宣戦布告
オレとリュカが屋敷へと戻ってきた時には、幾人かのメンバーが欠けていた。団長と牧村だ。二人は、オレとリュカが転移魔法で飛んだすぐ後に屋敷を後にしたらしい。理由はよくわからない。
オレはリュカの発動した転移魔法による吐き気で死にそうになりながらも、それ以上に脳内がゆらゆらと揺らいでいた。
気持ち悪い。気持ち悪い。冷たくなってしまった魔王の身体は、もう生き物のそれではない。死体だ。生きていた者の名残りを何一つ残さない、ただの死体だ。オレはそれを見て、ただ不快感を感じている。そして、そんな風に感じている自分自身が信じられなかった。
「魔王、さま……」
「そんな……」
屋敷の中庭で眠る魔王を、リーリとパトリシアが青い表情で見下ろす。二人の手は小刻みに震え、カチカチと歯の根が合っていなかった。オレはそんな二人をどうしようもない気持ちでただ見ていた。そして、
「あ……」
アヤさんが、二人の間を割って入ってきた。彼女は、魔王の首筋にしがみついているリュカの肩をそっと叩き、離れさせる。リュカは泣いてはいなかった。
「あほ」
小さく一言呟いて、魔王の額に白い羽根を落とした。優しい微笑みとともに目を瞑ると、その後は何も言わずに屋敷の中へと戻っていった。
その後ろ姿が、なんの変哲もない後ろ姿が、オレには酷く激しく見えた。
魔王がベルゼヴィードに殺されてから二日。屋敷は深い沈黙に覆われていた。誰もが最低限の言葉以外を発することはなく、ただ黙々と生活している。
一つ驚いたのが、この魔界には葬式という式がないらしい。概念自体はあるのだが、それを実際に行うことはほとんどないのだそうだ。理由としては、毎日のように魔族が死ぬからだ。戦争や抗争、飢餓、病気。様々な理由で魔族は死んでいく。こう言っては薄情だが、いちいち大層に弔っていては生活が回らないのだ。そしてそれは、魔界の一部を統べる魔王ですら例外ではないらしい。魔王アスモディアラは、娘であるリュカの手で、火葬された。昨日は一日中魔王の死体が焼かれる煙が立ち上っており、正直言って気分が悪かった。
今朝の食卓でも、皆喋ることはない。アヤさんは器用に新聞を広げ、リュカ、同席を許されたリーリとパトリシアが食事に勤しんでいる。オレは彼女たちの正面で、黙ってパンをちぎっていた。
「で、これからどうするん?」
すると、アヤさんが突然言い出した。目は新聞に落とされたままだったが、その声がリュカに向けられたものだと言うことは誰もがわかった。そして、その意味も。
「……領内の集落達とは、今後それぞれの長と話し合うことになっています。ただ、彼らはお父さまに付き従って下さっていた方々なので、これからも私の元にいてくれるかはわかりません。それに、私自身も、彼らを纏められるとは思いませんし……」
魔王とは言いつつも、そこまで強力な地盤があるわけではないらしい。事実、この屋敷に仕えているのは僅かな魔族のみだし、正式な軍隊を持っていたりするわけではない。そう。この世界の魔王、とくにアスモディアラは、オレの知る「魔王」のイメージとは最初からかけ離れていたのだ。
「ラミア族とナーガ族は戦闘種族だ。ハーピーもサキュバスもかなり好戦的だし、一族の力も強い。この辺りが魔王様の領内の主要な種族だが、果たしてどう出てくるか見当もつかない」
リーリが難しい顔をする。魔王の領はかなり寄せ集め感が強い。魔王の統治の仕方なのだろうが、各々に任せて好きにやらせている。それは魔王アスモディアラの力が強力で、他の種族を圧倒していたからこそ出来たことだが、今は。
「ま、リュカちゃん相手に尻込みするような種族は、今挙げた中にはおらんね。こりゃ一気に離散やな」
そうなるだろう。また、アスモディアラ不在のこの状況を放っておくような他の魔王ではない。必ず領地を切り取りにやってくる。それを相手に、「アスモディアラ軍」として闘うことは不可能だと思えた。
「あの、アヤさん。ハーピー族は……」
現状のあまりの苦しさに、リュカが泣きそうな表情でアヤさんにすがる。しかし、
「んー? うちらは多分また好き勝手やるよ。うちとアスモディアラちゃんが飲み仲間やったから一緒におっただけで、そもそも主従関係やないし」
「そんな……」
アヤさんが強力な魔族であることは、以前レヴィアから聞かされて知っている。おそらくだが、魔王アスモディアラ領は、アスモディアラとアヤさんの二枚看板だったのではないだろうか。その片方が欠け、残った方もいなくなると言うことは、もう魔王領としての体裁は完全になくなる。
「あの、あの! 私は魔王として生きていくつもりなんてないんです! そんな力もありません! ただ、お父さまが残したこの屋敷だけは、守っていきたいんです!」
「へぇ。そんなん好きにすれば? と言いたいとこやけど、ま、その辺は昔のよしみやから、多少は口きいてあげるよ。他の種族に襲わせんようにはするよ」
「あ、ありがとうございます!」
リュカがやっと息を吐いた。リーリとパトリシアも、とりあえずは安心した様子で目を合わせる。彼女たちも、これまでの平穏な暮らしを望んでいるだけなのだ。魔界とか魔王とか戦争とか、きっと重要には思っていない。この、魔王が暮らすには小さ過ぎる屋敷で、生きていきたいだけなのだ。
「では、他の種族長たちを迎える準備を始めなくてはならないな。もう送った手紙の返事が返ってきている種族もある。しばらくは忙しくなりそうだ」
「ですね。お食事の用意なども必要になるでしょうから」
リーリとパトリシアは少しだけ元気を取り戻したように相談しあう。まだ魔王の死が心から抜けきらない今、無心で仕事に打ち込むことはとても重要だった。しかし、頬に生気を持ち始める二人とは対照的に、リュカの顔色がどんどん悪くなっていく。
「わ、私がお話しないといけないんですよね。沢山の種族長さんと……。わ、私に務まるでしょうか」
「せやなぁ。サキュバスんとこは最近世代交代したイケイケのが来るやろうし、イーグル族はかなり荒っぽいよ」
「ひ、ひぇええ」
「おい。リュカを無駄に怯えさせないでやってくれよ」
にこにこしながら各種族長の攻撃性を語るアヤさん。このお姉さんは最後までこんな調子らしい。いや、別に最後ではないのだけれど。だが、お酒を楽しく飲む相手がいなくなったのだ。いつまでここにいてくれるかはわからない。すると、
「皆いるわね?」
黒魔女マミンが食堂にやって来た。魔王の死後、客室に一人こもり何かをしていた彼女が、やっと姿を現した。何やらかなり体力を使っていたらしく、どこか疲れた表情だ。
マミンは食堂内を見回し、ちゃんと全員がいることを確認すると、真剣な面持ちで席に座った。そしてリュカに向かって重々しく言葉を紡ぐ。
「人間の王国が、魔界に対して宣戦布告したわ」
「っ!?」
アヤさん以外の全員が驚きに声にならない声をあげた。その余りにも予期出来ない顛末に、二の句が継げない。
「攻めてくるのはおそらく十日から二十日後よ。元々準備はしていたようだけれど、その速度が急激に早まってる」
「そ、んな……」
宣戦布告って……。どうして今。このタイミングで。いや、まさか。団長と牧村が帰ったのは、もしかして、こういうことだったのか?
「ま、アスモディアラが死んだ今、魔界は少なからず動揺しているわ。攻めるには絶好の機会ね」
「で、でも! お父さまが締結した同盟は!」
リュカが叫ぶが、その返答はオレにもわかる。
「同盟を結んだのは、魔王様がいたからだ。魔王様のお力があって初めて同盟の意味がある。魔王様がお亡くなりになった時点で、同盟はほぼ意味をなさない」
リーリが頭痛を抑えるようにして語る。その通りだ。同盟の意味も力も無くした王国だ。いつかは魔界と戦わなくてはならない中で、魔界に動揺が走る現状はまたとないチャンスだ。むしろ、しかけるならここしかない。それに、つい最近まで王国は戦争の準備をしていた。ベルゼヴィードの貴族殺害で一旦取りやめにはなったが、ある程度までは戦争が出来る目算が立っていたのだろう。
「疑うわけやないけど、確かなん?」
リュカ達がオロオロする中、アヤさんは冷静に問いかける。それにマミンは確信を持って頷いてみせた。
「私の魔法で目になっている動物が確認してるわ。宣戦布告の書状もじきにここにも届く。王国と一番近いルシアルの領にはすでに届いているわ」
「マジかよ……。てか、宣戦布告なんてことするのか」
この混乱した状況の中で、そこは唯一腑に落ちない点だった。宣戦布告なんてしなくても、隠密的に準備を進めて、奇襲をすれば良いじゃないか。わざわざ魔界側に準備期間を与えて特があるのか?
「宣戦布告は、人間が魔族に戦争を挑む時だけ行われるわ」
「はぁ? なんだそれ」
「あなた。突然襲われたらどう思う?」
「え、どうって……。そりゃ怒るよ」
自分で言って、気がついた。
「そうか。過度な報復を防ぐためか」
「そう」
魔界に攻め込む時、下手に奇襲を仕掛けて相手の怒りを買いたくない。もしそうなれば、戦争が激化するし、もし負けた時の被害が肥大化する。しかしそれはつまり、人間側は、戦う前から負けた時のことを考えていると言うことだ。被害の少ない負け方をするために、宣戦布告する。なんとも矛盾している。だが、きっと人間側はそうするしかないのだろう。それほどまでに力の差があり、それでも戦わないわけにはいかない。そんの訳の分からない世界の形が出来上がっているのだ。
「せ、戦争ってことは……」
リュカがやっと言葉を取り戻した。次の言葉を聞きたくない、と言う目でマミンを見上げる。
「そうね。魔王会議が開かれるわ。日時はおそらく明後日ね。場所はいつもの所よ」
「おい。オレの知らない単語が出てきて話についていけないぞ」
魔王会議は昔ちらと聞いたことがある気がするが、いつもの場所ってなんだ。
「魔王会議は、魔界全体でことに当たらないといけない時のみ開かれる特別な会合です。そこで魔王同士が話し合い、魔界の今後を決めるのです」
リュカは荒い呼吸でオレに教えてくれる。その背中をリーリとパトリシアが必死に撫でている。
「場所はね。いっつも会議開くとこがあるんよ」
「それは……」
マミンとアヤさんが、何故か目を合わせて笑った。
「魔王都サタニキアの特別闘技場よ」




