難航
軍神ルシアルは、オレの想像とはまるで違っていた。軍神なんて猛々しい二つ名を冠しているのだ。それこそ巨人か鬼か、バリバリの肉体派をイメージしていた。しかし、今オレの目の前にいるのは、それとは正反対の魔族だった。
声からわかる通りかなり高齢のようで、顔中に深い皺が走っている。頬は削げおち、手首なんかも小人族であることを差し引いても弱々しい。オレの親指と人差し指でつまめば折れてしまいそうだ。
マダム・ギラはちょっと大人っぽいというか死人っぽいが、レヴィアは美少女、マミンは美女だ。リュカも当然。この場の魔王達の中で異質な存在だった。
「ん? おいおいアスモディアラお嬢ちゃんよい」
「は、はひ!?」
緊張し過ぎだ。
「護衛は一体って話じゃあなかったかい? 後ろの良い女はリーリって娘だろうが、兄ちゃんは何者だい?」
「え、えっとですね。こちらは私の、護衛、ではなく……」
レヴィアの眉が不機嫌そうに跳ねる。リュカのおどおどした態度にイラついているのだ。
「その……」
「ん? どうしたい」
別にルシアルは責めているような雰囲気ではない。だが、見るからに年長者な彼に、リュカは単純に気後れしてしまっている。そして加速度的にレヴィアの機嫌が悪くなっているのを左肩で感じているのだ。
「失礼ながら」
ピンチな主人に助け舟を出したのはリーリだ。
「こちらの者はアスモディアラ様がお認めになった我が主人の婚約者でございます。本来ならこの者が会議に参加する予定でしたが、まだ正式な婚礼の儀を果たしておりません。よって仕方なく我が主人が出席している次第であります」
リーリがここまではっきりとオレをリュカの婚約者だと認めたのは初めてのことだ。その事実にただ驚く。リュカも同じなようで目を見開いて振り返っていた。
「はぁ? 何それ。全然説明になってないわね。婚約者同士なら会議に仲良く参加して良いってことかしら?」
リーリの説明に、レヴィアが牙を剥く。たしかに、言い訳と呼ぶにもお粗末な理屈だった。何を思ってあんなことを言ったのか。正直オレもこの場の雰囲気に気圧されてあまり脳みそが回転していない。横から上手いこと言ってあげられないぞ。
「とんでもございません。ただ、会議に参加しているのはこの者と、我が主人にございます」
「は?」
リーリは手を小さく二回叩いた。すると、魔王の卓の前に紙束が現れた。
「私は、今会議の議事進行を務めさせていただきます」
「あ」
リュカが声を漏らした。なるほど。そう言うことか。会議に参加しているのはリュカ。オレは護衛。そしてリーリは、オレ達とはまた別の立ち位置の存在だと言うことか。こじつけではあるがギリギリ納得出来る話だ。
「そちらの資料は、人間軍の規模や進軍方向、戦場となりうるいくつかの地域の地形情報でございます」
魔王達がパラパラと資料をめくっていく。妥協を許さない厳しい視線。資料は数十ページほどだ。全員が軽く目を通すのに五分ほど時間をかける。
「ま、私は構わないわよ」
最初にマミンが資料を置いた。その次にマダム・ギラも頷く。そして、レヴィアも鼻を鳴らしながら腕を組んだ。とりあえずは認めるということだろう。ルシアルも特に何も言わない。
「……凄い」
リュカが呟いた。オレの位置からは資料の内容は見えないが、それでもかなり事細かに書かれていることは分かった。数々の戦いを経験してきたであろう魔王達も、褒めることこそしなかったが、十分に価値のある資料として認めた。
アスモディアラの死を知らされた時、すでにリーリはこうなることを予期していたのかもしれない。だから、きっと人知れず情報収集をしていたのだろう。しかし、それでも時間にして五日程度だ。魔王達を納得させられるだけの物を作るには、あまりに時間が足りない。どれだけの苦労をしたのか想像することすら難しい。
リーリは、それだけの覚悟と準備を持ってこの場に臨んでいる。今だってどの魔王にも一切臆していない。堂々とした態度で真正面から戦っているのだ。
「っ!」
リュカが顔を上げた。朱と蒼の瞳には力が宿る。リーリの思いを感じ取り、やっとリュカ本来の強さを取り戻したようだ。
「ふ」
リーリと笑い合った。これならば、きっと大丈夫。そして、奮い立たせたのはリーリだ。やっぱりオレなんかとは共に生きてきた濃度が違うのだろう。まだまだ足元にも及ばない。
ならば。リーリは議事進行だ。リュカの護衛ではない。もしものことがあっても、おおっぴらに動くことが出来ない。リュカの身を守れるのはオレだけだ。リーリはオレに託してくれたのだ。全うしよう。守ってみせよう。
「了解したぜ。なら会議を続けようかい」
「は。では予想される人間軍の規模ですが、およそ二十万人。史上最大の大軍勢です」
リーリがテキパキと話を進めていく。
「また、暁、曙、黎明の三遊撃騎士団も史上最強の布陣と言われております。かつてないほどの大戦争が予想されます」
暁の騎士団と聞いて、オレは考えてしまう。団長は参戦する。牧村はどうするのか。
「面倒くさいわね。ギラ。サタニキアの月破咆哮でまとめて薙ぎ払いなさいよ」
「……あのお方は戦わないわ」
「相っ変わらず引きこもりね!」
「そんなに言うならレヴィア。あなたの災禍の津波で一掃すれば良いじゃない」
「人間どもの進路を見なさい。高地や山間部をあえて通ってるわ。私の魔法が届かないようにしてるのよ」
「王国の海岸からなら城まで届くでしょう?」
「それがギリギリ届かないわ。それに向こうも排水機能や遮水壁を整えてる。忌々しい小細工ばっかしてるわ」
あの若き賢君を思い出す。彼ならば十分の警戒感を持って対抗策を練っているだろう。魔王の力は凄まじいが、無計画に突っ込んでも効果は薄いということらしい。
魔王同士の会議は、会議というより、レヴィアが文句を言ってマミンがいさめる。そんなやり取りが繰り返されるだけだった。マダム・ギラは無言でキセルを吹かし、ルシアルは徳利のような樽から酒を注いで飲むだけ。一切話し合いに参加しようとしない。リュカは覚悟こそ決まったようだが、レヴィアとマミンの話に入れずにいる。
そんな中、オレの注意は魔王の護衛達に向いていた。レヴィアの護衛はあのマネージャーだ。今も直立不動で身動き一つしない。息をしてるかどうかも怪しい。マミンは小柄な魔族を連れている。ボサボサの髪は地面につくほど長く、男なのか女なのか判然としない。服は茶色いボロだ。おそらく昔は白衣のような物だったのだろう。マダム・ギラの背後にはアキニタが控える。そしてルシアルの側には、僧服の女魔族が立っていた。頭巾で髪を隠し、長い錫杖を右手に構えている。
どいつも実力とか性格とか戦闘スタイルとかが見えて来ない不気味な連中だ。お近づきになりたいメンツが一人もいない。だが、ただの護衛だし何かしてくることはないだろう。頭を会議へと切り替える。
「おい。なんか会議難航してるぞ」
リーリに耳打ちする。
「そうだな。別に意外でもないが、このままだと準備が整えられない」
人間軍はこの時間にも着々と進行してきている。まだ猶予はあるが、戦争の準備とやらにはどれだけの時間を必要とするのか。少なくとも二、三日で終わるものではないはずだ。
「ふぅ。全く見てらんねぇぜ」
ここでルシアルが酒臭い溜息をついた。少しばかり顔は赤いが、瞳には狩人のようなギラついた光が宿っている。
「大魔女さまも、アイドルさまも、ここは天下の魔王会議だぜ? 女子会とやらなら他所でやってくれねぇかい?」
空気が張り詰める。
「関係ないような面してる酒乱に言われたくはないわね。それともあの世への手土産でも考えているのかしら?」
「そんなに言うなら、あなたも意見を言いなさい」
喧嘩腰のレヴィアを押し退けるようにマミンが言い放つ。上から目線の言い方は、ルシアルの癇に障ったようだ。
「リーリの嬢ちゃんの資料を見たところじゃぁ、こっちも手抜きで戦れるほど余裕はないぜ。そこでだ。お互いの手の内を見せ合って、一番戦力が充実してるとこが闘ろうじゃねぇかい」
「……酒が回り過ぎて頭弱くなったの? そんなの正直に話す奴いないわ。いつ背中を襲われるかわからないってのに」
「おいらんとこは、野良の魔族掻き集めても十万ってとこだぜ」
「え?」
レヴィアとマミン、リュカでさえ放心した。マダム・ギラだけが動揺を見せなかった。
「嘘はついてねぇよ。最近はそこのゾンビさまのとこと喧嘩ばっかでよ。消耗してるんだぜ」
「……」
全員が黙る。心理戦、なのだろうか。
「さて、おいらは正直に話したぜ。他の皆さんはどうするよい?」
まだ黙ったままだ。そして沈黙に耐えきれなくなったリュカが声を発しようとしたその時、ルシアルの左右の首筋、脇腹、背中側の心臓に短剣が突きつけられていた。
「……やれやれ。気の早い兄ちゃんだぜ」
ルシアルの真後ろに立つ魔族は、六本の腕、六通りの刃でもって過激な牽制をしていた。それをするのは、七三黒眼鏡のマネージャー。両肩から三本ずつの腕を生やしている。瞬きよりも早く、空気よりも静かな動きだった。
「アイドルさんよ。躾がなってないんじゃねぇかい?」
「どの口が言うのかしら」
呆れたように息をつくマミン。彼女の頸動脈には錫杖の先端が触れる寸前だった。ルシアルの護衛がマミンの背後から武器を振るったのだ。そして、
「ふん。ま、お互いさまってことにしてあげるわ。今回はね」
レヴィアの両耳のすぐ隣に、巨大な握り拳があった。レヴィアの身体よりも大きな拳は、マミンの護衛が掲げたものである。そいつはレヴィアの席の後ろから拳だけを巨大化している。レヴィアの頭を捻り潰す寸前だった。
「え、え、え?」
この殺気立った瞬間にやっと目が追いついたリュカは、ただ周囲を見回すだけだ。何がどうなってこの状況に至ったのかわかっていない。
最初に殺気を発したのはルシアルだった。それはほんの僅かなものだったが、レヴィアの護衛は反応した。そして同時にレヴィアの魔力が高まり、それを抑えるためにマミンの護衛が動く。マミンは発端であるルシアルへと視線を動かしたが、ルシアルの護衛が背後から制した。
オレもほとんど目で追えていない。ただ感覚だけは捉えていて、マミンの護衛がリュカの背後を通り過ぎる時に、リュカへ何もさせないよう強烈に睨みを効かせた。
本当に一瞬のことだった。
「……埃が立つわ」
マダム・ギラが眉をひそめて紫煙を吐き出した。




