士気
ルシアルの読み通り、最初は両軍後方からの攻撃魔法が一斉に咲き乱れた。王国軍から巨大な岩石がいくつも飛んでくる。一つ一つが家一軒ほどの大きさで、あれが掠っただけでも生物の身体は潰される。
『ぶおおおおおおお!!』
マミンの巨大ゴーレムがルシアル軍の前に出た。数十メートルの巨体からは考えられない速度で駆けた二体は、巨碗を掲げることで岩石を薙ぎ払う。叩き割られた破片が草原に大穴を穿つ。
「撃て」
ルシアルの静かな号令に、ルシアル軍の魔法使いが炎の魔法を斉射。火球は上空ではなく地平すれすれを疾走し、王国軍二十万の鼻面に襲いかかる。放たれた火炎は千を超え、横に広がる王国軍に逃げ場がない。初手はルシアル軍が決めるかと思った。だが、
「……」
「っ!?」
火炎の津波が全て王国軍の手前で爆散した。草原が火の海となる。そして、めらめらと上がる炎の奥から、一人の女騎士が姿を現わす。
「怯むな。私に続け」
横一線に隊列を組む王国軍の中で、ただ一人先行する女騎士。その長い髪は炎が起こす風に揺られ、たなびく。彼女の瞳は、背後の炎とは比べ物にならないほど苛烈な赤で燃えていた。
銀に煌めく長剣を水平に振り払う。絶対的な魔法攻撃をたった一人で無効化したのは、オレのよく知る女性だった。
「……そう簡単にはいかねぇか」
ルシアルが楽しそうに笑う。
「暁の騎士団団長ティナ・クリスティア!!」
距離にして数キロあったが、その威容に唾を飲み込んだ。たった一人の女騎士の神業に、口が塞がらない。
「遠いな。ファイモン! 戦見の視界を持ってこい」
「は」
圧倒されるオレなんかお構いなしに、ルシアルは次々と指示を出す。オレ達の前に、直径二メートルほどの水晶が浮遊し始めた。その中には、戦場の様子が綺麗に映し出されている。あらゆる角度と位置から撮影されたものだった。
「これは戦見って言ってな。空に浮かべている小型の水晶から映像を持ってこれる。戦争の必需品だ」
水晶の中には、長剣を振るう団長がいた。ルシアル軍が間断なく放つ魔法攻撃を、ほとんど一人で撃ち落としている。
戦場では必殺級の攻撃魔法が狂喜乱舞していた。王国軍の魔法は巨大ゴーレムが壁となって防ぐ。どんな装甲をしているのか、どれだけ魔法が直撃しても装甲に傷一つつかない。
「進め」
ルシアルが右手を振った。巨大ゴーレムを先頭にルシアル軍が突撃する。尖兵にいるのは電柱のような槍を抱えた鬼の軍団。人間を串刺しにするどころか数人まとめて引きちぎる大きさだ。ゴーレムを追い抜き雄叫びとともに突っ込んでいく。
対して王国軍は、魔法攻撃で鬼達を牽制しながら、厚さ数メートルの盾で待ち受ける。
轟音を搔き鳴らして両軍がぶつかった。槍は盾を貫き人間達に穴を開ける。盾で鬼の身体が潰れる。超接近戦は互いに揉みくちゃになりながら一瞬の膠着を見せた。
「撃て」
その溜まり場にルシアル軍の第三陣が魔法を放った。両軍の戦士達が爆散して肉片へと成る。空いた空間を利用してルシアル軍の第二陣が進軍する。彼らは適度に距離を取って白兵戦に突入した。
「おい!? なんで味方がいるのに攻撃したんだよ!?」
「前衛は相手の突進を止める壁だ。役目は終わった」
「そ、んな……」
白兵戦になり敵味方が入り乱れる中も、両軍の魔法攻撃は止まらない。敵軍の少し後方めがけて絶え間なく撃ち込まれていく。その余波は最前線にまで飛び火し、兵士たちが吹き飛ばされる。
「ぶおおおおおおお!!」
その中で大暴れしているのが巨大ゴーレムだ。突出していた一体が戦場の中央で暴れ回る。一歩進むだけで人間が粉砕され、腕を振るえば数十人が血肉に変わる。特大の魔法攻撃にも一切怯むことなく戦場を蹂躙していた。しかし、王国軍も絶対に後退しない。分厚い装甲に向かって剣を振るう。
「妙だな」
何故かルシアルが顎を撫でていた。その目は複数の水晶を飛び回っている。
前線はゴーレムのあまりの制圧力に、白兵戦だと言うのに広場が出来上がった。
しかしそこに、団長が一人で進み出た。鎧が紅に見えたのは、全てルシアル軍の兵士の返り血だった。体格差数十倍のゴーレムと人間が向かい合う。
「なぁ兄ちゃん」
「な、なんだよ」
「人間と魔族、どちらが優れた生物だと思う?」
いきなりの意味不明な問いかけだった。
「そんなの、魔族に決まってるじゃねぇか。だってお前らの方がーー」
「ハズレだ。人間の方が優れている」
ゴーレムが両腕を団長に振り下ろす。地面がひび割れ大穴が穿たれる。しかし、腕の隙間に入り込んだ団長は無傷だった。
「おいら達魔族は、だいたいが数百年の寿命を持つ。それだけの時間をかけて技を磨き肉体を鍛え、一流の戦士へと育っていく」
しかし、
「だが、人間は長くても二十年そこそこで、おいら達の強さに追いついちまう。今だって、戦場は五分と五分」
暴れるゴーレムの天災のような攻撃は、団長に一切当たらない。
「人間の方が覚えが早く、戦闘的なセンスが良い。だから、おいら達六体も魔王がいて、未だに王国を陥せていない。そしてその中でも、時折生まれてくるんだな」
ゴーレムの腕が、重さにして数十トンの物理攻撃が団長に迫る。今度の団長は、避けなかった。
轟音と共に衝撃波が戦場に広がった。それだけで戦士たちは吹き飛ばされ、空の雲が晴れる。ゴーレムの腕の下には、すり鉢状のくぼみが生じていた。大きさにして直径三十メートル。
「団長っ!!」
ゴーレムは停止している。戦場の空気も一瞬静まった。
その時、光の亀裂が走った。それはゴーレムの腕の丁度中央を進み、胸を横切る。そして、
「なっ!?」
どんな魔法攻撃も寄せ付けなかったゴーレムの両腕が、胸から上が、空に吹き飛ばされた! 後方に飛行した上半身は山の麓に落下し、大爆発を起こす。
「王国の騎士達よ!!」
凛とした声がこだまする。それは広い戦場を駆け巡り、王国軍に勇気を、ルシアル軍に絶望を与える。
「声を上げよ!!!! 剣を掲げよ!!!! 醜悪下劣な魔族を打ち払う、黄金の刃となって戦場を駆け抜けよ!!!! 愛する祖国を護るため、今ここに奮い立て!!!! 悪しき王を滅する我が剣の加護の元に!!!!」
あまりに勇ましく美しい姿。史上最強の騎士に相応しい存在だった。
「ああ言う戦神とも呼べる存在が、出てきちまうんだよな」
団長の覇気に王国軍の士気が最高潮にまで高まった。彼らは恐れ知らずの猛進でルシアル軍を打ち倒していく。その勢いに、ルシアル軍の戦士たちが後退を始めてしまった。背中を見せたものから斬り捨てられていく。根性で踏みとどまっている戦士も、王国軍に囲まれて無力化されてしまう。
「ファイモン」
戦況が王国軍に傾いた。ルシアル軍の第一陣がほぼ壊滅。第二陣も打って出るのか退くのかの判断ができず、立ち止まってしまっている。だが、もちろん黙って見ているルシアルではない。即座にファイモンに指示を出す。
「翼竜五十機、全て投入しろ」
この戦争における虎の子を早々に出すつもりだった。まだルシアル自身がキモだと言っていた両翼の取り合いの前だ。開戦して一時間も経っていない。お互いまだまだ主力を温存した状態の前哨戦だ。だが、ルシアルはここで判断を下した。
「おいら達魔族が戦争で勝ってきた理由の一つとして、制空権確保がある」
ルシアルは、飛び立つ翼竜を眺めている。
「飛行魔法ってのは相当難しい。使える奴は限られてくる。だから、制空権の奪い合いってのは、どちらが大火力遠距離魔法を撃てるかって勝負になりがちだ」
今も両軍の後方からは攻撃魔法が展開され続けている。それらのほとんどは空中でぶつかり合って爆発していた。その中で潜り抜けた数発が敵軍の中央に着弾している。しかしそれすらも魔法の防御壁で阻まれ、あまり効果は発揮していない。戦争の中心は全て最前線の白兵戦にかかっていた。
傀儡城の左右から翼竜が飛びあがった。地上十数メートルを高速で飛翔する。僅か数秒で戦場を追い越し、王国軍の真上にまで到着してみせた。そこから攻撃魔法が瀑布のように放たれる。翼竜の口から火炎の息吹が吹き荒れ、背中にのる竜使いと、同乗する数体の魔族が地上に向けて魔法を撃つ。
どうしたって頭上は死角だ。見えないところからの攻撃は防ぎようがない。それを防ぐためには視線を上げるしかないのだが、その隙にルシアル軍が斬り込む。
王国軍の魔法使いたちも、翼竜を撃ち落とそうと躍起になっている。しかし、空を自由自在に移動する翼竜には当たらない。それどころか、敵後方への弾幕が途切れたことにより、ルシアル軍の攻撃魔法が味方に着弾してしまう。たった五十機の翼竜に、戦場が支配されてしまった。
味方が次々とやられていけば、どうしたって不利になる。戦場は、ほんの僅かな揺れ動きで巨大な変化が生まれる。ルシアル軍が息を吹き返した。歴戦の戦士たちは好機を見逃したりはしない。
「くっ!!」
団長の刃が翼竜を一機落とした。はるか上空に飛ぶ存在をどうやって攻撃したのかはわからない。しかし、それだけではどうしようもない。
「魔族は空中戦に秀でている。だから戦闘センスで劣っていても、互角に戦えてきた。おいら達魔王が五体もいなかった時代でも、戦線を維持し続けていた」
翼竜の攻撃で、どれだけの王国軍が死んだだろうか。自在に飛び回る翼竜は彼らにとっての怖るべき死神だった。
しかし。
「やっぱりおかしいぜ」
ルシアルの表情は晴れない。一時はどうなるかと思ったが、戦況は完全にルシアル軍のものだ。草原のほぼ中央でぶつかり合った両軍だったが、六対四でルシアル軍が押していた。巨大ゴーレムもまだ一体残っている。どう考えても初戦はルシアル軍の勝利だ。
「何がおかしいんだ?」
オレにはよくわからない。しかし、ルシアルは簡潔に教えてくれた。
「士気が高すぎる」
「え?」
改めて戦場に目を向ける。鬼や巨人など体格が優れている魔族が最前線で武器を振るっている。ルシアル軍の攻撃魔法が絶え間なく火を噴いている。巨大ゴーレムが我が物顔で猛進している。
しかし、そんな過酷な戦況においても、王国軍の兵士達は誰一人として退却していなかった。身体に槍が突き立とうと、腕が斬り落とされようと、前に前に進む。仲間の屍を乗り越えて戦っていた。
「うるあ!!」
そしてその最前列に団長がいた。彼女がいる中央だけはルシアル軍を押し返している。たった一人で数百人分の強さを発揮していた。
「ルシアル様。あれを」
ファイモンが端にあった水晶を持ってきた。そこには、
「黎明の騎士団団長クロード・オーバギア。それに、曙の騎士団団長グロン・リードか」
一つは草原の左手にある山の麓の密林の映像だった。そこでは、オレの嫌いな男、クロードが槍を振るって猛戦していた。彼に続くのは黎明の騎士団団員なのだろう。破竹の勢いで突破してくる。
さらに、右手にある林の中では、重装甲冑を着込んだ大柄な男が大斧を担いで前進していた。右眼を眼帯で隠した壮年騎士は歴戦の貫禄を見せつけている。
暁、黎明、曙。ルシアルが警戒していた三つの騎士団が姿を見せた。三つの戦場に散らばっている。そして、
「ファイモン。あの水晶の映像を寄せろ」
「は」
ルシアルが指差した。それは王国軍の最後方にある大本営だ。何重もの警戒網に守られたその中央には、二人の子供が座っていた。
「ま、牧村と……国王!?」
美しい氷の鎧を身にまとう牧村。厳しい表情で戦場を見渡している。その隣には、銀色に輝く正装を身に纏った少年王がいた。彼は精悍な顔つきで指示を飛ばしている。
「なるほど。前線を最強の騎士団と団長が引っ張り、後方には国王自ら参戦。おまけに勇者までが睨みを利かせているとなっちゃあ、そりゃ、士気も上がるだろうぜ」




