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死呪



 凄惨で凄絶な光景に、言葉を無くした。炎の爆発音もルシアル軍の大歓声も聞こえず、ただただオレの呼吸音だけが脳を揺らしていた。見えたのは一瞬だけだった。団長の姿は、ほんの数秒間だけ晒され、すぐに牧村に回収された。だが、その一瞬が写真よりも鮮やかに脳に残る。網膜に移植されたのではないかと思えるほど、長い時間見続けることになった。

 親しい人が、オレが大好きだった団長が、両腕を失った。それどころか、命すら危ないのではないか。この世界の医療技術はどこまで進歩しているのだ。魔法で何とかならないのか?


 いや、もし治らないのであれば、どうなるのだ。いやいや、それよりもまず、もっと根本的な問題がある。団長不在の王国軍が、ルシアル軍に勝てる訳がない。ルシアル軍も三体の最精鋭を亡くしたが、まだまだ余力はある。ルシアルが生きている限り、戦力に底はない。王国軍は負ける。なら、王国の領土はどうなる? これまでギリギリを保っていた魔界と人間界の均衡が崩れれば、魔族が人間界に押し寄せることになる。それでは、団長の安否を考えることすら、できなくなる。

 オレは、そんな形で色んなことを必死に考えながら、現実を受け止めることを拒否していた。現実の問題を考えることで、それを俺自身の問題にまで発展させないようにしていた。


「いいえ。まだこれからです」


 だから、聞き覚えのある声で、急に現実感を取り戻した。無理やり引き戻されたと言った方が正確だ。


「あ?」


 ルシアルとオレが振り向く。そこには、二本の槍を持って歩く騎士がいた。赤い眼鏡をかけ、長い茶髪を後頭部で纏めている。ひ弱な優男の印象を受ける男。そいつの鎧は妙に綺麗だった。


「く、クロード!?」


 黎明の騎士団団長、無限槍のクロードが、傀儡城、魔王ルシアルの眼前に立っていた。


「おや。思いもよらない人がいますね。いいや、そこにいるのなら人ではないでしょうか。まぁ、どちらにせよ興味もありませんが」


 クロードは一度だけ少し驚いた表情をしたが、すぐにオレを視界から除外した。


「無限槍のクロードか。お前さんがここにいるとなると、あっちで戦ってるのは替え玉かい」


「その通り。暁の騎士団のクルトという騎士が変身魔法の名手でしてね」


「ほう。では、ここに来るまでの兵士はどうした?」


「黎明の騎士団団員が片付けました。では、早速決闘を始めましょう」


 謁見は即座に切り上げ、クロードは両手の槍を構えて腰を落とす。だが、ルシアルとクロードの間にファイモンが割って入った。


「なりません。ルシアルさまと闘いたければ、まず私を倒してみなさい」


「それは別に構いませんが」


「待てファイモン」


 クロードの槍の穂先がファイモンへと向きを変えた。ファイモンが錫杖を水平に突き出す。両者の間で見えない闘気がぶつかりあう。それを、ルシアルがおさえた。


「その兄ちゃんが望むのはおいらとの決闘だ。お前は手を出すな」


「ですが……」


「おいらが負けるとでも?」


「いえ」


 そう言われてしまえば、ファイモンはどうしようもないだろう。素直に引き下がる。


「それに、この兄ちゃんをここまで連れてきた黎明の騎士団団員に敬意を払いたい」


 ルシアルはにやりと笑ってクロードを、クロードの汚れ一つない鎧を指差した。それはまるで、ここにたどり着くまで一度も闘っていないかのようだ。


「有り難いですね。私は、私をここまで無傷で送り届けるために死んだ全黎明の騎士団員の想いを背負っています。できるだけ最高の状態であなたと闘いたい」


「ぜ、全員?」


 全員って、ここに突入してきた精鋭たちってことだよな。きっと十数人だよな。オレはそうだと信じて呟いた。


「そう。私を除く黎明の騎士団団員、二百五十六名。その全員の命の上に私は立っている」


 だが、クロードはオレの希望的観測を打ち砕いた。数字よりも、その言葉の重みの方が大きかった。「全員」である。黎明の騎士団を構成していた全ての騎士が、命を落とした。それも、クロードをここに辿り着かせるためだけに。魔王の前に立たせるためだけに、王国軍の矛である黎明の騎士団は壊滅した。残されたのはクロードのみ。そしてそれは、始めから決まっていたことだったのだろう。誰一人として生きて帰ることのない任務に、黎明の騎士団は向かったのだ。

 オレは、名前も知らない騎士たちの覚悟に恐れ慄いた。別にクロードをここに辿り着かせたからと言って、必ず勝てるわけではない。スタート地点に立っただけだ。軍神と評される魔王との一騎打ちが、どれだけ勝ち目の薄いものかは彼らが一番わかっているだろう。それでも、彼らは闘った。闘い、予定通り、当然のように、死んでいった。どれだけの精神力を持ってすれば、そんなことができるのか。そんな人生を選べるのか。最早狂気と言い換えても構わない。


「では闘いましょう。魔界七剣であり、魔界三叉槍である軍神ルシアル」


「錆びた肩書きだが、腕まで錆びてるとは思うなよ?」


「無論」


 魔界最強の七体の剣士に贈られる称号。そして、魔界最強の三体の槍使いに贈られる称号。その両方を、ルシアルは有しているのか。そんなことが、あり得るのか。そんな出鱈目が、許されるのか。

 へたり込んだまま傍観するオレなど蚊帳の外だ。クロードの身体に魔力が渦巻き、そして、ルシアルが小人の身体を爆発的に膨らませていく。そして、小人だったことが嘘みたいな大男へと変貌を遂げた。おそらく三メートル近い巨躯だ。着ていた着物は破け、上半身が裸になる。


「う、わ……」


 その肉体に、オレは呻かずにはいられなかった。闘牛のような豪快な筋肉の鎧を纏った肉体は、傷にまみれていた。傷ついていない箇所を探す方が難しい。刀傷、槍傷、凹んだ傷、針で縫われた痕が縦横無尽に広がっている。どうしてそれだけの負傷でまだ生きているのか説明できないくらいの肉体だった。


「ファイモン」


「は」


 ルシアルが短く命令する。すると、ファイモンの身体が眩い光を発して形を変えていく。それは途中で分断され、最終的には一振りずつの剣と槍へと変貌した。剣は黒々とした丸太のような、ほぼ棍棒のようだった。槍は短槍で、穂先が二つに割れている。ファイモンは魔族ではなかった。武器だったのだ。


「それでは」


「あぁ」


 クロードは丁寧にお辞儀をし、ルシアルが応えた。次の瞬間、クロードは敵の背後に回り込んでいた。槍が頚椎を狙って突き出される。と同時にルシアルの二時と十時の方向に槍が出現。回避を許さぬ異次元の奇襲だった。だが、ルシアルは反転しながら短槍で槍を、剣でクロードの持つ槍を弾く。どちらもほとんど見えていないはずなのに、寸分違わぬ見切りだった。ルシアルの剣が斜めに振り下ろされる。クロードは槍の柄で受けたが、途中で手放した。槍が保たなかったのだ。槍は残して後方へ回避する。そこにルシアルの短槍が追い打ちをかける。それは再びクロードが召喚した槍で防いだ。今度はルシアルの頭上から槍が殺到する。ルシアルは剣を払うだけで全て無効化した。


「ふむ。速さはもちろんですが、やはり重みが違いますね。業物の槍が小枝のように折られてしまう」


「年季が違えよ、年季が。体重移動を正確に伝えれば、人間だって滝程度なら真っ二つにできる」


「それができれば苦労しませんが」


 楽しげな両者の会話はすぐに断ち切られた。クロードの凄まじい突きが弾幕となってルシアルを襲い、ルシアルが水のような流麗な動きで捌き続ける。目にも留まらぬ速さとは良く言うが、彼らの闘いは逆に良く見えた。見えているのは全て数十手前の残像だが。実際に闘っている彼らと、周囲の時間の進みには大きな乖離があった。


「ふん」


 クロードは自らが振るう槍だけでなく、魔法で複数の槍を召喚し、操っていた。クロードが右から脇を狙って突くタイミングで、ルシアルの背後から二本の槍が挟撃する。さらに同時に一本ずつの槍が左右の斜め上からルシアルを襲う。日本にいた頃では絶対に拝むことのできない技だった。クロードの頭の中は一体どうなっているのか。槍を達人の域まで極めることだって至難だ。だが、クロードはそれだけでなく他の槍も操っている。団長と言い、クロードと言い、王国軍の遊撃騎士団の団長は神域の武人だった。

 だが、ルシアルは更にその上を行く。彼は二万の人形を操ることが出来る化け物だ。そして、剣と槍の両武術をも極めている。クロードの放つ上下左右正面背後からの攻撃を全て涼しい顔をして受け流している。彼の腕は二本しかない。それなのに、どうして全く同時に襲いくる攻撃を弾けるのか。


 クロードは攻め続ける。攻めて攻めて攻めまくる。僅か数十秒で、召喚し叩き落された槍の数は五百本は超えただろう。それでもクロードの心は折れない。だが、ルシアルの鉄壁の守備は崩せない。槍と槍を複数操ること、さらに魔法による連続召喚。脳神経が焼き切れるような苦痛を感じているはずだ。額から大量に流れ落ちる汗がその過酷さを物語っている。


「っ!」


 渾身。クロードの一槍一槍は全て渾身だった。的確に急所を狙い、貫きさえすれば魔王と言えど必ず倒せる攻撃。だが、当たらない。そして、とうとうルシアルが攻勢に転じた。


「ふんっ!」


 重い重い踏み込みは大地を踏み割る。ルシアルが振るった剣の風圧が十メートル以上離れているオレのところにまで届いて、オレの肌を斬り裂いた。更に数十メートル奥の背後にある人形の櫓が横断され、上部が吹っ飛んだ。オレがあと半歩右にずれていたら、顔面が無くなっていた。

 だが、それはルシアルの最大出力ではなかった。全く同じかそれ以上の斬撃を、絶やすことなく繰り出し続けている。傀儡城が一秒ごとに破壊されていく。


 ルシアルの戦闘力は圧倒的だった。神域に届いていると断言できる腕前のクロードでさえ、ルシアルを前にしては子供に見える。ルシアルの一振りを防ぐのに、クロードは三本の槍を犠牲にしている。もう攻めることなどできない。防戦一方ではない。死線一方だ。紙一重で生存しているが、いつ踏み越えられるかはわからない。それでも、そんな状況に置かれているというのに、クロードは一歩も引くことをしない。絶対に足場を後ろに退げない。ルシアルの圧力を前にしても、むしろどんどん踏み込んでいく。信じられない胆力だった。

 だが、決着の瞬間は当然のように訪れた。


「っ!」


「ぐっ!?」


 ルシアルの剣が槍四本を叩き折り、海を割りそうな一振りがクロードの半身を襲う。クロードの左腕は肩から潰された。斬り落とされるのではなく、塵になって消えた。人間の肉体では、魔王ルシアルの攻撃に耐えられないのだ。


「はぁっ!!!!」


 それでもクロードは前に出た。もう決着はついた。俺はそう思った。だが、クロードは諦めない。血を噴射する傷を構うことなく槍を振るい続ける。 

 その姿に、ルシアルは笑み崩れた。愛すべき幼子を見つけたような表情で、無情の剣戟を展開する。容赦なく手加減なく、決闘の敵として全力で闘い続ける。


 ついにルシアルの剣技に耐えきれなくなったクロードが、残った右腕の防御を弾かれた。正中線がガラ空きになる。ルシアルは見逃さない。短槍が心臓を狙って進む。

 この瞬間、何故かルシアルの敗北がオレの脳裏に霞んだ。刹那的な絶望をその身に宿したのは、瀕死のクロードではなく、圧倒的優位に立つルシアルだった。


 魔王ルシアルが、軍神と呼ばれた男が、背後に向かって数メートル飛んだ。逃げたのだ。回避ではない。不安と危機感を抱き、間合いを取ったのだ。

 オレはその正体を見つけた。ルシアルが驚嘆の声を上げる。


「死呪の魔法か……!!」


 クロードの右腕付近から現れた槍は、黒鉄色の禍々しい光を放っていた。

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