ルシアル
目覚めは非常に不快だった。この世界に来てからと言うもの、最高級のベッドで眠ることがほとんどだった。しかし今日は、布の一切ない木組みのベッドで一晩を明かしたことで、身体の至る所を寝違えていた。廃都とは言え、どの住居にも多少は生活用品が残っているだろうと思っていた。だが、それは甘い考えだった。魔界なんて言ってしまえば無法者が蔓延る場所であり、そんな中で生活に役立つ物や金になる物が廃墟で眠っているはずがない。要するに何もかもが盗まれているのだ。それでも何とかベッドの面影を残す物を探し出し、それを寝台として眠った。あまりの寝苦しさに夜中に何度も目を覚ましたせいもあって、頭がクラクラする。そもそも殆ど眠っていない。明け方に心身の疲労から気絶するように意識を落としただけなのだ。
「うが……。うぅ」
埃っぽい。あと口の中がじゃりじゃりする。何が起こるかわからない魔王会議に出席するには最悪のコンディションだと言って良い。空も灰色で覆い尽くされているので、朝だというのに鬱々とした空気だ。
「あ、おはようございます、エドガーさま」
「ん、リュカ。おはよう」
廃墟から出て眠たい頭のままぼんやりしていると、向こうからリュカが歩いてきていた。オレに気づくと、ととっと駆け寄ってくる。寝巻きの白いワンピース姿だ。
「よく眠れたか?」
「恥ずかしながらあまり……エドガーさまは、そのご様子だと同じみたいですね」
「あぁ」
二人してぼんやりする。日の出ているであろう方角に向かって大きく欠伸をした。オレのが移ったようで、リュカも手でおさえながらも口を開く。くぁ、と可愛らしい声が聞こえてきた。
あぁ、なんか帰りたくなってきた。リュカもそうだろう。成り行きでついて来たという程おざなりなつもりではなかったが、大きな流れに揉まれていたのも事実だ。だが、それは許されないことなのだろう。今となっては。
「む……! おいリュカ! そんな格好で外を出歩くな!」
リュカを探しに来たのであろうリーリが、僅かに怒気を孕んだ声でオレ達を見つけた。彼女はやる気十分らしく、すでに美麗な執事服を着用している。あの輝きはおそらく新品だ。
「あ……リーリ」
「寝ぼけているのか? 魔王会議は正午からだ。早めに支度するぞ」
「はぁ」
「嫌な気持ちはあるだろう。だが、もう少し自重してくれ」
リュカの深い溜息に、リーリも腰に両手を当てて息を吐く。
「おいリーリ。オレ昨日から何も食べてないんだけど」
少し頭に血が回ってきたことで、腹が空いていることを思い出した。
「知るか。その辺の草でも食べてろ」
「なんでそんな機嫌悪いんだよ」
「リュカがあまりにも頼りないからだ!」
「だからってオレに当たるな。リュカ、とりあえずご飯食べよう。そしたら元気出るさ」
「はい。昨晩は気が回らず申し訳ありませんでした。すぐご用意しますね」
その後、リュカとリーリが泊まっていた宿にオレも入ることが出来た。魔王が一泊するに足る絢爛豪華な建物で、こんなに金の匂いを振りまいて大丈夫なのかと思ったくらいだ。リュカもリーリも慣れないらしく、備品を触るのもおっかなびっくりと言った感じだ。そして食材もきちんと用意されているようで、それをリーリが手早く料理してくれた。屋敷は食に関しては妥協しなかったせいか、ここでの食事がそれほど素晴らしくは感じることはなかった。
リュカは時間が進むにつれてどんどん瞳に影を落としていった。しかし、リーリがあれやこれやと世話を焼き準備させていれば、正午などすぐにやってくる。
魔王会議が始まる。
そこかしこに激戦の痕跡が残る闘技場の中央。昨日は無かったものが出現していた。五角形の卓である。翡翠のような色合いをした卓は一辺が二メートル程度。それほど大きなものではなかったが、空間を圧倒する迫力と威厳があり、魔王会議の卓に相応しかった。脚の部分には竜や人魚、ゴーレムなどが彫り込まれていて、それは五体の魔王を表しているのだろう。
その角卓の四辺の前に、四体の魔族が座っていた。彼女たちはそれぞれ持参した椅子に沈黙をもって座している。
「遅いわね、あのくそジジイ。また酔っ払ってるんじゃないの?」
眉根に皺をつくって吐き捨てるのは、魔界アイドルレヴィア。下半身は人魚のままだが、水槽には入っていない。白と青の爽やか色合いのセーラー服を身につけている。しかし、滲み出るオーラがあまりにも険しく、活火山の火口のような恐ろしさを有していた。
「まだ時間じゃないわ。いい歳して落ち着きないわね」
レヴィアの右隣一つ飛ばした辺に座るのは、黒魔女マミン。黒の山高帽に黒のマント、口紅まで黒に染まっており、不吉な香りが立ち昇る。優雅に脚を組んではいるが、その爪先はレヴィアの喉元へと向けられていた。
両者の視線が触れ合うことはない。空気を圧縮しそうな威圧感だけが両陣営を激しく主張していた。
「う……」
そして、レヴィアの右隣、マミンの左隣、要するに二人の間で座るリュカは、震えながら俯いていた。早くも魔王二体の圧倒的な存在感に押されて縮こまっている。背後に立つリーリとしては背中をさすってやりたいのだろうが、もうそんな真似は出来ない。
早くも見えない攻防が繰り広げられている中、オレはおかしな魔族を視界に捉えていた。
「……元気ね」
「マダム・ギラ。葉巻はダメだよ」
マミンの右隣に座すのは、なんとサタニキアの洞窟都市で出会ったゾンビの魔族。都市の端で隠れ潜むように営業されている酒場の女主人、マダム・ギラだった。土気色の肌がツギハギで繋ぎ止められているのも、退屈そうな話し方もあの時のままだ。間違いなくマダム・ギラだ。そして、彼女の隣に立つのは、アキニタだ。白シャツに黒のベスト。濃い緑の半ズボンの彼は、卓に置かれた大きな麻袋から干し肉を取り出しては口に放り込んでいる。
レヴィアやマミンはマダム・ギラとアキニタの存在を訝しんではいないようだ。全員が全員ここにいるのが当たり前のような顔をしている。
混乱した結果リーリに耳打ちする。何故彼女らがここにいるのだ。
「うむ。彼女たちは憤怒の王サタニキアの名代だ。予想はしてたが、やはり会議には参加しないか。これではこの会議の価格が落ちてしまうのだがな」
「まぁ、そうだけど」
かつて魔界を支配していた王が参加しない魔王会議。他の魔王は出席しているというのに、彼は代理を送ってくるだけだ。そんな無作法がまかり通ること自体が会議として歪んでいる。また、それを受け入れてしまわざるを得ない他の魔王達も苦い気分だろう。
おい待て。オレが言いたいのはそんなことではない。何故場末の酒場の女主人とどこの誰とも知れない少年が魔王の名代なのだ。マダム・ギラはサタニキアの知り合いだとは言っていたが、だからって名代に選出するか? 他にもっと選ぶべき部下はいなかったのか。
「おいリーリ」
「なんだ」
「あのさ。お前が火毒蜂に刺された時、シミズ草を採るのに協力してくれたのがあいつらなんだ。お礼言っとけよ」
「む。そうなのか。軍神ルシアルも金と引き換えにシミズ草を分けてくれたとも聞いている。ここはきちんと感謝の意を示しておかないといかんな」
「おう。会議の前に済ませておけよ」
「馬鹿を言うな。そう言うのは軍神ルシアルが席についてからまとめて行うんだ。会議の場で正式にな。そうでないと敬意に欠く」
「お、おう。確かに」
「だが、いきなり借りを作ってしまうのは頭が痛いな。すまないリュカ。私が脚を引っ張ってしまった」
リーリがリュカの耳元で囁く。リュカは聞こえているのかいないのか、首をふるふると横に振っただけだ。現在進行形で圧力を高め続けるレヴィアとマミンにのまれてしまっている。これはキツいかもしれないな。
それにしても、どうしてレヴィアもマミンもここまで威圧的なのだろう。以前オレをレヴィアに引き合わせてくれた時、彼女たちはもっと友好的に見えた。過去を懐かしむような会話すらしていた。だが今はどうだ。両者ともまるで親の仇を見たかのような憎々しげな表情をしている。マミンはリュカと一緒に生活していた時間もあるが、その時と態度がまるで違う。リュカが脂汗を流しているというのに、目を向けることすらしない。むしろわざと上から押し潰しているように思えた。
「ジャーマネ。あとどれくらい?」
「十分程度です」
「そう。ねぇ、もう始めましょうよ。あんな奴待ってたって仕方ないわ」
十分くらいなら大人しく待てよと思うのか、ちょっとくらいなら繰り上げても良いかと思うかは自由だ。だがまだ開始まで時間があるので、こちらに到着していないルシアルを責めることは出来ない。ましてやいないままで会議を始めるなど乱暴過ぎるだろう。しかし、
「賛成ね。どうせあの呑んだくれは大した意見も言わないわ。始めましょう」
マミンまでそんなことを言ってしまった。マダム・ギラはキセルをくゆらせているだけで反対もしない。そして、ここで会議を始めるかどうかの判断は、リュカに委ねられる。
「え、え? ええ、え〜と」
今回の会議を開催するに至った発端であるアスモディアラが議長なのだ。もちろん本人は出席出来ないので、必然的にリュカが引き継ぐことになる。
時間前だと言うのに会議を始めろと迫る二体の魔王。まだ到着していない魔王。どちらの顔を立てるのか。どちらを優先するのか。普通なら全員が揃っていないのに開始するなんておかしい。それに予定時間まで間がある。しかし、この状況だ。明らかに自らより立場も実力も迫力も上の二体から圧力をかけられたリュカは、半泣きである。
リュカの唇が震え、何か言葉を発しようとしたその時、
「おいおいおい。おいらを仲間外れにするのかい? 独身女どもも偉くなったもんだぜい」
かつん、という高らかな杖の音と共に、嗄れた男の声が聞こえてきた。それは観客席の一番高い所から響いてきている。かなり距離があるというのに、何故かオレ達の耳まで届いてくるのだ。
「かー! どいつもこいつも若ぇ見た目のまんまだぜぃ。それは何かい? 寂しく老いていくおいらへの当てつけかい?」
杖をつきながらゆっくり下りてくるのは、小さな魔族だった。見た目は人間となんら変わりなかったが、身長は五十センチほどだろうか。どんな種族かは知らないが、オレが名付けるとしたら小人だ。小人族だ。
黒く日焼けした肌に白髪を坊主頭に刈り込んでいる。着ているのはどこか和服に似ているが、ポケットが異常なほど取り付けられていて、そんな印象も薄れる。
「よっこら、と。く、お。悪くねぇ酒だぜい」
「早速飲んでんじゃないわよ」
小人族の付き人なのだろう僧服の女は、小声で何か詠唱をすると石盤から椅子を生み出してみせた。それに小人が腰掛ける。そしてまず最初に懐から出した酒をぐいとあおった。
「さぁて。始めようかい」




