知らせ
ベルゼヴィードと大剣リュカ。考えたくもない最悪の取り合わせだった。不死に近い回復力と自己修復能力を持つベルゼヴィードは、自らへのダメージを一切考慮することなく前に前に攻めてくる。全身から飛び出してくる刀だけでも厄介だと言うのに、そこに加えて一撃必殺のリュカの攻撃。精神を削られるほどの思考回転で、アスモディアラはそれらをかわしていた。
「ふははは! なんと爽快か! 雨の雫すら斬り払うこの極上の刃! これならばどんな肉でも華麗に捌いてくれるのだろうね!」
大上段からの振り下ろし。途中で軌道を変化させ、突きになってアスモディアラに襲い掛かる。ベルゼヴィードの肘が伸びきったことを確認したアスモディアラは、懐に飛び込み、肘と膝で上下からベルゼヴィードの腕を挟み砕いた。
「ふぐ!?」
「返してもらうぞ!」
ベルゼヴィードに持たせていては、勝てるものも勝てなくなる。それに、亡き師匠であり、義父であるグレンハルトの遺物をこれ以上振り回されたくはなかった。
右肘が破壊されたベルゼヴィードは、たまらずリュカを手放して後退した。泥になった地面に落ちたリュカを、アスモディアラは丁寧に拾い上げた。朱と蒼の刃に、自らの顔を写し出す。泥と雨と血で、ボロボロだった。
「ふん」
リュカを一振りして剣先を地面に突き立てた。
「見守っていて下さい」
私の偉大な師匠よ。いつ如何なる時も、あなたの姿を忘れたことなどありません。
五大魔王時代は、始まりから大荒れに荒れた。
各魔王が領地なるものを獲得するためにいくつかの戦闘が起き、ある程度領地の地盤が固まると、そこからは各勢力間での抗争が頻繁に勃発した。
中でも特に多かったのが、魔王サタニキアに仕えていた魔族達の反発だ。彼らは他の魔王など一切認めず、早々に攻め滅ぼそうと抗争を繰り返した。それらは各魔王達が前線に張り付く形でなんとか沈静化させたが、安定しない領地の経営は長く続き、領民からの信頼を得るにはかなりの時間を必要とした。
だが、それも少しずつ改善してはいった。ルシアルは小人族の族長としてある程度の勢力を序盤から有していたし、マミンは魔女としての名声の高さから魔界各地から魔法研究者を引き寄せた。
サタニキアとレヴィアは言わずもがな、そして、唯一基盤もツテも持たないアスモディアラも、本人の努力とレベッカの支えによって、なんとか領地領民を得るに至った。
五つの領地が安定期に入ってから五十年。魔界にある一報が広まった。
「様子はどうなん?」
「まだだ。もうしばらく時間がかかるだろう」
「そわそわするんじゃないわよ。みっともない」
魔王アスモディアラの屋敷の食堂には、落ち着かない様子で腕を組むアスモディアラと、暖炉にあたるアヤ。そして、お忍び用のローブを着たレヴィアがいた。
一番落ち着きのないアスモディアラは先程から身体を揺するようにしており、それを何度もアヤとレヴィアに注意されている。だが、そんな二人も確実にいつもと様子が違った。
「かれこれ六時間ね……」
「それで、いつになったらルシアルちゃん来るん? 早よせんとお祝いに間に合わんよ」
「いや、先程あやつから魔法梟が届いた。今日は来られないそうだ」
「はぁ、意外に薄情ね」
「そうでもない。ちゃんと極上の酒を……」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……痛い!!」
突如館中に響き渡った悲鳴に、三人ともびくりと跳ね上がった。まるで世界の全てを憎んでいるようは叫びは、歴戦の魔王達ですら身を竦ませた。
「うわぁ……」
「これ聞いちゃうと、色々今後について考えちゃうわね」
「れ、レベッカ!! 今行くぞ!」
「アホ! アスモディアラちゃんが今行ったって邪魔や! マミンちゃんに任せてそこで大人しくしとき!」
動揺そのままに駆け出そうとしたアスモディアラの肩をひっ摑んで、アヤがもう一度椅子に座らせた。それでも隣の部屋に行きたそうに貧乏ゆすりしているアスモディアラに、アヤもレヴィアもため息をつく。
「あ、うあぁ!! 痛い! 痛い!!」
「あ、あぁ……レベッカ! どうか、どうか神よ! レベッカを守ってくれ!」
「魔王が神に祈るな!」
レヴィアがアスモディアラの頭をはたく。しかし、絶え間なく聞こえてくるレベッカの悲鳴に、アスモディアラは魔王の面影はない。
「うぅ〜痛い!! もうバカ!! 旦那さまのバカ!! 痛いの!!」
そしてとうとう悪口まで飛び出してきた。
「領民の! 女魔族には! すぐ良いかっこするし! お食事のマナーは、なってないし!!」
「言われてるわよ。サイテー」
「浮気もんやねぇ」
「違う! そんなことはしてない!」
なにやら思わぬ方向に話が飛び火してレヴィアとアヤから白い目で見られるアスモディアラ。その後も隣の部屋から喚き散らされるアスモディアラへの悪口は日常生活から戦闘、仕事と多岐に渡り、どんどん肩身が狭くなる。
そして、
「止まった……?」
「止まったわね」
「やな」
これまた突然、レベッカの悲鳴が止んだ。三人の体温が急激に下がる。しかし、
「おぎゃあ! ふぎゃあ!」
次に聞こえてきた小さな泣き声。アスモディアラは、堪らず立ち上がって隣の部屋に駆け込んだ。アヤやレヴィアが止める暇もないほどの速度だ。そして、部屋の扉を叩き開ける。
「レベッカ!!」
「うわ、ちょ!! まだ!」
部屋の中にあるのは、大きなベッド。そこに疲れきった顔で大汗をかいてい眠るのはレベッカだ。その周りには何人かの女の魔族がいて、マミンもそこに含まれる。
そして、レベッカはアスモディアラと目を合わせると、感極まったようにぼろぼろ泣き始めた。
「旦那、さま……!」
その胸には、小さな小さな、本当に小さな赤子が、優しく抱かれていた。
「おお! レベッカぁ!」
「うるさい!! デリケートな状態の母子に障るでしょう!」
そんなマミンの声など聞かないアスモディアラは、その巨体を縮めることなくレベッカに抱きついた。もちろん赤子も彼の腕の中だ。
「良くやった! 良くやってくれた!」
「はい! はい……! 私、頑張りました……!」
それは、二人の初めての子供だった。小さなその子は女の子で、レベッカによく似た可愛らしい子だった。一瞬大きな声で元気よく泣いていたが、今はもうすっかり安心した様子でレベッカに抱かれている。
魔王アスモディアラに、子供が生まれた。魔界に君臨する五体の魔王のうち初めての世継ぎであり、また、美女レベッカの娘とあって、魔界中にすぐに知らせが広まった。
アスモディアラは、何度も何度もお礼を言いながら、ずっとレベッカを抱きしめ続けていた。そしてレベッカは、そんなアスモディアラを優しい瞳で見つめながら、大切に大切に、娘の身体を抱きしめた。
「うわちゃあ……大丈夫なん?」
「生まれてすぐ父親に圧死させられましたってのは可哀想ね」
「呑気に構えてないで、あんた達もあの馬鹿魔王を引っぺがすの手伝いなさい!」
遅れてやって来たアヤとレヴィアは呆れた様子で三人の家族を見やる。それに対して、マミンは赤ん坊が潰れてしまうのではないかと気が気ではなかった。
「レベッカよ! よくぞやってくれたぞ!」
赤ん坊が生まれたその晩、アスモディアラの屋敷は大宴会が催されていた。屋敷だけではない。アスモディアラ領の全ての魔族達はお祭り騒ぎだ。
沢山の領内の族長達が屋敷に訪れてきていたが、産後間も無いレベッカの体調を気遣い、面会ではなく書面で祝福した。
「がははは!! 旨い! 旨いぞ! なんと旨い酒か!」
「魔王ちゃん。それ安酒やから」
アスモディアラは、頬の筋肉が無くなってしまったのかと思うほど破顔し、浴びるように酒を呑みまくっていた。良い酒を好む彼らしからぬ、液体なら何でも呑みまくる乱れっぷりだ。
「まぁ、良かったんじゃない? 母子ともに健康。この機会に攻め込んでくる他の魔王勢力もなし」
「サタニキアはともかく、今のアスモディアラを襲うような空気の読めない奴はいないでしょう」
レヴィアもマミンも、そんなツレないようなことを言いながらも、酒を呑むペースは早い。無意識のうちに身体が高揚していた。
すると、
「おお! レベッカ!」
かなり回復した様子のレベッカが、その腕に赤ん坊を抱いて食堂に入ってきた。酒の匂いの充満するこの部屋は赤ん坊の健康にあまりよろしくないが、きちんとしたお披露目をするためだ。レベッカに駆け寄ろうとしたアスモディアラは、アヤとマミンとレヴィアに突き飛ばされ、代わりに三人がレベッカを囲む。
「ちょっと姉さん! もう歩いて大丈夫なの!?」
「大丈夫。それにほら、この子もみんなに会いたいって」
腕の中の赤ん坊は、三人に向かって両手を掲げる。
魔族の赤ん坊はかなり直ぐに目を開き、歩き、言葉を覚える。生まれて数時間のこの子も、もう目を開いて世界を視認していた。
「朱と蒼の瞳……。綺麗な白髪やし、良かったなぁ。お母さんの良いとこいっぱいもろて」
「そうね。あの馬鹿魔王の遺伝子多めだったら可哀想だもん」
「はぁ、私も叔母さんかぁ」
「あ、あうー。うー?」
三者三様の反応だが、赤ん坊はまだその意味は分からない。ただ自分を見つめる優しげな瞳だけを感じていただろう。
しかし、そんな幸せの絶頂期に似合わない嘆息を、レベッカが漏らした。
「それで、お父さまは?」
「ダメ。音信不通」
「うちも捜したんやけどねぇ」
「あのハゲ! ほんっとに頑固なんだから!」
この場にはルシアルとサタニキアはいない。彼らは領地の事情があり顔を出せなかった。サタニキアはもともと出てこないだろうとは予想出来たが。
だが、彼らからは一応祝いの品や手紙などが届いている。しかし、あの時、五大魔王が始まった広場にいた魔族の中で、一人だけこの祝いの席に何の関わりも持たない男がいた。
「お父さま……」
今回の赤ん坊誕生を魔界で大々的に拡散させたのは、いまどこにいるのかも知れないグレンハルトに知らせるためだった。
グレンハルトは、この五十年、二回しか魔王達の情報網に引っかかっていない。
「……」
アスモディアラも、かなり魔界全土を飛び回ってグレンハルトを捜した。あの時、確かに決闘では勝利したが、まだ結婚の許しを正式に得たわけではなかった。グレンハルトに認めてもらうことを使命と考えているアスモディアラにとって、今回の件はある意味ではチャンスであったのだが、それもとうとう叶うことはなかった。
四人の魔王と、アヤは、俯いた。
その時、
「っ!?」
「え!!」
「伏せろ!!」
巨大な圧力を持った何かが、天より降ってくるのを、五人は感じた。迎撃態勢に入ったのはアヤ、レヴィア、マミン。アスモディアラとレベッカは我が子を守るために身体を盾にする。
「どこの誰だか知らないけど、ちょっと無粋よ!」
レヴィアの魔法により屋敷の上空に海水の盾が出現。厚さは五十メートルを超える。さらにそれを覆うようにマミンの補助魔法。そして、最後にアヤが取りこぼしをなくす。
完全の態勢だったが、しかし。
謎の魔力、ではない。物体は、魔王達の展開した防御魔法を突き破り、屋敷の中、丁度アスモディアラとレベッカの目の前にまで届いた。その速度は最早光速に近く、アヤも反応しきれない。しかし、物体は食堂の床に突き刺さると、それまでの速度はまるで無かったかのように停止した。
「な、なんだ?」
「近寄らんほうが良えよ!」
「待ちなさい。でも、これ魔力が……」
よく見ると、それは小さな球体だった。そして、それは全員のよく知るものでもある。
保護球体だ。それは、手紙を運ぶ魔法梟が戦地などを通る場合でも、中の物が破損しないようにするための魔法具である。
「これ、お父さま……?」
その保護球体は、鋼色に煌めく。小さな煙を上げてはいたが、既に温度も下がっており、手で掴むことが出来る。
球体に彫り込まれているのは一文字「聖」。魔界でこの保護球体を使えるのはただ一人だ。
「あ、開けるぞ」
「爆発物やったりして」
「あのハゲ親父ならあり得るわね」
「どんだけ親バカよ」
レヴィアはグレンハルトとの面識は浅いので、彼の細かな性格などはあまり知らない。
保護球体について適当なことばかりを喋る女魔王達をおいて、アスモディアラは球体の中にしまわれている物を取り出す。
「これは……」
入っていたのは、一枚の羊皮紙。公式な文書などを書き記す場合に用いられるものだ。そこには、短くも美しい文字で一言だけ書かれていた。
「命名……リュカ……」




