傀儡城
雲が本格的に黒くなってきた。屋根のない会議場は雨が降れば使えなくなる。正午に始まった会議は、三時間を過ぎてようやく終了に近づいていた。
「ま、こんなとこかしらね」
レヴィアが背もたれに身体を預ける。食糧支援を表明した彼女は、海から戦場までの補給線を確保した。
「私も、これで話すことは何もないわ」
戦闘用ゴーレムを転移魔法で輸送することを決定したマミン。戦闘用ゴーレムとは、王都の城壁の外で停止しているあのゴーレムの強化版らしい。牧村の氷結魔法で無力化させられた兵器だが、あの巨大質量が戦場で暴れ回れば、人間軍にとってはとてつもなく厄介のはずだ。
普段敵対している勢力が突然協力するのだ。もう少し丁寧に議論を尽くす必要があると思うが、どうやらこれで十分らしい。
「ま、おいらも同じだ。そろそろお開きにしようかい」
ルシアルの一言で、全員が会議の終了を了解した。それを確認して、リーリが宣言する。
「それでは、これにて魔王会議を終了いたします。皆さま、お疲れ様でした」
挨拶を交わすことなく、全員が席を立った。マミンはすぐさま光がボケたように消えていき、レヴィアは水槽へと戻る。マネージャーがそれを押して闘技場の外へと歩いて行った。マダム・ギラとアキニタは、転移魔法で飛んで行ってしまう。最後に一瞬、アキニタがオレの方へ目を向けてきた気がしたが、言葉をかけられることはなかった。
その代わり、居残っているルシアルが、オレを手招きする。
「ほら兄ちゃん。あんまし時間がねぇ。すぐ飛ぶぞ」
「あ、あぁ。少し待ってくれ」
今から行くから、と言う意味ではない。本当に時間が欲しかった。オレの言外の意味を理解したルシアルは、護衛から新しい徳利を受け取る。
「リュカ」
「はい」
こちらに振り向いたリュカは、落ち着いた表情で返事をしてくれた。色の異なる二つの瞳には、穏やかな光が灯っていた。
「少し行ってくる。良いか?」
「それは、事後承諾って言うんですよ」
「ごめん」
リーリが背後で溜息をついたのがわかった。
リュカの言葉は厳しかったが、声音が優しく、怒っている雰囲気はない。オレの右手を、リュカがそっと両手で包んだ。
「きっと無事で帰ってきて下さいますよう。私は待っております」
「うん。大丈夫」
いつかリュカを泣かせてしまった時があった。あの日とは違い、リュカは一緒についてくるとは言わない。彼女がもう魔王の娘ではなく、一つの領地を預かる身であることを自覚しているからだ。どんなに領内が荒れていようとも、リュカにはそれを守る義務がある。それを立場の変化と呼ぶのか、成長とするのかはわからない。だが、出来れば後者だと言いたい。リュカが強く逞しくなったのだと、オレは思うからだ。
「行ってきます」
「はい。行ってらっしゃいませ」
最後にぎゅっと手を握りあって、離した。互いに笑い合えた。
「無茶はするなよ」
「わかってるよ」
リーリは一言を告げるのみ。オレもそれを真似た。
「それじゃあ」
手を振ることはせず、二人に背を向けた。背中に続いていた視線は少し残ってやがて剥がれていく。彼女たちがオレとは反対方向へと歩いて行ったことを感じた。
「ついてきな」
くるりと杖を回転させたルシアルは、オレが追いつくことを待たずに歩き出した。
オレの三分の一程度の身長しかないルシアルだが、とにかく歩くのが早い。歩幅なんて十数センチしかないはずなのに、オレが少し小走りにならないとついていけない。目を疑いたくなるような事実だった。
前を行くルシアルも護衛も、一言も口をきかない。闘技場から出てそれなりの時間が経ったが、コミュニケーションが取られることはなかった。
「どこに向かってるんだ?」
ついていくことには同意したが、行く先を知らされないのは不安だ。ルシアルから教えてくれることは無さそうなので、オレから質問する。しかし、背中越しのルシアルは返事をしてくれない。代わりに、隣を歩く護衛が答えてくれた。
「これより転移魔法で築城中の平原へと向かいます。ルシアル様は転移魔法を会得しておりませんので、私の魔法での転移になります」
「なら早く飛んだ方が良いんじゃないか? なんで歩いてるんだよ」
「ごちゃごちゃ煩ぇな」
急にルシアルの苛立った声が割って入ってきた。振り返ることはしないまま、棘のある声が続く。
「黙ってついてこい」
流石にちょっとムッとした。どこに行くかを聞いただけで、こんなにも険のある態度を取られたら誰だってそうなはずだ。何か言い返そうかと思ったが、蛇が出てくるだけだと思い直した。仕方なく黙って歩くことにする。
闘技場の姿がだいぶ朧げになってきた。かなりの距離を歩かされて、正直不満が溜まっている。客のような待遇を要求するつもりはないが、にしたってもっとやりようはあるはずだ。ただ、ルシアルと護衛もオレと共に歩いているので、声に出すことはしない。負けた気になるからだ。
「ついたぜ」
すると、これまた突然ルシアルが立ち止まった。そこは特に何もない道の真ん中だ。左右は廃屋で、道の先は巨大な塔がそびえている。車二車線分程度の道上で、オレ達は停止した。
「何もないけど」
「ファイモン」
ルシアルの簡潔な命令に、護衛が前に出る。そして、右手に持った錫杖で、とん、と地面を突いた。錫杖の金属輪が鈴のような音を鳴らす。
徐々にだが、地面の色が変わり始めているのに気がついた。灰色の地面が赤黒く変色していく。それは、幾何学的な紋様を書き込まれた魔法陣だった。五メートルほどの円の中に、直線と曲線で構成された図形と文字が書かれている。以前王都から魔王の屋敷に戻ってくる時に見た魔法陣とはまた違ったものだった。あの時の陣よりも、より複雑に書かれている。
「乗れ」
ルシアルが魔法陣の中央に進み出た。オレも倣う。あまり外側に位すぎると不安なので、出来るだけ中央に立つ。だがあんまり前に出すぎるとルシアルとの距離も縮まるため、結局は円の直径の四分の一程度の場所に立つことになる。さっき知り合ったばかりの魔族に不用意に近づくつもりはない。ルシアルがリュカのような可愛い魔族だったら話は別だが。その辺はオレも男だよなぁ。浅ましいよ。
「では。今から魔法を発動しますが、発動の瞬間から数十秒間は息をしないで下さい」
「わかった」
何で? と聞くとまたルシアルに怒られそうなので、素直に従う。
「地脈の流れ・岩石の巨像・世界的混沌・臥龍・暗澹たる視界・不死者は不在・山河の源。我、地の眷属なり。大地の道筋を示したまえ」
七つの詠唱による魔法が発動した。この瞬間のオレの驚きをどう表せば良いだろうか。転移魔法は、感覚的には空を飛んでいるような感じだ。実際にどういう状態にあるのかは知らないが、身体が宙に浮いて、そして目的地に降り立つ。そういう感覚を味わうことになる。だから、オレはまた自分の身体が浮き上がる感覚に備えていた。横隔膜がふっと飛ぶ感覚。しかし、
「っ!?」
オレの肉体が空へ向かうのではなく、地に沈み込んで行った。足場が突然ゼリーのような状態となり、どぷりと落ちていく。爪先から頭の頂点までゼリーに浸かる。ゼリーの海の中を何か不可視の力で引きずられていく。準備していたのとまるで違う、真逆に近い感覚に一瞬頭の中が真っ白になる。とにかく目や口を開けてはならないという第六感に従って、必死で歯を食いしばっていた。
「あっ」
だが、不思議な感覚だったからこそ、それが無くなることに気づくのは早かった。ウォータースライダーを抜け切った瞬間のように、魔法が終わったことを悟る。
頬に爽やかな風が当たっている。もう地上に立っているのだと理解出来た。ゆっくりと目を開く。飛び込んできたのは、とにかく広大な草原だった。地平線の向こうまで健康的な若草が敷き詰められ、世界の果てまで広がっている。遠く彼方に陰のように見えるのが山なのだろうか。空の色と一体化するほどの距離にある。
「今のは普通の転移魔法とは違い、地中を超高速で移動する七言魔法だ。予めマーキングした場所にしか飛べねぇが、その分大容量を運べる」
「あぁ。なるほど」
「ちょっとした部隊程度なら運べるから、奇襲に適している。これを使えるのはファイモンの一族だけだ。そして、知っているのはおいらとファイモン。そして、兄ちゃんだ」
オレの背後で話すルシアルの声には迫力があった。
「わかってるよな?」
「はい……」
他の魔王には知られたくない隠し球なのだろう。他言するなと釘を刺してきた。晴れ晴れとした大自然の中にいるというのに、非常に重い気分だ。話を変えよう。
「ここが決戦の地なのか?」
「あぁ。兄ちゃんが見ている方向から人間が攻めてくるぜ」
「じゃぁ城は……」
ルシアルへと顔を向ける。だが、オレが見たものは小人ではなかった。緑の草原にドス黒い影を落とす大建造物だった。
数百メートル先。オレのいる場所からは少し高くなった高地に、歪な形の城があった。右斜めに傾く平行四辺形。堀も城壁もなく、城だけが座している。周囲には空を警戒するように複数の櫓が建てられていた。それは激しい闘いを瞑目して待つ巌の巨人のようだ。急ごしらえとは思えない堂々たる城は、魔王ルシアルの居城に相応しい威容と禍々しさを湛えていた。
「どうよ、おいらの傀儡城は」
玩具を自慢する子供のような笑みでルシアルが両手を広げる。その瞬間、草原を駆け抜ける大音声が城から轟いた。その爆音は、城の周辺にいる魔族達のものだ。彼らは王の帰還を大轟音で出迎える。
「魔と人が奪い合う世界にようこそ」
耳を塞ぎたくなる光景の中、ルシアルの声が妙にはっきりと聴こえてきた。




