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終戦



 その槍は、これまで召喚されてきたものとはまるで異なる武器のように見えた。穂先から石突まで闇よりも深い黒を纏い、陽炎のように空気を揺らしている。視界を歪ませる靄が漏れ、それはまるで、槍に押し込まれた巨大な力が外に溢れ出ようとしているかのようだ。


「死呪の魔法」


 老いによって嗄れているルシアルの声が更に掠れる。呻きに似た溜息は、感嘆を宿していた。


「宮廷魔術師が十人集まって完成できるという、超次元級七言魔法か。まさかお目にかかれるとは思わなかったぜ」


「そうですか? 私はいつか必ず預かる魔法だと思っておりましたが」


「ま、兄ちゃんたちなら、そうだろうよ」


 クロードが現れてからずっと彼らに干されていたオレは、何を喋っているのかわからない。ただ、あの槍にかけられた魔法がとんでもなくヤバいものだとだけは本能で理解できた。

 クロードがチラとオレを見た。軽く肩をすくめると、億劫そうな表情で話し出す。


「死呪の魔法は、この世界に存在する中で最も強力なものの一つです。この魔法が付与された武器で攻撃された者は、必ず絶命します」


「必殺の魔法ってことか……?」


「必殺じゃねぇ。鏖殺だ。肉体のどこかに掠っただけでも絶命する。あれは死そのものだ」


 今度はルシアルが答えてくれた。ルシアルの口調も酷く冷めたものだった。先程までの燃えるような眼力は萎え、剣を脇に挟んで頭をかいている。


「でも、それじゃあなんでクロードは……」


「この魔法は、発動者と使用者は殺さないのです。武器がその者たち以外の誰かを殺すまでは、ですが」


 ここまで言われて、オレは理解した。あの魔法は、関わった者全てを殺すのだ。槍に魔法を発動した十人の宮廷魔術師も、槍を扱うクロード自身も。ルシアルに槍が触れた瞬間、全員が命を落とすのだ。だから、鏖殺。たった一人を殺すためだけに発動するには、あまりに重い代償だ。

 だが、それはオレだから言えることだった。この世界の人間にとって、魔王の命を取るのに十人程度の犠牲で済むのなら、安いことなのだ。おそらくは、黎明の騎士団だけではない。ルシアルの命と王国騎士全員の命を両天秤にかけている。騎士団が壊滅したとしても、ルシアルを倒せるのなら、彼らにとっての勝利なのだ。この戦争の全ては、ルシアルと一騎打ちするための前座でしかなかった。あの怖ろしい槍一本に、数十万の命をかけていたのだ。


「ま、下らん講釈はこの辺で良いだろう。白ける」


「同意ですね。異物は刺激にもなりますが、慣れると滑稽でしかない」


 その会話にはオレはついていけなかった。死闘に身を置く者同士の通じ合うものがあるのだろう。側で傍観しているだけのオレには近づけない世界だった。

 人間界の存亡は、クロードの一槍に託された。


「……」


 クロードは左肩の傷を庇うことはしない。意識が飛びそうなほどの激痛を味わっているはずだが、眼鏡の奥の瞳は爛々と輝いていた。闘志を剥き出しにした唇が吊り上がり、犬歯が月光を反射する。

 始めこそ死呪の魔法に驚いていたルシアルだが、今は喜悦を満面の笑みで表現していた。自らと闘える者がいたことが嬉しいのか、それとも、自らを脅かす敵の存在が嬉しいのか。きっとそのどちらでもあるのだろう。老いた軍神は若い狼のように獰猛な眼光を放つ。


 クロードの突進は正面から。小細工なしの一点突破。死呪の槍を右手で構え、背中に八本の槍を召喚する。同時に槍三本がルシアルの背後に出現。さらに左右からも三本ずつ出現。合計十八本の槍がルシアルを襲う。


「むん!」


 三本の槍がルシアルの背中を貫く。が、鋼の筋肉に阻まれ、僅かしか刺さらない。ルシアルは背後を捨てた。いや、そもそも守る必要などなかった。魔王の超肉体はそれだけで鉄壁の盾だった。左右からの槍は剣と短槍で全て打ち落す。それぞれがタイミングや角度をずらした攻撃だったが、全く関係なかった。手首の返し、得物の角度、凄まじい技倆を駆使して一振りどころか半振りで落とした。

 これでルシアルが相対するのは八本の槍と、死呪の槍のみ。クロードも追加で召喚はしない。突進もやめない。至近距離で両者の武器が打ち合った。空間を裂き、大地を震わせる衝撃。一秒間に百を超える遣り取りが展開される。クロードの槍がルシアルに打ち落とされ、ルシアルの剣はクロードが逸らす。


 クロードを守護していた槍全てが落ちた。残るのは死呪の槍のみ。クロードは持ち得る全ての技を使って攻撃を繰り返すが、ルシアルがことごとく流す。いかに強力無比な槍でも、当たらなければ意味がない。

 クロードが踏み込んだ。超低空から、大地から迫り上がるように槍を突き出す。オレの視認限界をゆうに突破した、正しく全身全霊の一槍。この広い世界の長い歴史の中で、最高の突きだった。


「」


 クロードの突きの姿勢はもう動かせない。

 月光が両者の影を大地に落とした。影の中では槍が敵を貫いていた。


 だが、ルシアルは剣の柄は、攻撃を逸らしていた。死呪の槍は威力を損なわぬまま駆け抜け、ルシアルの耳朶の僅か外側を突いていた。

 両者に停止する刹那が与えられた。そしてそれは、決闘の終わりを、戦争の終焉を予感させた。


「ふぅっ!!」


 先に動いたのはルシアル。短槍を僅かに引く。すると、短く二又に割れていた穂先が伸び、一つにまとまった。巨大な掘削ドリルとなった一撃がクロードの胸板を突き抉る。大量の鮮血がクロードの口から溢れた。あまりに太く強力な一撃に、クロードは即死。目を見開いたまま手足を痙攣させ、そして動かなくなった。槍手を失った死呪の槍は、カツン、という軽い音を立てて落ちた。


「……やるじゃねぇか」


 剛槍でクロードを突き刺したままルシアルは笑った。それは、勝者を讃える敗者の笑みだった。

 ルシアルの腹部に、小さな赤い斑点があった。小指の先ほどの膨らみは、重力に従って垂れることすらない小さな赤。

 禍々しい黒鉄色の槍が、クロードの背中を貫き、ルシアルの腹にギリギリ届いていた。


「二段構えとは、恐れ入ったぜ」


 それは、「二本目の死呪の槍」だった。どんな角度や位置からの攻撃も打ち落としてしまうルシアルを持ってしても、完全なる死角からの一撃は躱せなかった。クロードの背後より召喚され、彼ごとルシアルを襲った死呪の槍。鏖殺の槍が、魔王の身体に届いた。

 ルシアルは笑顔のまま剛槍を引き抜く。もう動くことのないクロードは、剛槍の支えを失うと同時に倒れた。彼の背中にあった死呪の槍は、黒い霧となって消えていった。


「あ……」


 決着が、着いた。クロードが死に、ルシアルが生き残った。だが、勝ったのはクロードで、敗れたのはルシアルだった。

 王国軍、人間界の全ての期待を背負った槍使いは、魔王ルシアルに勝利したのだ。


「く、クロード……」


 青白くなった死に顔は、無表情だった。開かれたままの瞳は、まだ勝利を映してはいなかった。クロードは、自分が勝ったことを、責任を果たしたことを知らないまま、絶命した。


「王国軍の宮廷魔術師は二十二人のはずだ。これで二人を残して全員死んだな。ま、奴らの覚悟を甘く見たおいらの負けだ。やられたぜ」


 ルシアルの口調には悔しさが滲んでいた。己が敗れたことを、心の底から悔しがっている。だが不思議と、眼は笑っていた。クロードの背中の傷を満足そうに見ながら、ゆっくりと元の小人の姿へと戻っていた。


「ルシアルさまっ!!」


 小人に戻ったルシアルは、即座に武器を解除し、座りこんだ。そこに白い光を帯びたままのファイモンが縋り付く。


「早く、早く処置をしなければっ! ここで待っていて下さいっ! 今すぐ回復魔法の名手を連れて……」


 叫声は裏返りまくって、ファイモンは半乱狂になって暴れる。とにかく傀儡城の外に魔族を呼びに行こうと走り出し、


「やめろ」


 ルシアルに止められた。


「死呪の魔法をくらった。絶対に助からない」


「そ、そんなことはっ!!」


「そういう魔法だ。いや、そういう戦争だった」


「ルシアルさまには、まだまだ魔界を、小人族を率いて貰わなければいけないのですっ!!」


 冷静に付き従っていたこれまでのファイモンは見る影もなかった。そんな部下を見ながら、ルシアルは小さく命令した。


「酒を持ってこい」


「それより、早く魔法をっ!」


「酒だ」


「こんな、こんな……」


「落ち着け。まずは酒だ」


 ルシアルは静かだった。胡座をかいた小人は、老けて見えた。今までの常にギラついていた眼光は衰え、ただの老魔族へと変わっていた。だが、それがしっくりきた。この男は、もうずっと前からそう言う存在だったのだろう。

 魔王の命令に抗えるはずもなく。ファイモンは震えながら頭を下げた。そして立ち上がると、煮えたぎるような憎悪を宿した眼を向けてきた。オレに。


「おまえはそこで、何をしていた……!」


「え」


「そこで、何をしていた! 何のためにそこにいた!」


 オレは一歩引いた。ファイモンの放つ極限の殺意に、心が負けた。


「やめろ」


 だが、ルシアルがファイモンを取りなした。ファイモンは泣きそうになった後、逃げるように走っていってしまった。

 オレとルシアルの間に、残念な沈黙が流れた。空の向こうからは戦場の音が聞こえてきて、まだ戦争が続いていることがわかった。


「死呪の魔法とは言え、一度他人を介して受けた。死ぬのは確実だが、多少の時間はあるだろうぜ」


「……」


 オレはルシアルにも、クロードにも、目を向けることができなかった。死んだ人間と、これから死ぬ魔族。その両方ともが、オレには怖ろしかった。


「ファイモンが言ってた意味、わかるか?」


「いや……」


「そうか」


 残念だな、ルシアルは小さく呟いた。


「兄ちゃんは、ここに何のために来た?」


「……え、と。ベルゼヴィードを倒すため」


「それだけか?」


「そうだ。そういう約束だっただろう」


「ま、そうだな。けどよ」


 本当にそれだけで良かったのか? ルシアルの目が問いかけてきた。


「アスモディアラの馬鹿が言ってたぜ。兄ちゃん、強いんだってな。ま、それはおいらにもわかった。多分、おいらよりも強い」


「そんな……」


 ことはない、とは言えなかった。だが、それが罪だった。


「でもよ、だったら、兄ちゃんは何してんだ?」


「え」


「おいらよりも強い、クロードよりも強い、ティナ・クリスティアよりも強い。そんな兄ちゃんが、何故この戦争で傍観者なんだ? 何故観戦者なんだ?」


「あ……」


「おいら達の軍と、王国軍の間に入って、両軍を押し留めることが出来たんじゃねぇのか? 勇者じゃ無理だ。魔界側でも、人間側でもない兄ちゃんで、誰よりも強い兄ちゃんなら、それが出来たんじゃねぇのか?」


「そ、それは!」


 できた。ルシアルの言う通り、それは可能だった。話し合いでダメなら、多少の実力行使で、両軍を抑えることはできた。戦争の回避とはいかないまでも、開戦を遅らせることは確実にできた。

 オレは、クロードの「人間じゃない」という発言の意味がやっとわかった。オレが人間なら、こんな人間界に勝ち目のない戦争など、止めてしまえば良かったんだ。だが、オレはそれをしなかった。ただ黙って見ていた。いや、むしろ、まるで、スポーツでも観ているかのような視線だった。人や魔族が殺し殺されている戦場を、他人事のように観戦していた。


 オレは、オレのできたはずのことを全て忘れ、放棄していた。「お前は何をしていた」。ファイモンの言葉が刺さる。抉る。


「別に怒ったりはしねぇよ。強い者が弱い者のために働かなくちゃいけないなんて訳もねぇ。むしろ逆だしな。けどよ」


 できたことに気づかないってのは、かなり馬鹿みたいだぜ。


 そう言うと、ルシアルは立ち上がった。


「この戦争は魔王軍の負けだ。魔王が負けて兵士だけが戦い続けるなんて不恰好なことはできねぇ」


 そして、ルシアルはクロードに近づき、その側で跪くと、


「よくやったな、大英雄」


 その瞳を閉じさせた。


 こうして、王国軍と魔王軍の戦争は、王国軍の勝利で幕を閉じた。わずか十二時間の戦争。王国軍の奇襲は見事に成功した。

 クロードの槍がルシアルに届いた瞬間は、歴史上初めて、人間が魔族に勝利した瞬間だった。


 王国軍は、十二時間で全体の約二割が戦死した。

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