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決闘の決着


 晴れ間はゆっくりと広がっているようで、視界に映る青が増えていく。鈍色の雲塊の一部はアスモディアラの魔力によって引き寄せられたものでもあるので、それも少しずつ薄くなっていく。

 アスモディアラは魔力を使い果たしていた。彼の持つ最大威力の魔法「雷神の怒り」を、最大魔力で放った。今はもう立っていることすらままならないほどの魔力しか残っておらず、膝をつかずにいることが精一杯だった。


「ぐ……はぁ、はぁ……」


 一瞬で魔力が枯渇することは、実はかなり危険だ。血液中の魔力が突然失われるので、血中濃度が変化し、あらゆるところで血栓が生まれる。それを治癒するのが魔力であるのだが、肝心の魔力はない。アスモディアラは全身に重い痺れと、呼吸不全を起こしていた。


「あぁ……」


 ベルゼヴィード、スライム族は、無限に近い再生能力を持ってはいるが、決して無限ではない。再生には魔力を必要とする。そして、血液のない彼らは魔力をとある箇所、「核」に貯めている。ベルゼヴィードを倒すには、核にある魔力がゼロになるか、核自体を破壊する必要があった。だが、ベルゼヴィードの魔力量は膨大で、前者は望めそうにない。なので、核を破壊するしかなかった。

 ではスライム族の核はどこにあるかという話になるが、それは個体によって変わる。また、彼らは自身の意思やさじ加減でそれを体内で移動させることが出来るらしい。だからこそベルゼヴィードは、どんなに身体を損傷しても、見事に再生してみせていた。アスモディアラやマミン、レヴィアは考えあぐねた結果、もう身体まるごと潰すか焼き切るしかないと判断した。

 アスモディアラの最大魔法で、ベルゼヴィードの核を含む身体全てを雷で焼き切った。それは間違いない。

 決闘は今ここに終了した。


「まぁ、そうだろうな」


 肉が貫かれる音がした。達成感を表情に浮かべるアスモディアラは、口から鮮血を溢す。

 彼の胸には、二本の刃が生えていた。それがずるりと抜かれ、支えを失ったアスモディアラは地へと落ちていく。


「……死を覚悟したのは三度目だね」


 水溜りのようなゼリー状の何かから、静かな声が発せられた。それは徐々に増幅しながら、人型へと成っていく。その速度は極めて遅く、肩から上を作り上げるまでに五分近くを必要とした。デッサン用の彫刻のような風貌のベルゼヴィードは、落ち着いた声でアスモディアラに語りかける。


「まさしく雷神卿の名に相応しい一撃だった。私はきっと、あなたに殺されたんだろうね」


「生きて……いるではないか」


 ベルゼヴィードは首を振る。


「いいや、死んだよ。あの瞬間、私はあなたに負けた。だが、あなたが勝利を取りこぼした」


 腰から上が出来上がったベルゼヴィードの腕が、ある方向へと向けられる。その先数百メートルに、人が一人、倒れていた。


「あの子は、私の娘。ローゼという。働き者の優しい子だ」


 それは、全身を泥で汚した少女だった。綺麗な髪や頬にまで泥がこびりついている。今は気を失っているようで、動くことはない。


「あなたは、魔法を放つ瞬間、あの子を見たのだろうね。もちろんそんなことでは私を殺す意思は一切衰えなかっただろう。だが、見たという事実がある。その、一瞬と呼ぶには短過ぎる刹那、私は核を逃がすことが出来た。威力を一点に集約し過ぎたのも、ミスだったよ」


 そうだ。魔法を放ったあの時、確かにあの娘が視界に入ってきた。見るつもりなどなかったし、見たところでやるべきことは何一つ変わらない。

 だが、アスモディアラは思い返してしまった。あの娘が、ベルゼヴィードを父と慕っているところを。他の弟や妹を世話しているところを。だから手加減をしたとか、気持ちが萎えたとかではない。ただ、頭をよぎった。それだけだった。たったそれだけで、勝負は決まる。


「さて、私は決闘に勝利した。いや、これは違うね。負けなかったと言おうか。あなたとの闘いで魔力が切れかけ、家に張った結界が途切れたからこそ、ローゼはここまで来られたのだろう。そうだとするのならば、私はあなたのおかげで命を拾ったとも言えるかな」


「……」


 うつ伏せに倒れていたアスモディアラは、最後の力を振り絞って、ぐるりと仰向けになった。泥の海に身体を沈ませながら、大の字で空を仰ぐ。もう、傷を治す魔力はない。二本の刃は胸の中央をそれぞれ刺し貫いており、出血も止まらない。何をどう足掻いても、あと数分の命だった。


「おや。悪くない、と言った顔だ。理由を聞いても構わないかな?」


 とうとうベルゼヴィードは完全に元に戻ってしまった。だが、自慢のダークスーツは作り出せないらしく、スーツのズボンを履いただけで、上半身は全て肌を晒していた。


「負けた……だから、心地よい……」


「ふむ?」


「目が、あったの、だよ。あの、少女と」


 正確にはそんな気がしただけだろう。魔王同士の決闘の最終局面を、ただの人間の少女が目で追えるわけがない。彼女は今、強力な魔力の波動で気を失っている。もしかしたら死んでいるかもしれない。


「そうか……なるほど」


 死闘を繰り広げたからこそ、ベルゼヴィードには感じる何かがあった。それを言葉にすることはおそらく不可能だが、魔王でも、剣鬼でもない、ベルゼヴィードの中に刻まれた。


「空が美しい。さっきまではあんなに不機嫌だったと言うのに。最高のピクニック日和ではないか。そしてもちろん。ピクニックにはお弁当がつき物だ」


「……そうだ、な」


 アスモディアラは、呼吸すら出来なくなっていて、もう目を開けていることも苦しい。口から出る言葉も弱々しく、広大な荒地と化したこの場に吹く風にさらわれそうだった。


「無闇に苦しめるつもりはない。だが、どうか最後にこれだけは聞かせてくれたまえ」


「む」


「言い残す言葉は?」


 ベルゼヴィードは、右手に刃を生成した。切先を天空に向けて振り上げる。


「……」


 しばしの沈黙が訪れた。不思議と風音はやみ、静寂が世界を支配する。

 ほんの少しだけ思案したアスモディアラは、優しい笑顔で目を瞑った。


「無い!」


 静寂は過ぎ去り、風に木々が踊り草花が揺れる。空には雲ひとつなかった。


「何も? ……いや、最後、という約束だったね。私としたことが、無粋だな」


 自責するように首を横に振ったベルゼヴィードは、右腕に力を込める。


「雷神卿アスモディアラよ。あなたが駆けた時代に、全霊の敬意を捧げよう。誇り高く優しき魔王よ。今ここに安らかに眠ると良い」


 振り下ろされた刃は、血を飛ばすことなく静かに心臓を貫いた。

 ゆっくりと膝を落としたベルゼヴィードは、汚れたアスモディアラの頬に手をかける。その時、


「……ふぅ」


 転移魔法によって、何者かがやって来ていることを悟った。二人だ。一人はすぐにわかった。だが、もう一人の小さな魔力の持ち主が誰かはわからない。

 アスモディアラが眠るすぐそばにその二人は降り立った。泥が跳ねるのを嫌い、ベルゼヴィードは死体の前に立つ。


「魔王っ? まお……」


「……おとうさ……」


 竜士と、リュカだった。二人は一瞬辺りを見渡した後、ベルゼヴィードに気がつく。そして、彼の足元に倒れている何かにも、目が向いた。


「魔王っ!? 魔王!!」


「……」


 混乱し喚き散らす竜士と、対照的に黙りこくったリュカ。竜士は派手に龍王の右腕(ドラゴンアーム)を鳴らしながら、表情を怒りに染める。


「ベルゼヴィードぉおぉ!!」


「煩いな」


「てめぇ!! てめぇ!!」


「煩いと言っている」


「何も言わなくていい。今すぐぶっ殺してやる!!」


 我を失うほど怒り狂っている竜士を、ベルゼヴィードは冷ややかな目で見ていた。かつて、アメリカにいた頃なら、今の竜士の心境と同じ気持ちになっただろうし、今でも理解だけなら出来る。ただ、それを今、この世界で露わにする竜士に、酷く落胆した。


「君は、少し熟れ過ぎたかな」


「んだとぉ!?」


「青いままの方がよほど食欲をそそった。腐りゆく果実を、私は好まない」


「何を言って……!」


「エドガーさま」


 噛み合わない不毛な会話を、リュカが遮った。今にもベルゼヴィードに襲いかかろうとする竜士の前に立ち、ベルゼヴィードと対面する。

 護るべきリュカが前に出たというのに、竜士はそのことへ頭が回らなかった。


「君は、美しい瞳をしているね。朱と蒼か。初めて見るよ。実に素晴らしい」


「ありがとうございます」


「君の瞳には、どんな調味料が合うだろうか。いや、生のままの方が素材を楽しめる気がするね」


「て、てめぇ!!」


 荒れる竜士を、再びリュカが手でおさえる。


わたくしなら、炙ったあとに塩を一振りですね」


「ほう。興味深い」


 最早ベルゼヴィードは、竜士のことなど視界に入れてはいなかった。リュカと二人だけで静かに対話する。そして、


「美しい少女よ。君の名前を聞きたい」


 ベルゼヴィードが丁寧な所作で跪いた。その姿を見て、リュカはスカートのすそをちょこんとつまんでお辞儀をした。


「私の名は、リュカ・アスモディアラ。あなたと闘った、魔王アスモディアラの実娘でございます」


 この時、ベルゼヴィードの表情が大きく強張った。背後のアスモディアラを見、もう一度リュカへと視線を戻す。


「そうか……そうか……」


 すると、ベルゼヴィードは竜士たちに背を向けて歩き出した。そして、剣を、神剣リュカを引き抜いた。


「これは、君が持っているべき代物だ」


 手渡すことは、出来ない。竜士がいるからだ。なので、アスモディアラのすぐそばの地面に再び突き立てる。そして、ゆっくりと後退し、リュカに遺体を明け渡した。

 ベルゼヴィードの行動を見守っていたリュカには、その剣のことはよくわからなかった。だが、自らの瞳と同じ色の剣が、どうしてかとても愛おしく思えて、受け取ることを決める。仰向きに眠るアスモディアラの顔のそばに、汚れることを厭うことなく手をついた。そこで、


「このお顔は、あなたが綺麗にしてくれたのですか?」


 アスモディアラの顔に、一つも泥がついていないことに気がついた。これだけの荒地で闘っていたのだ。汚れていないなんてことはまずあり得ない。ベルゼヴィードは特に反応することはしなかった。


「帰りましょうか。お父さま」


「ちょ、待てリュカ! あいつを倒してからだ!」


「いいえ」


「はぁ!? 何言ってんだよ!」


「ここに来る時、約束しましたよね?」


「ぐ」


「それに、このままだとお父さまが風邪をひいてしまいます。それに、お洋服も汚れています」


「っ〜〜〜〜!」


 この時の竜士の表情を言葉にすることは難しい。憎しみや悲しみ、怒りや親愛、無念。いくつもの激しい感情がない交ぜになっていた。しばらく頭を抱えるようにして唸った後、大きく三度、深呼吸した。


「……わかった。帰ろう」


「はい」


 頭を両手で掻きむしった竜士は、全力で地面を叩き、小さな地震を起こした。リュカが転移魔法を詠唱している間、ベルゼヴィードを射殺す視線で貫く。その瞳は充血し、涙が滲んでいた。竜士は、今すぐベルゼヴィードを殺しにかかりたいのを、必死に抑えこんでいた。噛みしめる奥歯からは血が零れ、右の口元をそっと伝って落ちた。


「名もなき青年よ」


「……」


 声を出してしまえば、もう抑えがきかなくなる気がして、口を開くことはしなかった。


「この世界に、もうすこし慣れた方が良い。君には、覚悟が足りないよ。それが今の認識のズレを引き起こしている」


 竜士のこめかみの血管が弾け飛んだ。襲いかかろうとしたそのタイミングで、リュカの転移魔法が完成し、眠るアスモディアラともども、竜士は屋敷へと帰って行った。三人が消えた空に向かって、ベルゼヴィードは小さく礼をした。


「あぁ。彼の魂よ。どうか迷うことなく愛しい者のところに届いてくれたまえ」


 雷神卿アスモディアラと、剣鬼ベルゼヴィード。旧時代と新時代を象徴する魔王が決闘し、アスモディアラが敗れた。草木が軒並み死滅したこの空間は、のちに決戦の荒地と呼ばれるようになる。

 世界が動き出していくことを、ベルゼヴィードは肌で感じていた。自分自身も無関係ではいられないことに、小さくため息をつく。

 小走りでローザの元へ駆け寄り、その安否を確かめる。やはり気を失っているだけのようだ。愛しい我が娘に救われたベルゼヴィードと、故郷へと連れ帰られたアスモディアラ。この違いには、一つ共通点がある。どちらにも、愛があること。

 ここで起きた決闘は、愛によって終結した。

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