだった。人の形を留めている遺体は兵士たちがかつぐ。肉片となった遺体は、身元の確認が取れるものはまとめて魔法で移送し、(死体なので簡易的な転移魔法で済むらしい)取れないものは戦場の土に埋葬された。

 そしてオレは、そういう光景を見ていた。ただ見ているだけで手伝いもしなかったし、邪魔もしなかった。傀儡城を形成する人形たちが忙しなく働いているのをぼーっと見ていた。


 頭の中が真っ白で、何をする気も起きなかった。誰からも話しかけられなかったし、仕事を手伝えとも言われなかった。要するに誰からも認識されていなかった。傍観者は透明人間で、観戦者は無害者だった。まさか自分がそんな存在になるなんて、想像したこともなかった。龍王の右腕(ドラゴン・アーム)を持つオレはいつだって事件の渦中にいたから。良くも悪くも。いや、オレにとっては全て求めていないことだった。だから昔から事件の他人になれることに憧れていた。だが、いざその立場に置かれてみると、思っていたほど良いものではない。悪いものでもないが、ただ特に感じることが無いと言うだけな立場は有り体に言って「つまらない」ものだった。

 そんなつまらない、何の役にも立たないオレは、気がつくと馬車の荷台に座っていた。


「……」


 馬車を走らせる御者は小人の男だ。オレの半分にも満たない身長で首なしの馬を見事に操っている。幌付きの荷台は狭く、さらに何やら木箱が大量に置かれていて、まともに人が座れるスペースはほぼ無かった。

 軽い眠気と吐き気を感じながら、オレは何故馬車に乗っているのかを思い出していた。


 軍神ルシアル率いる魔王軍と、王国軍の戦争は終結した。結果は大方の予想を覆した王国軍の勝利だったわけだが、それはもうどうでも良い。どうでも良いのだ。

 大事なのは、今のオレの状況を把握できるだけの説明だ。


 馬車は二つの月が放つ光を浴びて駆ける。夜だった。所々に細い木が生えているだけの寂しい荒野だ。オレは荷台から身を乗り出して馬たちが作った足跡を見つめる。何故か記憶が朧げで、判然としない。すると、


「お久しぶりね」


 聞き覚えのあるような声がした。だが、それがいつ何処で聞いたものなのかわからない。何か、オレにとってとても大事な瞬間に聞いた気がするのだが……。

 取り敢えず振り返ってみる。この馬車の中でオレ以外がいるとは思えないが、それでも声がしたのだ。もしかしたら、御者の小人の声かもしれない。甘い香りがふわりと漂うのを肌で感じたオレは、目の前の女にやっと気がついた。


「……え? は、はぁ!?」


 長い金髪をツインテールにした美しい娘。あどけない面差しは彼女が年端もいかない少女であることの証明だった。暗闇のようなドレスを纏った娘は、紅い瞳を妖しく光らせている。膝を立てて座っていたオレの鼻先に吐息がかかる。二酸化炭素をわずかに含んだ息も甘い香りがする。


「ちょ、え、えぇ……!?」


 平静を取り戻せない。鼓動は動揺と不安で高まっていく。いや、徐々にだが、確実に不安の方が大きくなっていく。オレはこの娘を知っているからだ。忘れもしない、忘れるはずがない。オレの人生の中でもっとも強烈な印象を植え付けられた相手だからだ。

 だが、そんな彼女が、何故こんな場所にいるのか。あり得ない状況に思考が追いつかない。


「アミナ……王女」


 人間の王国レギオンの王女。お姫様。少年王グリフォースの妹。


「覚えていてくれたの?」


 ふ、と大して可笑しくもなさそうに笑うと、王女アミナはオレから距離を離した。胸元を飾る銀色の宝石が妙に艶かしい。細微な作りのネックレスも、瞳と同色のドレスも、何もかもが王族の気品を纏い輝いていた。信じられないが、疑いようがない。オレの目の前にいる少女は紛れもなくアミナ王女だった。


 いや。



「あんたは……アミナ王女とは、ちょっと違うよな」


 この、紅い瞳の王女は、違う。アミナ王女は本来は碧眼だ。兄であるグリフォース王と同じ色だ。だが、口の端を吊り上げる目の前の王女は、紅い瞳をしている。あの時、オレがアミナ王女に拉致され、監禁された時。ほんの僅かな時間だけ表に出てきた人格。


「ふふ。そうね。私はあの子たちとは違うかもしれないわ。ただ、『違う』ということをどういう風にあなたは捉えているのかしら? 特別な人格? 恐怖の対象?」


 あの子たち、とはアミナ王女が持つ複数の人格のことだろう。アミナ王女は多重人格者であり、それと同時にそれらの人格のことごとくが破綻している。数秒間喋っているだけで内容や考え方、結論が二転三転し、記憶も連続性がない。普通の人間として社会的生活を送ることが不可能な存在だった。アミナ王女が今なお生きていられるのは、王女という特別な待遇を受ける立場で生まれてきたからだ。

 そして、それらの人格の中でも、この「紅い瞳の人格」は度を越してヤバい。会話を交わしたのはほんの二言三言だけだったが、背筋を氷柱で刺し貫かれたような恐怖は身体が覚えている。


「どうして……ここに、こんなところに。いや、そもそもどうやって……」


「簡単よ。先の戦争、私も観戦してたの。国王である兄が出陣するのよ。適当に理由をつければ引っ付いて来れたわ」


 レギオンの王族が一体どれほどいるのかは知らないが、兄妹揃って戦争に出てくると言うのはどれだけのリスクか。いや、戦場の騎士達を鼓舞するためならば二人の方が良いかもしれない。何故なら、この王女が多重人格者で破綻者であることは市井には伝わっていない。全軍の指揮を執るような騎士以外、それこそ最前線の騎士などは絶対に知らないことだ。騎士達は若き賢王と見目麗しい王女に背中を見守られながら戦える。これがどれほどの勇気を与えるかは想像に難くない。

 王女が戦場に来ていた理由はわかった。だがしかし、それは今彼女がオレの目の前にいる理由の説明にはならない。王女が護衛たちから離れ、こんな小さな馬車に乗っている。それも、これは恐らくアスモディアラの領地へ走る馬車だ。魔王の屋敷に向かう馬車に王女が乗る意味は全くもって不明だ。


 まぁ、魔王の屋敷にやって来る騎士団長なら知っているが。

 戦場の中心であの人がどんな目に遭ったか。それを思い出しかけて無理矢理振り払った。後頭部が熱くなり、嫌な汗が背中を伝う。


「ほら。そう言うところ。それがもどかしくって焦ったくて、もう我慢できなくなったから、会いに来たの」


「は、はぁ?」


「この世界の話をしましょう」


 狭い馬車の荷台で、紅い瞳の王女は微笑んだ。瞳は世界全てを飲み込んでしまいそうな深淵を写し、唇は星の歴史を語りたくてうずうずしている。オレにはそんな風に見えた。


 龍王の右腕(ドラゴン・アーム)が微振動を起こしたことに、オレは気づかない。意識は全て王女に吸い寄せられていた。


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