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瞬先の視認


「ベルゼヴィード……?」


「あ、いや、これは……」


 筋肉が痙攣しそうなほどの疲労具合の竜士だったが、動きは早かった。


「どう言うことだ!? おい!」


「ちょ、待て! 落ち着け!」


 目を真っ赤にしてリーリに掴みかかる。焦りで理性が緩んでいるせいか、普段は絶対に右腕で誰かに触れようとはしないのに、今は気遣うことなく首元をひっつかんでいる。かなり強い力を込めているようで、リーリの呼吸が一瞬停止するほどだ。


「落ち着きや」


「うげ!」


 アヤさんの手元のグラスが竜士の頭上にふわふわと飛んで行くと、中の酒を全てぶち撒けた。ベタつく液体とアルコールの匂いで、竜士も自分のしていることに気がつく。青くなってリーリから手を離した。


「あ、す、すまん! 大丈夫か!?」


「あ、あぁ。けほっ」


 軽く咳き込んだリーリだが、竜士を責めることはなかった。乱れたタイを一度外して締め直す。軽くない沈黙が訪れたが、それを早々に破ったのは牧村だった。


「魔王殿が、ベルゼヴィードと決闘でござるか」


「そうよ。朝に転移魔法を使ったでしょう?」


「あぁあれか」


 だが、それだけを言うと別段興味無さそうにいつもの席に座った。普段通り、リュカ達が夕食を運んで来てくれるのを待っている。そのあまりにも日常的な挙動に、まるでこの話は終わったかのような空気となった。アヤさんとマミンは粛々と酒盛りを再開し、資料を持ち込んできたリーリも、それらを綺麗に束ねると、食卓の隅にどけた。


「おいおい! ちょっと待てよ!!」


 そんな彼女たちの行動が、竜士にはあまりにも異常に見えた。平然と平時の生活を送ろうとする姿は、今この状況においては悪い冗談だとしか思えない。


「魔王が闘ってるんだろ!? だったら助けに行かないと!」


「はい?」


「マミン! この前はレヴィアと二人がかりでも逃げられたじゃねぇか! 牧村も、オレと一緒に闘っても倒せなかったんだぞ! 悠長に飯食ってる場合じゃないだろ!」


 例え魔王がどんなにベルゼヴィードを調査していたとしても、簡単に勝てる相手ではない。そんなのここにいる誰もが分かりきっていることではないか。朝から闘っているというのであれば、もう決着は付いているかもしれない。一縷の望みをかけて、すぐにでも助けに行くべきだ。しかし、


「何言うとん?」


「え?」


 アヤさんとマミンが、呆れたようなため息をついた。


「決闘やよ? 魔王と魔王の決闘。そこに横槍いれれるわけないやん」


「やっぱりあなたちょっとズレてるわね。決闘って聞いてまず出てくる言葉が『助ける』なんて、笑い話にもならないわ」


「え……」


 あまりにも冷徹な言い様に、竜士は身体が凍りつく。二人の言葉に嘘偽りの気配はなく、本気で言っているのだとは分かった。だが、それを飲み込むには時間がかかる。いや、時間をかけても無理だった。


「魔王が……喰われちまうかもしれないんだぞ」


「負けたらね。ま、負けるでしょうけど」


「魔王ちゃんなんか美味しく無さそうやけどなぁ。料理するんかな?」


「昔あいつの身体で実験してたけど、かなり筋肉は柔らかいわよ。意外と美味しいんじゃない?」


「ふざけんな!!」


 腹の中を掻き回されたような強烈な不快感を感じて、竜士は叫んでいた。不意の激昂のはずだったが、誰も驚いた様子は見せない。過熱する竜士とは対照的に、ひたすらに白けていく。


「仲間じゃねぇのか! なんで助けようって気持ちにならないんだよ!」


「……」


「何とか言ってくれよ……」


 竜士が期待した、こうあるべきだと思う反応は、一つも返ってこない。声を荒げれば荒げるほど、彼女達との距離は遠くなっていく。自分以外が何を感じて考えているのかまるでわからなくて、竜士は一歩後ずさった。すると、


「マミンさま」


「リュカ……」


 温かな夕食をパトリシアとともに運んできたリュカが、口をひき結んで立っていた。


「お父さまは、今どちらに?」


「知ってどうするの?」


 やっと自分と同じ感覚を持つ者が現れた、と竜士は安堵に似た感情を持った。

 リュカとマミンは、生真面目な顔で向かい合っている。


「もうすぐ雨が降りそうです。お父さまが風邪を引いてしまわないように、ちゃんと連れ帰りたいのです」


「雨、か」


「はい。帰りはわたくしが転移魔法を使います。ですが、行きの分の魔力はありませんし、どこに行けば良いのかもわかりません。ですので、マミンさまにお力添えをお願いしたいのです」


 リュカも転移魔法が使える、そんな新事実が判明した。だが、彼女も歴とした魔王の娘だ。素質で言えば、他の凡百の魔族などとは比べ物にならない。決して不可解ではないだろう。

 マミンはアヤさんと軽く目配せすると、


「わかったわ。迷子にならないように」


「はい」


「待て! リュカ一人で行かすつもりか!?」


 すぐにでも転移魔法を発動しようとするマミン。だが、リュカがこれから向かうのはベルゼヴィードのいる戦場だ。この世界で最も危険な空間である。そこにリュカ一人を放り込むなんて正気の沙汰じゃない。


「オレも行く!」


「どうする?」


 マミンは竜士ではなく、リュカに尋ねた。


「では、エドガーさまも」


 当然だ。むしろ、一人で行かす方がどうかしている。だと言うのに、アヤさんも、パトリシアも、そして過保護なリーリでさえ、誰もお付きに立候補しなかった。そのことが竜士には不気味で仕方ないが、今は一刻も早く魔王の元に向かうべきだと判断し、無用な追及は避ける。


「ただしエドガーさま。あちらに着いてから帰ってくるまでは、私の言うことを聞いてもらいますよ」


「わかった。リュカもオレから離れるなよ」


「はい。絶対に離れません」


 リュカの手を握る。


「はい。イチャイチャしてるとこ悪いけど、早速飛ばすわよ。一、二……」


 三、と聞こえる前に、竜士とリュカは転移魔法の波に呑まれた。二人が消えた後、食堂は再び言い知れぬ沈黙に支配された。アヤさんがとくとくと酒を注ぐ音だけが妙に響く。だが、しばらくすると、リーリとパトリシアが食事を配膳し始める。団長も匂いを嗅ぎつけたか、食堂に入ってきた。リュカも魔王も、この屋敷の主人はどちらもいなかったが、いつもと変わらぬ食卓を、彼女たちは当然のように開始した。











 集中力が途切れそうになるのを、アスモディアラはひしひしと感じていた。「集中しろ」などと自分に言い聞かせると言うことは、要するに集中から程遠い精神状態であることを示している。笑えてきてしまう。かつてアヤさんと闘った時は三日三晩激戦を繰り広げたと言うのに、今はそれの半分も保たない。実戦の勘を取り戻すためにここ数ヶ月は訓練や領地の境での小競り合いに参加していたが、その度に衰えを感じてきた。それでも一戦程度なら何とかなるだろうとタカを括っていたが、どうやら本気の命の取り合いになると、その衰えはより顕著になってくるらしい。

 迫り来るベルゼヴィードの刃は三本。雷の槍で全て薙ぎ払った、と思ったのだが、一本見逃していた。刀が左脇腹に突き立つ。


「う、ぐ」


「ふぅむ」


 接近戦を嫌い、アスモディアラは雷身の魔法で退避した。やはり笑えてくる。必殺の魔法である雷身の魔法を、こんな逃げるためだけに使うようになってしまった。それも複数回。全てが接近戦で、もう防御もままならない状態になった末での発動だった。遠距離戦では互いに勝利するのは難しいと分かっているから、早い段階で接近戦になった。しかし、少しずつだが、ベルゼヴィードの力がアスモディアラを上回り始めていた。


「ここまでのようだな」


 アスモディアラは、雷の槍を解いた。


「ふぅむ?」


 諦めた、とは見えない。勝負を投げ出すような男が魔王になどなれるはずもない。ベルゼヴィードは、アスモディアラの思惑が読めなくて刃を収めた。代わりに、泥と血で汚れたダークスーツを修復していく。五秒もしないうちに、夜色の禍々しいスーツが整った。


「ベルゼヴィードよ。これ以上闘っても私には勝機はないようだ」


「そんなことはない、とは言わない。だが勝負は時の運だ。何が起こるかはわからないよ」


「何が起こるかは……か。ふは」


 アスモディアラは何故かこのタイミングで声に出して笑った。何かはわからないが、彼の笑いの琴線に触れたようだ。


「決着をつけよう。攻めさせてもらう」


「それは構わないがね。あまり調理に時間をかけてしまうと、肉の鮮度が落ちてしまう」


 ベルゼヴィードは両手の手のひらから刃を生成した。その二本は、鍔から切先まで深い黒で覆われている気味の悪い刀だ。よく見ると、僅かだが脈動している。


「私がこの地に降り立ってから四十年。コツコツと魔力を貯めてきた刀だ。きっと今使うのが最も美しい」


「ああ。私も、全てを出し切って見せよう」


「フハハハ! それは良い! かつてないほど心と舌が震えるよ!」


 ベルゼヴィードが刀を構える。アスモディアラが、魔力を最大限練り上げる。

 ずぶずぶと心に沈み込んでくるような雨は、二体の魔王の視界を淀ませる。互いの距離は約百メートル。

 構えた姿勢から、まだ動かない。力を溜めるでもなく、息を吐くでもなく、ただ、動かない。待っているのだ。動くべき瞬間を。動きたいと思えるその時を。

 一瞬の晴れ間が、太陽の光を差しこませた。


「ハッハー!!!!」


 瞬きよりも早く、両者間合いに踏み込んだ。

 ベルゼヴィードが両腕の刀を八の字に斬りつける、のは囮。刃が駆けることで開いた小さな空間。そこを使って、アスモディアラの首筋に犬歯で噛み付いた。

 はずだった。しかし、その牙の先には何もない。誰もいない。ただ、何か強力な魔法が発動された残り香だけがあった。

 対してアスモディアラは、あの日のことを思い出していた。レベッカを嫁にもらうため、グレンハルトと決闘した日。あの時、妻であるレベッカから教わった、三つ目族の秘伝の魔法、「瞬先の視認(アイ)」。対象の一瞬先の行動を視ることが出来る未来視の魔法。これがあったからこそ、グレンハルトの動きを把握し、余裕を持って迎撃出来た。それを今、ここで発動した。

 ベルゼヴィードの動きを視、そして、背後を奪った。


「取ったぞ」


 動きを封じるため、雷の魔法で拘束する。だが、それは一瞬だ。そして、


雷神の怒り(サンダーバースト)!!」


 天を二つに割る巨大な雷の塊が、まさしく雷速を持ってベルゼヴィードに直撃した。


 その時、アスモディアラは視界の端に、あるものを捉えていた。

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